(コロナ禍での)滞在制作とは何か。

コロナ禍で、私が一番失ったと感じることは「移動の自由」である。

ハラスメントと同じで、何かを失ったり、制限されたりすることに、自らが気付き「傷つく」には少々時間がかかることがある。

78歳のイタリアの哲学者ジョルジオ・アガンベンは、

コロナ禍での発言により、大炎上を起こしたひとりである。

アガンベンが言及した二つの懸念は、「死者の権利」と「移動の権利」を剥奪されること。

まず、死者が葬儀の権利を持たないことに対して苦言を呈した。

そして、「移動の権利」の制限に関して。

アガンベン曰く、「移動の自由」は単に数ある自由のうちのひとつではなく、

苦難の末に勝ち得られた権利であり、

近代が権利として確立してきたさまざまな「自由の根源」にあるという。

つまり、「移動の自由」を制限されることをみとめてしまうということは、

大袈裟ではなく他の自由も失う可能性がすくそばに孕んでいるということ。

コロナ禍でパリー東京間を往復するとなると、現在日本で14日間、フランスで7日間の自宅待機を強いられ、計3週間失うことになる。

それでもコロナ禍に突入してから、3度の往復をした。毎回、飛行機の乗客は6、7人で、客室乗務員の数より少ない。

今回は、カナダで行われる予定だった新作クリエーションが、カナダへの渡航禁止に伴い現地での制作が不可能となり、

共演者がいる日本に私が渡航し、カナダにいる演出家と、東京での1週間の稽古を経て、城崎に移動し、さらに2週間半の滞在制作をすべてリモートで行った。

城崎にたどり着くまで、長い長い道のりがあった。3月フランスの感染状況は悪化していて、EU圏外への移動が制限されていた。ビザの更新のタイミングもあり、カナダ側は弁護士を雇って、私の渡航許可を取得するために奔走してくれた。私も、数々の書類を集め、県庁に数回足を運んだ。

成田空港に到着してからも、位置情報を随時提供するためのアプリをいくつもダウンロードしなければならず、PCR検査陰性の結果が出たあとも、政府の用意するホテルに3日間滞在することが必須となっていた。

自宅に戻ってからも、1日に何回も位置情報を求める通知がきて、携帯に頓着しない生活をしている私には少し重荷だった。

それでも、城崎国際アートセンターでの滞在制作だけを楽しみに14日間の軟禁生活を乗り切り、とうとう城崎にたどり着く。

当時の私の「滞在制作を楽しみに思う」気持ちは、非常に浅はかなものであった。

豊岡市に滞在するという意識は希薄で、「東京を離れ、温泉に入りながら創作に思う存分集中できる」というくらいのものであった。

しかし、コロナ禍におけるリモート創作という制約が功を奏し、結果的に「豊岡市という場所で、滞在制作をする」ということを日々認識しながらの滞在となる。

今回の作品の演出家である、カナダ在住のアーティスト:マリー・ブラッサール氏は、コロナ禍で作品を発表するにあたり、全ての可能性を視野にいれ創作を進めた。

私ともうひとりの出演者:奥野美和さん(ダンサー・振付家)がヨーロッパツアーで合流し3人で出演するバージョン、カナダは渡航禁止区域なので、私と奥野さんは映像出演で、マリー本人がひとりで出演するバージョン、そして、劇場が閉鎖してしまったときのための美術館等でも映像を展示できるインスタレーションバージョン。

急遽、日本側から映像監督として太田信吾さんにプロジェクトへの参加をお願いし、アートセンターのホールで、舞台用の稽古と屋外での映像撮影を並行して行った。

野外での映像にマリーがつきっきりで関与することは難しいと考え、撮影は日本チームで進めた。

滞在制作も、中盤に差し掛かった頃、マリーが、「コロナ禍で国際協働制作をするということは、それぞれが『権力』を手放していくことだと感じ始めている」、と少し寂しそうに口にしたことが非常に印象的であった。

