「ゲイシーン」の天才と言われた午後。

ドラマツルギーの授業のエクササイズは、
わりと画期的なもので、
なんと台詞を覚えなくても、
上演を可能にするというもの。
ここで、必要不可欠なのが、
携帯、もしくは、iphoneのボイスレコーダー。
まず、課題の戯曲をその場で発表され、
2人組をつくる。
制限時間は、約30分。
グループごとに、演出プランを考え、
ト書きを作成し、
演技プラン(声の調子など)とともに、
すべてを、ボイスレコーダーに吹き込む。
そして、それを他のグループに渡す。
彼らは、その場で、吹き込まれた指示に従って動き、
聞こえてくる台詞をそのまま追いかけてしゃべる。
本日の課題は、
以前、自身のブログでも扱った、
マリウス・フォン・マイエンブルク『le moche』
過去の記事:http://millcorun.blog.fc2.com/blog-entry-249.html
その中で、私たちが選んだのは、夫婦のシーン。
妻が、気づいていない夫に、
「あなた、相当、醜いわよ。」と伝えるシーン。
普段は、登場人物に関係なく、
女性の録音は女性に、男性の録音は男性にボイスレコーダーを渡していたのですが、
今回は、オプションの課題として、
「性差の逆転」付け加えられました。
私たちのグループは、女子2人だっとので、
妻役も、夫役も男性になるということになります。
2人がベッドの中で、
愛の営みをはじめる直前に、
妻が、「あなた、相当、醜いわよ。」と、
告白するところからスタート。
夫は、一気に冷めますが、妻の興奮は、もうおさまりません。
創作段階では、
あまり最終的に男性2人になることには余りこだわらず、
この状況の設定だけを忠実に守り、
夫の性器に語りかける、
妻をはねのける、などなど
シンプルなト書きを入れながら、
演技を録音していきます。
この録音エクササイズは、
かなり画期的で、一瞬にして役者を究極の集中状態に持っていきます。
頭ではなく、耳から入る情報のみで瞬時に動いていくため、
感情などに働きかけるまでもなく、
外側から勝手に創られていくのです。
まさに、操り人形。
でも、実際、私たちは、操り人形ではないので、
うまくいくと、不思議と内部も埋まっていきます。
私たちの録音を受け取った2人の男性も同様。
男同士なんてことを、頭で考える暇もなく、
「激しくキスをかわす」
という、ト書きを耳から受け取って、
その指示通りに演技を進めていきます。
終わってから、先生は、思わずため息。
そして、一言。
「なんて、美しいの。」
私の録音を渡された妻役の男性の演技があまりにもうまくいっていたため、
「こんなにも、ゲイのシーンを美しく抽出出来たのは、アルモドバルとあなたぐらいよ。」
といわれ、
一同爆笑。
ペドロ・アルモドバルは、スペインの映画監督で、フランスでも大人気のアーティストです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ペドロ・アルモドバル
ちなみに、今フランスで公開されている彼の最新作。
『Les Amants Passagers』


ドラマは、緻密で具体的な状況で起きる。
ふたりが同性か異性かという設定より、
重要なのは、ふたりが愛し合っているのかいないのか、というコンテクスト(文脈)。
このエクササイズにおいて、
最も重要なのは、間接的なコミュニケーション。
自分の頭の中のイメージをどのように正確に伝え、
さらに、
他人の頭の中のイメージをどのように正確に受け取るか。
そして、
他者から発せられる指示、
声のトーン、
演技質、
すべてに、身体をゆだねて、
いつのまにか、遠くにいくこと。
自分から、遠くにいってしまってみること。
とにかく、前半の「演出サイド」にしても、後半の「役者サイド」にしても、
難しくて、なかなかうまくいかないのに、
一度やると、病み付きになるのがこのエクササイズ。
今年一番の、私のドラックです。

