フランス的本番の様子。そして、次は、日本です。

昨日、『MANEGE』パリ公演、両日満員にて、終了しました。
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予約していた人が来なかったり、遅刻したり、
当日券が30人ぐらい並んでしまったり、
あいかわらず、フランスっぽい理由で、
開演がかなり遅れてしまいましたが、
お客さんたちは、依然として穏やか。
22時15分ごろ、公演が終了したのですが、
それから劇場のバースペースで、
深夜すぎまで、団らん。
お客さんたちの、エネルギーがすごくて、
このフランス的な終演後の「討論」に慣れてない私には、
第二部という感じでした。
昨日は、最終日だったので、
なんと、深夜の2時まで劇場を開放してくれて、
もちろん、劇場の人たちも最後までつき合ってくれました。
パリ郊外のモントロイユの劇場のディレクターが、
観に来てくれて、とても好感触。
3回目の再会を、楽しみにして解散しました。
さて、私の次回公演は、なんと日本です。
アトリエ春風舎プロデュースvol.4 Q第4回公演
『虫』
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http://qchan9696.web.fc2.com/Q/next.html
日本語での、公演は、1年半ぶりで、
1年半しか経ってないような、
1年半も経ってしまったような。
今日は、母に突然、
「10年は、続けなさい。」
と、言われて、肯定的に驚きました。
今も、そうだけど、
昔から、
私のまわりは、才能のある人で溢れている。
そのせいか、私は、いつも結果を求めて、焦っていて、
その時も、
「医者や、弁護士になるのにも、10年以上かかるから。」
と、母に言われたことに、
すがって続けてきました。
この、「10年」という数字と時間をどうとるかは、
自分次第だけど、
生半可な時間でないことだけは、確かだと思います。
1日が、7回で1週間。
1週間が、4回と数日で1ヶ月。
1ヶ月が、12回で1年。
1年が、10回で、
「10年」
多分、
今日の「1日」なしに、
「10年」は存在しない。
最近、つくづく愛おしく思うのが、
日々の「しょぼい」成長。
明日の「1日」を、頑張る気持ちをくれるから。
そんな「1日」が集まって出来た、
「10年」なら、
信用してやってもいいと思う。

もうすぐ、『MANEGE』本番!! 〜フランスで公演を打つには?〜

あと、3日で本番です。
先週から集中稽古が始まり、
パリ市内のフォトスタジオを格安で借りて、
追い込みの真っ最中です。
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この作品は、昨年5月にコンセルバトワールのホールで上演されて、
(当時のブログ:http://millcorun.blog.fc2.com/blog-entry-199.html
そこで、観に来てくれた劇場のディレクターが、
現在、パリの20区で行われている、
若手カンパニー向けのフェスティバルにプログラミングしてくれてました。
FESTIVAL PÉRIL JEUNE
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http://www.confluences.net/
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さて、このように、
フランスで、アマチュアの劇団が公演を打ちたいと思ったとき、
フランスの一見、有意義に思われる劇場システムが、
邪魔をしてきます。
フランスの劇場は、
日本で言えば、「小劇場」的な小屋でも、
1年間の上演スケジュールが、毎年9月に発表されます。
その演目を決めるのは、
もちろん各劇場の芸術監督。
貸し館公演が非常に少ない。
つまり、お金を出したからと言って、
無名の劇団が、そう簡単に劇場を借りることが出来ないのです。
他には、このようなフェスティバルの書類審査を受けるか、
企画書を、直接劇場に持ち込む。
アビニョン演劇祭(OFF)のような、
選考なしに、公演できる場を与えてくれるような機会は、
めったにないそうので、
夏、アビニョンにあれだけの演劇人が集まるのも、
当たり前だな、と実感。
(アビニョン演劇祭に関するブログ:http://millcorun.blog.fc2.com/blog-date-201207-9.html
そこで、重要になってくるのが、
劇場関係の人とのコンタクト。
国立のコンセルバトワールレベルになれば、
黙っていても、
公演ごとに、劇場関係の方々が、若手の才能を探しにやってくるでしょうが、
そうでもなければ、
とにかく自力で、
お金を集めるのではなく、
プロフェッショナルまわりの人たちに作品を観てもらうことが重要になってきます。
「つて」という「つて」は、
すべて頼ります。
一方で、
フランスの演劇システムは、
作品に優しい。
いい作品は、
何度でも何度でも、
繰り返し上演することが可能だからです。
舞台芸術は、
公演期間がなくなったら、
消えてしまう。
でも、関わった人たちに憑依して、
続いていく、可能性がある。
作品を生み出した私たちは、
いつのまにか、作品に憑依されて、
なんだか、
むしろ、
作品に動かされている感じ。
個人的なことですが、
去年、この作品に関わったときは、
正直、言葉の問題で、
細かいニュアンスまで、理解できていませんでした。
恥ずかしながら。
昨日、稽古中に、
自分の出ていないシーンを演出家と一緒に観ていて、
あまりにもいろんなことが、
すとんと、理解できて、
感動して泣きそうになってしまいました。
思わず、みんなに、
「この作品、いい作品だね。」と感想を言って、
「いまさら!?」
と、笑われてしまったけど、
私たちは、
自信を持って、
金曜日、
さらに進化した『MANEGE(マネージュ)』初日を迎えます。