演出家としても、プロジェクトの総監督としても、メンバーにすべての指示を出せなかったり、どうしても「任せる」部分が増えていってしまうのは、非常に不安な経験だったと思う。

それでも、彼女が想像していたものと違うものが私たちから提示された時にも、常に、そこに生じた「取り違え」を受け入れ、振り回されることに寛容であった。

私たちも然り、「わかりあえない」ことのもどかしさを逆手にとり、徐々に自分らの「想像力」を駆使し、全力で「勘違いする力」でした解釈を作品として提示できることの面白さを得た。

マリーは、城崎でのレジデンス開始当初から一貫して、

温泉とか街の散歩とか地元のものを食べよとか、チームでエンジョイしてね!ということをしきりに言っていて、

最初、私はその一言一言に苛立っていた。

私は、創作をしにここまできたのであって、観光をしている暇はない!と異様に焦っていた。

レジデンス4日目から城崎・竹野地区での撮影が始まり、

アートセンターの外を出て、野外での撮影(創作)が始まったことで、すべての景色が変わった。

街から与えられるインスピレーションの力は際限なく、

豊岡という「場所」とカナダで生まれた「物語」がどんどん交差し、また別の何かに変容していくさまに夢中になった。

その日から、温泉も街の散歩も地元のものを食べることも一切厭わなくなる。

滞在制作9日目の日曜日、豊岡の文化政策に多大な意味をもたらすことになる豊岡市長選挙が行われた。

出身地のさいたま市でも、今住んでいる東京とパリでも味わったことのない緊張感を感じ、

祈るような気持ちで開票結果を待った。

思うようにはいかなかった選挙の結果を経て、さらには、兵庫県が緊急事態宣言を出し、最悪とも思われるコンディションの中、たくさんの出会いがあった2週目。

豊岡高校の高校生が、遠足の一貫で、生徒さんのひとりが自ら先生に懇願して、アートセンターと私たちのリハーサルを見学しにきてくれたり、

コロナ禍でアートセンターが閉館している中、大学の先生とアートセンターの連携のもと、豊岡市に開校したばかりの芸術文化観光専門職大学の1年生たちが、通しリハーサルを観にきてくれたり、

アートセンターが企画して、豊岡の高校生と対談したり、

温泉寺に撮影に伺わせてもらい、温泉寺と城崎の歴史をお話ししてもらったり。

そんな日々の中、創作への熱量がどんどん上昇し、結果として稽古も進んだ。

個人的に重要だったことは、初めて日本人の観客の前で、フランス語で演じたこと。

劇場にもそんなに行ったことがないと言っていた大学生たちが、

彼らにとっては、なんの意味ももたないであろうフランス語の台詞を、全神経をつかって感じてくれているという体感は心から愛おしいものであった。

今後、私の俳優人生にも大きく影響するであろうくらい素敵な時間だった。

もうひとつは、共演者の美和さんと休憩時間に鮮魚を買いにいったこと。

時差の関係で毎日朝8時から稽古をしていたのだが、昼休憩の時に、夜タイのお刺身が食べたかったので、

美和さんと往復30分かけて魚屋さんに行った。

私は、本来こういう時間を無駄だと考えてしまいがちだが、城崎での生活には、生活に手をかけるということが、今一緒にいる人たちを大切にするということにつながると思ってしまう力があった。

自分でいうのもなんだけど、城崎の滞在を経て、すこし優しい人間になれたと思う。

「移動の自由」とは、

どこにでも好きな場所にいけるというころではなく、

その場所に自分がいてもいいということを感じられる自由であると思う。

城崎に行くことができる自由というより、

城崎にいてもいいと感じられることの方がよっぽど自由があった。

いてもいいと感じられるためには、こちら側がまず「自分が今どこにいるのか」ということに歩み寄る必要がある。

温泉では、東京から来ていることをバレないようにしようと心がけていたが、

閉めようとすれば閉めようとするほど、溝は深まる。

温泉でおばちゃんに声をかけられて、自然に世間話して、「また来てね」と言われたり。

よそ者でも「あけっぱなし」にしているからこそ、適度な情報開示をする姿勢によって、不信感を抱かせない程度のちょうどいい距離感が生まれたり。

コロナ禍で、「移動の自由」を守っていくために、そこに暮らす人々と、そこにやってくる 人々の間に、今後たくさんの壁が待ち受けていると思う。

それでも、私には「移動の自由」が必要だと自信を持って言える滞在を経験した。(それは本当にKIACのおかげ。)