「私は、何も知らないということのみ、知っている」by.ソクラテス

As for me, all I know is that I know nothing.
「私は、何も知らないということのみ、知っている」
これは、古代ギリシアの哲学者ソクラテスのことば。
金曜日のドラマツルギーの授業は、
3時間あますところなく、
滝のような知識を浴びせられ、
まさに、このソクラテスの言葉を考えずにはいられない。
テーマは、1月から変わらず「現代ドイツ演劇」なのだが、
そこから、派生していく情報量と言ったら、
完全に世界規模。
そして、毎回メモを取りまくり、
家に帰って、すべてのキーワードをインターネットや本で調べるだけで、
もはや6時間以上かかってしまう。
特に、芸術分野で、日本語に翻訳されている文献は少ないので、
理解するのにも、一苦労。
本日の課題、
80年代のシャウビューネとPeter Stein(ペーター・シュタイン)の仕事。
ちょうど、今、オデオン座で、
ペーター・シュタイン演出の
Eugène Labiche(ウジェーヌ・ラビッシュ)の『Le Prix Matin』が、
公演されています。
http://www.theatre-odeon.eu/fr/2012/11/03/le-prix-martin
ちなみに、ラビッシュとはフランスの喜劇作家で、
生涯でなんと165本もの戯曲を執筆し、
80年にアカデミー・フランセーズの会員に選ばれたすごい人です。
そして、この話題から飛んだのは、
なんとドイツの電子音楽グループ「Kraftwerk」(クラフトワーク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/クラフトワーク
2012年にMOMAで8日間に渡る連続ライブを決行した伝説のバンドです。
http://www.moma.org/visit/calendar/exhibitions/1257
その後、1975年に発表された『Radio-Activity』という曲を、
反原発バージョンとして、日本語の歌詞で発表し、
フランスでも、相当話題になったそうです。


以下、歌詞です。
Tschernobyl
Harrisburgh
Sellafield
Hiroshima
Tschernobyl
Harrisburgh
Sellafield
Fukushima
日本でも 放射能 Nihondemo Houshanou
今日も いつまでも kyoumo Itsumademo
福島 放射能 Fukushima Houshanou
空気 水、全て Kuuki Mizu,Subete
今でも 放射能 Imademo Houshanou
今すぐ 止めろ Imasugu Yamero
この動画は、2012年のROCK IN JAPAN FESTIVALの時のもので、
J-WEVEの坂本龍一さんのラジオでも、取り上げられていました。
RADIO SAKAMOTO:
http://www.j-wave.co.jp/original/radiosakamoto/program/120708.htm
先生が、彼らを扱ったのは、
彼らの行為が真に芸術的だったから。
つまり、彼女にとって、
政治的であることこそが、芸術としての存在価値。
社会を通すことで、
初めて本当の職業になる。
社会を知らずに、自由になることはだれでも出来る。
芸術家の仕事は、
きっと、
社会を知った上で、
それでも、自由でいられること。
As for me, all I know is that I know nothing.
1年目のミラクルは終焉を迎え、
2年目のフランス生活は、
全くといっていいほど、
前進を感じることができない。
ほしいのは、時間の尺度を変える力。
明日までの成長なんて、もちろん高がしれている。
5年後、10年後、そして30年後。
人生はそう簡単には終わらない。
逆に、少しでも成果が出たときには、
「運」がよかっただけだと捉えて、
自分が何も知らないということのみを、知り続けること。

強い女の作り方。

誰もが一度は感じたことがある感覚だと思うけど、
感情的な「不在」は、「後悔」に変わることが多い。
なぜなら、一生、自分が「存在」すべきだった場所で流れた時間を感じることは、
もう、決して出来ないから。
ずる休みした日に限って、
教室で、
なにか特別なことが起こったりする。
もしくは、4時間ある授業のうち、1分たりとも得るものがなかったりもする。
もしくは、出席したせいで、1日中ブルーな気分になったりする。
今年に入ってからずっと月曜日のコンセルバトワールの先生と冷戦が続いているので、
小学生みたいだけど、
学校に行くか行かないかの躊躇の時間が半端なく長い。
そして、いやいや学校に行くから、
私のモチベーションは低く、
「冴えない生徒」と化する。
長らくの間、先生の前で作品を発表するのを避けてきたけど、
昨日いろいろ反省したばかりだし、しょうがないから発表しようとしたら、
「お前は、生きているのか?」
と言われた。
死んでいるように思われるって相当だなと思い、
ポール・クローデル『L’échage』を発表。
そして、終わると「悪くない!」と一言。
何をしゃべっているかわかると言われた。
また、発音のことしか言及してもらえないのか、と思いきや、
「発音のことしか言うことがなかったから、発音のことしか言わなかった」
と言われた。
「演劇において、役者は、状況の中でしか存在できない。」
発音がいいとか悪いとかじゃなく、
最低ラインとして、「意味」が伝わらないと、
役者は、もはやそこには存在しない。
つまり、相手役との関係性だったり、シチュエーションだったり、
そこがわかった上で役者が見えてこないと、
どんなにその役者が面白くて芸達者だったとしても、
「演劇」としては成立しない。
なぜなら、一方的なテクニックは、
創る側の「アイデア」でしかないから。
頭に突如ひらめいた「アイデア」は、
まるで輝かしい、飛び級した天才児のようだけど、
彼を彼のまま、扱うのは危険。
「アイデア」は「アイデア」らしく、
謙虚に待機して、
充分に耕してから。
それから、久々の声楽の授業。
出来ないとしっかり自覚していることに関しては、素直。
先生の言われるがままに、声を出していったら、
すごく褒められて私だけ、
発声だけじゃなくて、歌曲まですすめた!
トンマーゾ・ ジョルダーニ作曲のアリエッタ『カーロ・ミオ・ベン』(伊語:Caro mio ben )


