創作現場で俳優にこれだけは担保してあげたいふたつのこと。

7月にプレ・勉強会という形で生まれた、演技とハラスメントの関係を探るプロジェクト『他者の言葉を語る身体のスキャンダル』、「4都市ツアー」無事終了しました。

数年前から、大学の特別講義や、ワークショップをやらせていただくことが増えてきましたが、毎回、お話させていただくたびに、教育の現場こそ、「上演」の最前線なのではないかと感じていた。

始まる前の準備やリハーサル、そして、変わらぬ緊張感。

同じ内容をやっても毎回違う参加者の反応に、時には、即興で内容を変更させてもらったり。

終わりの時間を気にしたり、終わった後に感想をいただいたり。

まさに、「一人芝居」そのもの!

8月末から、京都、東京、長野、大阪と、4都市で開催したワークショップ『他者の言葉を語る身体のスキャンダル』では、渡辺健一郎さんの『自由が上演される。』を参考に、「教育は上演によってのみ可能である」という裏テーマを設定。

講演会やワークショップ、大学での講義などなど、人前に立つ状況において、常にパフォーマーとして「上演」を意識することで、本来受動的な立場に置かれがちな参加者の意識を、「観客」という存在にまで引き上げ、その「上演」に対してより能動的、および「批評的な」姿勢で関わってもらう試みを実施した。

そんなわけで、わたしは、勝手に「4都市ツアー」終えた気になっているのである。

ワークショップを数年続けてみて、これだけは確信を持って言えることがひとつだけある。

それは、ファシリテーター側に発見があることは、参加者側に発見があるということと同じくらい大切なことであるということ。

フランスで演劇教育者国家資格取得のための研修でのオリエンテーションで一番しつこく言われたことは、演劇の教育者が「アーティスト」であり続けることの意義である。

アーティストとして、ワークショップを続けるためには、提供者としてではなく、自分自身が発見と追求の中に身をおく必要がある。

今回、わたしのワークショップ活動を手助けしてくれた『早稲田小劇場どらま館』宮崎晋太郎さんと『うえだ子どもシネマクラブ』直井恵さんには、参加者の存在と同じくらいわたしの活動を大切にしてくださり、わたしにもたくさんの発見があるよう最後まで工夫を凝らしてくれたことに、改めてここで感謝したい。



参加者の皆さんのさまざまな「発言」を栄養に、すくすく成長した今回の企画。

大阪で、最後の「上演」を終えビールを飲んでいると、15歳も年の離れた俳優からSOS。

現場で、主宰の方に伝えたいことが言えず、落ち込んでいる、とのこと。

創作現場に関するワークショップであれこれ持論を並べても、ここでなんのお手伝いができなかったら説得力ないな、と思いながら、彼女が主宰の方にお話をするということで、同席することに。

大概、創作現場で起こる諸々は双方の「気の遣い合い」から、生じていることも多いが、

一番の要因は、本番が迫ってくると、創作現場や稽古後の時間も、演出家はやることがたくさんあって、話し合いなんて無駄な時間はとれないだろうという俳優側の誤解。

いや、実際に、「話し合い」なんてしてる暇があったら、台詞のひとつでも稽古しろやい、という時代遅れの現場もあるのかもしれないが、創作現場において「話し合い」ほどクリエイティブな時間の使い方はない、と声を大にして言いたい。

俳優は、自分の身体という、これほどまでに信用できない道具を使って商売しているのだから、その商売道具が、「迷い」や「不安」で故障してたら、いいパフォーマンスなんてできるわけない。

それは、演出家が一番わかっているから、その「不安」を伝えてもらって、めんどくさがる演出家なんているだろうか。

この夜も、若い俳優の「不安」に、年も倍以上離れた先輩俳優や演出家が真摯に向き合い、とことん時間をとって「話し合い」が行われていた。

わたしは、心底、「クリエイティブ」な時間に立ち会わせていただいているなと感謝した。この時間に立ち会えることこそが、「演劇教育者よ、アーティストであり続けろ!」の言葉が示す真意だな、と。

