「俳優教育」とはなんぞや。

2022年最初の仕事として、映画美学校アクターズクラスで2日間講師をさせていただいた。

昨年度に続き2回目で、前回と同じ内容をやる予定でしたが、今年は3名ろう者の生徒さんがいるということで、ろう者、聴者ともに、演技について探究できるとはなにかを考え、授業をリニューアルした。

演劇の上演も授業も、そして、人生も「準備」に勝る必勝法はないと実感する。

これからさまざまな形で授業をする機会が増えても、わたしは絶対に「準備」を怠らない、と心に誓った。

「準備」をすると、自分にとって「大切な予定」になるから緊張できる。

緊張してるのは、心があるから。

つまり、はじまる前に緊張してるということは、うまくいく!

昨年度、フランス国家教育者資格取得のため、公演の合間を縫って、1年間に及ぶ研修と教育実習に明けくれた。

2ヶ月間劇場付属の学校での実地研修、そのあと3カ所の教育機関での合計4ヶ月に及ぶ教育実習。

そして、80ページに及ぶ、実習レポートと演劇教育に関する論文を書いた。

論文を読んでくれた審査員5人(驚くほど丁寧に読んでくれていて泣ける)と口頭試問をし、無事、去年の夏に教職を取得したが、俳優としての活動があったので、実習での経験が生かされるのはまだまだ先の話と思っていた。

しかし、今回の美学校での授業をさせていただいて、「今、わたしの教育実習が終わった」と言えるくらい、演劇の教育に関わると言うことに関して、さまざまなことが経験できたので、今後、ここをスタート地点とし、発展していくためにまとめておこうと思います。

考察のポイントは以下。

  • 「演劇教育」と「俳優教育」はちがう。
  • インクルーシブなエクササイズとは。
  • 俳優が「俳優教育」に携わること。

「演劇教育」と「俳優教育」を区別することについて。

フランスでは、演劇教育は身近にあるもので、将来ピアニストを目指してなくても、ピアノのお稽古をしていることもたちがたくさんいるように、将来俳優になりたいわけではないけど、演劇クラスに通っている子どもはたくさんいる。

年齢に限らずとも、大人になってから、演劇のワークショップに参加してもいい。

演劇というメディアを触れることで、日常生活、社会生活に変化をもたらすことができるような体験は可能である。

これは「演劇教育」。

私自身、今まで「演劇教育」と称して、俳優を問わず、演劇及び演技のクラスをさせていただくことがあったが、これは、俳優の人たちに敬意が足りなかったと反省した。

すでに俳優として活動している人、職業として俳優を志している人には、「俳優教育」として、「演劇教育」とはまた違った観点で、クラスをオーガナイズしていく必要をひしひしと感じた。

職業として俳優をやっているか、やっていないか、演技のスキルに言及しているわけでは全くない。

違いは、「創作(クリエーション)に関わるかどうか」。

つまり、俳優教育では、創作に関わるうえでの、

コミュニケーション能力であったり、演出家との対峙の仕方であったり、組織の中に自分をどう位置付けるかであったり、それに付随するさまざまなリテラシーだったりというものを学んでいく必要がある。

そして、一番大切なのは、俳優としての「自分自身の守りかた」。

今回は「まなざし」に関するエクササイズを行なったが、これは、創作という現場で自分をどうやって守ってあげられるかの訓練にもなる。

「(たくさんの)他者に見られて何かをすること。」

当たり前のことだけど、俳優が「見られてる」ことから受ける負荷は大きい。

稽古というまだ完成していないものも、人に見られながら仕上げていかなければいけない。

「本当にあなたたちは大変なことをしているんだよ」ということをまず伝えたいし、自覚をもってもらいたい。

それから、そんな大きな負荷がかかっている稽古という時間にも、本番という時間にも、自分自身をしっかり労ってあげられる術を身につけてほしくて、エクササイズを通して体感してもらう。

「インクルーシブ」ということに関して。

これは本当に勉強させてもらった。

私自身、フランス語がわからない状況でフランスで演劇をしていたので、「壁」は常に感じていた。

でも、インクルーシブの考えは、聴者のものさしで、だれかをたすけてあげることではない。

それぞれが、それぞれのものさしを使って最大限に力を発揮して作業できるような空間をつくること。

今まで、「語る」ということをメインにするワークを多く実施してきたが、ろう者の方たちもいるグループで、「語る」を扱うというのは、私が手話も理解できるなら可能性はあるが、私が相手方の言語をダイレクトに理解できない現状では難しいと思い、「まなざし」に特化することにした。

そして、実は、この「まなざし」が、聴者もろう者も関係なく、「演技」にとって、徹底的に向き合う必要があると認識した。

つまり、インクルーシブな演技レッスンを突き詰めていくと、エッセンシャルな演技レッスンにたどり着くのでは、という可能性を美学校のクラスに教えられたということになる。

