坂本美雨『PHANTOM girl』

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待ちに待った坂本美雨ちゃんのニューアルバム、『PHANTOM girl』が先週発売されました!
美雨ちゃんとは、わたしが高校生のとき、演劇のワークショップでご一緒しました。以来、憧れの人で、当時発売されていたアルバム『Harmonius』もきいて、心底魅了されました。
今回のアルバムの最後に入ってる、“A Girl's Waltz”は衝撃的でした。
ダンスとかを観たときに、たまに言葉が入ってきたりすると、やっぱり何か表現するときに、言葉のもつ影響力ってすごいなって思いつつ、悔しいんですが、
完全に言葉を越えてました。
歌詞はなくて、メロディを声にしてるのですが、もうなんかメッセージとかいうか、伝わってくるものがすごい。
気づいたら涙でてました。
ダンスだったら、森山開次さんに、同じような感想をもつのですが、久々の体験で、
むしろ、聞きすぎないようにしてしまう自分がいます。
もったえなくて(笑)

金曜日の詳細

スケジュールでました◎
わたしは9時15分からの予定です。
【フライデー高円寺ロック~演芸ディスコ~】
【料金】 ¥500+1オーダー
【開始】 20:00 (19時より営業。お通しがつきます。)
【タイムテーブル】  
20:00スタート ・・・・・(営業は19時より。お通しがつきます。)
20:30~  清水かおり (ダンス・踊り)
20:45~  カワクボクニコ(クラウン・寸劇)
20:50~  ラ・サプリメント・ビバ (コメディアン)
21:15~ カワクボクニコ×タケナカキョウコ(クラウン・寸劇)
21:00~DJs
【フ高ロ】DJs・・・・・ぬまたまご部長

ジョン・パトリック・シャンリー

ニューヨークの劇作家で、オフブロードウェイ、映画界でも活躍。
彼の代表作、『お月さまへようこそ』『マンハッタンの女たち』『ダニーと紺碧の海』を読んでみました。全作に共通してるのは、とにかく強がってる人(強がってない人なんていないと思いますが…)の弱さがみえる瞬間が絶妙!
あざとくないし、とたんにその人のことを、いとおしくなる。
戯曲がここまでしっかりできてると演じるのはさぞかし大変だろうな。
日本でもわりと上演されているようです。
わたしは、特に『ダニーと紺碧の海』が好きでした。すれた男と女の二人芝居ですが、ところどころ子供をイメージしてしまうシーンがあって、この繊細な人たちを、守ってあげたくなります。
色でいうなら、ねずみ色と水色をまぜた感じ。
オススメです。
そういえば、今日堤真一さん主演、千葉哲也さん演出のアットホーム アット ザ ズーを買おうとしたら売り切れでした。当たり前ですね…
でも、来週は初めての千葉さんの授業♪
楽しみです。

クラウン 稽古

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今日はクラウンの稽古でした。
お客さんの反応を見てその場でつくる余地を残しつつ、作品を作っていくのがむずかしい!
でも、エチュードっぽくするとやっぱり演劇になってしまうので、
役はわたしはわたしのままで、くにちゃんもくにちゃんのままでいくことにしました。
あとは、くにちゃんとひたすらプレジャー(pleasure)を探す作業。
自分の心が、振動するような瞬間を探します。
ただのわたしをみても、おもしろくないので。
自信満々な出たがり自分とやっぱり人前にでるのは恥ずかしい弱虫な自分と、
両方本当なので、
半々でいけたら、
本望です!

青年団第62回公演『革命日記』 劇評

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ただいま、ワンダーランド主催の劇評セミナーに参加しておりまして、
はじめて、劇評に取り組んでます。
http://www.wonderlands.jp/info/seminar2010/agora01.html
まわりは、すでにセミナーに参加するレベルじゃない人たち、多々なのでかなり緊張してますが、
わりきって、22歳のありまのままの視点で書きました。
そしたら、感想みたいになってしまった…
来週、それぞれが提出した劇評をもとに講評があります。
こわい。
でも、劇評を通して、自分が役者として、客観性を高めていけたらと思います。
単純に、文章でしっかり表すことのむずかしさもわかるし、未熟さも。。。
青年団第62回公演『革命日記』 劇評
観劇日:2010.05.10.
 今回の公演で、私の心を突いてきたポイントが2点ある。
 まず、第一に社会的「集団」内部の圧力と愛おしさについて。
 開演前、3人の役者がテーブルを囲んで、それぞれ思い思いに舞台上に存在している。開演と同時に、内部でのちょっとした言い争い、共通の知り合いの話、部外者の乱入などを通して、ただの、友人同士の集まりではなく、「集団」もしくは「組織」としての関係性が見えてくる。
 私は、まだ社会人として社会に存在したことがない。しかし、この「集団」という荒波に「個」として、確実に向き合ったことがある、と確信した。自身の年少期を振り返り、なにかとやっかいだった女子の仲良しグループを思い出した。中学校の女子テニス部。これは、知らない人でも少しはイメージできるかもしれないが、恐ろしい「集団」である。まず、不可抗力による、ヒエラルキーの発生。これは主に、顧問と生徒、学年による先輩後輩をさす。次に、現実と立場との相違。これは、後輩が先輩よりもプレイヤーとして優れている場合。さらには、容姿までもが、自分の「集団」のなかでの地位を決定づける。もちろん、日々変化し続けるものではあるが。しかし、このような目に見えるルール、はたまた目に見えないルールにしばりつけられながらも、秘密を共有し始める。そして、一緒にいればいるほど、確実に集団意識というものは芽生え、愛おしい存在になっていくのである。当時は、そこが自分の全てで、自分を自分でどう評価するかもすべてその「集団」での価値基準に従っていたような気がする。「集団」は「個」を生かすことも殺すこともできるのだ。今考えれば、教祖のいない「宗教」のような場所だった気さえする。
 こんなことを、作品の端々から想起させられるたび、胃がきゅっと締め付けられた。
 ただし、今回の場合、この「個と集団」というテーマを扱ったツールが演劇であるということは、ぜひとも注目すべき点であると思う。演劇自体、「集団」としてのあり方を常に問われている。そのなかで、しっかりと劇団制をとっている青年団が、この問題に真っ向からぶつかるとは、実に意味のあることだと思う。
 もう一点考えてみたいのが、立花と佐々木の言い争いのシーンで、その二人以外の舞台にいた役者たちと、観客との差異があまりなかったように感じた点である。青年団特有の口語スタイルは、有名である。しかし、今までいくつか作品を観てきたが、やはりどんなに実社会の一コマのようなシーンであっても、そのまま取り出したようなシーンであっても、私は舞台と客席との境目を確実に感じていた。しかし、今回の言い争いのシーンでは、二人以外の全員が、傍観者になったような錯覚を覚えたのだ。これは、本当に見事な体験だった。観客側も、それまでの時間と空間を役者とともに、共有してきたからこそ、あの空間に一心に立ち会えたのだと思う。これは、はじまってから時間軸が前後しない時間設定と、舞台空間が変わらない青年団のスタイルがなした、イリュージョンであると思う。