まだ、うまく言語化できていないが、「滞在制作」という機能を再考させられる滞在となったことへの感謝を、関わっていただいた全ての皆さまに送ります。

ありがとうございました。

同志、美和さんと。Photo by Bozzo

因縁の演劇学校で教育実習:平田オリザ『S高原から』

レンヌ国立高等演劇学校(TNB)でのめくるめく2週間の教育実習が終了。

教育実習のはずが、私も生徒さんたちに混じって、平田オリザ戯曲『S高原から』に出演。

舞台、最高。

先月私は渡仏10年目を迎えたのだが、

そもそも渡仏を決めるきっかけになったのがこのレンヌ国立高等演劇学校(TNB)である。

この学校はブルターニュナショナルシアターに付属する学校なのだが、

当時、この劇場で働いていた知人から、ここの学校の生徒に韓国国籍の生徒がいる、という情報を入手。

試験は3年に一度年齢制限25歳までだが、フランス語が話せれば合格の可能性もあると思い、

当時23歳の私は、家に帰ってインターネットで調べた結果、翌年に3年に一度の試験が予定されていることがわかり、その1ヶ月半後には無謀にもすでにパリにいた。

1年間区のコンセルヴァトワールで修行し、初めてできた親友ふたりとTNBの試験に臨む。

私は一次審査をなんとか通過したものの二次審査で落ち、文字通り三日三晩泣き続けた。

あんなに断続的にひとつのことで泣いたのは、あのときが最後だと思う。

そして800人の受験者のうち15人合格という狭き門に、親友ふたりが合格し、ふたりはTNB入学のためパリを離れたので離れ離れになる。

その翌年私は年齢制限ぎりぎりでモンペリエの国立演劇学校に合格するものの、TNBの存在は常に頭の片隅にあり、苦い思い出は身体に沈殿していた。

2016年に学校を卒業し、俳優として初めて参加したフランス国内ツアーリストにTNBの名前を見つけた時は、目頭が熱くなった。

その後、頻繁に仕事をしていた演出家がTNBのアソシエイトアーティストとなり、年のうちの2ヶ月はTNBで滞在制作、毎年、なんらかの作品でTNBの舞台を踏んでいた。(コロナ騒動が始まる前の最後の舞台もTNBだった。)

そして今回の教育実習。本来は長年一緒に仕事をしてきた演出家のもとで、リールの国立高等学校のマスタークラスにて実習を予定していたが、コロナで日程の変更がおき、急遽きまったTNBのマスタークラスによんでもらえた。

しかも、課題は平田オリザ『S高原から』。

ずっと足を踏み入れたかった憧れの演劇学校の広大なリハーサル室にて、毎日14時から22時まで、卒業を間近に控えた3年生と稽古。

役が一人分余ってしまったので、なんと私も出演することに!

