性描写と女優、容姿と女優、老いと女優

フィードバックが遅くなってしまいましたが、3月はさまざまな場所で「演技指導を一切行わない演劇ワークショップ」をやらせていただきました。最近、ワークショップのタイトルでよく使っている「ちょっとだけ“めんどくさい”俳優になる演劇ワークショップ」ですが、この「ちょっとだけ“めんどくさい”俳優」を目指すきっかけとなった出来事をまとめたいと思います。

現在は、ジェンダー平等やクイアの視点から、各国で「女優」という言葉を排除する動きがありますが、俳優の商売道具が、自分の身体である以上、身体が持つ性別と自身のアイデンティティをなかなか切り離せない現実があると感じます。私が、女性の身体を持っていることで出会った数々の困難や気づきは、やはり、フラットに「俳優」という言葉では語り尽くせないところがあるので、あえて「女優」という視点から、「性描写」「容姿」「老い」というテーマで、なぜ俳優(特に女優)が、ちょっとだけめんどくさくならないといけないと思うかを書きます。

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『性描写と女優』

90年代のお茶の間で、思春期を過ごした私は、フェミニストというと、男性に嫌われるような、ちょっとめんどうくさい気の強い女性を想像しがちであった。ちなみに、フェミニズムの起源は、演劇学校の卒業公演で扱った作品、ゲオルク・ビューヒナーの戯曲『ダントンの死』の時代背景、フランス革命までさかのぼる。1991年『人権宣言』に対抗し、フランスの女性作家であり女優のオランプ・ド・グージュが『女性及び女性市民の権利宣言』を発表している。つまり、フェミニズム運動の先駆者は、女優であったのである。そして、この事実を私は、声を大にして叫びたい。

私は、『ダントンの死』という戯曲の中の、女性の役の中で、唯一、2ページにわたるモノローグがある役、高級娼婦「マリオン」を配役された。(今だったら、そもそも、革命や戦争を題材にした戯曲は、男性たちのために書かれているようなものなのだから、そんな戯曲を卒業公演に選ぶのはどうなのかと問いたい。)演出家は、この役に特別な思い入れがあるらしく、稽古がはじまってそうそう、この娼婦が、主役の男性「ダントン」にオイルマッサージをしながら、モノローグを語っているイメージがあると言った。

言葉もろくに喋れない、いつも引っ込み思案な私が、開口一番、「嫌です」と言ったので、演出家は絶句。

ドラマツルギーにおける検証が一切なされない、ビジュアル重視のセクシャルなシーンは、俳優、特に女優にとって非常に危険である。極端な例で言えば、男女の濡れ場があったとして、その行為をどこまで舞台の上で見せるか(もしくは、行為に及ぶか)ということは、再現芸術において根本的問題である。例えば、映画の場合、納得のいくシーンが撮れたらそこでおわるが、演劇の場合は、そこから始まる。稽古場では、「再生可能な」システムを探していくことも俳優の重要な仕事の一部である。脱げと言われたから、脱いで、抱き合えと言われたから、抱き合っていたら、連日に及ぶ公演で、精神的にも、肉体的にも、追い詰められることは間違いない。観客が、俳優に対し、「人前でよくあそこまでできるなあ」と思ってしまうようなシーンこそ、そのアクト(行為/演技)を水面下で支えられるような、徹底的なドラマツルギー的根拠が必要。俳優の仕事の半分以上は、創作過程に必要不可欠な「コミュニケーション」に凝縮されているといっても過言ではない。共演の俳優と時代背景も踏まえ、テキストを徹底的に読解し、その上で、最終的にマッサージよりも過激な性描写を提案した。演出家も、私たちの提案に対し、ディスカッションをひらいてくれたので、セクシュアルな「行為」そのものが浮き出てしまわないようなシーンを構築することに成功。ちなみに、古典戯曲において、女性の役は、主人公、つまり、男性の妻、もしくは、愛人であることがほとんど。必然的に、男性に付随するような役が女優に与えられる可能性が高くなる。この現実の中、女優は、俳優である以上に、女優であることを、意識していく必要があるのではないか。どんな美しさも醜さも消費されてはならない。


『容姿と女優』

 渡仏当初、オペラ座にて、出演者がほぼ全員裸のワーグナーのオペラを見て以来、観客としては、舞台芸術における「性」というものの見方が随分変わって、今では、そんなに驚くこともなくなってしまった。しかし、だからこそ、俳優としては、日常からはみ出た部分、つまり演出家からの自身の身体への親密な要求にこそ、慎重に、かつ、尊厳をもって答えていくことが必然だと感じる。