創作現場で、特に若い俳優たちにこれだけは担保してあげたいことがふたつある。

「交換不可能性」と「尊厳」だ。

「演じる」という行為において、ある意味、誰しもが役を演じる上では「代替可能」である。

キャスティングされた時点では、「代替可能」である「演じる」という行為を、自分以外に「代替不可能」であると体感していくプロセスが稽古とも言えるのかもしれない。

しかし、そもそも、「演じる」という行為が、自身の存在意義や自己肯定感と切り離せていない場合(わたしも含め、こちらのケースがほとんど)、どんなに稽古でうまくいっていても、俳優という仕事から、自身の「交換不可能性」を感じることは非常に難しい。

だからこそ、創作プロセスにおける自身の態度に、俳優としてのプロフェッショナリズムの焦点を合わせ、創作メンバーとの関係性の中に、自身の「交換不可能性」を発見してほしい。

「話し合い」ができればできるほど、あなたの「交換不可能レベル」は上昇していくに違いない。

もうひとつは「尊厳」である。

これは、さまざまな方法で担保できる。

出演に対する対価として、単純に納得できる金額が支払われることなのかもしれないし、

創作チームと長い時間をかけて積み上げてきた信頼関係なのかもしれない。

もしくは、自分の発言にしっかりと耳を傾けてもらえることなのかもしれない。

自分の「尊厳」が何によって担保され、何によって損なわれてしまうのか。

創作現場で、ただただ「不安」に苛まれている時、自身の「交換不可能性」を見出せない時、「尊厳」というキーワードに立ち返ることで見えてくるものは多い。

案外、小さなことだったりするものだ。

La dignité「尊厳」または「品格」という意味のフランス語の名詞である。

これは、私が、母国語ではないフランス語という外国語を使って、演技をする上で、ずっと向き合ってきた言葉である。

どんなに専門的に発音を訓練しても、自分の発している言葉にアクセントは残る。

自分の言語レベルに演技が引っ張られて、どうしても、幼くなってしまう傾向が強かった。

声の響きや、身体のあり方。

自分の完璧ではない言語能力を誤魔化すかのように、無意識のうちに、無駄な「笑顔」をつくっていることもあった。

そんな時、憧れの先輩女優から言われたのが、この言葉、「La dignité」。

「媚びるな、La dignitéを持て!」



子供の頃から、言葉がわからない環境で生活していたことが多く、言語習得時における「プライド崩壊」慣れをしている私でも、あの「子どもにかえったような感覚」は、やはり辛い。

それでも、どんな状況でも、私たちが人間である限り、「尊厳」は絶対に決してなくしてはならない。

周りから笑われようと、そんな小さなことで大袈裟と思われても、「尊厳」は持ち続けなければいけない。



来年も、「上演」としてのワークショップは続いていきます。

演技とハラスメントの関係を探るプロジェクト『他者の言葉を語る身体のスキャンダル』は、創作現場の向上のために、全国どこへでも向かいますので、これからよろしくお願いします。

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豊岡演劇祭2021フリンジ:『しおりの部屋』 (第一弾:ドイツ・フランス編)

豊岡演劇祭中止に伴い、以下のイベントは中止となりました。すでに予約をしてくださった皆さま、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。(2021,08,20)

————–

みなさん、こんにちは。竹中香子です。
普段は、フランスで演劇をやっています。

78歳のイタリアの哲学者ジョルジオ・アガンベンは、
コロナ禍での発言により、大炎上を起こしたひとりです。
アガンベンが言及した二つの懸念は、「死者の権利」と「移動の権利」を剥奪されること。
まず、死者が葬儀の権利を持たないことに対して苦言を呈しました。
そして、「移動の権利」の制限に関して。
アガンベン曰く、「移動の自由」は単に数ある自由のうちのひとつではなく、
苦難の末に勝ち得られた権利であり、
近代が権利として確立してきたさまざまな「自由の根源」にあるそうです。
つまり、「移動の自由」を制限されることをみとめてしまうということは、
大袈裟ではなく他の自由も失う可能性がすくそばに孕んでいるということ。

