【FTA2023】脱植民地勉強会

若手アーティストの11日間の批評合宿「International Rendezvous for Young Performing Arts Professionals and Critics」が幕を開けました!ファシリテーターアシスタントとして、オープニング朝ご飯会で挨拶をすることに。フランス語で。私の立場からしか届けられない言葉をと思い、私がFTA及びこの合宿に惹かれている理由を2点。まずは、脱植民地のテーマがはっきりと提示されていること。私は義務教育で、「近現代史」、つまり、日本の植民地の歴史を飛ばされた記憶がある。自分の親は、満洲の研究をしていたのに、自国の加害の歴史を知らずに、青年期を過ごしてしまった。その反省を30歳過ぎてから少しずつと取り戻している。もう一つは、私自身が2017年にこの合宿に参加した際、第二外国語でも発言権をしっかり持てるようになった場所だからである。平田オリザさんの言葉に、「言語的弱者は社会的弱者にほぼ等しい」という言葉があるが、10年間、言語的弱者として生きてきた身として、これはその通りだと思う。特に、創作の場を離れ、参加者が違いに意見を交わし合う今回のような場では、日本語で考えたり、話したりしている自分と中身は変わらないのに、一気に中学生くらいの知識レベルまで落ちてしまったような気分になってしまう。そして、言語の問題は、植民地問題と密接につながっている。だから、フランスを母語としない参加者に、絶対に自身の言語能力に対して「自己検閲」だけはしないでほしいと伝えた。「自己検閲」さえしなければ、あとはいくらでもグループが助けてくれるから安心して、と。第二言語話者にとって、日常会話とミーティングには、雲泥の差がある。私も、日常会話で話す分には、フランスで育ったと間違われるレベルだが、大勢の前で自分の意見を展開させるとなると、まだまだ赤ちゃんレベル。そんな私が言ったのだから、説得力があったと思う。

午後は、「脱植民地勉強会」からプログラムがスタート。カナダで活動するモーリシャス共和国のアーティストKama La Mackerelがファシリテーションを務める。まずは、「植民地ときいて何を思い浮かべるか」という質問が出た。皮肉なことに、フランス語話者が集まるこの多国籍なグループには、フランスの植民地だった国からの参加者が多数いる。コートジボワール、セネガル、アルジェリア、モロッコ。またスペインの植民地だったメキシコのアーティストなど、彼らが口火を切った。そもそも、植民地制度というものは、「文明化」の名のもとに行われる。自分たちとは違う所属を発見して、その人たちを自分たちのように「文明化」するプロセス。特に、現代の植民地問題において、犠牲になったのが子供たちである。カナダでは、1970年代まで、15万人におよぶ先住民の子供たちを強制的に親元から引き離し、キリスト教の「寄宿学校」で同化教育をしていた歴史がある。

「植民地制度が廃止されても、それぞれの身体に刻み込まれた暴力の歴史、そして、一度できてしまった権力によるヒエラルキーの構造は永久になくなることはない。権力構造というものは、いとも簡単に何かを隠し、何かを顕著化させてしまう恐ろしいもの。」とKamaは言った。中でも印象的だったのは、私たちが、社会で生きていく上で、「incomfort(不快、居心地のわるさ)」を感じる場所はたくさんある。でも、「incomfort」こそが、新たな気づきや知見をもたらしてくれることがある。だから、「incomfortable」な状況や場所に、自分の身を置くことを恐れるな、と。

これから10日間、「植民地」に関して、それぞれのバックグラウンドを持ったアーティストたちが意見を交わしていく。

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