12時間40分の映画を見ながら、合理的とは何か考える。

先週から演出家Robert Cantarella (ロバート・カンタレラ)を迎えて、
来年のモンペリエでのフェスティバルとパリツアーに向けてのプレ・クリエーションが始まりました。
テーマは、ヌーヴェル・ヴァーグを代表する映画監督、
ジャック・リヴェットの伝説的映画、
「Out 1: Noli me tangere」(1970)
上映時間はなんと、760分(12時間40分) !!!
昨年のフェスティバル・アビニョンにて、
Thomas Jolly(トマ・ジョリー)が、
シェイクスピアの『ヘンリー6世』を休憩含み、
18時間かけて上演しましたが、
(過去の記事:18時間演劇で、極上の疲労感。
45年前の映画界で、
すでに、こんなに歴史的かつ破壊的作品があったとは。
無知の恐ろしさだけを知る、毎日。
日本では、ユーロスペースにて、
2008年に、ジャック・リヴェット レトロスペクティブが行われていますが、
http://www.eurospace.co.jp/detail.html?no=131
アウト・ワンの上映はなかったようです。
ジャック・リヴェットは、
ゴダール、トリュフォーをはじめとする、
名だたるヌーヴェルヴァーグの映画監督たちの中でも、
最も演劇に近かった人であると思う。
内容を見ても、
圧倒的に、演劇、俳優というテーマを扱った作品が多い。
http://movie.walkerplus.com/person/74095/
アウト・ワンは、8つのエピソードからできており、
各エピソードの冒頭に、
ひとつ前のエピソードの内容が、
写真で回想される構成になっています。
ちなみに、字幕なしならyoutubeで、
全編12時間40分視聴可能。


出演俳優は、
ほぼ全員、なにかしらの映画で見かけたことがある、
ヌーヴェルヴァーグのスターたちばかり。
エリック・ロメールまで俳優として出演している。
ふたつの劇団が、
インプロヴィゼーションを用いて、
稽古を進めている。
最初の方は、
永遠に続くかと思うような、
終わりなき、
演劇的エクササイズのシーンが続く。
徐々に、舞台は、
このふたつの稽古場の外へ進んでいき、
それぞれの人生そのものが、
「演劇」化していく。
そして、
気づいた時には、
もう戻れない。
舞台の外、
現実の中の、「悲劇」

先週のスタージュでは、
2エピソードづつ鑑賞するごとに、
課題として、
それぞれのエピソードに関する作品を、
創作していく。
基本的に、映画の上映が終わるのが21時過ぎ、
22時から稽古をして、
翌日に発表する作品をつくるという流れ。
それにしても、
3時間以上、
フランス映画を見続けた後の私の脳の状態といったら、
ほぼ寝起きの状態に等しい。
前半は、いまだかつて出会ったことのないような珍味を、
どう味わっていいのかわからず、
情報を処理するだけで、
胃がぐるぐると音を立てている感じでしたが、
一度癖になったら、
もうやめられない。
演劇って何?
映画って何?
俳優って何?
演じるって何?
グループって何?
何か新しいことを始めてから、
10年後からやっとはじまるような、
本質的かつ初歩的すぎる疑問が、
立て続けに浮かび上がってくる。
作品創作は、
3人組から始まり、
ソロ、
5人組、
そして、
最終日は、10人全員(現在、一人の生徒が外部の仕事のため、休学中)で、
行われました。
ソロでは、
トリュフォーの映画には欠かせない、
フランスの天才俳優、
ジャン=ピエール・レオの動きだけを抽出し、
ダンス作品を作ったり、
グループでは、
街にでて撮影を行い、
30分の映像作品を作ったり、
課題を創作している時間そのものを、
120分撮影しっぱなしにして、
作品にしてしまったり、
もう、
メタのメタのメタ。
リアルが介入してくる中での、
演技というものについて、
まさしく、
経験の中で、創作していく感じ。
経験の中の創作に、
必要不可欠なのが、
不必要な時間。
つまり、
決して無駄ではない、
究極に「無駄な」時間。
なにしろ、
アウト・ワンの構造と全く一緒で、
時間の経過とともにしか、
行き着けない場所があり、
その場所にたどり着く過程でしか、
実験できないことがある。
そして、その実験を通してでしか、
ありえなかった結果がある。
最終日、
連日の稽古で疲れ果てているなか始まった、
10人全員によるクリエーション。
深夜23時を回っても、
いっこうに意見がまとまらない。
翌日12時には、
作品を発表しなくてはいけないのに、
絶対絶命のピンチ。
3時間、
話し合いを続けても、
いまいちピンとこない内容で、
ラストシーンも決まらない。
思い切って、
深夜0時、
あやふやなまま解散し、
翌朝、
再び集まることに。
一晩寝かせたところで、
昨日、3時間以上話したこととは、
まったく違うアイディアに、
30分で話がきまり、
発表。
演出家から、好評をいただき、
うちらの昨日の3時間ってなんだったのー?
と、みんなで笑いました。
だって、いつものこと。
いつだって、
膨大な「無駄」が、
最後に表面に現れる、
ほんの1パーセントを、
支えてくれる。
今は、そのことを知っているから、
できる限りの「無駄」をしたい。
みんなで、
お菓子をつまみながら、
基本エンドレスの「無駄」な話し合いをすることができる環境、
これが、私の合理主義。

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