 これまた、性的なシーンが多く存在するピエル・パオロ・パゾリーニ作品を創作した際、ある演出家は、初回の稽古で、役者がセクシュアルなシーンを演じる上で、最も美しいものは「la pudeur(羞恥心)」である、と言った。それは、自分の下着姿を見られることだったり、他の俳優とキスしているところを見られることだったり、本来親密な他人以外の目に晒すものではないアクト(行為/演技)に、きちんと「恥ずかしい」と感じられること。セクシュアルなシーンが、舞台芸術において難しいのは、観客席という完全な「公」的空間と、俳優が舞台に持ち込まざるを得ない究極の「私」的空間(身体)との、温度差によるものだと思う。この温度差から生まれる「la pudeur」に、自然に付き添って創作していくことが、私にとっては初めてのことで、8ヶ月間かけて、徐々に受け入れて、そして、楽しめるようになったのが全裸のシーン。つまり、お風呂でも、舞台の上でも、「私の体は、私のもの。」
 当時、クラスで話題になっていたのが、欧州各地で行われていたトップレス・デモ「国際トップレス聖戦の日(International Topless Jihad Day)」。このデモは、ウクライナの女性権利団体「FEMEN」の呼びかけで起こったものである。そもそもの事の始まりは、19才チュニジア人女性アミナ・タイラー(Amina Tyler)さんが、facebookで「私の体は私自身のもの。誰かの対面のためのものではない」と、上半身に書いて、裸体をネット上で公開した。彼女の両親は、彼女の行為を恥じて、彼女を1ヶ月以上監禁し、さらに、イスラム教指導者は、ファトワー(宗教的訓令)を発し、彼女に死刑を宣告した。

「私の体は、私のもの。」
毎日見ている、洋服の下にある自分の体。この体は誰のものか。どんなに大きな権力や、たくさんの視線に晒されても、決して、自分の身体の所有者であることをやめないこと。宗教を超えて、役者が舞台上で、服を着ていようが、裸だろうが、自分の身体を「晒す」という行為に、大きな可能性と権力、そして、同じくらい大きな責任を感じる。

 さらに、突っ込んでしまえば、裸云々の前に、女優と切って切り離せないのが「外見」である。世の中には、さまざまな容姿の人がいるように、フィクションの世界にも、さまざまな容姿の人が必要。とは言っても、実際のところ、俳優という職業において、容姿が重視されやすいことには間違いない。ダイバーシティーと慰めてみても、見た目がものをいってしまう現実がある。そして、日本人以上に、フランス人の外見は異なる。俳優の履歴書には、身長、体重のほかに、目の色、髪の毛の色と質を明記するのが当たり前。肌の色だって、さまざま。そして、フランス演劇界における俳優の容姿というものは、日本以上にデリケートなものがある。人種的な容姿の問題も介入してくるのである。特に、古典の場合、肌の色によって、ドラマツルギー的に演じることができない役があるという価値観もいまだに存在する。例えば、1680年から続くフランスの王立劇団コメディー・フランセーズには、古典を演じるにあたって、黒人俳優枠というのが現在も存在する。そして、アジア系の俳優はいない。

 これらをふまえて考えると、舞台における「外見」というものは、ある種「記号」的なものに変換されるのではないか。例えば、二枚目俳優、三枚目俳優という言葉は、歌舞伎からきているが、二枚目俳優が必ずしも、美男子だったかというとそうでもないらしい。歌舞伎特有の化粧法、隈取は大きく分類しても50種類ほどあるという。隈取は、「描く」ではなく、「取る」と表現されるように、遠くから見てもはっきりわかるように筋を指でぼかす。女方を演じる俳優からもわかるように、どうやら、「美人」は生成可能のようだ。ここで私がいいたいのは、歌舞伎の化粧、身のこなし方からもわかるように、ずばり、舞台における「美人」とは、実際に「美人」である俳優のことではなく、客席から「美人に見える」俳優のことを指すのではないかということ。巷では、「雰囲気美人」という言葉があるそうだが、まさに、舞台、特に、古典作品には、この「雰囲気」というものが欠かせない。

 実際、私が、『ダントンの死』で演じた、高級娼婦マリオンの役も、いわゆる「美人」要素が必要な役。はっきり言って、髪の毛が長いことと、身体の線が他の人と比べて細いということだけで、配役されたようなものだと思う。あとは、身のこなし、特に手の動きで、美人じゃなくても、記号的「美人」のできあがり。俳優、特に、女優にとって、自らの容姿との関係は、極めてデリケートである。「美しさ」の定義を、普遍的に捉えながら(時として、外見で判断されながら)、この職業を続けていくのは、生半可なことではない。私の場合、古典作品における、先に示した、「記号的な」美しさとの(受動的な)付き合い方と、現代作品における「革新的な」美しさへの(能動的な)探求とを分けるように心がけている。



