【豊岡演劇祭2020 フリンジ】「民主的演技」を考えるワークショップミーティング

みなさん、こんにちは。竹中香子です。
普段は、フランスで演劇をやっています。

國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』という本があります。
哲学の先生である國分功一郎氏が、一般の人から寄せられた人生相談に答えていくというシンプルな本です。
この本を読んだときに、俳優として、この本で展開されている國分氏と相談者のような関係を、演出家及び共演者、スタッフと結ぶことができたら、演劇界は革命的に変わると直感しました。

哲学の先生の人生相談というと、なんだか小難しい教えを請うというイメージですが、國分氏はとにかく相談者の文章を読み解きます。
セックスの悩みから、恋愛相談、上司の愚痴まで、正直、しょうもないと思える相談もたくさん…。しかし、國分氏は、相談者の一文一文と真摯に向き合い、そこに隠された「真理」を見つけようとします。自分の引き出しから何かを取り出すのではなく、あくまでも、相手の引き出しから何かを見つけ出そうとする。この行為は、相談者が自分とはちがう人間であることへの自覚と、それゆえの相談者に対する敬意と信頼がなければできないことでしょう。

他者の話を全力で聴き、他者の自立をそっと促す。
なんて民主的な空間が実現されていることでしょう!

「演じる」という行為もしかり。
「演じる」という行為は、自分と異なる他者の思想に耳をすまし、
「わたしとあなたは違う」を知覚するところからはじまる非常に民主的な行為です。

というわけで、私からみなさんに与えられる演技のスキルやアドバイスは一切ありません。
演技における民主的側面を考えるきっかけになれば幸いです。

【企画の概要】

「演技」というもの、あるいは、演技が生まれる「現場」を、社会背景とセットで考えてみようという企画。多文化多民族国家であるフランスの演劇教育、及び劇場の役割を紹介したのち、多文化多民族国家に求められる「民主的」演技のかたちを考えるワークショップの実践を行う。参加者とともに、人々の多様性を認識することを目的とした、学修者主体の演劇教育現場、および、主体性を獲得した俳優たちが可能とする「民主的」な創作現場の条件を考える。

【ワークショップ内容】

1.フランス国立高等演劇学校における演劇教育の紹介(約30分)

2.「わたしとあなたは違う」を知覚するためのワークショップ実践(約65分)
ZOOMブレイクアウトルーム機能を使用した参加型ワークショップ。

休憩(10分)

3.日本における「民主的」な演技が生まれる創作現場を考えるミーティング(約45分)
あらかじめ参加者から募集した演劇の創作現場及び教育現場における「モヤモヤ」を他の参加者とも共有し、「モヤモヤ」との新しい付き合いや解消方法を模索する。

【日時】

9月17日(木) 18時30分~21時

9月18日(金) 18時30分~21時

9月19日(土) 14時30分~17時

*各回とも同じ内容になります。ご都合の良い日時をお選びください。
*各回6-12名の参加者を予定。
*各回とも、15分前よりZOOM設定の案内開始。不安な方はお早めにお入りください。

【料金】

一般:1000円

学生:500円

前半後半問わず、演劇祭パスポートをお持ちの方:無料  (こちらからどうぞ。)

*peatixよりご購入ください。→ https://minshutekiengi.peatix.com/view
*チケットの販売は各日とも開演1時間前までとなっております。
*コンビニ決済をお選びの方は、開演1時間前までのお支払いをお願いします。未決済の場合、視聴URLをご案内できません。
*定員となり次第販売終了いたします。

【対象】

– 演劇の創作現場でなんらかの「モヤモヤ」を抱えている演劇関係者の方々(演劇を志す学生、俳優、演出家、スタッフ)
-(演劇)教育の現場でなんらかの「モヤモヤ」を抱えている教育関係者の方々

【参加方法】

オンラインミーティングツール(ZOOM)を利用したワークショップミーティングです。チケット購入者には、開始の30分前に、Peatixにご登録のメールアドレスに参加リンクをお送りします。

*事前にZOOMアプリのインストールをお願いいたします。
https://zoom.us/download

*開始時間15分を過ぎてのご参加はできません。あらかじめご了承の上ご購入ください。開始時間5分前までのご集合(ZOOMミーティングへの参加)へご協力をお願いいたします。

