『ほったらかしの領域』合宿参加メンバー募集中‼︎

みなさん、こんにちは。フランスで俳優をしています、竹中香子です。

今年は、フランスの演劇教育者国家資格取得のための研修を受けていて、日々、教育について考えています。

演劇の教職では、実技・理論と共に、今まで俳優として当たり前にやってきたことすべてを「言語化」する作業が求められます。中でも、身体へのアプローチや感覚を「言語化」することの難しさを目の当たりにしています。

ある日、地域で一番予約がとれないことで有名な歌の先生による発声教授法のクラスにて、自分が俳優として一番言われたくないことを指摘されました。

「あなたは『la volonté(意志・意欲)』が強すぎる。」

さらっと一言いいはなち、また他の生徒に指導を始める大先生。ここ10年くらい「意欲」だけで突っ走ってきた俳優としてのキャリアを完全否定された気分になりましたが、勇気を振り絞り、「ちょっとその話詳しく聞かせて頂きたい」と苦笑いで志願してみました。

『la volonté(意志・意欲)』が強い人は、努力もするし、よくできるんだけど、それ以上にはいかない。なぜなら、身体の声を聞けてないから。常に、「I must…」でものを考えている。舞台に立つ人間は、「I dream…」でものを考え、自分の意志ではなく、「こうやれたらいいなあ」くらいで、体に身を委ねる必要があるとのこと。

なんと!たしかに、私は、先生に与えられる「正解」に向かって努力するのは得意だけど、自分の中にある「正解」を見つけるために、自分の身体に耳をすますことは超苦手。ずっと「能動的」に生きてきた人生を振り返りながら、私が尊敬してやまない哲学者・國分功一郎先生の『中動態の世界 意志と責任の考古学』の本から、「中動態」という言葉を発見しました。中動態に関するインタビューで國分氏は以下のように答えています。

 能動態と受動態の対立に支配された僕らの思考に対して、能動態と中動態の対立を別の思考の型として持ってくることで、普段、見えなくなっているものを見えるようにできるのではないか。僕はそんなことを考えながら『中動態の世界』を書いたんです。 

 その中で僕が最も強調し、また強く批判的に論じたのは「意志will」という概念です。「する」と「される」の対立、能動と受動の対立は意志の概念と強く結びついているのではないかというのが、僕が本の中で提示した仮説でした。というのも、能動というのは自分が自分の意志で行うこと、受動とは意志とは無関係に強制されることを意味するからです。それに対し、中動態では、先ほどの「惚れる」がいい例ですが、意志が問題になりません。(http://igs-kankan.com/article/2019/10/001185/

ふと考えてみると、自分の「意志」によって行動していることなんて本当に少ない。「歩く」行為ひとつとってみても、自分の意志で歩いてるかと言われると自信がない。ある状態が「現れる」かもしれない「プロセス」(あえて意志を問題にしない場所)に身をおいてみること。意志の領域のそと、「ほったらかしの領域」で、私の身体は何を発見するんだろう。

と前置きが長くなりましたが、そんな「ほったらかしの領域」に、私を誘っていただくべく、創作及び身体との関係において、「プロセス」を重視しているアーティスト、武本拓也さんと奥野美和さん、フィードバックモデレーター兼アーカイブ執筆担当として、ドラマトゥルクの朴建雄さんをお招きし、意志と身体を探索する一泊二日の合宿を企画しました。

企画概要

この合宿は、創作過程・作品ともに、「プロセス」に重きを置いているアーティストと参加者が、実践(ワークショップ)と対話(フィードバック)を通し、「意志」と「身体」の関係について、言葉にしてみながら過ごす一泊二日の「プロセス」である。また、未来の「観客」の存在に向けて、新しい思考・実践の道具を作り出すための記録/発信(アーカイブ)を試みる。

日時:2021年1月23日~24日(一泊二日)

場所:藤野倶楽部 柚子の家(JR藤野駅より車での送迎あり)

参加費:食事代(3食+おやつ+宅配料)65oo円 ※宿泊費は主催者側が負担。

参加メンバー

ワークショップ担当:奥野美和、武本拓也、竹中香子(プレワークショップ)

フィードバックモデレーター・アーキビスト:朴建雄

(全員で12名程度を予定しています)

内容詳細

企画内容の詳細、タイムテーブルや参加メンバープロフィール・コメントなどを以下のグーグルドライブに保存した企画書に掲載していますので、よろしければご確認ください。https://drive.google.com/drive/folders/1rccdwyr3vqyu3kp_JbjvRAHVNkZXg4tl?usp=sharing

参加メンバー募集中!!!