うわべだけで「ダイバシティー」や「インクルーシブ」というのは簡単だけど、

実際に演劇クラスにろう者と聴者が混在しているという状況をつくったということは本当にすごいことで、まさに最先端だと思う。

そして、その場が、関わった人たちの多くに、「無理かと思ってたけど、なんかいけるじゃん!」と思わせている。

俳優が「俳優教育」に携わることについて。

フランスの国立演劇学校時代、パリからさまざまな著名人が講師として訪れた。演出家や俳優、振付家、ビデオアーティスト、大学の先生、映画監督、マリオネット師、などなど。

一番人気はやはり演出家。

演出家との創作は楽しい。しかし、ひとたび3週間に及ぶワークショップが終わると、その演出家の作品にとってだけ、「いい」俳優になってしまっていないかと自問する。

ついつい、俳優は「演出家」のことを、「答えを持っている人」として接してしまう。

演出家との作品創作を目的とした授業は、創作をいう環境を学ぶうえで大変意味があるし、これは演出家にしかできない。

しかし、俳優が受けもつ授業の魅力もある。

私が俳優として、授業を受けもつ理由があるとしたら、「答えを持っていない人」として、ひとりひとりの「答え」を探すお手伝いができるからだと思う。

圧倒的なカリスマ性を持って、俳優教育を引っ張っていく方法ももちろん存在すると思うが、

私はただの演劇大好きな人として、生徒さんたちのお手伝いができたらいいと思っている。

特に、エクササイズのフィードバックを生徒同士が互いに行えるようになることを最終目標としている。

1日目は、私が中心となって、みんなの意見を促したり、私の意見を言っていったけど、2日目から、エクササイズを見る側の人たちの目が肥えてきて、エクササイズをやっていた人たちに的確な分析をするということが起こった。

舞台に出て、エクササイズをやるのと同じくらい、客席側に座って、エクササイズをしているクラスメートを見ることが、俳優教育が行われる学校という場において、いかに大切な時間かということを知る必要がある。

観客側の生徒は、評価を下す「まなざし」ではなく、「安心して失敗していいよ」というまなざしを自ら育てていきながら、クラスメートにしっかり意見を言える環境を作っていく。

演技は決してひとりではうまくなれない。

フィードバックも筋トレと一緒で、トレーニングが必要なので、方法から一緒に考えていった。

チームが循環していくことで、講師としてのわたしの発言時間がどんどん減っていくことは、本当に嬉しい瞬間。

目標通り、最終フィードバックではわたしは一切手助けせず、ひとりひとりが自分の感覚を、自分のために時間をつかって言葉にしていて、心が熱くなった。

学校という場所が、

好きなことを全力で好きと言える場所であってほしい。

好きなことを全力で失敗できる場所であってほしい。

そして、他者に影響を受けたり、及ぼしたりしながら、

このグループの一員である自分最高!と思える時間を俳優教育に携わるうえで、たくさん届けたいと思う。

美学校アクターズクラスの生徒のみなさま、素敵な時間をありがとうございました。

俳優の活動と、演劇・俳優教育の活動、双方が刺激し合えるような1年になりますように。

今年もよろしくお願いします。

#MeTooThéâtre2:俳優の身体はだれのもの?

「タイトル:女優の身体はだれのもの?」としたかったけど、

あえて、演劇教育に関わる者の立場から、「俳優」とします。

前回のブログで書いた、フランスで起こっている#MeTooThéâtre運動(https://mill-co-run.com/2021/10/26/metootheatre%e3%81%ab%e9%96%a2%e3%81%97%e3%81%a6%e3%80%81%e7%a7%81%e3%81%8c%e8%80%83%e3%81%88%e3%82%8b%e3%81%93%e3%81%a8%e3%80%82/)に関して、被害者の証言のなかで一番多かったのが、演劇学校在学中に起こった(始まった)性的・性差別的暴力である。

以下、一部翻訳。https://www.franceinter.fr/societe/metootheatre-lever-de-rideau-sur-les-violences-sexistes-et-sexuelles-en-coulisses?fbclid=IwAR2BlfQB8JyGuO3-d9FlkB8HzHlVaojdXqtak0NfAmL6w-5qNH50rr78wHE

「外から見ると、社会問題に関心の高い、とてもオープンな職業のように見えますが、実際には女性にとって非常に厳しく、暴力的な環境です」18歳から25歳までの若い女子学生は、いい女優とは、服を脱ぐことも、セックスシーンを演じることも、卑劣で屈辱的な体位をとることも、すべてにイエスと言わなければならないと教えられています。

