演出家にとって、めんどくさい俳優になる授業。

アルゼンチンのアヴァンギャルド過ぎる劇作家COPIを扱った、
3週間のスタージュが終わりが終わりました。
今回は、割とスキャンダラスな事件がたくさん起こりました。
というのも、先生のCOPIへの愛情と執着があまりにも強すぎて、
彼の世界観を生徒に強要するような創作過程となってしまったから。
先生の「キレやすい」性格に加えて、
体中に粘土で白塗りをしたり、叫び続けたりと、
過酷な演出プランに、
精神的にも、身体的にも、
みんなぼろぼろ。
最終日に、ショーイングを予定したのですが、
全員で、ストライキを起こす話まで持ち上がりました。
結局、ショーイングが、学校の3年生や準備クラスの生徒たちに限られたので、
決行となりましたが、
数人の生徒は、最後まで、
自分が役者としてマリオネットのように、関わった作品を、
人の前で発表することはできない、と主張していました。
私はというと、
おかげで、
かなり演出家にとって、めんどくさい俳優になることが出来ました。
今まで、どの先生も、
私の語学の問題を考慮してくれていたのですが、
そんなこと、おかまいなしだった彼は、
私に、『LES QUATRE JUMELLES』(四つ子)という作品の、
リーダー的な役を配役し、
モノローグを含む、
20ページ以上の作品を1週間で台詞を覚え、
創作しました。
今までの、自分のキャパシティーを完全に超えていたけど、
疑問に感じるまでもなく、
プレッシャーだけに支えられて乗り切りました。
先生の自分で「やってみせる」演出に納得がいかなかった私は、
はじめは、言われた通りに演じていましたが、
舞台の上での、「居心地の良さ」を全く見つけることが出来ず、
何か、提案してもすぐに否定されることを承知の上で、
いかに、譲歩しあって、進めていけるかを求めて、
しつこく、しつこく自分の意志をぶつけました。
何か決めるためのミーティングでも、
学校に入って最初の3ヶ月は、
多数の意見に流されることが多かったけど、
ひとりでも、
自分の言葉で伝えるのに時間がかかっても、
がつがつ意見を言うようになりました。
たまに、日本にいたときは、
こんなアグレッシブなタイプじゃなかったのにな、
と切なくなるけど、
これも「俳優」という職業において、
自己の権利を確立していくための訓練なんだと思う。
去年、パリのオデオン座でJean-François Sivadier氏演出の
モリエール『Le Misanthrope』(人間嫌い)の稽古を見せて頂く機会があって、
http://www.theatre-odeon.eu/fr/2012-2013/spectacles/le-misanthrope
演出家よりも、
俳優が多く発言している現場に驚愕した。
俳優が、演出家に疑問をぶつけることで、
稽古が進行していく感じ。
とても効率がよく感じたことを覚えている。
台詞を覚えて、勢いにのった私は、
めんどくさいだけに、
とどまらず、
先生のマリオネットで終わるのではなく、
どうしても自分たちで作品を創りたく、
二人の同級生を誘って、
勝手に、ショーイングで発表。
「自分たちだけで、やってみたい」
と、言ってみたところ、
予想外に、先生は全く手を付けず、
私たちだけに任せてくれ、
一回も先生に見せることなく、
当日となる。
ここまでくると、
もはや、気に入られるか、嫌われるかの、
ふたつにひとつしか望みたくもないので、
徹底して自分たちの色を出し切る。
まさかの大好評。
改めて、
「俳優」という不思議な職業について、
考えさせられる。
裸になれと演出家に言われたら、
裸になるのか?
裸になれと演出家に言われたら、
裸になれることが、いい俳優なのか?
「俳優」は、あくまでも人間の仕事。
「俳優」だからって、
指示されれば、なんでもできるわけではないし、
むしろ、なんでもできてはいけないと思う。
片方からの「提案」に対して、
もう片方からの「問い」が立つことによって、
双方の「コミュニケーション」が生まれる。
最近、
同級生を観ていて、
「柔軟さ」を持っている人に、
ひどく魅力を感じる。
一緒に、創作することで、
何が起きるかわからないから。
「柔軟さ」兼ね備えた、
「めんどくさい」俳優なら、
なかなかいい仕事ができるのかもしれない。

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