舞台芸術には、人を「移動させる力」があると私は信じていて、どんな形であれ、「移動の自由」を守るアクションをしていきたいと思っています。

国境をまたぐ移動はまだまだ制限されていて、海外の舞台作品を観る機会は激減しましたが、「劇場に行く」という自由を守るために、日本同様、海外でもさまざまな取り組みが行われています。

今回は、「MCしおり」として、豊岡高校放送部の木下栞さんにホスト役を引き受けていただき、海外を拠点に舞台芸術の分野で活躍するアーティストをゲストに迎え、オンラインミーティング『しおりの部屋』を開催します。 

竹中香子 

        

【MCしおりからのメッセージ】

豊岡高校3年、放送部所属の木下栞です。 生まれも育ちも豊岡市日高町です。 中3で演劇に興味を持ち、今年3月に平田オリザさんが運営されている演劇私塾『無隣館』を卒業しました。舞台の裏方の仕事に興味があります。演劇や映画を観ることが好きです。どうぞよろしくお願いします。    

木下栞

【日時】

2021年9月12日(日)15時〜17時 ウィズコロナ時代の舞台芸術ぶっちゃけどうなの編

2021年9月19日(日)19時〜21時 パフォーマーが選ぶ各国の今一番熱い舞台芸術人紹介編

*各回とも、15分前よりZOOM設定の案内開始。不安な方はお早めにお入りください。

【料金】

無料

*googleフォームよりご予約ください。 https://forms.gle/kQE5cA24ff2NvUJK7
*チケットの予約は各日とも開演1時間前までとなっております。
*定員となり次第予約終了いたします。

【対象】

– 海外での舞台芸術に興味がある。
– 実際に海外で舞台芸術に関わってみたい。
– コロナ禍における各国の舞台芸術界での対応が知りたい。
– 演劇やダンスが好き!
– 旅が好きなのに、なかなかできない!

【参加方法】

オンラインミーティングツール(ZOOM)を利用したワークショップミーティングです。チケット購入者には、ご登録のメールアドレスに参加リンクをお送りします。

*事前にZOOMアプリのインストールをお願いいたします。
https://zoom.us/download

*開始時間15分を過ぎてのご参加はできません。あらかじめご了承の上ご予約ください。開始時間5分前までのご集合(ZOOMミーティングへの参加)へご協力をお願いいたします。

【ゲスト予定者】

原サチコ(ドイツ、スイス在住・女優)
菅江一路(ドイツ在住・ダンサー)
加藤野乃花(フランス在住・ダンサー)

木下栞(MC)from 豊岡高校
竹中香子(アシスタント)

【参加者プロフィール】

原サチコ Hara Sachiko

 1964年神奈川県生まれ。上智大学外国語学部ドイツ語学科卒。1984 年演劇舎蟷螂似て初舞台、後に「ロマンチカ」に所属。1999 年ドイツの鬼才演出家クリストフ・シュリンゲンジーフとの仕事をきっかけにベルリンへ移住。2004年東洋人として初めてオーストリア国立ブルク劇場の専属俳優となる。以降ハノーファー州立劇場、ケルン市立劇場、ハンブルク・ドイツ劇場に専属俳優として所属。16年間に渡り、ドイツ語圏演劇界において日本人として唯一の劇場専属俳優として活躍中。ドイツ演劇界トップの演出家達(ニコラス・シュテーマン、ルネ・ポレシュ、クリストフ・マルターラー等)に愛され、ドイツでの出演作は60本を超える。井上ひさし作「少年口伝隊一九四五」のドイツ語訳、ヨーロッパ初演、演出も手がける。2011年より広島原爆の記憶を現在と結ぶプログラム「ヒロシマ・サロン」を主催。ハンブルクでは姉妹都市大阪をアピールする「オオサカ・サロン」を主催。現在ハンブルク・ドイツ劇場(Deutsches Schauspielhaus Hamburg)所属。日本帰国の際は、ドイツ演劇作品の日本語リーディング、講演、ワークショップ等も積極的に行っている。