その一方で、彼女によると、同意の問題が取り上げられることはありませんでした。「リハーサルやトレーニングコースでは、非常に露骨なシーンを目にすることがあるのですが、その際、役者は事前に何をするか、何をしないかを聞かれていないのです」とアガタは付け加えます。若手女優にとっては、「演出家に選ばれたいなら、ケツに手を突っ込まれても、胸を張られても、全力を尽くす」というプレッシャーが大きいのです。

「女優の体は演出家のもの。」
これは私たちにつきまとう決まり文句です。女優の体は演出家のものであり、芸術の名のもとに暴発やトラウマを引き起こし、多くの女優が演技をやめてしまうとアガタは残念がった。

さすがに、私たちが通っていた演劇学校でこのようなことは起きていたり、教えられていたという事実はないが、

民間の演劇学校(今回の#MeTooThéâtre運動でも告発されている学校のひとつ)では、あるクラスで

「授業開始前に女生徒は全員ハイヒールに履き替えて、演技レッスンを受けなければならない」と聞いたことがある。

記事の中にある、この言葉について。

「女優の体は演出家のもの。」

答えはノー。

少なくとも、私の学校では、いい俳優は演出家の言いなりになる俳優ではない、という認識があり、

すべての生徒たちが、3年間の学校生活を通して、いい意味で「めんどくさい俳優」に育っていったと思うし、

私はそれを誇りに思っている。

学校や養成所で演劇を学ぶ生徒たちに伝えたいのが、大前提として、学校は、なんらかの結果または技術を身につける場所ではなく、そこにたどり着くための、安全かつ持続可能なプロセスを学ぶ場である、ということである。

先生から教えてもらうのは、うっとりするような発声でも、並外れた身体能力でも、すばらしい演技力でも、ましてや、演出家にいわれたら瞬時に服を脱げるようになることでも、歯を食いしばってセックスシーンを演じられるようになることではない。

どんなシーンであるかを俳優自らが的確に理解し、

そのシーンを実現するための演技を構築し、

心身ともに安全性を保った状態で、

演出の効果を存分に発揮できる「再現可能」なものにするためのプロセスを学ぶのである。

もし、このプロセスをすっ飛ばして、結果だけを求めてくるような講師がいれば、

それは教育と言えるものではないので、

疑ってみた方がいい。

演劇教育において、先生は答えを持っている人ではいけないと思う。

なぜなら、「私」と「先生」の身体は違うから。

生徒たちの身体の内部で起きること、外部で起こしたいこと、そのことに一番敏感であり、知識と体感をもっているのは自分自身である。

ただ、そこにたどり着くために、

俳優の心身の安全を第一に考え、その演技を持続可能なものにするためのプロセスを示唆し、伴走してくれる人。

演劇の講師は、それ以上でもそれ以下でもないと思う。

フランスでも日本でも演劇の講師は、

現役の演出家である場合が多い。

新米の俳優たちにとっては、学びの場であるとわかっていながらも、

仕事につながる可能性もある「オーディション」的な意気込みで挑んでしまいがち。

この態度が、生徒と講師のヒエラルキーを助長し、#MeTooThéâtreに発展する空気を作ってしまうこともある。

私も在学中に、講師として学校にやってきた、現役の演出家のもと、パゾリーニの戯曲で、人生はじめての全裸シーンに挑戦した。

その時は、演出家にまず作品を読み込んで準備ができたら言ってというようなことをいわれたので、

戯曲を読み解くと同時に、ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』をすり切れるほど読んだ。

動物は生殖活動としての交尾しか行わないが、エロス的行為を行うのは人間だけである。

エロス的行為と交尾は、生物学的に共通点があるとしても、その意味や価値という点では本質的に異なるものとバタイユはこの本で言及している。

この本を通して、徹底的にエロス的行為を自分の身体を使って「再現」することの意味や価値をドキドキ、おどおどしながら考えた時間は、今思い出しても、必要不可欠であったと思う。

この本について演出家とも一緒に議論しながら、服を脱いで稽古していく段取りを決めた。

まず、ファーストステップとして、スタッフ、シーン以外の共演者を介入させず、

演出家と私とパートナー役の3人だけでリハーサルをし、シーンが固まってきたら、スタッフも含めての稽古に移行した。

すべて次のステップに移行するタイミングを決めたのは私だ。

今思い出すと笑ってしまうけど、

昼ごはんのあとのリハーサルで、「今日は食べ過ぎてしまってお腹がでていて恥ずかしいので、脱げません」と演出家に言いにいったこともあるが、笑われることなく「わかりました」と言われた。

