調子に乗ってる場合じゃないと思ったこと。

『ハムレット』の有名なシーン、
「生きるべきか、死ぬべきか…」に続く、
オーフィリアとのシーンのオフィーリア役を頼まれ、
その場限りだと思って、
「いいよ!」と言ったのが、
2ヶ月前。
というか、頼んできた18歳の男の子があまりにも美貌すぎて、
断れませんでした笑
そして、これが、
困難の始まり…
やはり、国籍に関わらず、
役者として、合う、合わないはあります。
絶対に。
クラスでも、自然消滅していくシーンがいくつもあるのですが、
この『ハムレット』は、消えなかった。
つまり、台詞を覚えて本格的に作品に取り組むということ。
さらに、先生が、
「せっかくだから、その後に続くオフィーリアのモノローグまでやりなさい」
と、提案し、血の気が引きました。
シェイクスピアの日本語翻訳がすでに、
難しいように、
このオフィーリアの台詞を、私にとって、
もはやフランス語でもなく、
どこかの星の呪文を、暗記する感じ。
でも、彼は、さっさと完璧に覚えてくるわ、
クラスの女の子が、衣装を持って来てくれるわ、
ピアノが得意な男の子が、即興で加わることになるわで、
後には引けない状況…
今までも、週に1回のペースくらいで、
発表していたのですが、
最後くらい、台本なしでやってやろう!と意気込んで、
3日間かけて、
モノローグを完璧に暗記しました。
発表のときも、完璧だったのですが、
終わって、ディスカッションの時、
私のシーンに関しては、一切触れてもらえませんでした。
帰りがけに、ハムレット役の子に、
今日は、こうでこうでこうで、全然違っていた、
と言われ、
おもわず、
「意味を、完全に理解してても、
外国語だから、言葉が、身体に影響してこない。
だから、あなたがつけた演出が浮いてしまう。」
と、とても不毛なことをいってしまい、
しょうがないから、自分で、
「だったら、なんでフランス来たの?って話になるよね…」
と言いました。
正直、私は、
台詞をこんなに完璧に覚えて来たことを、
褒められると思っていたから。
先生にも、
他の人にも、
彼にも。
恥ずかしすぎる…
語学学校じゃないんだから、
誰も、私に、
発音の良さとか、テキストをすらすら言えることとか、
求めていない。
この瞬間に、
はっきり、もう「例外」は通用しなくなった、
と感じました。
というか、いままで、
なんだかんだ、
当たり前のように、そこに甘んじていたと思います。
もし、日本に演劇が存在してなかったら、
話は別だけど、
自分の国にも、
たくさんの可能性を孕んでいる演劇界が存在しておきながら、
フランスに来ている限り、
そういうこと、
いうんだったら、
自分の国で勉強しなさい、という結論に至って当たり前…
「逆境」にいるときは、
意地でも、「言い訳」だけは、
慎もうと思いました。
それは、自分をより「不利」な状況に導く。
夜、彼にメールで、
「すいませんでした、1月からもがんばります」
と、送ったら、
「人に何かを頼むとき、
可能性があるから、その人にお願いするのであって、
それは、外国人とかフランス人とか関係ない」
「でも、一人で、頑張ろうとするのだけは、やめてほしい」
と言われました。
たしかに、一人で苦労している気になって、
頑張ることって、
「演劇的」じゃない。
私は、いかに、そういう部分をクラスのみんなに見せないかが、
みんなと対等になれる鍵だとか、
勝手に思っていたけど、
私は、日本人で、外国人であることは、
どんなに頑張っても隠せない。
だったら、そういう「異物」として、
「異臭」を放てばいいでしょう。
そう考え直して、最終日の今日は、
ハート型にきった紙に、
みんなの名前をカタカナで書いて、
「クリスマス、おめでとう!」
と日本語のメッセージを添えて、渡しました。
みんなに、素敵なクリスマスが訪れますように◎
800px-Alexandre_Cabanel,_Ophelia
アレクサンドル・カバネル作 「オフィーリア」

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