『老いと女優』

プロとして活動を始めて2年が経った頃、初めての母親役を与えられた。女優7人がメインの作品だったのだが、あるシーンで、子供役3人と母親役4人でやることになっていて、まさか、自分が母親役に配役されるとは思わなかった。年齢的には、もう30歳だったので、母親役を依頼されてもおかしくない年齢だったのかもしれないが、ヨーロッパで暮らしていると、アジア人ということもあり、若く見られて当たり前だった。「実年齢より、若く見られたい」などと意識したことはないけれど、どうやら、声と身体は、無意識に欲していたようだ。まずは、自分は母親役ができるくらいの外見であるのだというショック。そして、演出家からは、声に重みがないという指摘。フランス語の解釈の面で、もう困ることもないけれど、いくら頑張っても消せないのが、アクセント。いつの間にか、このアクセントに引っ張られ、声も子どもっぽくなってしまっていることに気づく。実際、今までは、少女的な役を与えられることが多かったので通用してきたのだが、もう逃げ道はない。自分が「実年齢よりも若い」役を、演じることが多いことに、無意識に、女性として優越感を感じていたのではないか、と思うとぞっとする。日本のテレビや雑誌で、実年齢より若々しくみえる「美魔女」たちがもてはやされる世の中に、いつのまにか洗脳されていたのかも。メディアの力、恐るべし。日本を離れてから、西洋人の中でアジア人の外見で活動していたので、「他人と外見を比べる」という呪縛からは逃れたと自負していたのだが、年齢に関しては、人種は関係ない。年とともに、外見も変わっていく。いつまでも若々しくみられたいという願望は、女優にとって、実に厄介なものである。その転機となるのが、30代前半であるのかと、苦くも実感する日々であった。20代の役の倍率と、40代の役の倍率、どちらが高いかなど、比べるまでもない。女優は、「中年」の役を恐れるべからず。俳優として生きていくことを目指す、若い才能は掃いて捨てるほどいる。「中年」の役を楽しめるか、それは、「重力」を楽しめるか、ということのではないかという気がしてきた。20代にはない、身体の重み、声の重み、そして、人間の厚み。これらの「重力」を、少しずつ感じられるようになってきたところで、ようやく、声のトーンが、子供っぽいアクセントに引っ張られることなく、緩やかに、緩やかに、下降していく。正直、20代の頃と比べて、「失った」と感じてしまうことだってある。変わりなく生活しているようでも、身体は丸くなるし、顔にシワもできる。でも、やっぱり「中年」の役を演じるために必要な、この「重力」を手に入れたいと思う。そして、おそらくこの「重力」と同時に期待するのが、「静のエネルギー」。

若い頃は、なんでも、元気が一番。オーディションでも、声が大きくて明るい子は、決まって好印象。私が、好きな「中年」の役が演じられる女優たちが持っているのは、「静のエネルギー」。舞台の上に、ぽーんと「沈黙」を投げ込むことだって厭わない。空間全体を包み込むようなエネルギーが、熱となり、地を這い、観客を、彼らの足先から捕らえていく。俳優の身体は、商売道具。そして、なんといっても、「可塑性」に優れている。だから、「現在」の自分の身体を、商売道具として使いこなすために、精神のアップデートを常に求められる。年をとるだけ、アップデートした回数も増える。「失う」ものは何もない。


私は、女優である。このことは、私自身が、女性としての身体、眼差される身体、そして、自分ではない「役」を演じる身体の、「司令塔」であり続けるということである。他者の視線や、社会に蔓延るメディアやマーケットによって動かされるものではなく、それらを情報としてインストールした上で、自らが、愛すべき「商売道具」である身体の「司令塔」でい続けることができるか。このことが、俳優という職業を、持続可能にしうるヒントとなることだろう。



エネルギーを翻訳する。

時間が経ってしまいましたが、

昨年末にやった日仏通訳の仕事のまとめ。

フランス国立演劇センター ジュヌヴィリエ劇場とSPAC-静岡県舞台芸術センターで共催された『桜の園』、

フランス公演の通訳として参加させていただきました。

そもそも私は通訳ではないので、演劇(主に稽古場)の現場でのみ、「エネルギーを翻訳する」という使命を持って日仏通訳を引き受けている。

私が通訳として現場に入る時、通訳である私の存在は全く消えないので、普段本業の通訳の方々と仕事をされていると戸惑いが見られる。

通常、通訳の心得としてあげられる有名なものが以下の2点。

①「正確さ」を測る三つの指針:

  • 足さない (without addition)
  • 引かない (without omission)
  • 変えない (without distortion)

②通訳者は個人的な意見は言わない:「中立性(Neutrality)」と「公平性(Impartiality)」

今回は、一般参加者を含むワークショップやアフタートークなどの通訳と創作メンバーだけでの稽古場での通訳が主な仕事内容であった。

私は前者を「パブリックな通訳」、後者を「親密な通訳」と呼び分けていて、特に後者が得意だ。

(前者は単純にスキル不足で、フランス語から日本語はまだしも、日本語からフランス語は訓練が必要)

