幸せで、ゴメンナサイ。

先週は、
月曜日から金曜日まで、
睡眠時間平均3時間の、
覚めても覚めても夢のような5日間を過ごし、
昨日は、目覚めたら夕方の17時でした。
2年前、
アビニョン演劇祭の「IN」で上演されていた、
La nuit tombe…“を観て以来、
大ファンだった演出家Guillaume Vincent。
去年の7月、
パリとモンペリエの試験に受かったときに、
私が、”La nuit tombe…”を3回も観ていたことを知っていた、
今は亡きモンペリエENSADのディレクターに、
「モンペリエに来たら、
Guillaume Vincentとスタージュが出来るよ。」
と言われ、
モンペリエに決めるきっかけにもなった人。

そもそも、
なぜ3回も観に行ったかというと、
「演出」が全く見えなかったから。
緻密すぎる、
役者間の台詞の掛け合い、
移動、
舞台美術のしかけ、
何もかも、
”たまたま”絶妙タイミングで、
いまここで起こっているようにしか見えない。
という訳で、
3回劇場に足を運んだのですが、
印象は全く一緒。
チームでグルーブする力が、
完全に、
現実とフィクションの交換において、
革命を起こしていました。
そして、
この5日間、
この作品の創作の謎が、
明らかに。
ベースとしては、
映画監督として有名な、
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーのテキストを使用。
毎日14時から、
3時間ほど、
身体と音楽を使って、
空間と相手、そして、グループを、
ひたすらに、
「聞く」訓練。
視野を広げることで、
情報をキャッチできる空間をどんどん広げていく。
その後は、
2時間、テキストを使った創作。
そして、
ここからが山場。
与えられた様々な条件を満たしながら、
1時間弱の作品を6人ずつ、
インプロビゼーションで構築する。
つまり、
状況においての細かな約束事、
照明、音響のきっかけ、
美術、衣装を決め、
台詞は書かずに、
舞台へ。
毎日、22時から発表。
フィードバック。
午前2時解散。
帰宅後、次の日の準備。
朝、9時からの必修クラス。
そんなこんなで、
水曜日、木曜日あたりから、
みんな人間としての機能、
そして人格が、
少しずつ破壊されていき、
木曜日の発表に、
全く満足がいかず、
精神と身体の疲労のせいで、
勝手に涙が出てくる。
リベンジを頼み込んで、
限界を通り越した金曜日、
ランナーズ・ハイ的な、
現象が起こり、
さまざまなミラクルのもと、
深夜1時半、
ワークショップ終了。
なによりも、
スペシャルだった理由は、
2年前からずっと憧れていた演出家と、
ワークショップが出来たことよりも、
グループのメンバーとこの時間を過ごせたことの方が、
喜びとなった。
彼のファシリテーター能力は無限で、
なおかつ慎ましく、
おかげで、
自分以外の11人のキャパシティーに対し、
心から、敬意と信頼を持つようになった。
小さいけど、
大きな変化は、
朝、挨拶するときに、
相手の体調を、
気にするようになったこと。
私の言葉の状況上、
みんなから、
心配される立場が、
当たり前で、
いつのまにか、
もしかしたらどっかりとあぐらをかいて、
謳歌していました。
フィードバックの時間も、
今までは、他の人の作品に、
批評をしたりなかなか出来なかったけど、
相手のことを考え始めたら、
伝えずにはいられないので、
情熱とボキャブラリーの少なさによるフラストレーションの間で、
吃りがとまらなくなりました。
集団でのかけ算の可能性は、
自分の能力を高めることではなくて、
相手を聞くこと。
自分以外に矢印が向くことで、
一人ではできない、
「革命」が起こせる。
自分のアイディアの中ではなく、
相手のプロポジションの中で、
自分が生きることで、
いとも簡単に、
フュージョン、
イリュージョン、
レボリューション。
はじめて、
他者に流されてみることの快感を掴んだ。
それにしても、
演劇、
深すぎる。
もっと、もっと、遠くに行きたい、
と思っていたけど、
今は、
もっと、もっと、遠くに行ける、
と思う。
視力は、
どんなに頑張ってももう良くなることはないだろうけど、
感覚を広げていくことで、
子どものきょろきょろする瞳のように、
いろんな景色がくるくる見えてくる。
そんな話をしていたら、
母がぽつりと、
「子どもって、よく寄り道してたじゃない?」
たしかに。
ということで、
感覚を広げるこつは、
「寄り道」歓迎!
だから、きっと、
Guillaume Vincentは、
創作過程における「失敗」が大好きで、
悪いと思いながらも、
ついつい笑ってしまうんだな。

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