矢川澄子『兎とよばれた女』

$Takenaka Kyoko web
エロス文学の巨匠、澁澤龍彦の元妻である、
矢川澄子さんの長編小説です。
Takenaka Kyoko web
めっちゃ、美人…!
このマッシュボブみたいなヘアスタイルがめちゃめちゃ似合う彼女だからこそ、
書けた言葉であり、文章であり、物語だったと思います。
「少女」と「兎」
小学校の時、
わたしたちは、
うさぎさんは、さみしいと死んじゃうって本気で信じていて、
そうじ当番はサボっても、うさぎ当番は絶対サボりませんでした。
というか、サボれなかった。
たぶん、あの頃、
わたしたちも、
感覚的に「孤独」というものの恐ろしさを、
一番理解していたんだと思います。
忘れ物をとりに戻った、
放課後のだれもいない教室。
買い物に出かけたお母さんを、
見送ったとたんの家の広さ。
楽しみでしょうがなかったお泊まり会で、
自分一人だけ、どうにもこうにも寝つけなかった友達んちの布団の中。
「少女」と「兎」
やっぱり、孤独がしっくりくる。
なぜか、かたくなに寄り添うことを選ばないように、
思えてならないのです。
神さまは兎のすべてでした。
とにかく神さまが好きだったから。兎は、どんなに苦しくても孤独でも美と純粋を求めつづけたのでした。少女文学の真骨頂。 【解説: 千野帽子 】

タニノクロウ『チェーホフ?!』@東京芸術劇場

サブタイトル、
-哀しいテーマに関する滑稽な論考-
感想
「とても、抽象的な作品でした。」
ここでいう、「抽象的」という描写は、
時間と手間をかけて限りなく「具体化」された結果に対する「敬意」として用いるもので、
難しくてよくわからなかったなぁ、というような「放棄」的用法ではありません。
いや、実際よくわからなかったことには、違いないのですが、
言葉にはできなくても、
かじってみたら、蜜がつまりにつまっていた真っ赤な林檎みたいな、
強烈な印象を、
「わからない」の一言ですませたりするほど、
観客は、馬鹿じゃないのです。

ハイバイ『投げられやすい石』@こまばアゴラ劇場

ぎゅうぎゅうのアゴラ劇場に行ってきました。
$Takenaka Kyoko web
http://hi-bye.net/
なんだか、とっても価値観とか、がらんと、
ひっくり返されてしまうような作品を観てしまいました。
いままで、舞台芸術において、
ストーリー性よりも、空間とか、時間とかの感覚のが、重要だと勝手に思っていまいした。
ストーリー性の強い作品を上演するなら、
映像の方が、役者の細かい表情の動きとかよく見えるだろうな。とか。
いや、勘違い、甚だしかったです。
ストーリーが、空間に作用してたら、いろんなミラクルが起きるんですね。
というか、難しい話は抜きにして、
とにかく、役者さん4人と、大勢の人間が、
同じ一つの四角い箱のなかに、いま、一緒にいるんだなっていう実感が始終ありました。
そして、彼らのことを「観てる」というのではなく、
まさしく「出くわしてしまった」感、
そして少しの、
見てはいけないものをみているような「そわそわ」感。
そして、舞台上でおこってることと、客席でおこっていることのずれが生み出す、
史上最強に美しい「よどみ」が、
目に見えないのに、つよくはっきり存在していました。
これは、もう絶対、劇場にいたから味わえたものとしかいいようがなくて…
ありがとうございました!!!
ハイバイの『ヒッキー・カンクーントルネード』のプルヌスホール公演を観た時、
座席がL時型で、自分から見える客席のお客さんたちの、
反応のバラエティーさが、今でも忘れられません。
爆笑してるおじさんのとなりで、号泣してる女子大生。
こういう空間って、
もう神懸かり的な感じがしてならないです。
おおげさではなく。
上演時間75分。
チケットは完売してるみたいですが、
立ち見でも絶対オススメです!!!!

『高嶺格』!!!オススメ③連発!!