私たちと一緒に『ほったらかしの領域』合宿に来てくれるメンバーを若干名募集しています。ワークショップ受講者ということではなく、「共同研究」といった感じで関わっていただける方にぜひ参加していただきたいです。参加メンバー募集にあたり、プレイベントとして企画メンバー4人でのオンライントークを開催します。ご興味ある方は、まずプレイベントに来てみてください!

プレイベントについて

12月21日(月)21:00~22:00 

  • 「身体のプロセス」

上演するパフォーマーにとっての「身体のプロセス」について話します。

12月22日(火)21:00~22:00 

  • 「創作のプロセス」

パフォーマーの上演を観てフィードバックする「創作のプロセス」について話します。

ZOOM オンライン開催 無料

(参加を希望される方は、お名前を添えて「連絡方法」のメールアドレスまでご連絡ください。参加用URLをお送りします)

連絡方法

『ほったらかしの領域』のメンバーになってみたい!という方は、以下のアドレスに、タイトルを「ほったらかし合宿」として、下記3点を本文に記載の上、12月25日(金)23:59までにご連絡ください。12月中にお返事させて頂きます。

連絡先メールアドレス:hottarakasi2021@gmail.com

  • お名前
  • 普段どういうことをしているか
  • 『ほったらかしの領域』で考えてみたいこと

(字数制限はありません)

わたしが「民主主義」という言葉をつかう理由

コロナウィルスが「普通の」生活を完全に呑み込むまで、3日もかからなかったと思う。3月の初め、わたしはフランス・ブルターニュ地方の1000人規模のホールで公演をしていて、次のツアー公演までの1週間の休みをパリの自宅で過ごしていた。つい数日前まで、わたしたちは頬と頬で挨拶のキスを交わすたびに、おっと、コロナがうつっちゃう!と冗談を言って笑っていた。ところが、あっという間に感染者数は幾何級数的に増えていった。200人が400人、400人が800人、800人が1600人にという具合に。そして、3月13日金曜日、ベッドの中で、スマホの画面から公演中止のメールを読んだ。ベッドから起き上がれないまま、演出家に次の公演の時に伝えようと思っていたアイディアをショートメールで送りながら、なぜ今みんなと一緒にいることができないのかどうしても納得できなかった。昨年は、黄色いベスト運動によるデモで、1日だけ公演が中止になった。あの時は、みんなで決めた。楽屋の前の廊下で、大きな身体のフランス人たちが地べたに座って、横に長い円になって長い時間話し合った。今回はそれもできなかった。どんなに小さなことでも、話し合って決めてきたのに。公演の機会を奪われることよりも、わたしたちがなによりも大事にしてきた「話し合い」をコロナに奪われたことが、一番辛かった。

気持ちが整理できないまま日本に帰国したわたしは、民主主義について考えていた。かといって、政治について考えていたわけではない。2018年夏に放送されたNHKの番組で、「哲学界のロックスター」こと、マルクス・ガブリエル氏は、民主主義について聞かれ、以下のメッセージを残している。

 

日本に張り巡らされた網の目は窮屈かもしれない

だが そこにある見えない壁(ファイアウォール)を乗り越えないといけない

それを毎日アップデートすることが大切

日々 家族でも友人でも 冷笑的で反民主的な態度に出会ったら、ノーと言おう

みんなと違っても言おう

「自由」に考えることに最上の価値を置くべきです

(NHK BS1スペシャル「欲望の時代の哲学~マルクス・ガブリエル 日本を行く~」2018年7月15日放送)

 

今まで、社会主義とか、民主主義とか、政治体制など考えたこともなかったが、いきなり「民主主義」という言葉がわたしの身体に、ドゥルーズのいうところの「不法侵入」をし、ジジェクのいうところの「事件」を起こした。政治的な言葉だと思っていた「民主主義」が、哲学的な言葉として存在していた場面に遭遇したのだ。かつて、ミッシェル・フーコーは、哲学の役割をこのように定義した。