「親密な通訳」の特徴は、メンバーが随時固定であることにプラスし、付き合いが長くなるという特徴がある。

つまり、メンバーのなかで一定の「スキーマ」が既に共有されている状態である。

スキーマ(schema)というのは、自分の頭にある、構造化された知識・知識の枠組みのこと。

経験のある俳優や演出家、技術スタッフなら、創作現場でのスキーマは、創作チームが出来上がる前から各々が持っているのでは、と思われるかもしれないが、

稽古場というのは、実に千差万別である。

だからこそ、一定の時間を過ごした人々の間に生まれている「稽古場スキーム」を垣間見ることは非常に美しく、時として、魔法のようなことが起こる。

言語学習の読解教育では、スキーマを活性化させることで、読解が促進されるということが言われているのだが、

「稽古場スキーマ」の活性化は非常に優れているので、そこに関わるメンバーの読解能力は非常に高い。

これは、本来、演劇に関わる人たちが、「他者を読解する」ということを職業にしているということに起因すると思う。

共演者の意図を読解する。

登場人物の行動及び言葉を読解する。

スタッフの計らいを読解する。

演出家の指示を読解する。

このような読解能力が非常に高い現場において、通訳の心得①:「足さない、引かない、変えない」を実行してしまうと、稽古場に流れるエネルギーを停滞してしまうことになる。

俳優の立場から言わせてもらうと、稽古中に循環しているエネルギーの流れを止められることは、非常に気持ちが萎える。

また、停滞してしまったエネルギーを再稼働するにも、新たなエネルギーを消費することになるので、疲弊する。

通訳の立場で、稽古場のエネルギーの流れを止めてしまうことだけは避けたいのだ。

だから、「親密な通訳」に関しては、エネルギーごとまるまる翻訳できるように努めている。

そこで、重要になってくるのが、ビジネスシーンでも注目されている「メラビアンの法則」である。

メラビアンさんという人が行った実験によると、

コミュニケーションをとる際に最も重要なのは話の内容だと思いがちだが、

実際には言語情報はわずか7%しか優先されていないことがわかったそう。

人間は、顔の表情、顔色、視線、身振り、手振り、体の姿勢、相手との物理的な距離などを使って行われる「非言語的コミュニケーション」から得る情報も、かなり頼りにしているから。

通訳は本来、通訳者の心得②「中立性(Neutrality)」と「公平性(Impartiality)」を担保するため、

私たちが通常無意識に行ってしまう「非言語コミュニケーション」を排除する傾向にある。

しかし、稽古場というデリケートでフラジールな時間と空間において、部外者の介入は必ずしも心地いいものではない。

それだったら、稽古場通訳においては、「内部の人間」になってしまうのが適当であろうと個人的な意見である。

「非言語コミュニケーション」を排除しないということは、

自分も、個人として、それぞれの人とお付き合いさせていただく意思をそっとお伝えすること。

個人としてお付き合いさせていただくことで、ワークショップ前の事前準備を一緒にやらせていただいたり、

休憩時間にも、作品について一緒にディスカッションさせていただいたり、非常にありがたい時間だった。

そして、「エネルギーを翻訳する」ことに全力を注いで迎えた初日。

1週間前から少しづつ用意していた手作りのお菓子ボックスを俳優さんたちに渡した。

フランスでの初日(プルミエ)は、作品にとって本当に大切な日。

この日から、作品は演出家の手を離れて、俳優や技術スタッフとともに、観客に出会うべく「公共」のものとして巣立っていく。

日本では、すべてが無事におわった千秋楽の日にお祝いをする習慣があったので、

私も最初は慣れなかったけど、今は、「初日」という日を心から大切にしている。

まさに、作品のお誕生日。胎児が赤子となるように。

公演日を重ねるごとに、観客とともに、「公共」の場で育っていく。

それは、稽古の中で作品が育っていく過程とは全く違う。

だからこそ、それぞれが覚悟を持って「公共」への窓をしっかりと開け放ち、

作品が一人歩きしていくことを受け入れるためにも、しっかりと「初日」を祝うのだ。

そして、私の通訳も「親密な通訳」から「公共の通訳」へとゆっくりと移行していった。

そのためには、まだまだ修行が必要。

忍耐強く、そして、寛容に接してくださった『桜の園』チームの皆さま、

本当にありがとうございました。

演劇学校卒業生に贈りたい8つの問い

毎年楽しみにしている映画美学校、アクターズコースでのゲスト講師の仕事。

今年は、残念ながらフランスにいたので、現地にいくことができず、オンラインでやらせていただきました。

美学校の生徒さんたちとは、毎回濃厚な時間を共有しているので、オンラインでなにか私たちの間に生成することができるのかと試行錯誤。

しかも、オンラインに加えてたちはばかる壁は「時差」。

日本時間で授業開始13時半ということで、フランスは朝5時半!

