6月の公演からは、
お給料(初!)も出て、プロとしての公演が始まるので、
5月末までの卒業まであと1ヶ月半。
モンペリエの学校に入学して、
3年間で最後のスタージュが幕を開けました。
お相手は、フランス演劇界の重鎮、演出家アラン・フランソン氏。
AVRIL 2016 / PERSONNE D’AUTRE, BOTHO STRAUSS, FRAGMENTS : ALAIN FRANÇON ET LA PROMO 2016
ドイツの一癖も二癖もある、
現代劇作家ボート・シュトラウスの作品に挑みます。
日本語では、ドイツ現代戯曲選30から翻訳が出ています。
最近、プログの更新がなかった、というのも、
正直、一喜一憂の波も、おだやかになり、
それこそ、目の前にあることを地味にこつこつとこなしていくというタームに入ったので、
ブログに書くようなことも特になかったのでした。
とはいうものの、
3年間の最後のスタージュとして、
振り返って考えてみれば、
できるようになったことは、
本当に俳優として当たり前のことばかりだな、と思い知らされる毎日。
まさに、演劇超超超入門な日々。
毎回、台本が渡されるたびに、
台詞が覚えられずに、毎晩パニックになって、
舞台の上でも、台詞に詰まって、泣きべそをかいていた自分がもはや懐かしい。
今回は、稽古初日一週間前にもらった配役済みの台本を、
完璧に覚えて、舞台初日に挑み、
舞台稽古でも、落ち着いて、演出家とディスカッションしながら、
稽古を進めることができています。
(以前は、完全従順型か、喧嘩のふたつにひとつしかなかった…)
そんな穏やかなクリエーションでの、
アランの口癖は、戯曲は、interpréter (演じる、解釈する)するものではなく、produire(生産する)するものだとうこと。
戯曲という道具を使って、
演劇を生産していく。
つまり、戯曲の中の部品を滞りなく使うことが、基本中の基本だという。
戯曲の中に存在する、イタリックで書かれた文字、読点・句読点、ハイフン、そして、疑問符・感嘆符など、徹底的に、読み込んで、
文字を声、音として、生産していく作業。
感情論には、一切触れずに、
何回も何回も繰り返しながら、
その文章の意味を観客に伝えるうえで、最適の音と調子、そしてリズムを探していく。
彼に言わせれば、この作業は、音楽家が、楽譜を音楽にしていく作業と全く一緒で、
うまくいけば、そのあと、狂うことは極めて少ないらしい。
まさに、「l’art de la parole」(言葉の芸術)
1年生の時に、
母国語ではない言葉を使って演劇をするにあたり、
一番苦しめられたこの言葉に、
今は、もはや愛着さえ感じる。
演劇は、「発語」の芸術。
戯曲に書かれたテキストを俳優が、
どのように生産、つまり、発語していくか。
自分の納得のいく「発語」ができるまで、
何百回と繰り返される与えられた言葉。
無愛想な活字が少しずつ少しずつ、
色味を帯びていく優美な時間だ。
以前は、台詞を覚えることに必死で、
発語に到達するまでの時間を、味わうことなんてなかったけど、
今は、ゆっくりと時間をかけて、goûter(味わう、楽しむ)する、至福の時だ。
被災地の方々に、心からお見舞い申し上げます。エクアドルの地震も重なって、不安が募ります。