菅江一路 Sugae Ichiro

 1990年生まれ。兵庫県西宮市出身。 大学在学中にダンスを始める。青木尚哉、平原慎太郎らに師事。2011年から3年間Noism2に在籍。金森穣作品を始め、山田勇気、稲尾芳文らの作品に参加する。2014年Noism2の退団を機に東京を拠点に移す。平原慎太郎率いるOrganWorksを中心に、岡登志子など様々な振付家と仕事をする。2016年スペインの演出家アンジェリカリデルの「Que hare yo con esta espada?」に参加。アヴィニョンフェスティバルを始め、イスラエルフェスティバル、ベルリンシャウビューネ劇場などで上演する。この仕事を機に2016年から拠点をベルリンに移し、ヨーロッパでのフリーランス活動を開始する。 これまでにルイホルタ、ヘレナヴァルドマン、サーマガール、サジュハリなど様々な振付家・演出家と仕事をする。 現在はアンジェリカリデルの「Una costilla sobre la mesa: Madre」のツアー中である。 エマニュエルガットの新作「LoveTrain2020」を10月にモンペリエにて初演予定。

加藤野乃花 Kato Nonoka

1986年生まれ。福岡県出身。6歳より神崎バレエスタジオでクラシックバレエを始める。1996年、田中千賀子ジュニアバレエ団に入団。2001年、全国バレエコンクール in Nagoya第1位。 2003年、フランス国立マルセイユバレエ学校に留学。2006年から現在までフランス国立マルセイユバレエ団に所属し、Fréderic Flamand、Emio Greco & Piter C.Sholten、コレクティブ(la)Hordeの三代のディレクターのもと多様なスタイルの作品を踊る。フランス政府認定バレエ教師国家資格取得。クラシックバレエがベースのコンテンポラリーダンサー。

竹中香子 Takenaka Kyoko

1987年生まれ、埼玉県出身。2011年、桜美林大学総合文化学群演劇専修卒業。2013年、日本人としてはじめてフランスの国立高等演劇学校の俳優セクションに合格し、2016年、フランス俳優国家資格取得。パリを拠点に、フランス国公立劇場の作品を中心に多数の舞台に出演。Guillaume Vincent演出作品に多く出演する。第72回アヴィニョン演劇祭、公式プログラム(IN)作品出演。2017年より、日本での活動も再開。一人芝居『妖精の問題』(市原佐都子 作・演出)では、ニューヨーク公演を果たす。日本では、さまざまな大学で、自身の活動に関する特別講義を行う。2020年より、カナダの演出家Marie Brassardとのクリエーションをスタート。2021年、フランス演劇教育者国家資格取得。現在はスイスのTheater Neumarkt主催作品に参加。

主催:竹中香子
提携:豊岡演劇祭実行委員会

豊岡演劇祭2021 / Toyooka Theater Festival 2021

『ほったらかしの領域』中間報告

EUはEU圏外から渡航禁止を発表したが、

フランスはコロナ禍でも「教育は止めない!」という決断をしてくれたので、

コンセルバトワールでの教育実習のためパリに戻る。

帰りの飛行機の乗客は私含め6名で、キャビンアテンダントより少ない。

フランスの入国審査時に、さまざまな書類を求められていたので、税関でのやりとりを危惧していたが、

「ワタシ、吉野家ダイスキダヨ!スゴイヨ!」といいはら、謎のフランス人にあたり、なんなくクリア。

コロナ禍でも、ラテンの精神、恐るべし。

最後の荷物検査担当のフランス人には、なんの仕事をしているのかと聞かれ、

演劇と答えると、「劇場をあけるために、文化庁はもっと頑張らなきゃいけないんだ!」と本気で怒ってくれる。

演劇教育の実習があって戻ってきたことを告げると、「素晴らしい!頑張って!」と鼓舞される。

PCR検査陰性証明は求められたものの、シャルルドゴール空港についてからの検温もアルコール消毒もPCR検査も一切なし。7日間は自宅待機をして、7日目にPCR検査を受けて、陰性だったら晴れて普通の生活へ、というシステム。