【竹中香子プロフィール】

1987年生まれ、埼玉県出身。2011年、桜美林大学総合文化学群演劇専修卒業。幼少期に、親の都合で中国に滞在。全く中国語ができないのに、北京の現地小学校で1年間サバイブした経験から、2011年、全くフランス語ができない状態で、演劇を学びに渡仏。2013年、日本人としてはじめてフランスの国立高等演劇学校の俳優セクションに合格し、2016年、フランス俳優国家資格(Diplôme National Supérieur Professional de Comédien)取得。パリを拠点に、フランス国公立劇場の作品を中心に多数の舞台に出演。Gillaume Vincent演出作品に多く出演する。第72回アヴィニョン演劇祭、公式プログラム(IN)作品出演。2017年より、日本での活動も再開。一人芝居『妖精の問題』(市原佐都子 作・演出)では、ニューヨーク公演を果たす。日本では、さまざまな大学で、自身の活動に関する特別講義を行う。2020年より、カナダの演出家Marie Brassardとのクリエーションをスタート。2020年秋からは、フランス演劇教育者国家資格(Diplôme d’État de professeur de théâtre)取得のための2020年度研修クラスに参加し、演劇公演と並行し、演劇教育を学ぶ。

主催:竹中香子
提携:豊岡演劇祭実行委員会

<免責事項>
■キャンセル・再発行について
・ご購入後は原則として、開催中止の場合を除き キャンセル・返金不可です。
・やむを得ない事情によりキャンセルの場合は主催者までご連絡ください。
・チケットは、紛失、盗難、破損、 その他いかなる事情によっても再発行いたしません。

■譲渡について
チケットの譲渡は不可です。

■販売の終了・再開について
チケットの販売期間中であっても、販売予定枚数に達した時点で販売を終了いたします。
但し、追加開催を行う場合は、 チケット販売を再開することがあります。

コロナ以前作品の再演、怖くないですか。

フランスで新型コロナ感染者が1000人単位で増え始めた3月中頃、

2ヶ月くらい日本に避難しようと、

絶対に虫に食われたくないカシミヤセーター2枚だけを持って、

飛行機に飛び乗ってから早半年。

ここ10年でこんなにも長期的に日本に滞在したのも、舞台から離れたのもはじめて。

でも、演劇とは公演も稽古もなくても、べったりな毎日を過ごしていた。

演劇創作ができなくても、演劇の最強っぷりに、日々感嘆していた。

ちょっと外から演劇を眺めてもみても、これまた最高。

角度を変えて、また眺めてみても、全く飽きない。

つくづくわたしは演劇が好きなんだと思う。

俳優業ができないことも全く苦ではなく、日々演劇のことを考える。

 

そして、本日とうとうフランスに帰るまで1ヶ月を切る。

10月から教職研修と『千夜一夜物語』再演ツアーが始まる。

ちなみに、現在のフランスの感染者数は鰻登り。

1日あたり5000人単位で感染拡大が続いている。

 

コロナ禍で毎日耳にしていたの言葉、

アルコール消毒、手洗い、ソーシャルディスタンス。

これ全部、『千夜一夜物語』の再演をする上で無理です。

出演者みんな最低一回はキスシーンあるし、

裸で床にみんな一緒になだれ込むシーンあるし、

めっちゃ近くで怒鳴りあったりするし。

作品のドラマツルギーにより、強固に構築された数々のシーンが、

コロナ禍の身体感覚の前で、音を立てて崩れ去っていく。

そもそも、フランスやスペイン、イタリアなど、ヨーロッパのラテン系の国で、

コロナがあそこまで蔓延したのも、身体の距離間のせいだと思う。

3月はじめに、フランスでも、もう頬と頬と合わせてキスする挨拶はやめようという動きはあったが、

実際は、ハグもキスもそんなに減ってなかった。

日本人にとって、室内で靴を脱ぐことをやめろと言われるぐらい、

習慣を変えるというのは一筋縄にはいかない。

 

わたしは、フランスで完全外出制限が出される前に日本に戻ってきたので、

コロナ禍では、日本の身体感覚でこの半年間を過ごしてきた。

この身体感覚で、上記の演技をすることは、

フィクションといえど、ハレーションが生じることは目に見えている。

脱げといわれたからすぐ脱げる、泣けと言われたらすぐ泣ける俳優を、

そもそもわたしは目指していない。

それがプロの俳優と定義される現場なら、それは危険だから、わたしはやらない。

コロナ禍で身体感覚は明らかに変わったのに、コロナ以前に創られた舞台作品を、「もう作品として出来上がっているんだからやれ」「はい、わかりました」という態度は、

演劇に敬意を示すならとるべきではないと思う。

わたしは「怖い」から、プロの俳優として、

演出家にも共演者にも、しっかり「怖い」と伝えるつもりだ。

だって、怖いよ!