作品について、日本について、興味津々の生徒たちからたくさんの質問をうける。

ドラマトゥルク的な立場をまかせてもらい、生徒たちとたくさんのディスカッションを交わした。

また、卒業後の進路相談にものったり、9年前に号泣していた私に自慢したい気分だった。

大学生のとき、『S高原から』桜美林大学の生徒たちによるバージョンを観劇した。

当時演劇には主役と脇役が必ずあると思っていた私は、主役も脇役も存在しない舞台に衝撃を受けた。

さいたま育ちの私は、彩の国さいたま芸術劇場の蜷川さんの舞台を多数観劇していて、

舞台は俳優を観に行くものだと思っていた。

観劇後は、母親とどの俳優がよかったかという話をすることが一番の楽しみであった。

しかし、『S高原から』では、あまり俳優のことを覚えていない。

自分史上初めての演劇「作品」観賞と言えるかもしれない。

「舞台芸術作品」として、浮き上がる空間と時間に立ちあったことで、良くも悪くも混乱した。

この私が受けた衝撃は、フランスの演劇学校の生徒たちの中にもあったようだ。

俳優が、自分の演技に集中すればするほど、ひとりで役を構築しようとすればするほど、作品としては成立しない。

演出家は「団体競技」としての演劇を体感させるために、この戯曲を選んだという。

ひとりひとりが頑張ることで成立する作品ではなく、

意識をひろげ、外の世界に耳をすますことでしか成立しない戯曲。

俳優に「演技」ではなく、「演劇」を学ばせるうえで、最高の戯曲と言っていた。

リハーサル開始当初は、間投詞が随所に散りばめられた独特の台詞に困惑した様子の生徒たちだったが、

徐々に、自分が目立とうとすることから解放され、全体でつくりあげた「ムード」に自ら溶け込んでいく過程を楽しんでいるようにみえた。

10月の公演を最後に、フランスの文化施設は閉じられたままで、

本番がない5ヶ月近くの時間を過ごしてきた。

最終日、関係者のみであっても、30名ほどの観客を迎え、上演をすることができた。

公演前の緊張で震える感覚に、懐かしさが止まらず、ちょっと泣きそうになる。

私が演じた役は、大きなスリッパを履いて舞台を横断する役だったので、

レンヌの街で演出家とスリッパを探し回り、

突如見つけたピカチュウのスリッパにはかなり興奮し、即買いした。

「愛にできることはまだあるよ」

私自身も、モンペリエの学校に入学する前に、2年間体験した、

フランスの国立高等演劇学校受験戦争。

この受験戦争っぷりを日本人に説明するのは非常に難しい。

なぜならたかが演劇学校ではないからである。まさに、タイムリミットと人生のかかった演劇受験戦争である。

今週は、毎日9時から17時の間、1時間ごとに、生徒たちがやってきて、受験で発表するシーンを稽古した。

各々がパートナーたちをひきつれて3シーンづつ発表するので、単純計算で1日24シーン。半日だった日を入れても5日で約100シーン見たことになる。

13時-14時で休憩が予定されているが、だいたい稽古が長引くのでお昼休憩は30分たらず。

毎日8時間近く3分間のシーンを見続ける。

今年は、コロナの影響でフランス一番の名門パリ国立演劇学校(CNSAD)が、毎年実施している受験を取りやめにするという大事件が起こった。毎年2000人近くの受験者が集中するCNSADの受験がなくなるということは、その分他校の受験倍率が高くなる。

今年は、フランス国内では、サン=テティエンヌ、モンペリエ、リヨン、カンヌ、レンヌの受験が開催され、フランス語圏であるスイスのローザンヌや、ベルギーのリエージュ、ブリュッセルの国立演劇学校を受験するフランス人の学生も多々。

受験資格

•18歳以上26歳未満

• 演劇クラス専科(週35時間以上)を区のコンセルバトワール、県のコンセルバトワール、もしくは、民間の演劇スクールにて1年以上受講している。

• バカロレア(高校卒業資格)を取得している。

• 5回以上受験することは不可。

• フランス語が流暢に話せる。

受験課題

一次審査および二次審査

1. 古典戯曲 (ダイヤローグ)

2. 現代戯曲 (ダイヤローグ)

3. 自由課題 

最終審査

1週間のワークショップ(現地滞在)

