アーティストに物申す。(アビニョン演劇祭通信vol.9)

7月28日、2012年のアビニョン演劇祭が終わりました。
各劇場には、各新聞の評がずらり。
スクリーンショット(2012-07-30 23.39.34)
フェスティバルINの方をメインに私は観劇したのですが、
中でも印象に残っているのが、
公演外の無料イベント。
基本的には、各アーティストが観客と出会う場、
つまりアフタートーク的なイベントを、
公演とは全く関係ない時間に行うのですが、
これが、なんとも刺激的。
私にとっては、公演以上にスペクタクルでした。
人気のある演目では、
開始時間の1時間近く前から、席とりがはじまり、
100人以上の人が、
わざわざこのために集まります。
そして、アーティストの意見を聞くためというより、
むしろ自分の感じたことを、
アーティストにぶつけにいきます。
開始と同時に、数人がさっと手をあげ、
マイクを求め、
それぞれの思いやアーティストへの質問を、
熱心に語ります。
ここにいると、
観客は受信者という、
受け身の立場ではないと、
改めて思い知らされます。
こまばアゴラ劇場の支援会員の冊子に書かれていた、
平田オリザさんのことば、
『観ることが、育てること』
http://www.komaba-agora.com/shien/2012/
ここにいる観客のおかげで、
私は、素晴らしい作品を見ることが出来たんだ、
と、アーティスト以上に、
わざわざフェスティバルのためやって来た外国人観光客に、
バカンスを楽しみに来た老夫婦に、
アビニョンの地元の会社員に、
ありがとうございます、
と言いたくなります。
この熱い気持ちがあるかぎり、
演劇なんて専門外のマダムも、
演劇批評家のムッシューも、
そして、
アーティスト自身も、
ここでは、すべてが平等。
1つの空間に集まって、
同じものを観て、
ばらばらのことを感じ、
それを発言する権利を持っています。
こんなことを執行できる観客を相手に、
作品を発表すること。
シンプルだからこそ、
最も、
残酷な芸術だと思います。
私は、1年間コンセルバトワールで、
とにかく受け身でいられないということに、
苦しみ続けました。
しゃべれなくても、
そんなこと一切関係なく、
稽古場に、クラスに、グループに、
創作の場に存在する限り、
とにかく発言を求められます。
これは、すでに劇場という場所の「縮図」だったのだと発見。
劇場空間としての議会で求められることは、
おそらく、
まずマジョリティを疑うこと。
大好評の公演に対して、
自分が満足できなかった時こそが、
チャンス。
我慢できず、
公演中に劇場を出ていったおじさんが、
翌日、わざわざこの企画に出向いて、
大絶賛だったまわりの観客のブーイングの中、
その演出家にひたすら、
自分の見解を語っていた姿に、
思わず「ピュア」を感じました。
観客ひとりひとりが、
自立せざるを得なくなるような公演は、
成功と言われても、
失敗と言われても、
世界レベルの作品に違いない。

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