自宅のアパートの壁は薄い。そして、私の声はでかい。

ご近所にご迷惑のかからないように、授業の出だしから、自習スタイルを考案。

生徒の皆さんに、事情を説明したお手紙をかいて、以下の課題に取り組んでいただきました。

受講生のみなさんへ 表のなかの「問い」は、私が3年間の演劇学校での生活を終えて、社会に出た時にぶち当たった主な8個です。5年以上経って、すこし解消されてきたものもあれば、まだまだあーでもないこーでもないと日々考えていることでもあります。今、みなさんは美学校という教育機関で演劇を学んでいると思いますが、ひとりひとりがすでに演劇、もっと大きく言えば芸術に関わっている人たちであると思います。なので、ぜひみなさんにもこれらの問いに関するアイディアを募集したいと思います。それでは、みなさまにお会いできることを楽しみにしています。

普段、ワークショップや授業では、一番最初に、生徒さんたちに信用してもらえるよう、

いかにしゃべれるかということに力をいれてしまいがちなのだが、

今回は、冒頭から「発信」することを封印されたので、

まず、グループごとの発表を「聞く」、つまり「受信」するところからのスタート。

思わぬところで、ワークショップリーダーとして、「場をしっかり掌握するのだ」という責任感から逃れることに成功した。

私自身、2016年にフランスの演劇学校を卒業したのだが、

卒業を間近にして、生徒さんに考えて欲しいことは、

仕事がある時間ではなく、仕事がない時間をどう過ごすかということ。

仕事があれば、創作のなかで、いくらでもぶち当たる壁はあるし、その中で俳優は勝手に成長していくものだが、

仕事がない空いた時間にこそ、この職業の継続の鍵がある。

卒業しばかりの頃は、特に2番の「ダンサーにとってのバーレッスンは俳優にとっての何か」という問いにとらわれていて、2017年には若かりし真面目な回答をしている。

現在は、俳優以外にも興味あることやできることが増えて、そこそこのバランスをとっているが、当時の私にとっては切実な問いであった。

あと、今でも常時問い続けているのは、8番の「コミュニケーション能力はどう鍛えるか」

こちらは、今後も永遠のテーマだと思うので、昔書いたことを読み直しても、懐かしいと灌漑には浸れない。

実際に、今回のクラスで盛り上がったテーマは、3番の「やりたいこととできること どっちで就職?」と4番の「プロフェッショナル=それで食えてる、でいいの?」だった。

意見交換が盛り上がっている時に、

今回講師という立場の私が「コミュニケーション能力は、生まれついたものじゃないから練習すれば、鍛えられる」

と発言したことに対して、生徒のひとりが、「私はちがうと思う」と言ってくれた瞬間があった。

大きな勇気を要したことだと察するとともに、正直すこし戸惑ってしまった。

ワークショップというものは、なんとなく「いい空気」になってしまっている時にこそ、

本来、それぞれの「違い」を見つめ合う場所なのに、全員で「同じ」方向に進んでしまっている懸念を持つべきだったと痛感した。

「いい空気」をリーダーが作りすぎてしまうことで、

言えなくなってしまう大切な意見が「ひとりの人間の中」にある。

ひとりの人間の中に、いくつかの異なる意見があったとしても、

場の空気をよんで、よりその場にそぐう意見をピックアップさせてしまっている可能性があるのだ。

ちょうど読み返していた『手の倫理』の一節を思い出した。

多様性は不干渉と表裏一体になっており、そこから分断まではほんの一歩なのです。

人と人との違いという意味での多様性よりも、一人の人のなかにある無限の多様性のほうが重要ではないか。

伊藤亜沙『手の倫理』

オンラインの壁もあり、ひとりひとりの違いを尊重できるようにと意識していたが、

そのせいで、ひとりの人間の中にある「多様性」「多面性」を尊重できていなかったのでは、と気づかされた瞬間だった。

どんなにたくさんの出会いがあっても、

その一人一人の中にある「多様性」に耳を傾けることを忘れないこと。

来年の目標。

「身体を〈記録メディア〉として活用する」:俳優の視点から

※城崎国際アートセンターに寄稿した記事を転記します。http://kiac.jp/article/1595/

数年前、いつも楽しみに見ているお笑い番組で、お笑いコンビの「ネタ書いている方」「ネタ書いていない方」論争というのが話題になった。「ネタ書いている方」の言い分としては、「ネタ書いていない方」は、「1から100」に持っていくことと、「0から1」を生み出すことの違いをあまり理解していないということ。「ネタ書いている方」がもっと評価されてもいいのでは、と。しかし、私のようなコアなお笑いファンは、「ネタ書いている方」がいかに素晴らしいかということは、百も承知である。

私が普段やっている「俳優」という仕事は、まさに「ネタ書いていない方」であり、「1から100」に持っていくことである。正直、「0から1」を生み出すことのできる演出家や劇作家の才能を前に、自身も芸術に携わっていると言うことすら躊躇することもある。「ネタ書いている方」の「0から1」がなければ、自分たちは存在しないのだから。