先週は、コロナの影響で、コンセルバトワール内で昼食をとることができなかったので、

毎日パリの観光名所、『ジュテームの壁』の前で、愛を補充しながら、ひとり寂しくおにぎりを食べていた。

今週は一転して、おにぎりをふたつ食べる終わる暇もなく、次の生徒さんたちが来るという怒涛のスケジュール。

私の担当教員は、以前の私の先生で、当時彼が8区のコンセルヴァトワールで教えていた時は、受験成功者を最も輩出させるコンセルヴァトワールとして非常に有名だった。

私は、区のコンセルヴァトワールでは、長期滞在ビザが更新できなかったので、2週間で泣く泣く彼のもとを離れ県のコンセルヴァトワールを受験し、進学したのだが、彼の演劇教育に以降ずっと影響を受けていた。

今回7年ぶりに教育実習申請のため連絡をとったところ、快諾してくれて、憧れの先生と毎日8時間一緒に過ごすことになる。そして、毎日飯の数と同じだけ泣いていた受験時期を経て、受験生たちにあーだこーだいう日がきたのだから、「事実は小説より奇なり」。

担当教員と一緒に、受験指導に勤しんだが、頭の中では、『天気の子』の主題歌、『愛にできることはまだあるかい? 愛にできることはまだあるよ』が、ずっと流れ続けていた。

何しろ、この先生からは常に愛が溢れているからである。

もちろん、先生から紡がれる言葉の一言一言が、非常に有益でためになるのはもちろんなのだが、すべては、「愛」が前提にあるから通用することだと痛感する環境にある。

こんな世の中だけど、「愛にできることはまだあるよ」と30秒に一回くらい思わせられる。

それほど、生徒さんたちがくるくると変化していく。

元々有名な俳優であったこと先生に、メソッドというものはない。

すべては生徒からでてきたものを伸ばすお手伝いスタンス。

巨匠、カリスマというイメージとは程遠く、まるで、演劇を先月始めたばかりで楽しくてしょうがない少年のようなスタンス。それは、午後になっても変わらない。

教職取得のために、60ページの論文を提出しなければいけないのだが、この「愛」を文章化するのは難しい。

せめて、演技について。私が今週100シーン近くの受験用課題を見続けてわかったことをひとつ。

俳優は、「状態」を演じようとすると失敗し、「状況」を演じようとするとうまくいく。

例えば、受験シーンは3分しか見てもらえないので、ほとんどの俳優が、ダイヤローグシーンであっても、役の「状態」を演じようとしてしまう。怒っていたり、怖がっていたり、悲しみに打ちひしがれていたり。

しかし、演技はそもそも「状況」と「関係性」の中でしかうまれてこないものなので、「状態」をみせられると、観客としては、なんだかすごい準備されてきたっぽい「パフォーマンス」を見せられている気になる。

しかし、ドラマツルギーとテキストから「状況」を構築されているシーンには、それに付随する関係性がうまれ、その状況に必要不可欠な演技が伴ってくる。

ある生徒が、アルフレド・ド・ミュッセの1834年に書かれた『戯れに恋はすまじ』という作品のワンシーンを発表した時、古典がゆえに、フランス語の表現も非常に難解だったのだが、私は一発で内容がわかり感動した。

彼らの演技が、自分を魅せるものではなく、シーンの「状況」に非常にあったものだったので、完全に観客として観てしまった。私が、彼に、「非常に素晴らしいので言うことはありません」と伝えると、急に床にうずくまって動かなくなってしまって、だいぶ長い時間のあとに顔をあげて、目に涙を浮かべている。

「自分では、なにもしてないような感じだったから、絶対やり直しになると思った」

「状況」をしっかりと演じられている俳優は、その「状況」に対して突飛なことをしていないで、パフォーマンスとしては地味になることが多々ある。しかし、その俳優のおかげで、観ている側には、戯曲の美しさや、登場人物同士の関係が鮮明に見えてきて、目が離せなくなるのである。

しかし、ここまで3分でもっていくのは、プロの俳優にとっても至難の技であろう。

もちろん、稽古の過程で、より具体的にシーンのドラマツルギーを分析し、「状況」を構築するところから、役の思考ロジックを打ち立てていくように、まずは「状況」を演じるための万全の準備が必要。

