『ほったらかしの領域』合宿に向けて、演劇の教職研修で学んだことを回想している。
今回の合宿は、身体表現における意思ではない領域を、ワークショップと対話を通じて探索しようという企画なのだが、私が教職研修を通して、身体系の実習で常に考えていたことが以下である。
言葉で指示を出すか?/やってみせるか?
例えば、ヨガのクラスを思い浮かべて欲しい。
チャンネル登録数は58万人、動画再生回数は1億回を突破する日本一のヨガユーチューバ―と言われる
Mariko先生のyoutube動画は完全に「やってみせる」タイプである。
「やってみせる」ことに関しても、さまざまな工夫が施されており、
視聴者は、左右を気にせず、鏡のように、視覚的に捉えたポーズをストレスなくとることができる。
同時に口頭で行われる解説も、視聴者の左右に合わせて、Mariko先生が左右を逆にしてガイドしてくれるので、どんなにややこしいポーズでも迷うことはない。
さらに、ヨガマットを縦に使うか、横に使うかに合わせて、口頭のインストラクションでの左右は変化する。
太陽礼拝など、縦にヨガマットを使う場合は、視聴者と同じ左右を用い、
あぐらの姿勢で、ヨガマットを横に使い中央に座る場合などは、鏡になっているので、視聴者とは反対の左右を口頭で操る。
ここまで完璧なインストラクション動画だと、ほぼ頭で考えることはない。
Mariko先生のように完璧にポーズをとることはできなくても、とにかく「見様見真似」でやってみるのである。
毎日youtube動画をみて、繰り返しポーズをとっているうちに、だんだんとMariko先生のポーズに近づいてくる。
しかし、教職のヨガ教授法のクラスを担当した超イケメン元ダンサー、ブライアンはMariko先生とは対照的な方法で、私たちにヨガ教授法を伝授した。
初めての実習で、目を閉じることを促され、それぞれがヨガマットに横たわる。
間違ってもいいから、これから彼がいう言葉をきいて、体を動かしてみるようにといわれる。
ブライアンから紡ぎ出される言葉だけで、正解のわからないポーズを探索していくのは、
ヨガ経験のある私にとっては多大なストレス。
〇〇のポーズをやります、とか最初にいってくれれば、すぐに最終目的地(ポーズ)がわかって、身体を動かすことができるのに。
そっと目を開けて、声のする方を見ても、彼の端正なルックスがあるだけで、彼は一切ポーズをとっていない。
言葉によるインストラクションだけで、身体を動かすのは、非常に難しく、正解とか程遠くおもえるポーズをとる生徒たちが多発するなか、ブライアンは一貫して言葉のみによるインストラクションを少しづつ言葉に変化をつけながら続ける。
1時間のクラスが終わると参加者全員が輪になってフィードバック。
生徒たちは、自分の思うように動かせなかった自分の身体へのイライラを遠慮することなく吐露。
ブライアンは傷つく様子もなく極上の笑顔で肯いている。
このイケメン、メンタル強いな、と感心していると、ブライアンはただのヨガの先生ではなかったことが発覚。
彼は、コンテンポラリーダンサーなら誰でもご存知、イスラエルのバッドシェバ舞踊団率いるオハッド・ナハリンが開発した独自の身体開発メソッド「GAGA(ガガ)」インストラクターとしても活動するヨガ講師だったのである。
バッドシェバ舞踊団は、過去に何度も来日していて、2017年に公開されたドキュメンタリー『ミスター・ガガ 心と身体を解き放つダンス』で、「GAGA(ガガ)」の存在を知った人も少なくないだろう。
ちなみに、Netflixのダンスドキュメンタリーシリーズ『MOVE-そのステップを紐解く-』でも、バッドシェバ舞踊団と「GAGA(ガガ)」を視聴することができる。
まさに、この「GAGA(ガガ)」こそ、言葉で振り付けしていくダンスの時間なのである。
「GAGA(ガガ)」は、ダンサー向けと一般向けのクラスが考案されており、
演劇を志す俳優の身体訓練にも非常に効果が高いと言われている。
「GAGA(ガガ)」の特徴は、自発的に己の身体の声に耳を傾けさせること。
振付家に与えられた身体の動きを自分の身体にコピーするのではなく、
振付家が言葉でなげかけるイメージによって、自分の身体と対話しながら、動きの可能性を探っていく。
「GAGA(ガガ)」にはいくつかのルールがある。
ー鏡は使わない。
ー講師はイメージと動きのタイミングを言葉によって受講者に投げかける。
ー60分ノンストップで動く。
ークラスが始まったら、私語、質問、見学はできない。
ダンス経験の全くない50代後半の教職研修生ふたりも、いつのまにか「GAGA(ガガ)」に首ったけ。
フィードバックの時間にブライアンに質問。
なんでヨガのポーズを、「やってみせる」のではなく、言葉で指示を出すの?
ブライアン曰く、言葉で出された指示を頭でイメージ身体に転化していくのには、長い時間がかかる。
1回目のレッスンではできないかもしれない。
それでも、そのプロセスを踏むことで、そのポーズがより長く身体に残るのだという。
見様見真似でやったポーズは、自分の身体感覚と必ずしも一致していなくてもとれてしまうから、
忘れるのも非常に早い。
まさに、「急がば回れ」。
私は、自分でもつくづく、この「急がば回れ」が苦手だと思う。
やってみせられると、他人の身体にお邪魔しやすい。
これは、本を読む時と一緒で、本に書かれている文章をそのまま引用すれば、
他人の感覚にお邪魔したまま感動したり、伝えたりできる。
そうではなく、自分の身体にいったん取り込んでから、自分の言葉に翻訳して、アウトプットするというプロセスがまさに重要なのだろう。
教えることと学ぶことは表裏一体。
自分が教育に携わるうえで、どのように教えるかという問いと、どのように学ぶかという問いの両方を同時に探索することを常に求められる。
自分のからだの声を傾聴し、その微妙な差異をことばで表現してみるというプロセスを伴う学びに挑戦してみる『ほったらかしの領域』合宿、参加メンバー募集中です。