『最後の芸者たち』の創案者、太田信吾さんに芸者文化に関する作品を一緒につくろうと誘われた時も、誰かが「0から1」にした「1」を、どんな形であれ「100」まで昇華させる気持ちで、快諾した。私にとっての演劇は、「0から1」にするその「誰か」が重要である。演劇は関係性の芸術であり、「1から100」にすることを生業にする私にとって、作品のテーマよりなにより、創作にあたり深く関わっていくであろう「0から1」にするその「誰か」自身のほうに興味を持つからである。

2021年、コロナ禍真っ只中、私は拠点であるパリと城崎をよく往復していた。当時、パリ−東京間を往復するとなると、日本で14日間、フランスで7日間の自宅待機を強いられ、計3週間を失うことになる。カナダで行われる予定だった新作クリエーションが、カナダへの渡航禁止に伴い現地での制作が不可能となり、共演者がいる日本に私が渡航し、カナダにいる演出家マリー・ブラッサールと、2週間半の滞在制作をすべてリモートで行うこととなった。そんな状況下で、私にとってはじめてのKIAC滞在制作が始まり、急遽、日本側から映像監督としてプロジェクトに参加したのが太田信吾さんだった。太田さんにとっても、結果的にその後城崎と深く関わっていくきっかけとなったのである。そのひとつの大きな要因として、総監督としてのマリーのスタンスにおける変化があったと思う。滞在制作も中盤に差し掛かった頃、マリーが「コロナ禍で国際協働制作をするということは、それぞれが『権力』を手放していくことだと感じている」と少し寂しそうに口にした。マリーは、野外ロケの指揮を太田さんと私たち出演者に委ねた。「13時間の時差ありリモート」という創作環境のなか、どうしてもメンバーに「任せる」部分が増えてしまうのは、演出家として、非常に不安な経験だったと思う。それでも、彼女は想像していたものと違うものが私たちから提示された時、常に、そこに生じた「取り違え」を受け入れ、振り回されることに寛容であった。私たちも然り、わかりあえないもどかしさを逆手にとり、徐々に自分たちの想像力を駆使し、全力で勘違いしながらも解釈した作品を提示できることの面白さを得た。

この時、コロナ禍という特殊な状況下において、城崎周辺の街を歩き周り、さまざまな魅力的なロケーションに出会ったことがきっかけとなり、志賀直哉『城の崎にて』を原作に、太田さんと短編映画『現代版 城崎にて』の撮影を決行。言葉にはできない「街が持つエネルギー」に突き動かされたとしか言いようがないのだが、なんと、KIAC滞在制作が終了してから3ヶ月も待たずして、また城崎に映画撮影のため戻ってきたのである。

撮影を通して、私たちにとってさらに「馴染み深い街」となった城崎だが、次に太田さんの心を虜にしたのが、城崎温泉最後の芸者「秀美さん」の存在である。城崎温泉には、かつて芸者文化が栄えていたのだが、現在は絶滅しているとのこと。当時一番年下であった芸者の「秀美さん」が、城崎最後の芸者だそうだ。太田さんはすぐに本人にコンタクトを取り、芸者文化の取材を決行。

私が、初めて秀美さんにお会いしたのは城崎コミュニティーセンター近くの喫茶店『沙羅の木』だった。私はコーヒーを飲む秀美さんの手元に視線を奪われていた。秀美さんの手がシュガーポットを開ける。スプーンにそっと伸ばした手。砂糖をコーヒーに入れる時の手首。コーヒーカップを持つ指先。そしてカップをソーサーに置く時のクッションとなる小指。それはしなやかで、上品で、美しいと思った。太田さんが、車に何かを取りに行った時、秀美さんとふたりきりになった。秀美さんは、「女の人はね、姿勢もしぐさも、ちょっとしたことだけどね、とても大事」と何気なく言った。それまで、秀美さんのしぐさに完全に魅了されていたのに、その言葉を聞いた瞬間、アレルギーが出たかのように、全身がかゆくなったことをよく覚えている。

私はフェミニズム的思考が強い家庭で育ったので、女性は男性と対等にあるものだと、幼少期から強く意識させられて育ってきた。自分で自身に課してしまった「女性性を出すこと=男性に媚びること」という過剰なジェンダーフリー思想に、女性として息苦しさを感じていた部分も正直あったと思う。だから、芸者文化を題材に作品をつくるということに関しても、最初はいまいちのれなかった。それでも、「1を100にする」ことはできると関わり始めた。

まず、秀美さんのもとで日舞のお稽古が始まった。最初の演目は『潮来出島』。ゆっくりでカウントの取りにくいリズムに、私は辟易としていた。私がフランスに10年以上住んでいるからという理由でなく、すでに私たち世代の身体には、西洋のリズムが刻まれており、西洋のリズムの取り方の方が気持ちいいのである。母国に伝わるリズムを聞いても、身体が全く反応しない。伝統文化とその国に育ったはずの身体の乖離を感じた。それでも、「1を100にする」ことはできると練習を続けた。

