IDIOT SAVANT theater company、出演予定作品です。

ちょっと、先に、
2月に出演の公演の詳細が出たので、アップします。
津軽三味線・夢弦会の小山内薫さんが出演されます!
http://www.tsugarushamisen.jp/profile-kaoru.html
以下、詳細です。

IDIOT SAVANT theater company × 津軽三味線・小山内薫 
「彼方、蓮台野にて -U-BA-SUTE-」
ーTPAMiY ショーケース出品作品ー
2011/02/16(水) ~ 2011/02/20(日) @貞昌院
料金:前売・当日3300円 / 学生2700円 / TPAMパスをお持ちの方は無料
【発売日】2011/01/14
公式サイト:http://homepage3.nifty.com/idiotsavant/
こりっち:http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=25279
作・演出:恒十絲
出演:小山内薫、朱尾尚生、櫻井宇宙、竹中香子、石田迪子、近藤康弘、坂本カンタ、藍沢誠(-saly.s-)、下山マリナ(アリー・エンターテイメント)
 現代版・姥捨て伝説。全国各地に残る民話を通して「日本」を探る。恒十絲の硬質な詞・小山内薫の津軽三味線・IDIOT SAVANTの演舞=身体表現を横浜の寺院に連立させる。匿名的非日常性を促す「面」が演者の身体に触れる時、「あの世とこの世の境」の物語が始まる。
現代における蓮台野とは、姥捨てとは、恒十絲が描く「最北」の世界がここにとき放たれる。

歌手について、そして、一人稽古。

ソロ公演の稽古をしていて思うこと。
歌手ってすごい!!
ソロシンガーとか、一人でステージに立って、
歌うこと。
それこそ、作・演もすべてやってる一人芝居じゃないですか。
しかも、それがスタンダードとか。
いやー、あらためて脱帽。
Asis Sunrise さんという歌手がいます。
$Takenaka Kyoko web
http://asiasunrise.jp/
彼のライブは、もう一瞬だって、わたし自身の時間はありません。
彼の時間に、お邪魔している感じ。
いつのまにか、とりこまれていってしまうのです。
下北沢のBIG MOUTHで毎週ライブしてます。
CDじゃなくて、ライブ!!!ぜったい、ライブ!!魅せるってこういうこというんだなあ、と。
舞台の上で、観たい人。
やっぱり、それは、どこかクレイジーな人。
バカやってるとかではなく、ただ立っているだけでも、
クレイジーなほど、『立ってる』。
今日、稽古場に来てくれた先輩にそんなアドバイスを頂きました。
最近のテーマ:歌手に学ぶ、演劇。

坂口安吾『恋愛論』@ひとりのスタジオ

以下の文章を、恋愛論と、とらえてるところがいかすなあと思いました。
というか、作品作りで、意識しなきゃいけないことだあ、と。
最近、恋愛論に、感化されすぎているのかもしれないけど、
作品を作って、発表するってことは、とてもとても、恋愛と呼ばれる構造に似ている気がします。
 プラトニック・ラヴと称して、精神的恋愛を高尚だというのも妙だが、肉体は軽蔑しない方がいい。肉体と精神というものは、常に二つが互に他を裏切ることが宿命で、われわれの生活は考えること、すなわち精神が主であるから、常に肉体を裏切り、肉体を軽蔑することに馴れているが、精神はまた、肉体に常に裏切られつつあることを忘るべきではない。どちらも、いい加減なものである。
ついでに、前半からも、もういっこ、引用!
これも、作品を発表することに置き換えてみたりしちゃったりすると、
励まされます(笑)
教訓には二つあって、先人がそのために失敗したから後人はそれをしてはならぬ、という意味のものと、先人はそのために失敗し後人も失敗するにきまっているが、さればといって、だからするなとはいえない性質のものと、二つである。
 恋愛は後者に属するもので、所詮幻であり、永遠の恋などは嘘の骨頂だとわかっていても、それをするな、といい得ない性質のものである。それをしなければ人生自体がなくなるようなものなのだから。つまりは、人間は死ぬ、どうせ死ぬものなら早く死んでしまえということが成り立たないのと同じだ。