さてさて、『ほったらかしの領域』合宿に関して。

https://mill-co-run.com/2020/12/14/%e3%80%8e%e3%81%bb%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%82%89%e3%81%8b%e3%81%97%e3%81%ae%e9%a0%98%e5%9f%9f%e3%80%8f%e5%90%88%e5%ae%bf%e5%8f%82%e5%8a%a0%e3%83%a1%e3%83%b3%e3%83%90%e3%83%bc%e5%8b%9f%e9%9b%86%e4%b8%ad/

12月中旬にメンバーを募らせていただいた『ほったらかしの領域』合宿ですが、緊急事態宣言にもかかわらず1月23日24日に、無事決行することができました。

緊急事態宣言下において、この合宿を実施するか否かということが、

今振り返ると、まさに、今回の合宿の一番の問いである「意志」を考える第一歩となった。

そもそも、この合宿は、「あなたは『la volonté(意志・意欲)』が強すぎて、身体の声を聞けていない」と歌の先生に痛い指摘をされたことがきっかけとなっている。

そこから、この先生からの指摘と、「中動態」を介して向き合えないか、というところから出発した。

國分功一郎先生の中動態に関する言及によると、

中動態が残っていた古代ギリシャの世界では、「意志」という概念が存在していなかった。

意志とは、西洋文化において、責任のありかをはっきりさせるための装置であった。

つまり、実際には、さまざまな要素が積み重なり、ある行為が行われたとしても、その責任の主体を明確にするために、「意志」を持った人が社会では必要なのである。

今回の合宿を「意志」を持ってやろうとした人物は、発起人である「私」である。

そこに、企画段階から関わってくれた主要メンバー3人。

さらに、私たちの問いに賛同し、合宿に参加してくれることになった7名の合計11名で、企画は進行していた。

1月7日、新型コロナウイルスの感染拡大に伴って政府の「緊急事態宣言」が再発令された。

その前日、合宿の開催場所である藤野倶楽部・柚子の家のため、神奈川県相模原市を訪れていた。

すでに、緊急事態宣言が発令される噂が飛び交っていたので、どうせ合宿中止するのに、下見だけ行くのも辛いなと思いながら足を運んだ。

私の諸々の予想に反して、藤野倶楽部を経営されている方から、非常に暖かい待遇を受ける。

感染対策を万全にして、東京から皆さんがくるのを心待ちにしています、とのこと。

自分の「意志」とそれに付随する「責任」の所在が、少しづつ自分以外の場所へと広がっていくのを感じた。

この企画は、完全に個人的な試みだったので、なにかあった時に、責任の所在が「私」ひとりになってしまうことを恐れ、ごく自然に合宿の中止もしくは延期を考えていたが、企画メンバーは「やりましょう!」と彼らの「意志」を表明してきた。

これが大きな後押しとなり、企画メンバー全員の「意志」として、合宿は実施される方向となった。他の参加メンバーも、彼らの「意志」と「責任」のもと、全員がPCR検査を受け陰性を証明したうえでの決行となった。

そして、藤野倶楽部の方のすばらしいおもてなしのもと、誰もが時間がたりないと感じる一泊二日を過ごした。

しかも、当日は雪。

合宿を通して、「あなたは『la volonté(意志・意欲)』が強すぎて、身体の声を聞けていない」という先生の言葉は、「意志が強すぎて、自分の『欲望』を聞けていない」とも言い換えられるのではないかということに気づいた。

「意志」というと、「責任の所在」を求められるが、

「欲望」に基づいた行為には、「責任」は伴わないのではないか。

昨年11月から準備してきた「ほったらかしの領域」、プレイベントや勉強会を重ね、私は本当に「やりたかった!」のだと思う。

それは、やりたいという「欲望」を、「意志」と取り違えて、「責任」の付随を恐れ、一時はあきらめそうになったけど、周りの人の「欲望」に支えられて、実現にたどり着いた。