高嶺さん、彼は一体何者なのでしょうか??
わたしも、よくわかりません。
http://www.takaminet.com/
どこに出没するかわからない、謎の人です。
伝説のアーティスト集団『ダムタイプ』にもでていました。
Dumb Type「OR」1997 http://www.youtube.com/watch?v=48jTgdDzFYQ
Dumb Type「S/N」1992 http://www.youtube.com/watch?v=8fpw6EYOEig
でも、なんだこの人!?ってなったきっかけは、この本です。
$Takenaka Kyoko web
この本の帯にかかれていた言葉、
この文章が目に入ってきたときの鮮やかな感触が忘れられません。
「あなたのその、在日に対する嫌悪感は、なんやの?」とKは言った。僕はその質問に答えねばならなかった──恋人との見えない壁を乗り越えるため、男は洞窟に住まうことにした。気鋭の現代美術作家による傑作エッセイ。
多分、この本は、「在日」という「社会問題」的なテーマをあっさりと超えてます。
本当に、軽々と。
だから、現時点で、「在日」になんの関係のないわたしが、
読むべきものだったし、
読むことを許されるものだったと思います。
「社会問題」なんて堅苦しいものじゃなく、
ただの「人間問題」だったから。
高嶺さんの、作品は、近くて遠い。
だから、いつまでたっても、ミステリアス。
気にならない訳がない。
こんな高嶺さんの個展が横浜美術館で開催中です!
『とおくてよくみえない』
$Takenaka Kyoko web
会期:2011年1月21日(金)~3月20日(日)
開場時間:10:00 ~ 18:00(金曜は20:00まで)
休館日:木曜日(closed on Thursday)

そして、なんとなんと、来月、
演劇作品も上演されます!
A Japan-Thailand Performance Collaboration
『Melody ♥ Cup』
$Takenaka Kyoko web
構成・演出 ♥ 高嶺格
日時:
(伊丹公演)2011年2月12日(土)7:30pm / 13日(日) 2:00pm、6:00pm / 14日(月) 2:00pm
(横浜公演)2011年2月19日(土)3:00pm、7:30pm / 20日(日) 2:00pm、6:00pm
会場:アイホール(伊丹)、横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール

ぜひ!!!

リルケ『若き詩人への手紙』と瀬戸賢一『メタファー思考』

ライネル・マリア・リルケ(1875~1926)さんは、プラハ生まれのドイツの詩人です。
$Takenaka Kyoko web
詩人?? 詩人ってなんでしょう?
Wikipwdiaより
詩人とは、詩を書き、それを発表する者。また、そのことを職業にしている者。
これは、納得いきません。
下の方にこんなことも書いてありました。
三好達治は『詩を読む人のために』の中で「誰かもいったように」と前書きした上で「詩を読み詩を愛する者は既に彼が詩人」であると書いている
これは、だんだん近づいてきたような気がします。
では、「詩」ってなんでしょう?
そしてそして、この時って、ウタとも読みますよね。
言語の表面的な意味(だけ)ではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式である。多くの地域で非常に古い起源を持つ。
「美学的」、この説明、気に入りました。
「喚起的」というキーワードはどうもピンと来なかったので、
こんな本を読んでみました。
$Takenaka Kyoko web
まあ、難しくてよくわからなかったのですが、
「目玉焼き」は、メタファーだそうです。
たしかに、「目ん玉」が「焼かれている」とは、だれも思いませんよね。
メタファーは、類似性に基づく。より抽象的で分かりにくい対象を、より具体的で分かりやすい対象に《見立て》ること。
これって、とっても素敵なことだと思います。
要は、受け取る人によって、「勘違い」が発生するからです。
そもそも「分かりにくい」とか、「分かりやすい」という概念が、
人によって異なると思いますし、
それでも、直接的ではなく、あくまで《見立て》。
つまり、イメージの崩壊は、しないでくれてるんですね。
リルケの文章も一緒です。
タイトル通り、若い詩人に向けて、
丁寧に、身長に、そして、分かりやすく書かれているのに、
「イメージ(=詩的な存在)」は崇高なものとして、
その存在を犯さない。
リルケといえば、「愛」と「孤独」がテーマにした詩で有名ですが、
彼の文章を読んで、実感したのは、
決して、愛と孤独が、相対的な関係ではないこと。
どうやら、愛を知るために、孤独は必須みたいです。
だから、いま、孤独を感じてるなら、
ラッキーってことだと思います!
また、孤独を感じることは、
自分の周囲の世界が広がったことの証しであるから、
むしろ喜ぶべきだ!とも書かれていました。
それでは、最後に芸術家のみなさんに、2カ所、抜粋!
 芸術作品は、必然の結果になるものならば、よいものです。芸術作品の出所がこういうものであるかないかを見るのが、芸術作品の判断で、それ以外の判断はありません。
一般的な主題を避けて、あなたご自身の日常生活が提供する主題をお取りなさい、ご自分の悲しみや望み、つかの間の考え、何らかの美に対する信仰を描きなさい――こういうすべてのことを、心からの静かな謙遜な誠実をこめて、描きなさい、そして、ご自分の心をいいあらわすためには、あなたの周囲の事物、あなたの夢の形姿、あなたの思い出の対象をお使いなさい。