演出家とうまくいかない時、俳優はどうしたらいいの?

先週から始まったのは、
はじめての映画スタージュ。
稽古2週間、
撮影2週間で、
ディレクターが、
私たち11人のために書きおろしたシナリオを元に、
中編映画をつくります。
第1週目の先週は、
主に、ブレインストーミング。
カテゴライズするなら、SF映画に入るので、
サイエンス・フィクション及び人類学に関する知識を、
ここでぎっしり仕入れます。
毎日、22時過ぎまで及ぶ稽古のあと、
そのまま学校にのこり、
必須SF映画鑑賞会。
日本の映画も2本!
『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』
『鉄男』
『メトロポリス』(Metropolis)
『ブレードランナー』(Blade Runner )
『EVE イヴ』(Eve of Destruction)
『狂気の主人公たち』 Les Maîtres Fous (The Mad Masters)
なかでも、文化人類学者でもあり、映画監督でもある
ジャン・ルーシュ(Jean Rouch)氏の『狂気の主人公たち』は、
圧倒的だった。
日本では、配給されてないようですが、
英語字幕で、全編視聴できます。


撮影への準備を進めながら、
毎日、稽古の初めに設けられた時間が、
先週終えたヨン・フォッセの公演に関するフィードバック。
毎日、少しづつ、
自分が感じたこと、
発見、苦労、課題、
どんなに個人的な事でもいいので、
稽古にも度々立会い、
本番も、2回以上観てくれた校長を含む、
11人全員で、
意見交換をしていく。
俳優としての、
舞台創作における位置を探っていくことが、
メインテーマになる。
フランスの演劇史において、
決して無視することのできない系譜のひとつが、
「演出家の時代」と呼ばれる80年代。
古典作品を多く上演していたこともあり、
表立って演劇界を担っていたのは、
俳優でも、劇作家でもなく、
演出家だった。
90年代、EU統合とともに、
外国人とのコラボレーション、
他分野とのコラボレーション、
テクノロジーとの共存など、
ボーダレスな時代を経て、
今日、
改めて、
演劇における俳優という立場を問われている気がする。
例えば、
校長曰く、
演出家の中には、
大きく分けて、2種類のタイプがあるということ。
一つ目は、どのように俳優を自分のイメージに導いていけるかを模索する人。
そして、もう一つは、
その俳優から、何が現れるのかをひたすら待つ人。
俳優主体のカンパニーが増える、
今日の演劇界において、
演出家が受動的であり、
俳優が能動的である後者のタイプのクリエーションが増えてきているそう。
それに伴い、
演出家とどのように付き合っていくのか、
という問題が自ずと浮上してくる。
そして、演出家とうまくいかなかった時にとれる対処法は、
大きく分けて、
二つしかないという結論に至る。
一、話す(parlez)
それができないのなら、
二、反応で示す(réagissez)
具体的にどういうことかというと、
何か、納得のいかないことや、
どうしてもうまくいかないことがあったとき、
単純に、その状況を停滞させないために、
こちらから、演出家に話を切り出す。
ただ、稽古の雰囲気や、
お互いの関係性により、
どのような現場でも、
話す、ということを実行に移すのは簡単なことではない。
特に、学校という教育機関の中での、
演劇創作の場合、
どうしても、演出家を「先生」と混同してしまうことがあるが、
お互いにこの意識があっては、
クリエーションも、
「経験」という程度の枠におさまってしまうから危険だ。
そこで、一番、とってはいけない行動が、
納得していないのに、
我慢して言われた通りにすること、
もしくは、できるようになること。
私たちが、
「学校」という場所で学んでいるのは、
一過的に求められていることをできるようにするような、
その場しのぎの「いい演技」ではなく、
もっと、遠くにいくための「過程」
ここで「過程」と言っているのは、
自分にとっての「いい演技」ができるような、
人間関係を含む、
クリエーション環境を整える
自分だけのメソッドのこと。
稽古場で、どんなに権力を持っている人が演出家であったとしても、
舞台の上で、決定的な権力を持っているのは、俳優。
逆に言えば、
観客の前で、作品をぶち壊すことができる人も、
俳優しかいない。
稽古の時点でも、
舞台の上にいるときは、
この権力を有しているのだから、
どんどん新しいプロポジションをみせていく。
さらに、通し稽古が始まったら、
その中で、
作品の全体像を掴みながら、
演出家と抜き稽古で作ってきたシーンを、
さらに進化させていけるかが、
俳優の仕事であり、
出演者の人数が多くなればなるほど、
一人一人が、
自分が出ているシーンだけではなく、
全体像をつかめるようになっていけるかということが、
演出家との、
コミュニケーションに発展したら、
素敵だと思う。
もちろん、こんなユートピアみたいな現場を、
いきなりつくろうとしても限界がある。
私なんて、新しい演出家が来るたびに、
一週間近く、距離感が掴めず、毎回もじもじしてしまう。
ただ、ここで答えを出すことが重要なのではなくて、
同じ舞台を踏んできた、
自分と、他者とで、
問題を共有することが、
問題意識を、身体にしっかりと定着させることが目的。
気になったことと、
同居しながら、
新たなクリエーションをはじめることで、
忘れた頃に、
あ!こういうことだったのね!という、
サプライズなプレゼントが届くという。
でも、
なによりも、
このディスカッションがもたらしてくれるものは、
「ちょっとほっとする気持ち」
自分に自信がなければない時ほど、
自分よりはるかに能力を持っているようにみえてしまう同志たちの悩みに、
耳を傾けることで、
どうしたって、
「ちょっとほっと」してしまう。

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