Living Beahavior (生命的行為)へのために、私自ら「実験台」になります。

子どもの頃、
「仲間はずれ」を探す絵本があった。
動物や、人間や、機械や、乗り物などの種類別に、
「仲間はずれ」の絵を探す本。
今、思うと、
これからのあなたたちの人生、
必ず「仲間はずれ」になる瞬間が、
訪れるよ、
と示唆されていたようで、
すこし不気味に感じる。
「仲間はずれ」、
言葉を変えて、
あるコミュニティーにおいて、
マイノリティーになることは、
確かに、
誰にも訪れること。
マイノリティーの辛いところは、
人と競争ができないことで、
マイノリティーの良いところも、
人と競争ができないことであると思う。
さて、昨年から続いている、
『超難解テキストに挑む地獄の5日間スタージュ』vol.3が、
(前回ブログ記事:まだまだ「ひよっこ」な私と、声が出なくなったときの秘密の対処法
いろいろあって、
私だけ、「6日間」になって終了しました。
授業時間は、
毎日10時から22時半、
クラスを半分に分けて、
二人の先生について、行われるので、
なんと6人きりで受講。
スタージュが始まる前の週末に、
私に渡されたテキストは、
フランスで演劇をやる上で、
決して避けて通ることのできない韻文詩、アレクサンドランの代表作、
ラシーヌ『フェードル』
(アレクサンドランについて:私の「悲劇」と、ラシーヌの「悲劇」について
そして、ドイツの文学賞、ビューヒナー賞でもおなじみの、
ゲオルク・ビューヒナー『ダントンの死』
オペラ『ヴォイツェック』で、知っている人も多いと思います。
彼は、革命家でもあり、逃亡生活を続けながら、
23歳のその短い生涯を終える間に、
なんと3作の戯曲と、1作の小説を書きあげました。
Unknown_201410042018073d8.jpeg
『ヴォイツェク』『ダントンの死』『レンツ』(岩波文庫)
4ページにも渡る、ラシーヌのモノローグに、
度肝を抜かした私は、
学校のディレクターに、
ビューヒナーから、始めた方がいいよね?
と相談すると、
人生は、無駄な方へ、無駄な方へ、選んでいくべき。
と、謎の名言を告げられ、
つまり、私の演劇キャリアにおいて、
ほぼ100%、ラシーヌ戯曲を演じることはないだろうから、
ラシーヌを選択。
ここは、学校。
いかに一見無駄と思えることに、
利益を顧みず、
死ぬ気で打ち込めるか。
そして、
台詞を覚え始める。
それにしても、ワンフレーズのうちに、
知っている言葉が、2,3個しかない。
精一杯準備をして、
ようやくすらすら読めるくらいにはなった状態で、
1日目スタート。
初日から、ほぼ全員が台詞を覚えてきて、
さらに、演出プランを添えて、
舞台で発表。
私は、読むだけで精一杯。
そこで、
昨年から、個人レッスンまでしていて、
私のことをよく知っている今回のスタージュの先生から、
衝撃の一言。
「あなたの女優のキャリアにおいて、
女優を続けてほしいから言うのだけれど、
フランス語で演じることが果たしていいことなのか、
最近わからなくなる。」
それは、私も、みんなも思っているけど、
言葉にしてしまうと、
どうにも取り返しがつかないよ、先生。
と、思いながら、
絶望。
ただ、昨年1年間、頻繁に絶望していたので、
楽観的に絶望する術を手に入れた。
問うな、動け。
2年近く前から、
大好きなラッパー(私にとっては思想家)、
24歳でこの世を去った不可思議/wonderboyの公開が決定した。
映画Living Behavior 不可思議/wonderboy 人生の記録


監督はなんと、
PerfumeのPVを手がける関和亮監督。
彼が谷川俊太郎氏の『生きる』という詩を、
ラップにしたことから、
谷川氏本人もこの映画に出演しているのですが、
谷川氏が彼のパフォーマンスを見て、
言った言葉。
「イギリスの哲学者で“世の中には2種類の行為がある”と言った人がいてね、
彼は“世の中のすべての行為を、
Death Avoiding Behavior (死回避行為)と
Living Beahavior (生命的行為)”に分けて説明したんだ。
僕の解釈では、
現代人の多くは生活優先のDeath Avoiding Behaviorで生きてしまっているんだけど、
不可思議くんのラップはまさにLiving Beahaviorを体現している。
だから感じてしまうものがあるんじゃないかな」
Living Beahaviorで生きること、
つまり、「仲間はずれ」ではない、
一部のコミニティーの中だけではない、
本物のマイノリティーを生きることだと思う。
そして、
それは、自らの人生を実験台にすることだと思う。
ただ、
実験と言っても、
人生は一回限りだから、
すごく怖い。
私が今やろうとしていることを、
意味があるのかわからない、と言われ、
(初めてのことではないけれど、)
私もわからないと答える。
ただ、人生の成功のために、全力を捧げるのではなく、
「実験」の成功のためだけに、全力を捧げたい。
だから、
去年は、
悲しいことがあったら、
泣いて、特別扱いしてもらう手段を取ったけど、
これは、フェアな「実験」方法ではなかったかな。
最終日、
やっぱりこれら2作品の超難解テキストを覚えて、
演技するところまで持っていくのは、
私には、手が届かなかった。
覚えたての台詞に、
私の舞台でのプランをめちゃくちゃにされた。
テキストの解釈、
そして、自分という役者を扱う、
演出家としてのプランはあったのに、
それを体現する、
役者としての力量がついていかなかった。
泣いて、
この悔しい想いを次に活かそう、
なんて、
甘っちょろい考えは、
もう許されない。
なぜなら、
私たちは、2年生で、
時間が過ぎていくスピードは、
私たちの夢の大きさに対して、
余りにも速いことを知っているから。
「台詞を所有するまでに、
今の私には、多大な時間が必要なので、
ここまでやったけど、
演劇的なところまで行けずに、
このままでは、終われません。」
と、言ってみる。
自分の厚かましさに、
自分でもびっくり。
休憩中に、先生から、
電話があり、
「明日は、あなたに時間を取ることが適当だと思う」
と言われる。
ということで、
土曜日、
私は補習授業。
2時間以上、
舞台を使って、
マンツーマンでシーンをつくっていき、
ようやく演劇の入り口にたどり着けた気分。
今年は、
このブログで、
「泣きました」と書くことが、少なくなって、
少しでも「実験」成功に近づけるように。
「本物のマイノリティー」を考えながら、
一週間を過ごしていたら、
素敵な写真集に出会った。
『Echolilia/Sometimes I Wonder』
アメリカの写真家のティモシー・アーチボルドさんが、
自閉症スペクトラム障害を持つ息子さんを3年間取り続けたもの。
c8e1e920.jpg
ba6b6818.jpg
人と違うこと、
私にとっては、
やっぱり、
人と競争できない、
つまり、
つまり比べられない、
という違いくらいしか見当たらない。
「BAZOOKA!!!」の高校生ラップ選手権にも、
自閉症の男の子が出場していたことを思い出して、
検索してみたら、
ビックなラッパーになっていて、
とても嬉しく思った。
GOMESS
(まさかの、不可思議/wonderboyと同じ音楽事務所)
そして、彼も「本物のマイノリティー」になっていた。

普通じゃねえって並はずれてる 皆が言ってる障害者のクズです
バカにしてる 鴨にしてる あいつは頭がイカレテル
my name is gomess 人間じゃねえ 孤独の世界からいつも見てる
笑って 泣いて 怒って 泣いて ヒトに紛れてもう18年

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中