Shizuoka春の芸術祭2010

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静岡来ましたー。
東京から無料バスがでてるのですが、すでにいっぱいで予約できなかったので、
鈍行で来てみました。真鶴あたりから、海とか見えて、予想以上に綺麗◎
東京から約3時間。
たまには、いいかも♪

『BOX 袴田事件 命とは』そして狭山事件

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『禅 ZEN』『光の雨』などで有名な高橋伴名監督の『BOX 袴田事件 命とは』を、銀座の高架下の映画館シネパトスで見ました。
1966年、実際に起きた袴田事件をもとに、作られた映画です。
ストーリー:昭和41年、放火された静岡県清水市の味噌工場から、刺殺された一家4人が焼死体で見つかるという事件が起きる。立松刑事(石橋凌)は元プロボクサーの従業員袴田(新井浩文)に目を付け、容疑者として逮捕するが物証はとぼしかった。裁判官として静岡地方裁判所に赴任した熊本(萩原聖人)は、主任判事としてこの事件を担当することになる。
http://www.box-hakamadacase.com/

いま、現在も袴田さんは再審請求をしていて出口の、フライヤーとかがたくさんおいてあるラックのところに、署名のための用紙とかも、おいてあってかなり考えさせられました。
映画としては、ちょっと、ん?って思うところもあったけど、
アートがこんなふうに社会と人をつなぐツールになってるっていう意味では、
すごく袴田事件について、わかったし、
あらためて正義とされる存在の暴力性を怖いと思いました。
見終わった後に、高校の時勉強した『狭山事件』を思い出しました。
出身校が、埼玉だったのと社会の先生が凄く熱心だったのとで、
実際に狭山市に行って、石川さん本人と奥様にお会いして、
お話を伺いました。
こういうことって、まず多くの人が事実を知る事からしか何も始まらないから、
この映画にも、狭山に連れてってくれた先生にも感謝したいと思いました。
部落差別が生んだえん罪 狭山事件
 いまから37年前の1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高校生が行方不明になり、脅迫状がとどけられるという事件がおきました。警察は身代金を取りにあらわれた犯人を40人もの警官が張り込みながら取り逃がしてしまいました。女子高校生は遺体となって発見され、警察の大失敗に世論の非難が集中しました。
 捜査にいきづまった警察は、付近の被差別部落に見込み捜査を集中し、なんら証拠もないまま石川一雄さん(当時24歳)を別件逮捕し、1カ月にわたり警察の留置場(代用監獄)で取り調べ、ウソの自白をさせて、犯人にでっちあげたのです。地域の住民の「あんなことをするのは部落民にちがいない」という差別意識やマスコミの差別報道のなかでエン罪が生み出されてしまったのです。
 一審は死刑判決、二審は無期懲役判決で1977年に無期懲役判決が確定し、石川さんはただちに再審請求を申し立てました。第一次再審請求はまったく事実調べもなく棄却。1986年8月に第二次再審請求を東京高裁に申し立てるとともに、すべての証拠の開示と事実調べをおこなうよう東京高裁、東京高検にたいして求めてきました。
 しかしながら、1999年7月9日、東京高裁・高木裁判長は事実調べも行なわないままに、抜き打ち的に再審請求を棄却しました。この不当な棄却決定に対し、7月12日、弁護団は直ちに東京高裁に異議申立をおこない、現在に至っています。
http://www.bll.gr.jp/sayama/

実際,冤罪とかにあったら、もう人間なんて全員信じられなくなるだろうと、思っていたのですが、
石川さんは凄く熱心にわたしたちに話をしてくれて、
人って結局どんなにひとに裏切られても、
人と生きてくしか無いんだって、おもって悲しくなりました。
裁判のあり方とか、警察のあり方とか、考えなきゃいけない問題は山済みだけど、
おなじ人間間でおこっているという事が、
一番ぞっとする。
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ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団『私と踊って』

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14列目で観ました!
なんて、贅沢な…!
となりの席に座ってた若い女の子達の会話。
「ね、この人って有名な人?」
「うん、マイケルジャクソンと同じくらい有名だよ~」
って、えー!
アバウトすぎでしょ!!
と、開演前にこんな会話をきいてから、
観劇。
んー、やっぱり到底ピナの領域には達せない、と思いました。
しかも、この作品70年代に初演って、
どんだけ、時代さきどてるのでしょう?
というか、未だに2000年代の私たちがついていけてないというか。
まあ、そもそもアバンギャルドとかモダニズムとかコンテンポラリーとかそういう言葉は、
ピナには似合わない。
コンセプチュアル的なことは、どの作品を観てもがっちり感じ取れたことはないけど、
とにかくダンサーさんたちが好きです。
ぜったい、全員見分けつく。
衣装とかも、似てるのに、全員が自分という核をしっかり持って、
他のメンバーが自分とは違う核を持ってることもも認識して、
舞台に立ってるからかな。
全員、ちょっとしか出てない人でもとにかく印象にのこる。
あとは、むき出しの表情かな。
あれを、みちゃうと、
もうそれぞれのダンサーさん達の人生に一瞬でも立ち会っちゃった感じがして、
もう人ごととは思えない。
それにしても、新宿文化センターまでの道のりの治安は悪いと思いました。

沢木耕太郎『無名』とおばあちゃんが死んだ日

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ノンフィクション作家として有名な、沢木耕太郎さん。
『無名』は自身の父親のことについて書かれた作品です。
『無名』っていう、タイトルがやけに重い感じがして手に取りました。
「無名」な自分の父親が、沢木さんの文章によって「有名」にかわる訳でもなく、
やっぱり「無名」なまま読み終わりました。
だからこそ、私は、去年死んだおばあちゃんのことを思い出してちょっと泣けました。
去年の5月、私の10日間にわたる公演がおわり、バラシまでしっかり終わったところで母からの連絡。
急いで、電車に乗って実家に向かいました。
最後ののりかえが終わったとき、母からおばあちゃんが亡くなったことを聞いて、
地元の駅に着いて、もう一回電話して病院に行く!って行ったら、
もうお家に向かってるから家で待ってなさいって言われました。
でも、どうにもこうにも駅から徒歩5分の道のりを歩きたくなくて、泣きながら父方のおばあちゃんに電話して、
おばあちゃんが死んだことを報告しました。
駅のバスロータリーで、父方のおばあちゃんはずっと電話越しに私の泣声を、
なぐさめるわけでもなく、ただただ聞いていました。
こうやって、誰にも、「無名」で、かけがえのない家族がいて、
そういうことを、思い出させてくれる本ってやっぱりすごいな、と思いました。
沢木さんの本は、ほかの作品にしても、どんなに自分の経験、調査を詳細に書いていても、
やっぱりプライベートな範囲を完全に超えていて、
小説として、パブリックなものとして成立していると思います。
いつもいつも、人間ってやっぱり愛おしいって、思わせてくれる作家さんだと思います。