同時に、太田さんとKIACでの滞在制作に向けて、全国の芸者さんをリサーチする旅に出た。会津若松で労働環境を積極的に改善するため活動している若い芸者さん。大井海岸を拠点に日本でただ一人の男性として芸者を生業にしている方。お客さんとして体験した京都のお座敷。実際に新米芸者としてお座敷を体験させてくれた、長野県上山田温泉の芸者さん。スナックを経営しながら、若手の舞妓さんの面倒を見る金沢の芸者さん。私は、いつの間にか「0から1」を産み出すプロセスにも参加していた。俳優である私とプロセスを共有する理由として、太田さんは以下のコンセプトをあげた。

「身体を〈記録メディア〉として活用する」

今までカメラを用いて記録してきた映像を、身体をカメラとして扱い記録することはできないか。実際、お座敷は個人のお客様がクライアントとなって、芸者さんを呼んで時間を過ごす場所なので、カメラで撮影することは非常に難しい。ならば、私たち自身がカメラとなり、記憶と時代と想像の「記録媒体」となった私たちの身体を通して、作品を観客の前に現出させるのだ、と。

このコンセプトを聞いた時に、「0から1」を作り上げる人と、「1から100」を作り上げる人を役割分担するなんて、なんて稚拙だったのか、と目が覚めた。演出家には演出家の、「0から1」にする瞬間と、「1から100」にする瞬間があり、俳優には俳優の「0から1」にする瞬間と、「1から100」にする瞬間があるのだ。

カメラになった私の身体は、ものすごい勢いでいろんなものを「撮り」始めた。それは、どこか自分の「意志」を手放す作業であったとも言える。通常、演技というものを構築するにあたり、戯曲をもとに能動的に自分の解釈から、その空間における自身の身体のあり方を編み出すというプロセスがあると考えられる。以前、國分功一郎氏の『中動態の世界』(*1)を読みながら、演技と中動態について、さまざまな考えをめぐらしていた時から、私の演技は「能動的」であると感じていて、それに付随する「意志」や「責任」のため生じる常軌を逸した本番前の「緊張」状態とどう対峙しようかと悩んでいたのである。『中動態の世界』によると、能動態は「主体から発して主体の外で完遂する過程」を表現し、中動態は「主語がその座となるような過程を表しているのであって、主語はその過程の内部にある」と説明されている。つまり、能動態では〈活動を一方的に発出する起点〉になっているのに対し、中動態は、〈主語が活動の過程の内にある〉という事態が示されているのである。この時、主語は、なんらかの状況に常に巻き込まれているので、「意志」や「責任」の所在をはっきりさせるのが難しい。上演芸術において、稽古中に何人もの人間が関わっていても、最終的に観客の前に姿を現す俳優は、その「意志」や「責任」を必要に以上に背負ってしまい、なんらかが「完遂する行為」を求めがちであるが、上演芸術の「ライブ」という特徴を考えると、稽古場とは異なり、外部からの「ノイズ」がたくさん存在する空間を歓待するという意味では、ある状況に巻き込まれている「中動態」的状態の方が適切なのではないか。たとえ、中動態という状態が運んでくるであろう「脆弱さ」と隣り合わせになっても。

「好き」や「嫌い」、「得意」や「苦手」のフィルターをはずした状態で、私の身体は撮影を続けた。そんな中で、なかなか愛着を持てなかった日舞のお稽古が、確実に進化を遂げた4日間があった。『最後の芸者たち』のKIAC滞在期間は終わっていたが、すぐ翌月また別のプロジェクトでKIACに滞在していた私に、秀美さんの方から、「いつでもお稽古にきなさい」と連絡があった。太田さんも他のメンバーも不在の状況で、私だけが、秀美さんのご自宅にお稽古に通った。8畳のお部屋で、私は秀美さんの前で何回も踊り、その度に秀美さんは、細かくアドバイスをくれた。それ以前のお稽古では、秀美さんが細かいことを言うことはなかったのだが、ある一定のレベルに差しかかったことで、次の技を伝達する言葉を受け渡してくれたのだろうと思う。私は、その時、ジェンダーを超えたところで、日舞の動きひとつひとつが美しいと自然に感じ、ただただそこに1ミリでも近づきたいと熱願した。

そして、迎えた『最後の芸者たち』の公演。能動的に、他者の状況を解釈し、自身の身体で表現していくことを「演技」、演じる技と呼ぶなら、今回、身体をカメラとして常に物事に巻き込まれながら、そして、本番もまだ巻き込まれ続けている私の身体は、「現技=そこに現出させる技」とも言えるような中動態的状態であった。それは、フィルムとなった自身の身体を公演ごとに観客の前で「現像」していくような不思議な感覚であった。