 

すでに久しい以前から哲学の役割は、隠れていたものを露呈させることではなく、見えるものを見えるようにすることだった。(中略)見えないものを見えるようにするのは科学の役割なのだ。(ミッシェル・フーコー,渡辺守章『哲学の舞台』朝日出版社,2007 p.148)

 

マルクス・ガブリエル氏は、毎日のように見聞きしていた「民主主義」という概念を、わたしに「見える」ようにしてくれたのだ。「日々、家族でも友人でも、冷笑的で反民主的な態度に出会ったら、ノーと言おう」には胸をつかれた。わたしはできていなかったから。

日本では、舞台で体験する演劇が好きだった。フランスに行ってからは、表舞台よりも舞台裏で営まれる「演劇」の虜になった。そこは、「民主主義」が実現されている場所だった。いつも笑顔でみんなのやりとりを聞いているだけだったわたしは、「冷笑的で反民主的な態度に出会った」とき、演出家でも、憧れの先輩俳優でも、ちょっととっつきにくい技術スタッフでも、徐々に「ノー」と言えるようになった。そして、わたしたちの中心には、作品に関係することでもしないことでも、どんな時でも「話し合い」があった。だから、コロナ禍で演劇の仕事が一切なくなったとき、わたしが、なによりも欠乏感を感じていたのは、「民主主義」だったのである。

豊岡演劇祭において、演劇を通して「民主主義」を考える、そして、感じる場を与えていただいたこと、心から感謝します。たとえ未熟でも、言葉にしようとしたことだけが、考えることにつながります。「言葉にしようとする」行為の連続が、なんだか大事そうだけど、超とっつきにくい「民主主義」という言葉を、もっと「見える」ように手助けしてくれるはずだと信じて。

https://note.com/toyooka_tf/n/n6086be229650

 

【豊岡演劇祭2020 フリンジ】「民主的演技」を考えるワークショップミーティング

みなさん、こんにちは。竹中香子です。
普段は、フランスで演劇をやっています。

國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』という本があります。
哲学の先生である國分功一郎氏が、一般の人から寄せられた人生相談に答えていくというシンプルな本です。
この本を読んだときに、俳優として、この本で展開されている國分氏と相談者のような関係を、演出家及び共演者、スタッフと結ぶことができたら、演劇界は革命的に変わると直感しました。

哲学の先生の人生相談というと、なんだか小難しい教えを請うというイメージですが、國分氏はとにかく相談者の文章を読み解きます。
セックスの悩みから、恋愛相談、上司の愚痴まで、正直、しょうもないと思える相談もたくさん…。しかし、國分氏は、相談者の一文一文と真摯に向き合い、そこに隠された「真理」を見つけようとします。自分の引き出しから何かを取り出すのではなく、あくまでも、相手の引き出しから何かを見つけ出そうとする。この行為は、相談者が自分とはちがう人間であることへの自覚と、それゆえの相談者に対する敬意と信頼がなければできないことでしょう。

他者の話を全力で聴き、他者の自立をそっと促す。
なんて民主的な空間が実現されていることでしょう!

「演じる」という行為もしかり。
「演じる」という行為は、自分と異なる他者の思想に耳をすまし、
「わたしとあなたは違う」を知覚するところからはじまる非常に民主的な行為です。

というわけで、私からみなさんに与えられる演技のスキルやアドバイスは一切ありません。
演技における民主的側面を考えるきっかけになれば幸いです。

【企画の概要】

「演技」というもの、あるいは、演技が生まれる「現場」を、社会背景とセットで考えてみようという企画。多文化多民族国家であるフランスの演劇教育、及び劇場の役割を紹介したのち、多文化多民族国家に求められる「民主的」演技のかたちを考えるワークショップの実践を行う。参加者とともに、人々の多様性を認識することを目的とした、学修者主体の演劇教育現場、および、主体性を獲得した俳優たちが可能とする「民主的」な創作現場の条件を考える。

【ワークショップ内容】

1.フランス国立高等演劇学校における演劇教育の紹介(約30分)

