台詞が覚えられない悩みは、武道が解決。

モリエール『ヴェルサイユ即興』スタージュ、
2週目終了。
Promo 2016. Master Classe avec Gilbert Rouvière à partir de l’Impromptu de Versailles.
http://www.ensad-montpellier.fr/87-nov-dec-promo-2016-master-classe-avec-gilbert-rouviere-a-partir-de-l-impromptu-de-versailles.html
毎日、5時間から6時間に及ぶスタージュで、
実は、まだ直接的な芝居の稽古には、入っていません。
本番まで、3週間。
さまざまなシーンを、
配役を変えて、
6パターン、12パターンで作っていくため、
日々、翌日までに必要な台詞を暗記。
昨年まで、
3分間のテキストを、
完璧に、
「演劇できる」レベルまで、
覚えるのに、
1ヶ月以上かかっていて、
ENSADへの入学が決まったときも、
台詞のことだけが気がかりで、
仕方ありませんでした。
そもそも、
日本にいたときから、
感じていたのですが、
台詞が覚えられない役者というものは、
存在します。
たまに、本番とかに、
演劇関係者ではない、身内が観に来たりすると、
「よく、こんな台詞おぼえられるわね〜」
なんて、言われたりして、
心のそこから、
そこのところを言及して頂いてありがとうございます!!
と、思ったものです。
演劇オタクとしての自負はありますが、
俳優としては、
「台詞」ごときで、頭を抱えてしまうレベルの私にとっては、
1日で、数ページの台詞を暗記することは、
まず、不可能であり、
地獄にいながら、
絶望の縁を歩くようなものです。
毎日、私の台本だけ、
わからない言葉の書き込みと、
途中で嫌になってぐちゃぐちゃにしてしまう癖と、
涙、もしくは、手汗のせいで、
哀れな姿になっていて、
香子の台本だけ、すぐわかる!
と、からかわれます…
いくら外国語だからといって、
台詞覚えられなかったら、
演劇はできません。
それは、
建築家が、
まっすぐに線を引けないようなものです。
むしろ、
ありえないのは、
まっすぐに線を引けるようになる努力ができないこと。
なぜなら、
何も努力しなくても、
まっすぐに線を引くことがすでにいとも容易くできてしまう人がいるから。
台詞が覚えられない人は、
演劇続けてもいいけど、
台詞が覚えたくない人は、
演劇続けられません。
だから、
台詞を覚えても褒めてもらえないし(当たり前)
台詞を覚えられなかったら怒られる(当たり前)
世の中には、
努力をすれば、するほど、
向上していくものと、
努力をしても、しても、
現状維持しかできないものと、
2種類の「芽」が存在すると思います。
さてさて、
努力をしても、しても、
現状維持しかできない、
この忌々しい「芽」と向き合う方法はないものか?
木曜日の朝は、私が唯一優等生になれる、
武術の授業があります。
フランスでは、一般にマーシャルアーツ(les arts martiaux)という言い方をします。
格闘技から、太極拳まで、
動から静を通して、
精神を鍛えていきます。
武術の先生の教え。
1つの技に、1000通りの使い方がある。
つまり、
1つの技を獲得したら、
さらに、1000回繰り返したところで、
ようやく、
「使える」技になる。
多分、台詞も一緒。
楽して、覚えても、
1000通りのやり方を知らなかったら、
「使える」ことにはならない。
覚えられない私は、
半強制的に、
1000回繰り返すはめになるんだから、
ラッキーともいえる。
むしろ、
ラッキーと思えるようになるために、
精神を鍛えていくしかないと思う。
目指せ!カンフー・パンダ!!


当たり前だけど、
目の前にあることをやり遂げることでしか、
前に進めない、
しかも、
まるで「なんでもない」ことのように。
ちなみに、
そんな武術の先生が愛してやまない映画は、
日本の誇り、
黒澤明『七人の侍』