俳優の身体はどこまでも俳優のものである。

作品のものでも、演出家のものでもない。

稽古で勇気なんかださなくていい。

稽古は本番じゃない。

「俳優魂」「女優魂」ということばが、最終的に生まれた大胆な演技に対するものではなく、

安全、持続可能でその素晴らしい演技にたどり着いたプロセスを称賛することばになることを願って。

#MeTooThéâtreに関して、私が考えること。

今年6月に行われた「#BalanceTonCirque」のハッシュタグで、サーカス業界でのmetoo運動がおこり、とうとう演劇界でもmetoo運動が勃発。

ナンシーの芸術監督、ミシェル・ディディムに対する性的・性差別的暴力の告発を受けて、「#METOOTHEATRE」運動が展開されている。

英語の記事:https://lejournaldupeintre2.wordpress.com/2021/10/03/michel-didym-accused-of-sexual-misconduct-and-rape/


私は公演中で参加することはできませんでしたが、10月16日(土)11時にパレロワイヤル前で大規模な集会があった。

https://www.franceinter.fr/societe/metootheatre-lever-de-rideau-sur-les-violences-sexistes-et-sexuelles-en-coulisses?fbclid=IwAR2BlfQB8JyGuO3-d9FlkB8HzHlVaojdXqtak0NfAmL6w-5qNH50rr78wHE

今回の告発、証言で注目すべき点は、なんといっても、演劇学校時代に受けた性的・性差別的暴力の実態だと思う。

映画界でのmetoo運動の時は、すでにキャリアをスタートした若い女優たちが、数々の被害を証言したが、

演劇界における証言は、演劇学校時代に受けたとされる暴力が非常に目立った。

ことの発端となった、ミシェル・ディディム氏に関する告発も、被害者が演劇学校時代に受けた暴力で、ふたりは生徒と講師の関係だった。

私自身も、このブログを通して、フランスの国立演劇学校に関して、多くのポジティブでクリエイティブに溢れためぐまれた環境に言及してきたので、

同等に、性的・性差別的暴力が演劇学校で起こっている現実に関しても考えてみたいと思う。

立場の弱い人間が声をあげ、社会単位のムーブメントとなっていくことの重要性は、

本来、自分はその問題に関係していないと思っていた人たちの記憶も修正されることであると思う。

自分が弱い立場、もしくは経験が浅い時分に受けた被害は、

往々にして、「自分のせいだ」と思い込んでいるものである。

私の場合も同じで、卒業公演のリハーサルをしている時に、

ゲオルク・ビューヒナーの『ダントンの死』という戯曲をある若手の演出家と創作した。

フランス革命を描いた戯曲で、女性の役が非常に少なかったが、

女子学生たちも、男性のフランス革命家たちを演じることになった。

そんな中、私は、数少ない女性の役、高級娼婦マリオンを配役され、天にも昇る気持ちだった。

フランス演劇界で、『ダントンの死』のマリオンといえば、非常に有名な人物で、

若い女優なら誰もが、マリオンの有名なモノローグを演じることを夢みるといっても過言ではないと思う。

私は自分で演出の構想を練っているところに、演出家がやってきて、

「小津安二郎の映画のようなマリオン」をイメージしているというようなことを言われ、目が点になった。

フランスで日本人として女優をしていると、小津安二郎作品にでてくるような女性像を想像されたり、求められたりすることは、それまでも頻繁にあり、それだけ、小津が浸透しているフランスを逆に尊敬していたが、

マリオンと小津のつながりは、全くわからなかった。

なんといっても、マリオンの有名なモノローグは、女性として自身の性欲を全肯定し、性への欲望を言葉にして紡いでいくところに、この作品のもうひとつの「革命」が起こるシーンなのだ。

私が、呆然としていると、その演出家は、「明日オリーブのマッサージオイルを持ってくるから、ダントンにオイルマッサージをしてあげながら、このセリフを言ったらいいと思う」と続け、