2.「わたしとあなたは違う」を知覚するためのワークショップ実践(約65分)
ZOOMブレイクアウトルーム機能を使用した参加型ワークショップ。

休憩(10分)

3.日本における「民主的」な演技が生まれる創作現場を考えるミーティング(約45分)
あらかじめ参加者から募集した演劇の創作現場及び教育現場における「モヤモヤ」を他の参加者とも共有し、「モヤモヤ」との新しい付き合いや解消方法を模索する。

【日時】

9月17日(木) 18時30分~21時

9月18日(金) 18時30分~21時

9月19日(土) 14時30分~17時

*各回とも同じ内容になります。ご都合の良い日時をお選びください。
*各回6-12名の参加者を予定。
*各回とも、15分前よりZOOM設定の案内開始。不安な方はお早めにお入りください。

【料金】

一般:1000円

学生:500円

前半後半問わず、演劇祭パスポートをお持ちの方:無料  (こちらからどうぞ。)

*peatixよりご購入ください。→ https://minshutekiengi.peatix.com/view
*チケットの販売は各日とも開演1時間前までとなっております。
*コンビニ決済をお選びの方は、開演1時間前までのお支払いをお願いします。未決済の場合、視聴URLをご案内できません。
*定員となり次第販売終了いたします。

【対象】

– 演劇の創作現場でなんらかの「モヤモヤ」を抱えている演劇関係者の方々(演劇を志す学生、俳優、演出家、スタッフ)
-(演劇)教育の現場でなんらかの「モヤモヤ」を抱えている教育関係者の方々

【参加方法】

オンラインミーティングツール(ZOOM)を利用したワークショップミーティングです。チケット購入者には、開始の30分前に、Peatixにご登録のメールアドレスに参加リンクをお送りします。

*事前にZOOMアプリのインストールをお願いいたします。
https://zoom.us/download

*開始時間15分を過ぎてのご参加はできません。あらかじめご了承の上ご購入ください。開始時間5分前までのご集合(ZOOMミーティングへの参加)へご協力をお願いいたします。

【竹中香子プロフィール】

1987年生まれ、埼玉県出身。2011年、桜美林大学総合文化学群演劇専修卒業。幼少期に、親の都合で中国に滞在。全く中国語ができないのに、北京の現地小学校で1年間サバイブした経験から、2011年、全くフランス語ができない状態で、演劇を学びに渡仏。2013年、日本人としてはじめてフランスの国立高等演劇学校の俳優セクションに合格し、2016年、フランス俳優国家資格(Diplôme National Supérieur Professional de Comédien)取得。パリを拠点に、フランス国公立劇場の作品を中心に多数の舞台に出演。Gillaume Vincent演出作品に多く出演する。第72回アヴィニョン演劇祭、公式プログラム(IN)作品出演。2017年より、日本での活動も再開。一人芝居『妖精の問題』(市原佐都子 作・演出)では、ニューヨーク公演を果たす。日本では、さまざまな大学で、自身の活動に関する特別講義を行う。2020年より、カナダの演出家Marie Brassardとのクリエーションをスタート。2020年秋からは、フランス演劇教育者国家資格(Diplôme d’État de professeur de théâtre)取得のための2020年度研修クラスに参加し、演劇公演と並行し、演劇教育を学ぶ。

主催:竹中香子
提携:豊岡演劇祭実行委員会

<免責事項>
■キャンセル・再発行について
・ご購入後は原則として、開催中止の場合を除き キャンセル・返金不可です。
・やむを得ない事情によりキャンセルの場合は主催者までご連絡ください。
・チケットは、紛失、盗難、破損、 その他いかなる事情によっても再発行いたしません。

■譲渡について
チケットの譲渡は不可です。

■販売の終了・再開について
チケットの販売期間中であっても、販売予定枚数に達した時点で販売を終了いたします。
但し、追加開催を行う場合は、 チケット販売を再開することがあります。