この「怖い」気持ちを無視するのは、

演劇という芸術に携わるものとして、わたしは間違っていると思う。

 

「怖い」という気持ちは、少しの対話と信頼で緩和されることは、もう知ってる。

もしかしたら、みんなの顔を見ただけで、もう怖くなくなってるかもしれないんだけど。

 

 

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長い長い夏休み最後の休日。津久井の森にて。

 

 

堂々と生きる練習。

オンライン版 市原佐都子『妖精の問題』、無事終了しました。

打ち上げ

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この作品は、2017年に、私のほぼ一人芝居として初演された作品で、

文字通り、血の滲むような思いで創作した。

俳優の私からみた、『妖精の問題』の記録。

東京初演:「いい俳優」なんて存在しない説

横浜再演:「効率の良さ」への楽しい抗い方

京都再演:「インストゥルメンタル」俳優の憂鬱、「コンサマトリー」俳優の爽快。

 

横浜再演の時に、もう何十回とみているのに、初めて見るかのように、

2部の「ゴキブリの歌」を、

音響デスクで、ノリノリで聞いている市原さんの顔をいつも思い出す。

 

市原さんと『妖精の問題』をzoomで再演しようという話が出た時から、

はっきり言って、

「このコロナの時期に、演劇人として、なにか社会のためにできることがあるか」

なんて、考えたことは一度もない。

私は、ただただ、このコロナ騒ぎが終わった後にも、

市原さんに作品を創り続けてほしいと思っていて、

そのためだったらなんでもやりたいと思っていた。

 

ぼんやりと、社会について何かを考えたり、願ったりということはあるけれど、

具体的に行動を起こせるほど、何かを考えたり、願ったりというのは、

本当に個人的な小さな小さな気持ちだったりする。

 

実際、毎週オンライン上でリハーサルを重ねるごとに、

仲間が増えて、一人芝居を6人で上演することとなった。

 

個人的には、

演劇が「超」価値を持っている国、フランスから、

今、日本に戻ってきていて、

日々、フランスでは必要のなかった「演劇人として堂々と生きる練習」をしている。

 

今、日本の自宅は、会社が閉鎖されても、リモートワークできちんと稼いでいる夫と、

劇場が閉鎖されて、失業保険をもらいながら、趣味と演劇に興じる妻(私)が、

同居している。

フランスから戻ってきた当初は、

オンライン稽古やオンラインヨガ、英会話などをする際、

相方の仕事の邪魔にならないように、と心がけていただが、

働き方は人それぞれ。

今、やっていることが、直接的に収入につながらない仕事だってある。

ということで、今は、日々「堂々と生きる練習」をしていて、

自宅から出演したこのZOOM演劇も、思い切り演じることができ、

小さな前進を感じている。

 

市原さんの『妖精の問題』のテキストより、

私は見えないものです
見えないことにされるということは
見えないことと同じなのです

 

私たち演劇人は、今、「見えないことにされて」いるかもしれない。

「見えないことにされて」いるときこそ、

堂々と生きる。

そして、自分にとって必要なものは、

全力で守る。

俳優と観客のための『共振力』のすすめ

遅ればせながら、2020年もよろしくお願い致します。

『千夜一夜物語』フランス地方ツアー、2020年度2都市目は、ブザンソン。

スイス国境近くに位置するこの街は、かのヴィクトル・ユーゴーを輩出した街でもある。

 

さて、ブザンソンは、演出家ギヨーム・ヴァンサンにとって、特別に思い入れのある街で、

彼が無名の時代から今まで、全作品に出資していた劇場だそう。

フランスの場合、カンパニーだけで作品製作を受け持つことは珍しく、

特に公共劇場の場合は、地方の劇場も、作品が出来る前から、co-productionというかたちで、共同出資する。

2年目の地方ツアー先は、出来上がった作品を観て、気に入れば作品が買うわけだが、

1年目の地方ツアー先は、作品が出来る前から、お金を出してくれた、いわばビジネスパートナー的な劇場なので、これからの関係性のためにも、作品で恩返しすることが重要だと、私は考えている。