泣き虫の底力。モリエール『タルチュフ』×ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』

本日、ドラマツルギーの授業、第2回目。
今日の課題は、
モリエール『タルチュフ』より、
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フランス演劇界では誰もが知っているほど有名な、
お互い好き合っているのに素直になれない恋人同士のシーンを、
(第2幕 第4景 マリアンヌ&ヴァレール)
前にこのブログに書かせていただきました、
ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』より、
http://millcorun.blog.fc2.com/blog-entry-229.html
”Altération”(「変質」)の章を用いて、
「身体的動作」として、再解釈し、発表するというもの。
フランス人でも、課題を理解するだけでも精一杯というほど、
この授業は、とにかく難解。
簡単に、タルチュフのシーンのあらすじ。
マリアンヌとヴァレールは恋人同士。
マリアンヌは、父親にタルチュフと結婚するように言われる。
ヴァレールは、やめてと言いたいのに、意地を張って、結婚したらいいという。
マリアンヌもまた、やめてと言ってほしいのに、意地を張って、他の女の人のところにいけばという。
”Altération”(「変質」)に関するレジュメ。
以下引用。
恋愛の領域に見られる現象で、恋愛対象についての反・イメージの瞬間的産出。
恋愛主体は、ほんのささいなできごと、かすかな表情などが原因で、
「善きイメージ」が突如として変質し、転覆するのを見る。

要は、なにか、
他人にとってはどうでもいいようなことで、
好きな人に対して、「冷めて」しまうこと。
つまりは、この現象をタルチュフのシーンに組み入れていくということ。
2人組になって約40分間の創作時間が与えられたのですが、
もちろん、時間は、全然足らない。
各グループ、未完成ではありながら、
さまざまなプロポジションが提示されました。
「冷める」恋人のささいなしぐさ。
・いいところで携帯電話がなり、しかもそれに応答する。
・パンツがお尻にくいこんでしまうのを直す。
・握られた手が湿っている。
などなど。
ちなみに、先生が本当にやりたかったところまでたどり着けたのは、
1グループだけで、
あとは、最後までやらせてももらえず。
タルチュフの戯曲を解釈することが目的なのではなく、
あくまで、いかに具体的な「状況」というものを、
提示できるかがポイント。
私のグループは、
作品としては、完成していたし、
先生に、提案も悪くないと言われたのに、
私が、台詞を覚えられなかったため、
パロディにしかならない、と言われ最初の3行しかやらせてもらえませんでした。
これは、一番最悪なパターン。
しかも、もっと最悪なのが、
実は、ここ3日間、計5時間以上かけて、
3ページの台詞を覚えたはずのに、
舞台の上で、演技と一緒になるとやはり出てこないという事実。
去年から、わかっていたことなのに、
最後のつめの甘さで、こういう結果になりました。
100が完璧だとしたら、
80くらいでやめることは、
残念ながら、0と変わらないということ。
正直、99でも、0と変わらないかもしれない。
それぐらい、たとえ授業であっても、
舞台の上は神聖で、
恐ろしい場所だ。
まだ、授業が始まって2週間しかたっていないので、
なかなかクラスの生徒ともなじめないでいたのですが、
演劇の場合、
人に心を開くことも、仕事のひとつ。
いますぐ帰って、閉じこもりたかったけど、
パートナーだった子に、
本当は、たくさん時間をかけて一生懸命覚えたのに、
人前に出たら、台詞出てこなくて、
本当に悔しかった。
次は、もっと、完璧に覚える。
と、伝えました。
もちろん、泣きました。
いい年して、いい加減人前で泣くのもどうかと思うけど、
私にとっては、
そのまま、話さないでさっさと帰って家で一人で泣く方が簡単だった。
でも、やっぱり、ここは、「学校」だから、
これからも、1年間つき合っていく同志だから、
自力で伝えました。
そしたら、
おなかすいたね、
と言われて、
スタジオに残っていたメンバーでお昼ごはん。
新学期、
新しい環境で、新しい人にたくさん出会って、
一番にやること。
「潔く、何回でも失敗できる場をつくる。」
失敗の可能性の低い挑戦は、
当たり前だけど成功の可能性が高い。
成功の可能性が低い挑戦は、
当たり前だけど失敗の可能性が高い。
そして、
成功の可能性が低い挑戦には、挑戦の「数」が必要。