日本で東南アジアの女性がマッサージとかする店があるよね、というようなことも言った。

当時は、この発言の重大さがよくわからず、単純に演出としてダサいと思い悶々としていると、

当時から、人種差別や性差別に敏感だった同級生が、

その演出家の発言を聞いていて、「絶対にありえない!」と私のところに言いにきた。

もし、マリオンの役をできなくなってしまったらどうしようという気持ちもあったが、

勇気を振り絞って、「オリーブオイルは使いたくないので、一度自分たちだけでシーンを作らせてください」と演出家にいいに言った。

演出家は少し驚いた様子だったが、私に任せてくれて、最終的に、自分のイメージ通りのシーンとなり、上演はいい思い出として昇華されてしまっていた。

数年後、この演出家は性暴力である女子学生から訴えられた。

その時、私は、この「オリーブオイル演出事件」を反芻し、なんともいえない気持ちになっていた。

metoo運動に関して、なぜ数年もたってから告発するのかと疑問をもつ男性がいるが、

特に、学校のような環境では、まず「自分に問題がある」と学生たちは思うものである。

フランスの国立演劇学校はそれだけ力を持っているし、

入学するのも非常に大変だし、入ってからも、いろんな意味でプレッシャーは絶えない。

外部からやってくる講師との出会いは、卒業後の仕事にもつながるし、非常に重要な関係づくりを求められる。

何年間も、「自分に問題があった」から起こってしまったと、苦しんでいる女性たちがたくさんいる。

先月アテネの演劇祭に招待され、訪問した際、

私が一緒に仕事をしている演出家の事務所のカナダ人の社長とタクシーで劇場に向かう機会があった。

アテネの市街をでて、移民がたくさん住んでいる地区を車で走っている時、

タクシーの運転手が私たちに、

「ここは、アテネじゃないから、美しくないよ」と笑いながらいった。

カナダ人の社長はすぐに反応して「移民が住んでいる場所だからそういうことをいうの?カナダはギリシャ人の移民だってたくさん受け入れている。私はそれを誇りにおもっている。」と返した。

運転手は「ギリシャ人の移民とアラブ人の移民は違う。」という発言をし、

社長は怒って、「人種差別的な発言だから、もう話したくない」とその場ではっきりと自分の立場を明確にした。

劇場についてすぐに、フェスティバル事務所にタクシーの車内で起こったことを報告し、

タクシーの会社に電話するように指示していた。

私は、起きた出来事にあっけにとられて、その社長に「なんか、すごい感動しました」と意味のわからないコメントをすると、細かいことでも、気づいたときにすぐに行動しないと差別は絶対なくならない、と言われた。

しかし、この「気づいたときにすぐに行動」が一番難しい。

先日、とある撮影の衣装合わせで、大手プロダクションの衣装部門を訪れた時、

自分が演じるのは日本人の役だったので、

服の細部が、「ここはちょっとヨーロッパ的かも」とコメントしたら、

「日本人も韓国人も中国人も、みんなフランスに憧れて、フランスの真似してるんだからいいのよ。ヨーロッパの洗練さはないもの」

といわれ、その発言はおかしいのではないかとその場で思ったが、何もいえなかった。

「#METOOTHEATRE」から、話はずいぶん逸れてしまったが、性的・性差別的暴力の根源にあるのは、もっともっと小さな、どこにでも転がっているような差別する気持ちなのだと思う。

だから、どんなに小さなことでも、気づいた人が、その発言はよくないと思う、その行動はよくないと思うと、伝え続けていくということが、私には非常に重要に思えてならない。

自分たちが恵まれている環境にいるということは、それだけ、その恵まれた環境を濫用する人たちも多く存在する可能性があるということである。演劇学校に関しては、素晴らしい3年間を過ごした場所なので、美化したい気持ちもあるのだが、現実から目を逸らさないよう、今起きていることを自分なりに考えていこうと思う。

豊岡演劇祭2021フリンジ:『しおりの部屋』 (第一弾:ドイツ・フランス編)

豊岡演劇祭中止に伴い、以下のイベントは中止となりました。すでに予約をしてくださった皆さま、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。(2021,08,20)

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みなさん、こんにちは。竹中香子です。
普段は、フランスで演劇をやっています。

78歳のイタリアの哲学者ジョルジオ・アガンベンは、
コロナ禍での発言により、大炎上を起こしたひとりです。
アガンベンが言及した二つの懸念は、「死者の権利」と「移動の権利」を剥奪されること。
まず、死者が葬儀の権利を持たないことに対して苦言を呈しました。
そして、「移動の権利」の制限に関して。
アガンベン曰く、「移動の自由」は単に数ある自由のうちのひとつではなく、
苦難の末に勝ち得られた権利であり、
近代が権利として確立してきたさまざまな「自由の根源」にあるそうです。
つまり、「移動の自由」を制限されることをみとめてしまうということは、
大袈裟ではなく他の自由も失う可能性がすくそばに孕んでいるということ。

舞台芸術には、人を「移動させる力」があると私は信じていて、どんな形であれ、「移動の自由」を守るアクションをしていきたいと思っています。

国境をまたぐ移動はまだまだ制限されていて、海外の舞台作品を観る機会は激減しましたが、「劇場に行く」という自由を守るために、日本同様、海外でもさまざまな取り組みが行われています。

今回は、「MCしおり」として、豊岡高校放送部の木下栞さんにホスト役を引き受けていただき、海外を拠点に舞台芸術の分野で活躍するアーティストをゲストに迎え、オンラインミーティング『しおりの部屋』を開催します。 

竹中香子 

        

【MCしおりからのメッセージ】

豊岡高校3年、放送部所属の木下栞です。 生まれも育ちも豊岡市日高町です。 中3で演劇に興味を持ち、今年3月に平田オリザさんが運営されている演劇私塾『無隣館』を卒業しました。舞台の裏方の仕事に興味があります。演劇や映画を観ることが好きです。どうぞよろしくお願いします。    