つながりがつながりを呼び、創作の外にまで関係性が広がっていったのは、まさに、KIACという場所の特性であると思う。KIACレジデンスアーティストであることは、1年のうちのほんの数ヶ月なのだが、いつ城崎にもどってきても、喫茶店や温泉、道端で、地元のような居心地の良さを感じた。KIACから始まった私たちの「大冒険」に感謝を込めて。

©️ igaki photo studio

創作における「謝罪」の効用

最近、「謝罪」についてよく考える。

「謝罪」には、ふたつの大きな役目がある。

ひとつ目に、自らの非を認めること。

ふたつ目に、相手に許しを請うこと。

年とともに、圧倒的に自分の意見を創作現場で発言しやすくなっている現実がある。

これは、経験値とともに、作品創作に関しての「提案」が持ちやすくなっているといういい面もあるのだが、

単純に、自分の立場を確立しやすくなって、発言のハードルが下がっているということに関しても認めなければならない。

今年は、城崎国際アートセンター、レジデンスアーティストとしてふたつの作品に関わっているが、

そのひとつに、フランス人との演出家フランソワ・グザビエ=ルイエとの共同制作がある。

http://kiac.jp/artist/604/

最終的には、私のソロパフォーマンスになる予定だが、今回の滞在では、リサーチと劇作を中心に行なった。

私が日本語で書いたテキストをフランス語に翻訳し、彼がフランス語で書いたテキストを日本語に翻訳しながら劇作を進めていったのだが、

フランス語と日本語、それぞれの言語が持つ文化的性格に翻弄され、「分かり合えない」状況が続くと、相手に対して言葉を紡ぐという行為よりも先に、感情の波に押し流されてしまい、ヒステリックな反応をしてしまったことは認めざるを得ない。

よくフランス語の師匠に、「リアクション(反射的反応)」から言葉を吐くのではなく、言葉というものは本来「リフレクション(内省)」と常にセットで使うものだ、と言われていた。

第二言語で会話をしている場合、どうしても母国語よりは、自分の感情を表現するための言語のパレットの色彩が乏しいので、感情が先立ってしまい、「リアクション」になりがちなのだとか。

この「リアクション」の中には、もちろん言葉が出なくなってしまい、沈黙してしまう反応も含まれる。

レジデンスの3日間はリサーチに集中していたので、フランス語で通訳をするというタスクも非常に多く、自分の能力の足りなさからくるもどかしさと疲れで、その頃から自分の中の雲行きが怪しくなり始めた。

そして、リハーサル中心の生活が始まると、ここ数年、演劇創作に関わる上で一番大切に考えてきた「稽古場におけるコミュニケーション」が崩壊していることにきづいた。

意を決して、「謝罪」を決行。

子どもの頃、「謝罪」という行為は、とてつもなく勇気のいる行為だったと思う。

いったんある関係性に「一石を投じる」というか、その「一石」を効果的なものにするために、言葉の「石」を選ぶというか、準備する長い時間が必要だった気がする。

でも、結局最後は「ごめんなさい」という一言を紡ぎ出す勇気が一番必要で、特に近しい関係の人に対して発射する「ごめんなさい」は、酩酊状態で針に糸を通すくらい難しいことである。

だから、大人になってからは、「ごめんなさい」という一言は封印したままに、翌日の態度でなんとなく場を収拾する技術を持った。

笑顔を浮かべて円滑さを取り戻し、何事もなかったことにしてしまう術をいつのまに覚えてしまったのだろう。

しかし、今回、あえて「謝罪」を決行したのは、以下の理由がある。

それは、創作現場で「間違えを認める」つまり、「意見を変える」、もっとわかりやすく言ってしまえば、

「一貫性をなくす」ということが非常に重要なこととだと考えるからだ。

創作の現場は決してひとりではないので、他者に影響され、自分の意見が変わってしまうということが、恥ずかしいことではなく、非常に「面白い」という感覚が掴めないとなかなか辛いものである。

「謝罪」という行為には、「一貫性をなくす」ことを面白がることができるという効用がある。

その一歩である、とも言える。

自らの非を認め、相手に許しを乞う、という行為のその先に希望がある。

他者の存在によって、その存在に影響され、昨日は絶対にそうだと思っていたことが、やっぱり違うかも、と思えること。

「一貫性をなくす」という姿勢を、自ら「素晴らしい」「面白い」と思えることってなかなか難しい。

「謝罪」によって、こんがらがっていると思い込んでいた糸が、すでにほどけていたと知ったり。

空気は読ませるものではなく、いちいち説明するものだ。

笑ったり、泣いたり、叫んだり、怒ったり、お昼はそうめんばっかりだったり、稽古終わりにアートセンターの前で何時間もビールを飲みながら語り合ったり、極々たまに奇跡的に意気が投合したり、そんなこんなで無事2週間のレジデンスが終了。

それにしても、フランソワ・グザビエの寛容さと忍耐力には、頭が下がる。

来年3月に2回目の滞在をし、作品を発表します。

お楽しみに!