つまり、ブザンソンの街の公共劇場は、

ギヨームのビジネスパートナーとして、

彼が若い時から、彼のカンパニーと共にリスクをとって、彼の創作を支え続けた歴史がある。

パリの劇場の場合、ある劇場に訪れる観客は、作品によっても変わるが、

地方に行けば行くほど、観客は固定化する。

つまり、劇場のカラーは、「観客」がつくるというっても過言ではない。

 

そんなブザンソンの観客は、天下一品。

ここ3年くらいで、フランスの40都市近くの街で、公演を経験してきた私だが、

いまだかつてブザンソンほど、質の高い観客を抱える劇場には、出会ったことがない。

最初に訪れたのは、2年前。今回で、2回目である。

ブザンソンの観客の何がすごいかというと、

それは、『共振力』の高さである。

この言葉は、数年前に、落語についての作品をフランス人とつくっていて、

落語と仏教の関係について調べていた時に、学んだ言葉である。

 

説教と語り芸能の深い関係における、落語の「共振力」について書かれた素晴らしい本がこちら。演劇にも共通することもたくさん書かれている。

『落語に花咲く仏教 -宗教と芸能は共振する』朝日選書-釈徹宗

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この本によると、

落語はとても動きが制限されているがゆえに、多くの共振現象を起こすともいえる。それが落語の特性なのだ。落語は聞き手のイマジネーションに頼った話芸である。

釈徹宗『落語に花咲く仏教 宗教と芸能は共振する』(2017) p.146

 

これは、多様な表現形態からなら現代演劇に直接当てはめて、「多くの共振現象」を起こそうと考えるのは、少々酷である。

 

では、以下はどうだろう。

語り手と聞き手のイマジネーションが共有されると、その場は高度なものになる。もっと高度な場になれば、その場にいる大勢のイメージがかみ合い出し、まるで宗教のような場がクリエイトされ、非日常へとジャンプさせてくれる。

(中略)

つまり、説教も落語も、語り手と聞き手の双方が「自らその場にチューニングしていく」ことで成り立つのである。

釈徹宗『落語に花咲く仏教 宗教と芸能は共振する』(2017) p.147

 

ここで、書かれている「語り手」と「聞き手」の関係を、

「俳優」と「観客」に置き換えると、双方に、「自らその場にチューニングしていく」能力が求められることになる。

落語において、観客に求められるスキルとレスポンサビリティは非常に大きいということがわかる。

 

そして最も重要なことは、その場にシンクロすることができれば、心身が心地よい喜びに満たされるということである。我々はシンクロした場が心地よいと感じる心身をもっている。これは、遥か古代から連綿と続いてきた人類の本性である。

シンクロした場を繰り返し経験することで、チューニング能力も身についてくる。

釈徹宗『落語に花咲く仏教 宗教と芸能は共振する』(2017) p.147

 

ここで書かれている「チューニング能力」を「共振力」と捉えると、

ブザンソンの観客の「共振力」は非常に高いといえる。

まず、舞台芸術空間において、「観客」という自分たちの立場が必須要素であるという自覚が極めて高い。

舞台に出た瞬間から、尋常ではない観客の集中力にさらされる。

そこから、徐々に、この空間において俳優と観客が「シンクロ」していくための、

「チューニング」が始まり、一気に「共振」へと向かう。

 

公演後の劇場ロビー及びバーの賑わい方も半端ではない。

3時間に及ぶ公演にもかかわらず、「シンクロ」を経た成果、俳優も観客もエネルギーに満ち溢れていて、そこかしこから笑い声が絶えない。

 

『共振力』は、決して、俳優だけが身に付けたい能力ではない。

俳優たちだけの力によって、何かとてつもないものを、この場に産み落とそうと闇雲になるのではなく、

ちょっと肩の力を抜いて、私たちの身体に備わっている『共振力』に頼ってみる。

俳優が与える側に、観客が受け取る側に徹するのではなく、

その間に生まれる、全く新しいものを恐れない力。

言葉にするのは、本当に難しいけれど、

公演が終わって、いつもとは違う拍手に包まれていた時、

もう何度も公演しているのに、ちょっと泣きそうになって、急いで楽屋に戻った。

あとで、40歳を越したベテラン俳優たちと話していたら、彼らもそうだったようで、

「なんか感動しちゃった」と、

すこし赤くなった目で、照れ笑いしていた。

 