なにはともあれ、一人(独り?)稽古のしすぎで、
頭にポジティブの風を、ひたすら吹き込んで頑張ってます。
それにしても、稽古場ひろいなあ。。

モーリスベジャール『M』、笠井瑞丈『対』

どちらも一文字の公演を観てきました。
まずは、東京バレエ団、モーリスベジャール振付『M』
$Takenaka Kyoko web
公開ゲネプロを見せて頂きました。
日本人の全身タイツはなかなか素敵だと思いました。
太ももの辺りが、細いから、脚がとても綺麗。
ジョージバランシンの後期の作品の衣装とかも、かなり好きです。
とにかく、全身タイツ好きの私には、今回の衣装は、たまりませんでした。
印象に残っているシーンは、このシーンの後。
$Takenaka Kyoko web
紙吹雪が、舞っているときは、
照明にあたって、金色にかなり鮮やかに見えたのですが、
降り止んだ後、
舞台上は、淡いピンク色にそっと染まっていました。
全体をとおして、この作品は奇抜で、単一的な印象で、
映画のように、シーンが連なって移行していくというより、
スライドのように、イメージがつぎつぎに羅列されていくような感じで、
その表現形態が、合理的で西洋っぽいなあ、
でも、やってる内容は思いっきり日本だよなあ、
そのギャップがおもしろいなあ、とか思いながら観ていました。
でも、このシーンだけは、違う。
日本人をも超えるような、日本的な美学を感じました。
なにか大きなことが、おこった後の場所。
見事の紅葉を終え、くすんだ色の落ち葉でいっぱいの小道。
余韻。
華やかな舞台は、まるで一瞬のようだけど、
その後が美しい場合、時間の流れはのろのろ遅くなっていたりしていて。
このあと当分は、変わらないであろう事後の風景のなか、
ただただそこにぽつんひとりでいてみたり、
それ以前に、起きた出来事を想像してみたり。
こんな、おとしものみたい風景が、美しいなんて、
わたし、得しました!!!
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次の日は、笠井瑞丈さんの公演『対』
伝説の舞踏家笠井叡さんと笠井瑞丈さんの二人による親子の競演。
笠井瑞丈さんは、当パンで、
恨みを果たします、と書かれていましたが、
始まってびっくり。
いままで観た笠井叡さんの、
どん笠井叡さんより、そのままの笠井叡さんを観れてしまった気がしました。
ルーツというか、根源みたいなのが同じだから、
もちろん醸し出す空気感というのは、
どことなく似ていて、
だからこそ、身体の違いみたいなものがくっきりはっきり見えた気がしました。
大学の、授業でやった随意筋と不随意筋のはなしを思い出していました。
筋肉には、自分の意志によって動かすことができるので随意筋(骨格筋とか)と、
出来ない不随意筋(心臓とか、胃とか)があるそうです。
瑞丈さんは、身体全体として随意筋が多そう。
動きの終着点までも、コントロール出来る感じ。
一方、笠井叡さんは、動きがどこまでもどこまでも
続いていきそうでいかなそうで、
不随意筋だらけのように見えました。
このコントラストが、最高にクールでした。
あと、面白かったのは、L字型の客席が舞踏だったこと。
ふたり踊りに感化されて、
観客の顔が、体が、声が、
ゆがむ、うねる、もれる。
観客が、
面白い舞台は、それだけで成功な気がしてしまいます。

ポケットアンソロジー 恋愛について (岩波文庫)

持っていた本を、読み終わってしまい、本当に、何の気なしに買ったこの本、
すごいです…!!!
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森瑶子、富岡多恵子、大庭みな子、倉橋由美子、瀬戸内寂聴、谷川俊太郎、
遠藤周作、吉行淳之介、梅原猛、作田啓一、福永武彦、中村真一郎、椎名麟三、
武田泰淳、円地文子、伊藤整、太宰治、坂口安吾、石川淳

こんな、そうそうたるメンバーを編集したのは、中村真一郎さん。
評論から、小説まで、幅広く文章を書いている方のようです。
ウィキペディアによると、
1957年に妻の急死をきっかけにして、精神を病み、電気ショックの療法[2]を受けて、過去の記憶を部分的に失い、その予後として、江戸時代の漢詩を読むようになってから、いままでの西洋の文学に加えて、漢文学の要素が作品に加わっていくようになった。
また、「余技」のレベルをはるかに超えていたのが、ラジオドラマの脚本である。単なる声による演技の再現というレベルをこえて、音による風景描写ともいえる深みを出すことに成功し、安部公房などの後の世代のみならず、ヨーロッパの放送局にも影響を与えた。

やっぱり、天才って、イケてる!!
男性の著者も、かなり女性の読者を意識して書いている感じで、
ちょっと、人生観変わってしまうぐらい影響を受けてしまいました。
どの方も、文章が、とてもていねいで、
おじいちゃんや、おばあちゃんから、
話を聞かされているようで、
妙に、信憑性があります。
信じてみたくなる文章。
やっぱり、インターネット上などに、記載されている文章などと、
違って、本には、
やっぱり、重みがあるなぁ、と改めて感じました。
ツイッターとか、ブログとか、
きっと、これからどんどん、
自分の気持ちの発信が、たやすくなっていくのだけれど、
かんたんに、なればなるほど、
その想いに関する、度合いみたいのが、計りにくくなってしまうのかもしれないと思いました。
もちろん、なんでも、思ったことを表現するのは、
素敵なことだけど、
たまには、何回も推敲に推敲をかさねた文章を、
読むのは、
読む方も、エネルギー使うし、
ずっしりどっしり、腰をおろしてきやがります。
脱線、脱線。
とにかく、
現代よりも、もっともっと、
自由に恋愛がしにくかった時代に、
ジレンマたっぷりのプールで、
器用におよぐわけでもなく、
かといって、ばたばた溺れるわけでもなく、
あっさり、プールの底に、足をついて、
歩いちゃった人たちによる、
恋愛についてのおはなし。
それは、時代とか、軽く飛び越えて、
2010年、23歳の、
わたしの心を、
めっちゃパンチしてくるのでした。