そのあとは、自分たちが通ってきたプロセスを「信じる」力が必要である。

そういう時に、先生の「愛」にできることはまだたくさんあった。

先週は今年の受験シーズン開幕の週で、リヨンの学校(ENSATT)の第一次審査が始まった。

応募はなんと1000人超え。

みんな泣いたり笑ったりしながら、真剣に取り組む姿に、30代の私は心打たれずにはいられない。

こういう環境に身を置いていたおかげで、

私は、演劇を信じられなくなったことは一度もない。

自分の俳優としての力量は、全く信じられなくても、

演劇を信じられなくなったことは一度もないし、これからもないと思う。

先生に感謝。

コンテンポラリー戯曲に学ぶ「演技を開拓する」力

コンセルバトワールでの教育実習スタート。

コロナの影響で、パリの区のコンセルバトワールは閉館しているところもあるようだが、

私の実習先は県の管轄のコンセルバトワールで、かつ、国立高等演劇学校への準備クラスをかねているので、開講。

受験シーズンが幕を開けようとしているので、学生たちはピリピリしている。

フランスの教育機関で特徴的なのが、グランゼコール (Grandes Écoles)で、バカロレア取得後、入学試験を経て合格したもののみが入学できる。対して、一般大学のユニベルシテ(Universités)には、入学試験がない。

芸術関係の国立高等学校は、エコールスペリオール(Écoles Supérieure)に位置し、グランゼコールとほぼ同じ手続きで受験が行われる。

私が今回担当しているのが、国立演劇高等学校に入学を希望する生徒たちのための、Classes préparatoires aux écoles supérieures(CPES, 国立高等演劇学校準備級)。この準備クラスに入るためにも、300人の中から20人という倍率で入学している。

私自身も、モンペリエの国立高等演劇学校入学前に、この準備クラスに所属していたので、受験前の張り詰めた空気が懐かしい。

国立高等学校受験を目的としたクラスだが、マスタークラス等も充実している。

日本でも、教育実習というと、母校に実習にいく学生が多いが、私も自身のコンセルバトワール在校時の先生にお願いした。

実に7年ぶりの再会である。

私が普通にフランス語をしゃべっていることに、まず先生たちは戸惑っていた。当時を振り返ってみても、どのようにフランス人とコミュニケーションをとっていたか思い出せないが、80パーセント以上は、わからないまま、YESと返事していた気がする。

1週目の課題は「コンテンポラリー戯曲」に関するクラス。専門の先生について、ところどころ私が授業を担当する。

美術界でモダンアートとコンテンポラリーアートを区別しているように、劇作に関しても、あえて「コンテンポラリー」という言葉が使われているので、ここでも、「コンテンポラリー戯曲」と呼ぶことにする。

フランスの演劇界の特徴として、絶対に無視できないのが、コンテンポラリー戯曲の出版である。

戯曲を専門に扱う出版社があるというだけでも驚きだが、フランスのさらにすごいところは、上演されていないコンテンポラリー戯曲も出版されているという点である。

これは、ヨーロッパ単位でみても、フランス演劇界の最大の強みといえるそう。

さらに、出版されているのは、フランスのコンテンポラリー戯曲に限らず、ヨーロッパ各国の翻訳戯曲、出版社では、同時に翻訳者育成事業もやっているという。俳優や演出家、ドラマトゥルクが、自身の仕事と並行して、翻訳家をして活躍しているパターンも多い。

今回のマスタークラスは、『メゾン・アントワーヌ・ヴィテーズ(https://www.maisonantoinevitez.com/fr/)』という1991年に設立された海外翻訳戯曲専門の出版社の作品を読んで、演技を考えるという構成である。

出版社を特定して、授業で扱うコンテンポラリー戯曲が選ばれている点が非常に面白い。もちろん授業では、出版社についてもしっかり学ぶ。この出版社ではすでに654人の作家の戯曲が翻訳されており、その数は1000作品近くに及ぶ。

