「効率の良さ」への楽しい抗い方

Q『妖精の問題』、竹中香子”ほぼ”一人芝居、TPAM再演、無事終了しました。

 

去年の9月に、こまばアゴラ劇場で初演を迎えたこの作品なのですが、

まさに、生き地獄。

初演のクリエーション時から、

自分の俳優としての力量不足を感じ、降板することを相談したほど、

まさに、作品を「産み出す」ということに苦しんだ作品だった。

沖縄での滞在制作ということもあり、

稽古と日常の境目がない中、

ひたすら、テキストと向き合う日々。

俳優なのに、台詞が覚えられないということろでつまづいていて、

創作どころではなかった。

 

このブログでも、俳優という職業を、

「才能」以外のものさしで捉えることができないかと、

長年かけて思考してきたが、

追い詰められた私は、

「才能」がないから「できない」というサイクルにどっぷりはまり込んで、

自己嫌悪のなか、

ただただ時間だけが過ぎていった。

その中で、作家であり、演出家である市原さんの、

「私は、香子ちゃんのこと面白いと思ってるよ」という言葉(割と、無理やり言わせた)だけを信じて、

初演を迎えた。

 

そして、今回のTPAM再演。

3部作のうち、全編、歌で構成されている2部を生演奏にするということで、

新たに作曲された膨大な歌が30分。

さらには、観客に直接語りかけるセミナーという形式に降りかかる「字幕」の壁。

再演とは思えない、新たなハードルが高々とそびえる中、

私の心中は、初演と比べると随分と穏やかであったと思う。

 

第一の理由は、

演出家との間に、信頼関係を築けたとこと。

俳優として、演出家の下に従属する立場、

つまり言われたことをやるのではなく、

どちらかというと、演出家の方が、

俳優である私が本番に際し、いかに最良な状態で観客の前に立てるかということを、

第一に考え、寄り添ってくれていたように感じる。

彼女と共に作り上げた「演出」というひとつの「庭」のなかで、

自由に駆け回ったという感覚が非常に印象的である。

賛否両論を誘発する作品であったことは否めないが、

私は、彼女が全身全霊を込めて管理する「庭」に、

常に守られていた。

 

第二の理由は、

非常に効率の悪い自分の創作プロセスに対し、

疑問や不安を感じることがなくなったことである。

予定されていた稽古時間内に、

やりたいことができなかったり、

うまくいかなかったりすると、

「私は不器用で俳優に向いてないんだ」と、

自己否定しがちだったのだが、

今回は、なぜかこの非効率な自分の進度に、

淡々と向き合うことができた。

 

おそらく、ここ1年くらいお世話になっている精神分析の先生に、

「あなたのやっていることは、職人の仕事です。」

と言われたことが転機となったのだと思う。

他のことは、割と器用にこなせるのに、

よりによって、俳優の仕事だけは、

不器用をいかんなく発揮してしまう。

新作に取り組むたびに、

もう今回で本当に終わりだ、と絶望が絶えることはなかった。

しかし、今回は、できないなら、できるまで「練習」しようと思った。

絶望してる暇があったら、いくら時間がかかっても、できるまで「練習」してみようと思った。

「職人」は、何かを創ることが仕事なのだから、

できる、できないを考えて作業をすることはないのだ。

「稽古」でできなかったことは、シンプルにできるようになるまで「練習」する。

ただ、それだけ。

 

この「稽古」と「練習」の二本柱計画は、

私に良好に作用し、

「稽古」は演出家と、

「練習」はひとりで、

創作は進んでいった。

もちろん、「稽古」を仕切るのは、演出家で、

「練習」を仕切るのは、私だ。

そのことにより、「稽古」で、自らの効率の悪さを感じても、

「練習」において、非効率のなかでしか、出会えない発見があり、

効率に抗うことに、一種の快感さえ覚えるようになった。

そして、次の「稽古」で、

演出家は、私の変化に、いつも気づいてくれていたと思う。

 

このような環境を、少しづつ構築していくことができたのも、

ひとえに、演出家が私に「庭」を用意してくれたことに尽きるだろう。

ふたりで、水やりをかかさず、育ててきた「作品」に、

観客が立ち会うことで、

花が咲いたり、

咲かなかったりした。

うまくいかない悔しい回があっても、

「庭」は、狭められることなく、

いつも、私の前に綿綿と広がっていた。

(どうして、ここまで、演出家が俳優に対してリスクをとることができたのかは、今度機会があったら聞いてみたいと思う。)

 

私が、今後、俳優として、

「効率の良さ」を探すことは、もうないだろうと思う。

今回の作品をきっかけに、

非効率に、どっしりと腰をおろし、

先のことは考えず、できるようになるまで永久とも思える時間をかけることが、

もう怖くなくなったから、

それが、何かを創り出すことなんだと思う。

芸術を続けていくということは、

効率を追求することなく、

むしろ、

あえて、

それに抗っていく態度を貫くことなのではないか。

 

Q『妖精の問題』、

作品に立ち会ってくださった皆様に心から感謝を致します。

今後とも、別々の場所で活動を続ける、

Qの市原佐都子さんと私をよろしくお願い致します。

 

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