木下栞

【日時】

2021年9月12日(日)15時〜17時 ウィズコロナ時代の舞台芸術ぶっちゃけどうなの編

2021年9月19日(日)19時〜21時 パフォーマーが選ぶ各国の今一番熱い舞台芸術人紹介編

*各回とも、15分前よりZOOM設定の案内開始。不安な方はお早めにお入りください。

【料金】

無料

*googleフォームよりご予約ください。 https://forms.gle/kQE5cA24ff2NvUJK7
*チケットの予約は各日とも開演1時間前までとなっております。
*定員となり次第予約終了いたします。

【対象】

– 海外での舞台芸術に興味がある。
– 実際に海外で舞台芸術に関わってみたい。
– コロナ禍における各国の舞台芸術界での対応が知りたい。
– 演劇やダンスが好き!
– 旅が好きなのに、なかなかできない!

【参加方法】

オンラインミーティングツール(ZOOM)を利用したワークショップミーティングです。チケット購入者には、ご登録のメールアドレスに参加リンクをお送りします。

*事前にZOOMアプリのインストールをお願いいたします。
https://zoom.us/download

*開始時間15分を過ぎてのご参加はできません。あらかじめご了承の上ご予約ください。開始時間5分前までのご集合(ZOOMミーティングへの参加)へご協力をお願いいたします。

【ゲスト予定者】

原サチコ(ドイツ、スイス在住・女優)
菅江一路(ドイツ在住・ダンサー)
加藤野乃花(フランス在住・ダンサー)

木下栞(MC)from 豊岡高校
竹中香子(アシスタント)

【参加者プロフィール】

原サチコ Hara Sachiko

 1964年神奈川県生まれ。上智大学外国語学部ドイツ語学科卒。1984 年演劇舎蟷螂似て初舞台、後に「ロマンチカ」に所属。1999 年ドイツの鬼才演出家クリストフ・シュリンゲンジーフとの仕事をきっかけにベルリンへ移住。2004年東洋人として初めてオーストリア国立ブルク劇場の専属俳優となる。以降ハノーファー州立劇場、ケルン市立劇場、ハンブルク・ドイツ劇場に専属俳優として所属。16年間に渡り、ドイツ語圏演劇界において日本人として唯一の劇場専属俳優として活躍中。ドイツ演劇界トップの演出家達(ニコラス・シュテーマン、ルネ・ポレシュ、クリストフ・マルターラー等)に愛され、ドイツでの出演作は60本を超える。井上ひさし作「少年口伝隊一九四五」のドイツ語訳、ヨーロッパ初演、演出も手がける。2011年より広島原爆の記憶を現在と結ぶプログラム「ヒロシマ・サロン」を主催。ハンブルクでは姉妹都市大阪をアピールする「オオサカ・サロン」を主催。現在ハンブルク・ドイツ劇場(Deutsches Schauspielhaus Hamburg)所属。日本帰国の際は、ドイツ演劇作品の日本語リーディング、講演、ワークショップ等も積極的に行っている。

菅江一路 Sugae Ichiro

 1990年生まれ。兵庫県西宮市出身。 大学在学中にダンスを始める。青木尚哉、平原慎太郎らに師事。2011年から3年間Noism2に在籍。金森穣作品を始め、山田勇気、稲尾芳文らの作品に参加する。2014年Noism2の退団を機に東京を拠点に移す。平原慎太郎率いるOrganWorksを中心に、岡登志子など様々な振付家と仕事をする。2016年スペインの演出家アンジェリカリデルの「Que hare yo con esta espada?」に参加。アヴィニョンフェスティバルを始め、イスラエルフェスティバル、ベルリンシャウビューネ劇場などで上演する。この仕事を機に2016年から拠点をベルリンに移し、ヨーロッパでのフリーランス活動を開始する。 これまでにルイホルタ、ヘレナヴァルドマン、サーマガール、サジュハリなど様々な振付家・演出家と仕事をする。 現在はアンジェリカリデルの「Una costilla sobre la mesa: Madre」のツアー中である。 エマニュエルガットの新作「LoveTrain2020」を10月にモンペリエにて初演予定。

加藤野乃花 Kato Nonoka

1986年生まれ。福岡県出身。6歳より神崎バレエスタジオでクラシックバレエを始める。1996年、田中千賀子ジュニアバレエ団に入団。2001年、全国バレエコンクール in Nagoya第1位。 2003年、フランス国立マルセイユバレエ学校に留学。2006年から現在までフランス国立マルセイユバレエ団に所属し、Fréderic Flamand、Emio Greco & Piter C.Sholten、コレクティブ(la)Hordeの三代のディレクターのもと多様なスタイルの作品を踊る。フランス政府認定バレエ教師国家資格取得。クラシックバレエがベースのコンテンポラリーダンサー。