コロナ禍において、なにかを自分の「意志」で実施する時、「責任」のありかを無視することはできないけれど、

こんな時代だからこそ、「欲望」でつながれる人間関係を築けたことに心から感謝します。

「ほったらかしの領域」合宿の内容に関しては、今後アーカイブとして、一般に公開することを予定しています。

『ほったらかしの領域』:教師は「教えるべきこと」について、「すでに知っているはず」の存在か。

先週日曜日2020年M1が終わった。

M-1グランプリ』は吉本興業が主宰する漫才の日本一を決める大会である。

私はすべての大会を見届けてきているが、

今年は、教職研修の真っ只中ということもあり、

漫才よりも審査員の方により目がいってしまった。

まず、審査員が現役の「芸人」であるかということが重要なポイントになってくる。

若手芸人は漫才にしてもコントにしても、みんな「ネタ」をつくり、舞台に立ちながら芸を磨き、M1やキングオブコントのような、いわゆる「賞レース」に参加する。

「賞レース」はテレビで放映されるため、ここで結果が残せれば「芸人の人生が変わる」と言われている。

テレビに出演する仕事が増えるからである。

テレビ番組で面白いことをいうことと、劇場で観客の前で「芸」をすること。

このふたつは、違う種類の専門性を伴う仕事であるように感じる。

このメカニズムを演劇に置き換えれば、劇場で舞台俳優として「芸」を磨き、テレビドラマに出演が決まる、

という、「今までやってきたこととは別のアウトプット方法を求められる」キャリアアップなのかもしれない。

今回のM1審査員のなかで、漫才の舞台に立ち続けることに関して「現役」であったのは、「オール阪神・巨人」のオール巨人師匠である。

この人の立ち振る舞いから学ぶことが非常に多かった。

まず、若手の漫才をとにかく観ているということ。

ほぼ無名に近い若手芸人の過去の芸風や、作品まで、非常に詳しい。

また、他の審査員が無名の若手を「ツッコミの方」「ボケの方」と呼ぶときも、オール巨人師匠は、絶対に名前で呼ぶ。

「お笑い賞レース」という、審査員と参加者の間に、すでにヒエラルキーが存在する場所で、「人を名前で呼ぶ」という当たり前のことから感じられる敬意は計り知れない。

また点数の付け方も的確で、全く「テレビ用」ではなかった。オール巨人師匠が「学びのプロセス」の中に身をおいているということが、発言の端々から感じ取れた。

作品を観る、名前と顔を覚える。

このふたつは、自分が「現役」であり続けるためにもお手本にしたい。

フランスの演劇教育者国家資格取得のための研修では、

とにかく、教育者でありながら、演劇に関わるアーティストとして「現役」であることの重要性を強調される。

演劇教育に関する考察という論文の課題でも、自身の「現役」としての活動と結びつけた、演劇教育を考案することを求められる。

私が生徒さんたちと過ごした日々を振り返ると、教育者が「現役」でいることの意味とは、

「教師は教えるべきことについて、すでに知っているはずの存在である」という当たり前を疑うという点にあると思う。

「現役」である限り、どんなに生徒たちより経験と知識があっても、芸に対して、すでにすべて知っているということは、ありえない。

「現役」とは、日々、悩んだり模索したり、恐怖を感じたり、失敗したりしながら、芸を磨いている「過程」にいる人のことである。

その「現役」の言語感でもって、確信ではなく、疑いを持ちながら、生徒に言葉を伝えていく。それは、正解ではなく「過程」を教えているとも言える。

こんなお笑い大好きな私が、木村覚さんの『笑いの哲学』(講談社選書メチエ,2020) を読みながら、再度「笑い」について勉強していたとき、

まさに生徒さんたちに伝えたい、うつ治療で有名なデビッド・D・バーンズ氏の「レッテル貼り」の危険性に関する文章が引用されていた。

レッテル貼りは自己破壊的であるばかりでなく、不合理な考え方です。あなたの自己はあなたの行為と決して同一ではありません。人間の考え、感情、行動は常に変わっていきます。言い換えれば、あなたは銅像ではなく、川の流れなのです。