次のレッスンまでに、
フランス歌曲かイタリア歌曲を一曲選んでくるように言われた。
音痴な私が、オペラ歌曲に挑戦する日が来るなんて、感激。
締めくくりは、ドラマツルギーの先生に絶対に行け!と言われた映画、
アティク・ラヒミ(Atiq Rahimi)監督のアフガニスタン映画
『Syngué Sabour – Pierre de patience』(シンゲ・サブール、忍耐の石)
か
2008年のゴンクール賞受賞作で、
なんとアティク・ラヒミ著者本人が監督を務めている作品。
白水社から「悲しみを聴く石」(関口涼子訳)というタイトルで2009年に出版されています。
http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=09005
私は、フランス語訳でしか読んでないのですが、
一冊を通して、女性のモノローグのような形式になっていて、
とても演劇的。

ゴルシフテ・ファラハニ(Golshifteh Farahani)によって演じられた主人公の女性像は、
強く、そして、美しい。
過酷な環境や、彼女を取り巻く男性との関係が、
彼女を強く、そして、美しくしたのではなく、
やはり、
物語の中の女性が、
そして、
彼女を演じる女優が、
強くありたいと、そう強く望んだから、
この映画のラストの極上のカットが存在するのだと思う。
映画界にこんなにも美人な女優たちが溢れているのに、
彼女たちと同じ「女」という性に生まれてよかったな、
と思えるまでの作品に出会えることって、なかなかない。
強い女の作り方。
他者の評価を介してではなく、
自分自身で自分に評価を下せること。
そして、
守られることよりも、
守るものを持つこと。
余談ですが、
実際一番苦しいときに、
助けてくれるのは、
you tubeの「情熱大陸」と、
いまだに尊敬しているマツコ・デラックスの動画です。

「マリオネット」30時間ワークショップ

月曜日から、フランスの学校では、
早くも春休みに突入しています。
私たちのコンセルバトワールでは、
この長期休暇を利用して、
1日6時間×5日間=30時間に及ぶマリオネット集中ワークショップ。
本日4日目。
フランスでは、国立のマリオネットの学校が存在するほど、
マリオネットは、舞台芸術の中のひとつのカテゴリーとして確立しています。
École nationale d’apprentissage par la marionnette (ÉNAM)
また、俳優養成の一環として、
フランスでは、多数のコンセルバトワールが、
オプションとして、マリオネットを実技に取り入れています。
私は、何事もおおざっぱな性質で、
いまいち繊細さに欠けるタイプなので、
マリオネットなんて、絶対に苦手だろうなあ、と心配していたら
案の定、下手にもほどがあるほど下手でした。
まず、初日、
い
顔のないマリオネットをひたすら観察します。
1時間以上、ただ眺めたり触ってみたり、
この時間を通して、
マリオネットが、無生物であることを強く実感しました。
2日目、
う
目のついた顔だけのマリオネットを使って、
自分とマリオネット2人のシーンを構成します。
3日目、
あ
3人一組で、
それぞれが身体のパーツを担当し、
一人の人物を作り上げます。
極度の集中力と、
他者を聞く力が要求され、へとへと。
4日目、
人間を操るエクササイズからスタート。
3人で、1人の人間を表情から足の先まで、
丁寧に操作していく。
そして、最終課題。
自分とマリオネット、そして、自分の身体の一部分である「手」を使って、
3人のシーンを作り上げます。
この4日間を通して、
先生がひたすら繰り返して来た言葉は、ふたつ。
-décomposer (分解する)
そして、
-La dichotomie (二分対立、二分)
つまり、物事をひとつひとつこまかく切りはなして、
より明確なものにしていくこと。
同時に、多数の情報を提示しないことで、
観客に、想像する隙間を与える。
まさしく、俳優に求められること。
マリオネットは、決して心理的(感情を通じて)に創作してはいけないそうです。
たとえば、マリオネットの頭をただ右に傾ける。
この情報ひとつで、
どこまで、観客に与えたいイメージをクリアにできるか。
明日は、まとめのミニ発表会。
自分を聞いて、
他者を聞く。
そして、
静寂にそっと耳を澄ます。
マリオネットを扱うことは、
「孤独」を扱うこと。
小さいころ、
母が帰ってくるのを待ちながら、
一人二役も三役もして遊び続けた、
リカちゃんハウス。
動かない、
しゃべらない、
だけど、
決して裏切らない、
お人形。
彼らを大切にやさしく扱った感覚を、
大人になった今も、
自分の周りにいる血の通った人間たちに対して、
決して忘れないように。