今回扱ったのは、以下の4作品。

イギリス戯曲:『Anatomy of a Suicide』(2017) Alice Birch

ロシア戯曲:『Iyoul』(2006) Ivan Viripaev

メキシコ戯曲:『Antigona Gonzalez』(2012) Sara Uribe

ドイツ戯曲:『Das Knurren der Milchstrasse』(2016) Bonn Park 

2000年以降のこれだけの数の戯曲が、母国語で読めるフランス人俳優の卵たちは実に恵まれている。

戯曲のスタイルも、モノローグからフラングメント形式、3シーンが同時進行しているものなど、かなりバラエティに富んでいる。

作家の文体や戯曲の構成を分析した上で、どんな演技が考えられるか、各グループが準備して発表する。

古典作品では、登場人物の状況や目的を分析し、それを忠実に再現するような演技が求められるが、コンテンポラリー戯曲での演技アプローチは、それだけではない。

まずは、作家の文体のスタイルを探っていく、という作業が非常に重要になってくる。

そして舞台芸術として立ち上げるためのヒントを、戯曲の中から徹底的に探し出す。

戯曲の文体が生み出すリズムや質感から演技を生み出すという作業は非常に興味深い。

戯曲の形式や文体が更新されればされるほど、それに伴って俳優もその戯曲に伴った新しい演技形態を開拓していくことが求められる。

またクラスには、先生の他に、ドラマトゥルクが生徒たちに付き添い、その都度、戯曲の社会背景を教えてくれる。

政治状況、文化、歴史、戯曲を通して、4つの国の「今」を学ぶ。

授業の一貫で、出版社『メゾン・アントワーヌ・ヴィテーズ』に所属する翻訳家を招いて講演会が行われた。

彼は、「求められていなくても翻訳する」重要性について熱く語ってくれた。

「経済に求められているものだけを仕事にしていたら(翻訳していたら)、絶対に若い世代の作家たちがここまで育つことはなかったと思う。頼まれてなくても、リスクを背負って、自分が世の中に紹介したいという作家の作品を翻訳することが使命。」

戯曲を読む人口は少ない。それでも、次世代を育てるために、誰でもが読める状況を作るという出版社の心意気と、今回の授業を担当した先生の、「若手の作家と若い俳優の橋渡しをしたい」という熱意に支えられたクラスであった。

『ほったらかしの領域』中間報告

EUはEU圏外から渡航禁止を発表したが、

フランスはコロナ禍でも「教育は止めない!」という決断をしてくれたので、

コンセルバトワールでの教育実習のためパリに戻る。

帰りの飛行機の乗客は私含め6名で、キャビンアテンダントより少ない。

フランスの入国審査時に、さまざまな書類を求められていたので、税関でのやりとりを危惧していたが、

「ワタシ、吉野家ダイスキダヨ!スゴイヨ!」といいはら、謎のフランス人にあたり、なんなくクリア。

コロナ禍でも、ラテンの精神、恐るべし。

最後の荷物検査担当のフランス人には、なんの仕事をしているのかと聞かれ、

演劇と答えると、「劇場をあけるために、文化庁はもっと頑張らなきゃいけないんだ!」と本気で怒ってくれる。

演劇教育の実習があって戻ってきたことを告げると、「素晴らしい!頑張って!」と鼓舞される。

PCR検査陰性証明は求められたものの、シャルルドゴール空港についてからの検温もアルコール消毒もPCR検査も一切なし。7日間は自宅待機をして、7日目にPCR検査を受けて、陰性だったら晴れて普通の生活へ、というシステム。

さてさて、『ほったらかしの領域』合宿に関して。

https://mill-co-run.com/2020/12/14/%e3%80%8e%e3%81%bb%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%82%89%e3%81%8b%e3%81%97%e3%81%ae%e9%a0%98%e5%9f%9f%e3%80%8f%e5%90%88%e5%ae%bf%e5%8f%82%e5%8a%a0%e3%83%a1%e3%83%b3%e3%83%90%e3%83%bc%e5%8b%9f%e9%9b%86%e4%b8%ad/