私たちは、「銅像ではなく、川の流れ」。

今日確信していた考えや体感が、明日になったら、180度かわっているかもしれない。

教師という「権威」をもつ立場になっても、この「非確実性」しっかりと認められることが重要。

私たちは、「川の流れ」の中にいるのだから、変化して当たり前。

このように考えていくと、教師は教えるべきことについて、すでに知っているはずの存在でなくてもいいんじゃん?と私は考える。

教師が、自分の「現役」として日々感じる「困難」を自覚することこそが、流動的でクリエイティブな場をつくってくれるのかも。

私も外国人として非常に悩まされた「教師は生徒の前でどう振る舞うべきか」という問いに、「現役」として答えたい。

『ほったらかしの領域』合宿メンバー募集は、本日23時59分にて締め切らせていただきます。

たくさんに方に興味を持っていただき、とても嬉しく思っています。以下詳細 ↓

https://mill-co-run.com/2020/12/14/%e3%80%8e%e3%81%bb%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%82%89%e3%81%8b%e3%81%97%e3%81%ae%e9%a0%98%e5%9f%9f%e3%80%8f%e5%90%88%e5%ae%bf%e5%8f%82%e5%8a%a0%e3%83%a1%e3%83%b3%e3%83%90%e3%83%bc%e5%8b%9f%e9%9b%86%e4%b8%ad/?fbclid=IwAR3LapoySrG3eM4rsf_q3dMmVhaTRfL4WntBtaOvHulXIXo507kJjSYC89Y

『ほったらかしの領域』:言葉(聴覚)で導くか、身体(視覚)で導くか。

『ほったらかしの領域』合宿に向けて、演劇の教職研修で学んだことを回想している。

今回の合宿は、身体表現における意思ではない領域を、ワークショップと対話を通じて探索しようという企画なのだが、私が教職研修を通して、身体系の実習で常に考えていたことが以下である。

言葉で指示を出すか?/やってみせるか?

例えば、ヨガのクラスを思い浮かべて欲しい。

チャンネル登録数は58万人、動画再生回数は1億回を突破する日本一のヨガユーチューバ―と言われる

Mariko先生のyoutube動画は完全に「やってみせる」タイプである。

「やってみせる」ことに関しても、さまざまな工夫が施されており、

視聴者は、左右を気にせず、鏡のように、視覚的に捉えたポーズをストレスなくとることができる。

同時に口頭で行われる解説も、視聴者の左右に合わせて、Mariko先生が左右を逆にしてガイドしてくれるので、どんなにややこしいポーズでも迷うことはない。

さらに、ヨガマットを縦に使うか、横に使うかに合わせて、口頭のインストラクションでの左右は変化する。

太陽礼拝など、縦にヨガマットを使う場合は、視聴者と同じ左右を用い、

あぐらの姿勢で、ヨガマットを横に使い中央に座る場合などは、鏡になっているので、視聴者とは反対の左右を口頭で操る。

ここまで完璧なインストラクション動画だと、ほぼ頭で考えることはない。

Mariko先生のように完璧にポーズをとることはできなくても、とにかく「見様見真似」でやってみるのである。

毎日youtube動画をみて、繰り返しポーズをとっているうちに、だんだんとMariko先生のポーズに近づいてくる。

しかし、教職のヨガ教授法のクラスを担当した超イケメン元ダンサー、ブライアンはMariko先生とは対照的な方法で、私たちにヨガ教授法を伝授した。

初めての実習で、目を閉じることを促され、それぞれがヨガマットに横たわる。

間違ってもいいから、これから彼がいう言葉をきいて、体を動かしてみるようにといわれる。

ブライアンから紡ぎ出される言葉だけで、正解のわからないポーズを探索していくのは、

ヨガ経験のある私にとっては多大なストレス。

〇〇のポーズをやります、とか最初にいってくれれば、すぐに最終目的地(ポーズ)がわかって、身体を動かすことができるのに。

そっと目を開けて、声のする方を見ても、彼の端正なルックスがあるだけで、彼は一切ポーズをとっていない。

言葉によるインストラクションだけで、身体を動かすのは、非常に難しく、正解とか程遠くおもえるポーズをとる生徒たちが多発するなか、ブライアンは一貫して言葉のみによるインストラクションを少しづつ言葉に変化をつけながら続ける。