俳優が演出家に対して、なんとなく自ら下の立場に立ってしまうあれってなんだろう。

日本で俳優をしていた時から、よく考えていたことなのだが、

自分はなぜ演出家を尊敬しすぎてしまうのかとよく自問していた。

そして、尊敬してしすぎてしまう関係に限って、俳優としてのいい仕事ができていなかったというのが実態である。

当時は、自分も若かったし、演出家が年上の場合が多かったから、年齢差とか、

もしくは、演出家と劇作家が兼任している作品が多かったから、知識量の差だとか安易に考えていた。

ただ、最近、公演以外の時に自由な時間ができ始めてわかってきたことがある。

なぜ、俳優が演出家に対して、なんとなく自ら下の立場にたってしまうか、それは、作品に対する仕事量、つまり、作品に対するコミット量の差からきているのである。

 

現在、私は、ツアーの間に、ソロ作品の稽古をしてる。

この12月の初めから定期的に、演出家とふたりで定期的に会って、稽古をしているのだが、

私が、よく自問していた演出家とのヒエラルキーを感じたことは一度もない。

どう考えても、経験的にも、年齢的にも、彼の上ではあるが、

作品に対する仕事量が、内容は違うにせよ、ほぼ同等なのである。

例えば、助成金、もしくは、稽古場申請の企画書も、もともとは、私の企画であるので、二人で行う。

連日の稽古の時は、翌日までに、私はセリフを覚えてシーンを進め、演出家は、私が書いた脚本を脚色し、書き直していく作業をする。

それに対して、大きな作品に関わっている時は、

俳優一人当たりが、作品に対してコミットしている量(時間)と演出家ひとりが抱える仕事量(時間)が同等になることはまずない。

どう考えても、忙しさも、責任の量も変わってくる。

それを、肌で感じとっている俳優たちは、なんとなく、演出家を社長のように祭り上げ、俳優という自分の立場を下の方においてしまう。

ただ、これは当たり前のことで、受け入れるものなのだ。

たとえば、ツアー中、フランス人の俳優は、昼間、なんもしないで寝ることも立派な俳優の仕事のうちと聞いて感銘を受けたことがある。

まさに、これは、日本人的なのかもしれないけれど、忙しい=偉い、という方程式からどこかで解放される必要があるのだと思う。

 

同時に思うのは、内容が異なれば、演出家の仕事(作品創作)に対するコミット量と俳優の自分の仕事(日々の訓練など)に対するコミット量を同等にすることは可能であるということ。

例えば、演出家の主な仕事は、作品創作に直接的に結びつくものが多いのだが、俳優の場合はそうではないということ。

稽古以外の時間に、身体を調整すること、精神を健康に保つことを、コミット量に含めることは可能である。

 

今週は、ツアーがお休みなので、ソロ作品の稽古をパリで行っているのだが、演出家が作品につけたタイトルがこれからの自分の俳優としての居場所を示唆するようなものだったので、やけに気に入った。

“Kyoko Takenaka Do It Yourself”

つまり、日曜大工でいうところの D.I.Y.である。お金を払って、人に何かをやってもらうのではなく、自分で何かを作ったり、修理したりすること。

そもそも D.I.Y.の理念は、「(ひとまかせにせず)自分でやる」ということ。

俳優を一時的なものではなく、長期的に続けていくということは、どこかで、D.I.Y.俳優にシフトしていくということだと思う。

そもそも、D.I.Y.という言葉はパンクミュージックの世界では、アンチ消費主義を唱えている。

演出家に選んでもらう、演出家に教えてもらう、演出家に指示してもらうことを待っているだけでは、俳優は確実に消費される。

インターネットの普及に伴って、社会では一足先に、D.I.Y.が定着してしまっている。

就活で入りたい会社がなかったら、自分で会社をつくってしまう若者たちが出てきている時代だから、私も頑張ってもがこうと思う。

オーディションは、その場でもらったセリフがうまく発音できないし、あんまり感じよく話せない、配役されても、フランス語がまだまだ下手だから、セリフは少ないし、だったら、自分にセリフを書いちゃおう!そして、演出家を私がキャスティングしてしまった!

そして、D.I.Y.俳優たちの行為が、同じ志を持った人たちの仲間集めのプロセスになることを切に願う。これは、まだ先の話か。自分自身がまだD.I.Y.俳優になれてないわけだから。

 

そんなこんなで、これから稽古に行ってきます。

 

IMG_1021.jpg