目も当てられないほどブサイクな男の話 〜マリウス・フォン・マイエンブルク『醜男』〜

ドラマツルギークラス、後期の課題は、
「ドラマツルギーにおけるドイツ現代戯曲」
まずは、先生から計13本の戯曲がPDFで送られて来て、
それを、授業時間外にひたすらみんなで読み合わせ。
全員一致で一押しだった戯曲が、
2008年に書かれた、
Marius von Mayenburg “Le Moche” (マリウス・フォン・マイエンブルク『醜男』)
自分では、まあそこそこかなと思っていた自分の顔が、
実は、あり得ないほど、ブサイクであると、
周囲の人に思われていたことが、ある日判明した男、レット。
彼は、美容整形を受け、
あり得ないほど、美しい顔を手に入れる…
第一回目の授業では、再度全員で読み合わせを行い、
その後、30分時間を与えられて、インターネットで出来る限りの情報を集める。
英語が出来る人は、英語サイトから、
ドイツ語が出来る人は、ドイツ語サイトから、
そして、私は、もちろん日本語のサイトから。
この作業は、実に面白くて、
言語によって、内容はもちろん、情報量が全く異なる。
マイエンブルクは、フランスでは、
オスターマイヤーのドラマツルギーを務めていることで有名。
しかし、彼自身、劇作家であり演出家であることは、
フランスではあまり知られていないみたい。
さらには、
オスターマイヤーが、使うシェイクスピアや、マルタン・クリンプの戯曲は、
すべて彼によって、翻訳されています。
まさに、超人。
どこかで、名前聞いたことあると思いきや、
2010年に世田谷パブリックシアターにて、
山内圭哉さん主演で上演されていました。
http://setagaya-pt.jp/theater_info/2010/07/post_189.html
マイエンブルクの名を、一躍有名にさせたのが、
『火の顔』Visage de feu (Feuergesicht)
こちらは、サンプルが2009年のフェスティバル・トーキョーにて、
上演しています。
http://samplenet.org/works/『火の顔』/
それにしても、日本の、世界の演劇に対する情報量は、実際かなりのもので、
日本語サイトでしか見つからなかった情報をたくさん、発表することができました。
たとえば、『醜男』の公演ブログより、
『醜男』は日本で生まれた!?
http://http://setagaya-ac.or.jp/buotoko/blogs/2010/07/blog-7.html
ただ、戯曲の翻訳となると、
極端に数が減ってしまう。
日本で翻訳されているマイエンブルクの戯曲は、
ドイツ現代戯曲選 30より『火の顔』のみ。
mayenburug.gif
http://homepage2.nifty.com/famshibata/verlag.html#feuergesicht
やはり、フランス語に翻訳されているヨーロッパ演劇に関する情報量の多さといったら、
かなりのものだと思う。
それは、上演されている演目も同じこと。
公共劇場では、
毎年、フランスのプロダクションとヨーロッパ各地から、
招聘されたプログラムとほぼ半々の割合。
実際、私が、今までにフランスで観た作品で、
衝撃作だったのは、スペインの作品。
アビニョン演劇祭とオデオン座で上演された、
上演時間5時間の大作、
アンジェリカ・リデル 作・演出 ”La Maison de la force”
http://www.theatre-video.net/video/swf/vqkhOqNf
この作品なんかは、スペインでは、過激すぎてどこの劇場にも、
扱ってもらえず、フランスにやって来たそうです。
そして、オスターマイヤーをはじめ、
やっぱりドイツ演劇は外せない。
本場の味がわかる「ホーム」もいいけど、
ちょっと距離を置いたところから、
フランスという、現地より熱いくて、どこか温かい
「アウェイ」で観る海外作品が好き。