12月中旬にメンバーを募らせていただいた『ほったらかしの領域』合宿ですが、緊急事態宣言にもかかわらず1月23日24日に、無事決行することができました。

緊急事態宣言下において、この合宿を実施するか否かということが、

今振り返ると、まさに、今回の合宿の一番の問いである「意志」を考える第一歩となった。

そもそも、この合宿は、「あなたは『la volonté(意志・意欲)』が強すぎて、身体の声を聞けていない」と歌の先生に痛い指摘をされたことがきっかけとなっている。

そこから、この先生からの指摘と、「中動態」を介して向き合えないか、というところから出発した。

國分功一郎先生の中動態に関する言及によると、

中動態が残っていた古代ギリシャの世界では、「意志」という概念が存在していなかった。

意志とは、西洋文化において、責任のありかをはっきりさせるための装置であった。

つまり、実際には、さまざまな要素が積み重なり、ある行為が行われたとしても、その責任の主体を明確にするために、「意志」を持った人が社会では必要なのである。

今回の合宿を「意志」を持ってやろうとした人物は、発起人である「私」である。

そこに、企画段階から関わってくれた主要メンバー3人。

さらに、私たちの問いに賛同し、合宿に参加してくれることになった7名の合計11名で、企画は進行していた。

1月7日、新型コロナウイルスの感染拡大に伴って政府の「緊急事態宣言」が再発令された。

その前日、合宿の開催場所である藤野倶楽部・柚子の家のため、神奈川県相模原市を訪れていた。

すでに、緊急事態宣言が発令される噂が飛び交っていたので、どうせ合宿中止するのに、下見だけ行くのも辛いなと思いながら足を運んだ。

私の諸々の予想に反して、藤野倶楽部を経営されている方から、非常に暖かい待遇を受ける。

感染対策を万全にして、東京から皆さんがくるのを心待ちにしています、とのこと。

自分の「意志」とそれに付随する「責任」の所在が、少しづつ自分以外の場所へと広がっていくのを感じた。

この企画は、完全に個人的な試みだったので、なにかあった時に、責任の所在が「私」ひとりになってしまうことを恐れ、ごく自然に合宿の中止もしくは延期を考えていたが、企画メンバーは「やりましょう!」と彼らの「意志」を表明してきた。

これが大きな後押しとなり、企画メンバー全員の「意志」として、合宿は実施される方向となった。他の参加メンバーも、彼らの「意志」と「責任」のもと、全員がPCR検査を受け陰性を証明したうえでの決行となった。

そして、藤野倶楽部の方のすばらしいおもてなしのもと、誰もが時間がたりないと感じる一泊二日を過ごした。

しかも、当日は雪。

合宿を通して、「あなたは『la volonté(意志・意欲)』が強すぎて、身体の声を聞けていない」という先生の言葉は、「意志が強すぎて、自分の『欲望』を聞けていない」とも言い換えられるのではないかということに気づいた。

「意志」というと、「責任の所在」を求められるが、

「欲望」に基づいた行為には、「責任」は伴わないのではないか。

昨年11月から準備してきた「ほったらかしの領域」、プレイベントや勉強会を重ね、私は本当に「やりたかった!」のだと思う。

それは、やりたいという「欲望」を、「意志」と取り違えて、「責任」の付随を恐れ、一時はあきらめそうになったけど、周りの人の「欲望」に支えられて、実現にたどり着いた。

コロナ禍において、なにかを自分の「意志」で実施する時、「責任」のありかを無視することはできないけれど、

こんな時代だからこそ、「欲望」でつながれる人間関係を築けたことに心から感謝します。

「ほったらかしの領域」合宿の内容に関しては、今後アーカイブとして、一般に公開することを予定しています。