死ぬほど悔しかったこと、そして、「勇敢」と「無謀」の違いは?

国立コンセルバトワール受験に向けて、
9月半ばから準備を開始しました。
6月に国立コンセルバトワールの生徒たちによる公演に、
ひょんなことから出演したのですが、
そのときのリーダーだった学生が、
なんと、私の今年の受験を全面的に指導してくれることに…!
感動。
無償で、人に何かをしてもらう場合、
彼にとって、利益になることといったら、
私の日々の成長と、最終的な成果でしかないので、
こちらとしても、まるでエスカレーターを上るように、
二倍の速度で、進んでいく感じ。
国立コンセルバトワールと、ストラスブールにある高等コンセルバトワールの卒業生は、
le jeune théâtre national(JTN)という組織に入ります。
http://www.jeune-theatre-national.com/index.php
このアソシエーションは、演劇に関わる若いアーティスト(主に俳優)を対象に、
稽古場、小道具、大道具の提供、
クリエーション企画の援助、助成、
そして、各劇場プロダクションに若い俳優の雇用を促すため、
通常の半分の給料でJTNの俳優に出演依頼することができ、
その半分をJTNが負担してくれるそうです。
支援期間は、卒業後、主に2年間。
つまり、彼は、今年からJTNのメンバーになったので、
稽古場も自由に使うことが出来ます。
ということで、私のための稽古なのに、
本日はJTNで稽古。ありがとうございます。
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とにかく、私にとって大難関である、
アレクサンドラン(http://ja.wikipedia.org/wiki/アレクサンドラン)の課題から取り組もうということで、
先週からすでに、マンツーマンで6時間もやっているのですが、
まだ、最初の1ページも終わっていない。
私が、アレクサンドランのシーンとして選んだのは、
ラシーヌ『アンドロマック』
http://ja.wikipedia.org/wiki/アンドロマック
超最強片思い物語です。
彼とのレッスンのあとは、
公園で自主練。
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そして、昨日、月曜日、
コンセルバトワールの授業の課題としても、
ラシーヌのテキストを各自が選んで、
年間をかけて取り組むかとになっていて、
「何か、読んでみれそうなものある?」
と、先生に聞かれたので、
この1週間、毎日1時間以上は練習していた、
『アンドロマック』の1ページ目を皆の前で読んだら、
「彼女は、外国人なのに、果敢にもラシーヌの台詞に取り組んで、なんて、勇敢なんだ。」
「外国人なのに、アクセントもなくて、すごく綺麗だ。」
と、褒められました。
死ぬほど悔しくて、少しの間呆然としてしました。
家に帰って、練習しても、
絶対に、フランス人と同じように発音することは、
不可能なのに、
なぜやっているんだろう、
と、そんなことばっかり頭に浮かんで来て、
涙が出てくるのに、
やっぱり、口は勝手に音読し続けていました。
先生の言う通り、
多分、いくらやっても、
私のアレクサンドランを扱うことは、
「外国人なのに、」という前置きがなければ、
讃えられものにはなり得ない。
自分でも、なぜ、外国語で演劇やってるのか。
この本質的なことを、問われると、いま、明確な答え言葉にすることは出来ない。
でも、確実に、自分には、目指すとこがあって、
自分の現在の「無謀」だからこそ、「勇敢」でいられる状態を、
肯定するために、
通ってきた道を、くっきりと残す必要があると思っています。
やればやるほど、
自分のやっていることが無意味に思えるとき、
そこに、意味を見いだすことよりも、
欲求の存在を再確認する。
自分を突き動かす何かがあるから、
意味なんてないかもしれないけど、やっていること。
もしかしたら、
想像し得る利益なんかより、
よっぽど大きな「答え」が見つかるかも。
でも、正直、こんな暑苦しい思想なんかじゃなくて、
私の「無謀」な「勇敢」を信じて、
手を貸してくれる人がいること。
そのことだけで、頑張ることができてしまったりする。
人間って、単純。
そして、情けない。
でも、可愛い。
やっぱり、私にとって、
「勇敢」と「無謀」は、紙一重。
「無謀」だから、戦える。
「勇敢」だから、戦える。
ついでに、「無名」だから、負けても失うものは何もない。
昨日、25歳になりました。
一番怖いのは、
過信したまま、
挑戦しないで、
挑戦しないから、
負けないまま、
大人になってしまうこと。
もう大人だからこそ、
いつもいつも、
死ぬほど怖いし、
いろんな言い訳したいけど、
やっぱり、毎日の終わりには、
もうちょっとだけ、やってみようと思う。