竹中香子 Takenaka Kyoko

1987年生まれ、埼玉県出身。2011年、桜美林大学総合文化学群演劇専修卒業。2013年、日本人としてはじめてフランスの国立高等演劇学校の俳優セクションに合格し、2016年、フランス俳優国家資格取得。パリを拠点に、フランス国公立劇場の作品を中心に多数の舞台に出演。Guillaume Vincent演出作品に多く出演する。第72回アヴィニョン演劇祭、公式プログラム(IN)作品出演。2017年より、日本での活動も再開。一人芝居『妖精の問題』(市原佐都子 作・演出)では、ニューヨーク公演を果たす。日本では、さまざまな大学で、自身の活動に関する特別講義を行う。2020年より、カナダの演出家Marie Brassardとのクリエーションをスタート。2021年、フランス演劇教育者国家資格取得。現在はスイスのTheater Neumarkt主催作品に参加。

主催:竹中香子
提携:豊岡演劇祭実行委員会

豊岡演劇祭2021 / Toyooka Theater Festival 2021

(コロナ禍での)滞在制作とは何か。

コロナ禍で、私が一番失ったと感じることは「移動の自由」である。

ハラスメントと同じで、何かを失ったり、制限されたりすることに、自らが気付き「傷つく」には少々時間がかかることがある。

78歳のイタリアの哲学者ジョルジオ・アガンベンは、

コロナ禍での発言により、大炎上を起こしたひとりである。

アガンベンが言及した二つの懸念は、「死者の権利」と「移動の権利」を剥奪されること。

まず、死者が葬儀の権利を持たないことに対して苦言を呈した。

そして、「移動の権利」の制限に関して。

アガンベン曰く、「移動の自由」は単に数ある自由のうちのひとつではなく、

苦難の末に勝ち得られた権利であり、

近代が権利として確立してきたさまざまな「自由の根源」にあるという。

つまり、「移動の自由」を制限されることをみとめてしまうということは、

大袈裟ではなく他の自由も失う可能性がすくそばに孕んでいるということ。

コロナ禍でパリー東京間を往復するとなると、現在日本で14日間、フランスで7日間の自宅待機を強いられ、計3週間失うことになる。

それでもコロナ禍に突入してから、3度の往復をした。毎回、飛行機の乗客は6、7人で、客室乗務員の数より少ない。

今回は、カナダで行われる予定だった新作クリエーションが、カナダへの渡航禁止に伴い現地での制作が不可能となり、

共演者がいる日本に私が渡航し、カナダにいる演出家と、東京での1週間の稽古を経て、城崎に移動し、さらに2週間半の滞在制作をすべてリモートで行った。

城崎にたどり着くまで、長い長い道のりがあった。3月フランスの感染状況は悪化していて、EU圏外への移動が制限されていた。ビザの更新のタイミングもあり、カナダ側は弁護士を雇って、私の渡航許可を取得するために奔走してくれた。私も、数々の書類を集め、県庁に数回足を運んだ。

成田空港に到着してからも、位置情報を随時提供するためのアプリをいくつもダウンロードしなければならず、PCR検査陰性の結果が出たあとも、政府の用意するホテルに3日間滞在することが必須となっていた。

自宅に戻ってからも、1日に何回も位置情報を求める通知がきて、携帯に頓着しない生活をしている私には少し重荷だった。

それでも、城崎国際アートセンターでの滞在制作だけを楽しみに14日間の軟禁生活を乗り切り、とうとう城崎にたどり着く。

当時の私の「滞在制作を楽しみに思う」気持ちは、非常に浅はかなものであった。

豊岡市に滞在するという意識は希薄で、「東京を離れ、温泉に入りながら創作に思う存分集中できる」というくらいのものであった。

しかし、コロナ禍におけるリモート創作という制約が功を奏し、結果的に「豊岡市という場所で、滞在制作をする」ということを日々認識しながらの滞在となる。

今回の作品の演出家である、カナダ在住のアーティスト:マリー・ブラッサール氏は、コロナ禍で作品を発表するにあたり、全ての可能性を視野にいれ創作を進めた。

私ともうひとりの出演者:奥野美和さん(ダンサー・振付家)がヨーロッパツアーで合流し3人で出演するバージョン、カナダは渡航禁止区域なので、私と奥野さんは映像出演で、マリー本人がひとりで出演するバージョン、そして、劇場が閉鎖してしまったときのための美術館等でも映像を展示できるインスタレーションバージョン。

急遽、日本側から映像監督として太田信吾さんにプロジェクトへの参加をお願いし、アートセンターのホールで、舞台用の稽古と屋外での映像撮影を並行して行った。

野外での映像にマリーがつきっきりで関与することは難しいと考え、撮影は日本チームで進めた。

滞在制作も、中盤に差し掛かった頃、マリーが、「コロナ禍で国際協働制作をするということは、それぞれが『権力』を手放していくことだと感じ始めている」、と少し寂しそうに口にしたことが非常に印象的であった。