 

 

生理中の舞台出演(裸)での愉快な裏話

私たちが小学生の頃、

修学旅行の前の週に、

女子だけ別の教室に集められて、

生理用品の使い方の説明を受けた。

生理という現象に対する理解より前に、

すべての女子が真っ先に理解したこと:

「生理」は、恥ずかしいことで、男子に隠すべきことである。

口にすることも憚れるような「生理」という言葉に、

伝染病のようなイメージが付きまとい、

初経を迎えてすぐのころは、

自分の血がついたパンツが気持ち悪すぎて、手洗いできず捨てたこともある。

 

さて、それから20年後。

「生理」は病気でも、恥ずかしいことでもない、

ただ月に一回女性に訪れるちょっと面倒くさい期間である、

(その数日前からちょっと機嫌が悪くなるので要注意)

という認識をしっかりと共有しているフランスの男性、女性たちに囲まれて、

生理中の舞台出演(裸)での愉快な裏話がたくさんあった。

 

まずは、タンポンの挿入。

普段、使用していない私は、

タンポン装着に非常に苦労する。本番前のストレスが重なればなおさら。

全員ウェディングドレスで始まるオープニング前、

かさばるウェデングドレスをたくし上げて、

タンポンが入らず、トイレで半泣きしていたら、

私よりさらにかさばるウェデングドレスを着た共演者の女優が走ってきて、

「力むと膣が閉まっちゃうから、呼吸してー。吸ってー。吐いてー。」と、トイレの扉越しに指示。

「入ったーーーーー!」と叫ぶと、彼女に強く抱きしめられる。

涙で崩れてしまった化粧を直しながら、

ダッシュで舞台袖に戻ると、

女性の衣装さんと男性の技術スタッフが、

ハサミと黒の油性ペンを持って待ってくれている。

タンポンの白いひもが、股から垂れ下がっているので、

それを黒く塗ってから、ちょっと短く切れということらしい。

真剣な顔の二人に思わず、笑ってしまう。

時間はないので、自分の毛の色に合わせて色を塗る。

これで、ようやく集中して、舞台で思いっきり演技ができた。

 

翌日は、慣れたもので、前日の過程をひとりで淡々とこなし、

共演者への男の子に、

「生理だからちょっと臭うかも」と伝えるという配慮も忘れず、

(「全然気にしないで、俺の汗のが臭いから」とさわやかに返される)

もうこれで完璧と確信して、舞台に出る。

1部後半、下半身に変な感じがすると思いながら、

1部と2部の休憩時間に舞台袖にはけると、

ドレスの下が血まみれになっている。

ホラー映画のようなグロテスクな惨状に、小さな悲鳴をあげる。

オートクチュールの衣装までも血だらけ。

男性の衣装さんが走ってきて、

「人の血ですか?血糊ですか?」と真顔で質問される。

「人の血です!」

「了解しました」と、私の衣装を持って去っていく。

どうやら、血糊と人の血とで使用する洗剤が違うらしい。

 

私は、このような話を、よく観に来てくれたお客さん(女性でも男性でも)と笑って話すのだが、

日本語だとやはり躊躇してしまうところはある。

日本語で話す「生理」の話に、「下品」「汚い」というイメージが付きまとっているからである。

 

そんなイメージをぶっ飛ばしてくれた、

最強の本がこちら、スウェーデン初の女性器と生理に関する漫画:

『禁断の果実 女性の身体と性のタブー』

 

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とにかく、絵が最高に可愛い!

フランスやドイツでも大ブームになった本。

タブーとされている言葉を、

あえてどんどん使っていくことで、

読者のタブー意識もどんどん溶かしていく、スマートなギャグ・コミック。

 

フェミニズムの問題に関して、

男性の意識を変えるのは、

いつだって女性。

生きづらさを感じていないのに、

自分を変えようと思う人なんていない。

でも、私が、その生きづらさもひっくるめて堂々としてれば、

自分の半径1メートルから変わっていく。

だから、私にとっては、

男性が生理に関するネタで笑っても、それはセクハラではなく、歩み寄りです。