日本人だから使われることに関して。

先週は、とにかく怒濤の一週間でコンセルバトワールの始まりと共に、
小さな出演依頼がありました。
今月16日から11月17日までパリの郊外にある
theatre95(http://www.theatre95.fr/pages/)という劇場で行われる、
『UNE MAISON EN NORMANDIE』(あるノルマンディーの家)
http://www.theatre95.fr/pages/une-maison-en-normandie
という作品で使われる映像に出演しました。
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今年の6月にちょっとだけ出演した国立のコンセルバトワールの公演を、
見に来てくれた人から、
依頼されて、
もちろん日本人の役。
物語に出てくるある青年の日本人の彼女役。
ただ、台詞はすべてフランス語でした。
きっかけとなった国立のコンセルバトワールの公演にしても、
日本人だったから、出演できただけだし、
今回の作品も、日本人の若い女優がいなかったから、
私に頼まれただけだし、
本当に依頼理由としては、日本人ということ以外に何もないんじゃないか、
と思いながら、いつもそれでも、
やっぱり頼まれたら嬉しいからやってしまう。
日本人の顔立ちで、
日本語を話すことだったり、
フランス語を外国人のアクセントまじりに話すことは、
確かに誰でも出来ることかもしれないけど、
演劇のクリエーションの本質とは、その外側にあると思う。
例えば、共演者、スタッフとの対し方だったり、
自分のプロポジションを提示することだったり、
そういう部分で、私の日本人としてのバックグラウンドが役に立てば、
5%くらいでも、私がやる意味があると思う。
とにもかくにも、
知り合いも友達もゼロのところから始めた訳だから、
今は、
どんなことでも、
頼まれた仕事は断らない。
そして、100頼まれたら、101以上はやる。
これだけ、守っておけば、
少しずつ、少しずつ、進んでいく。
ちなみに、少しずつ以外の前進は、
少しずつの幅が、たまに大きかったりするだけで、
やっぱり、昨日も今日も明日も地道にやっていくしかないと思う。
もちろん、大きなチャンスというものは、巡ってくるんだけど、
それを、「掴む力」というのは、待ってるだけではやってこない。
それが、去年、全力で突っ走ってわかったこと。
望む気持ちが大きければ、チャンスが巡ってくる率があがる。
日々の努力を怠らなければ、そのチャンスをものにする率があがる。
このふたつ、実は、簡単そうで同時進行がなかなか難しかったりする。
『UNE MAISON EN NORMANDIE』の作・演出のJoël Dragutinさんは、
ここの劇場のディレクターで、
来年末に、大阪の劇場とのクリエーションなども企画されているそうです。
現在、パリで開催中の秋の演劇祭『フェスティバルドートンヌ』(Festival d’automne à Paris)
のプログラムを観てもわかるように、
http://www.festival-automne.com/program-2012.html
(田中泯さん 、五反田団、青年団、笠井叡さん)
今後、舞台芸術界での日仏間交流がどんどん盛り上がっていくことを願って。
なにしろ、常に感じるのは、
フランス人は、日本が好きだということです。