演出家としても、プロジェクトの総監督としても、メンバーにすべての指示を出せなかったり、どうしても「任せる」部分が増えていってしまうのは、非常に不安な経験だったと思う。

それでも、彼女が想像していたものと違うものが私たちから提示された時にも、常に、そこに生じた「取り違え」を受け入れ、振り回されることに寛容であった。

私たちも然り、「わかりあえない」ことのもどかしさを逆手にとり、徐々に自分らの「想像力」を駆使し、全力で「勘違いする力」でした解釈を作品として提示できることの面白さを得た。

マリーは、城崎でのレジデンス開始当初から一貫して、

温泉とか街の散歩とか地元のものを食べよとか、チームでエンジョイしてね!ということをしきりに言っていて、

最初、私はその一言一言に苛立っていた。

私は、創作をしにここまできたのであって、観光をしている暇はない!と異様に焦っていた。

レジデンス4日目から城崎・竹野地区での撮影が始まり、

アートセンターの外を出て、野外での撮影(創作)が始まったことで、すべての景色が変わった。

街から与えられるインスピレーションの力は際限なく、

豊岡という「場所」とカナダで生まれた「物語」がどんどん交差し、また別の何かに変容していくさまに夢中になった。

その日から、温泉も街の散歩も地元のものを食べることも一切厭わなくなる。

滞在制作9日目の日曜日、豊岡の文化政策に多大な意味をもたらすことになる豊岡市長選挙が行われた。

出身地のさいたま市でも、今住んでいる東京とパリでも味わったことのない緊張感を感じ、

祈るような気持ちで開票結果を待った。

思うようにはいかなかった選挙の結果を経て、さらには、兵庫県が緊急事態宣言を出し、最悪とも思われるコンディションの中、たくさんの出会いがあった2週目。

豊岡高校の高校生が、遠足の一貫で、生徒さんのひとりが自ら先生に懇願して、アートセンターと私たちのリハーサルを見学しにきてくれたり、

コロナ禍でアートセンターが閉館している中、大学の先生とアートセンターの連携のもと、豊岡市に開校したばかりの芸術文化観光専門職大学の1年生たちが、通しリハーサルを観にきてくれたり、

アートセンターが企画して、豊岡の高校生と対談したり、

温泉寺に撮影に伺わせてもらい、温泉寺と城崎の歴史をお話ししてもらったり。

そんな日々の中、創作への熱量がどんどん上昇し、結果として稽古も進んだ。

個人的に重要だったことは、初めて日本人の観客の前で、フランス語で演じたこと。

劇場にもそんなに行ったことがないと言っていた大学生たちが、

彼らにとっては、なんの意味ももたないであろうフランス語の台詞を、全神経をつかって感じてくれているという体感は心から愛おしいものであった。

今後、私の俳優人生にも大きく影響するであろうくらい素敵な時間だった。

もうひとつは、共演者の美和さんと休憩時間に鮮魚を買いにいったこと。

時差の関係で毎日朝8時から稽古をしていたのだが、昼休憩の時に、夜タイのお刺身が食べたかったので、

美和さんと往復30分かけて魚屋さんに行った。

私は、本来こういう時間を無駄だと考えてしまいがちだが、城崎での生活には、生活に手をかけるということが、今一緒にいる人たちを大切にするということにつながると思ってしまう力があった。

自分でいうのもなんだけど、城崎の滞在を経て、すこし優しい人間になれたと思う。

「移動の自由」とは、

どこにでも好きな場所にいけるというころではなく、

その場所に自分がいてもいいということを感じられる自由であると思う。

城崎に行くことができる自由というより、

城崎にいてもいいと感じられることの方がよっぽど自由があった。

いてもいいと感じられるためには、こちら側がまず「自分が今どこにいるのか」ということに歩み寄る必要がある。

温泉では、東京から来ていることをバレないようにしようと心がけていたが、

閉めようとすれば閉めようとするほど、溝は深まる。

温泉でおばちゃんに声をかけられて、自然に世間話して、「また来てね」と言われたり。

よそ者でも「あけっぱなし」にしているからこそ、適度な情報開示をする姿勢によって、不信感を抱かせない程度のちょうどいい距離感が生まれたり。

コロナ禍で、「移動の自由」を守っていくために、そこに暮らす人々と、そこにやってくる 人々の間に、今後たくさんの壁が待ち受けていると思う。

それでも、私には「移動の自由」が必要だと自信を持って言える滞在を経験した。(それは本当にKIACのおかげ。)

まだ、うまく言語化できていないが、「滞在制作」という機能を再考させられる滞在となったことへの感謝を、関わっていただいた全ての皆さまに送ります。

ありがとうございました。

同志、美和さんと。Photo by Bozzo