1時間のクラスが終わると参加者全員が輪になってフィードバック。

生徒たちは、自分の思うように動かせなかった自分の身体へのイライラを遠慮することなく吐露。

ブライアンは傷つく様子もなく極上の笑顔で肯いている。

このイケメン、メンタル強いな、と感心していると、ブライアンはただのヨガの先生ではなかったことが発覚。

彼は、コンテンポラリーダンサーなら誰でもご存知、イスラエルのバッドシェバ舞踊団率いるオハッド・ナハリンが開発した独自の身体開発メソッド「GAGA(ガガ)」インストラクターとしても活動するヨガ講師だったのである。

バッドシェバ舞踊団は、過去に何度も来日していて、2017年に公開されたドキュメンタリー『ミスター・ガガ 心と身体を解き放つダンス』で、「GAGA(ガガ)」の存在を知った人も少なくないだろう。

ちなみに、Netflixのダンスドキュメンタリーシリーズ『MOVE-そのステップを紐解く-』でも、バッドシェバ舞踊団と「GAGA(ガガ)」を視聴することができる。

まさに、この「GAGA(ガガ)」こそ、言葉で振り付けしていくダンスの時間なのである。

「GAGA(ガガ)」は、ダンサー向けと一般向けのクラスが考案されており、

演劇を志す俳優の身体訓練にも非常に効果が高いと言われている。

photo by GADI DAGON

「GAGA(ガガ)」の特徴は、自発的に己の身体の声に耳を傾けさせること。

振付家に与えられた身体の動きを自分の身体にコピーするのではなく、

振付家が言葉でなげかけるイメージによって、自分の身体と対話しながら、動きの可能性を探っていく。

「GAGA(ガガ)」にはいくつかのルールがある。

ー鏡は使わない。

ー講師はイメージと動きのタイミングを言葉によって受講者に投げかける。

ー60分ノンストップで動く。

ークラスが始まったら、私語、質問、見学はできない。

ダンス経験の全くない50代後半の教職研修生ふたりも、いつのまにか「GAGA(ガガ)」に首ったけ。

フィードバックの時間にブライアンに質問。

なんでヨガのポーズを、「やってみせる」のではなく、言葉で指示を出すの?

ブライアン曰く、言葉で出された指示を頭でイメージ身体に転化していくのには、長い時間がかかる。

1回目のレッスンではできないかもしれない。

それでも、そのプロセスを踏むことで、そのポーズがより長く身体に残るのだという。

見様見真似でやったポーズは、自分の身体感覚と必ずしも一致していなくてもとれてしまうから、

忘れるのも非常に早い。

まさに、「急がば回れ」。

私は、自分でもつくづく、この「急がば回れ」が苦手だと思う。

やってみせられると、他人の身体にお邪魔しやすい。

これは、本を読む時と一緒で、本に書かれている文章をそのまま引用すれば、

他人の感覚にお邪魔したまま感動したり、伝えたりできる。

そうではなく、自分の身体にいったん取り込んでから、自分の言葉に翻訳して、アウトプットするというプロセスがまさに重要なのだろう。

教えることと学ぶことは表裏一体。

自分が教育に携わるうえで、どのように教えるかという問いと、どのように学ぶかという問いの両方を同時に探索することを常に求められる。

自分のからだの声を傾聴し、その微妙な差異をことばで表現してみるというプロセスを伴う学びに挑戦してみる『ほったらかしの領域』合宿、参加メンバー募集中です。

詳細はこちら:https://mill-co-run.com/2020/12/14/%e3%80%8e%e3%81%bb%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%82%89%e3%81%8b%e3%81%97%e3%81%ae%e9%a0%98%e5%9f%9f%e3%80%8f%e5%90%88%e5%ae%bf%e5%8f%82%e5%8a%a0%e3%83%a1%e3%83%b3%e3%83%90%e3%83%bc%e5%8b%9f%e9%9b%86%e4%b8%ad/