フランス喜劇の巨匠モリエール×劇団四季『ライオン・キング』

今週から、
新たな演出家とのスタージュが始まり、
日々「稽古」の稽古に精を出しています。
取り組んでいる作品は、
フランス演劇界では、
避けては通れないモリエールの作品。
『ヴェルサイユ即興』
モリエール戯曲の中でも、
あまり知られていないこの作品、
フランス人の生徒たちの中でも、
読んだことがない子がほとんどだったのに、
なんと、
岩波文庫の日本語訳が、
マイ・ライブラリーに!!
女房学校
『女房学校―他二篇』(岩波文庫)  辰野 隆 (翻訳), 鈴木 力衛 (翻訳)
「専門分野の本は、今、読まなくても買う」
という、我が家の教訓を胸に、
2年間で買い集めた本、すでに200冊以上。
本棚
こうして、
最近、徐々に、日の目を見ています。
1663年ルイ14世の命令で書かれたこの作品は、
実は、ハイパー・コンテンポラリー。
登場人物は、
モリエールを含む、
モリエール一座の役者たち(実名)で、
しかも、ルイ14世に頼まれた、
今日中に発表しなければいけない作品を制作している。
「劇中劇」かつ、過激な「メタ演劇」
なにしろ、当時の状況(『女房学校』で、かなりの批判を受けた直後)を、
暴露しつつ、
自分たちでネタにしてしまっている。
ルイ14世にしてみれば、
自分が依頼した作品と、
その作品の稽古を同時に観劇している、
というなんとも巧妙すぎるプレゼント。
そこで、わたしたちも、
この作品を上演するにあたって、
「稽古」の稽古を開始。
今週のお題は、
順番に演出家になって、
自分のやりたい演劇、もしくは、戯曲を、
12人で「稽古」する。
自分自身のまま、演出家をやってもいいし、
誰かのことをまねたり、
誇張してみたり、
なんでも有りだけど、
たった一つの条件は、
観ている人を、
「信じ込ませること」
このために、既存の私たちの日常の関係性や態度、
すべてを総動員してのインプロビゼーション。
私が持ってきたプランは、
小学生の頃、
劇場で買った公演サウンドトラックを、
歌詞カードまで作り直して、
ほぼ全シーン丸暗記した、
劇団四季『ライオン・キング』より、
シーン5:ザズ、シンバ、ムファサによる「朝のご報告」
(you tubeに丸ごと画像発見!)
http://youtu.be/UdkgbmCbpDc
ちなみに、配役のない可哀想な残りの8人には、
シーン4:「大草原」より、
「草/女性」「草/男性」の役を。
http://youtu.be/6FCx1GM6MAw
劇団四季バージョンに敬意を示し、
いくつかの台詞をその場で日本語で覚えてもらい、
ミュージカルの「稽古」をしました。
それにしても、
「稽古」って、
なんてミステリアス。
一般の観客には、
想像したこともない世界だろうし、
演劇関係者だって、
他の稽古場がどうなっているかなんて、
想像もつかない。
そして、
演劇には、
「稽古」でしか起こらない、
たくさんのミラクルと、
もう一つの「演劇=ドラマ」がある。
この作品は、12月の中旬に、
学校の10周年を記念し、
2週間行われるフェスティバルにおいて、
上演されることになっています。
fesu.png
(facebookページあります。)
https://www.facebook.com/events/235940056566044/?hc_location=stream

冷静と情熱と”屈辱”の間で、多分、私は苦労の天才。

3週間に渡る濃厚すぎるパゾリーニ研修が終わりました。
14/10-1/11
Promo 2016, Master Classe avec Christophe Perton:Travail sur l’oeuvre de Pasolini
http://www.ensad-montpellier.fr/80-14-10-1-11-promo-2016-master-classe-avec-christophe-perton-travail-sur-l-oeuvre-de-pasolini.html
1週目は、ピエル・パオロ・パゾリー二が残した「六編の悲劇」
(『カルデロン』『寓話』『ピュラデス』『豚小屋』『オルギア』『文体の獣』)を、
すべて読み、
彼に関するすべての資料を集めてリサーチ。
ちなみに、日本では、
川村毅さんの劇団「T Factory」が、6作品すべてを上演しています。
http://www.tfactory.jp/
パゾリーニの言語とは、まさしく、
「史上最悪の時代を生きる観客にとってはあまりにも難しく、
 詩に親しんだものにとってはあまりにも簡単」
(『寓話』プロローグ/訳:鈴木真由美「パゾリーニによる現代の悲劇」より)

1週目の台本の読み合わせでは、
すれ違ったこともないような言葉の大群に圧倒され、
まさに、
文盲状態。
つっかえつっかえ読むことに疲れ果てた頃には、
すっかり指名されなくなっていました。
クラスのメンバーも、
圧倒的な不利な私の状況に、
どう対処していいかわからず、
私も、どうしていいかわからず、
平気なふりして、
家に帰って泣いてばかりいましたが、
屈辱には、屈辱で対処。
「家で泣くくらいなら、外で泣け!」と思い立ち、
泣きながら、学校の生徒たちの溜まり場のバーへ。
読むのに時間かかっても、
発音が悪くても、
何もしなかったら、
上達しないから、
読み合わせ、自分もちゃんと参加したい!
と言いました。
何も言わなければ、何もしてくれないけれど、
言動が必ず、
なんらかのカタチになるのがフランス。
11人全員、
どんなに時間がかかっても読んでほしいと思ってるから、
先生に自分の口でしっかり思ってることを伝えるように言われました。
そして、次の日、
読み合わせが始まる前に、
「失敗しないと上手にならないから、
 読ませてください。
 できるようになります!」と、直訴。
「もちろん。」と、言って、
何事もなかったかのように、
超難解な役を割り当てられる。
2週目、3週目は、
それぞれが、
ドラマツルギーと演出を1シーンずつ担当し、
ドラマツルギー、演出、そして、役者として、
創作の過程(稽古)を毎日1時間ずつ、
先生の前で発表。
つまり、12人いるから、
12作品にそれぞれが出演する。
私は、ドラマツルギーで『寓話』を担当し、
演出で『豚小屋』のエピソード1を選択。
(映画でも同じ台詞が使われている)


『ソドムの市』に負けないスキャンダルな内容で、
人間が人間を食らうシーンに始まり、
人間が豚に食われて終わる映画です。
ちなみに、『ソドムの市』は日本語字幕でyou tubeでも観られます。
授業で観たときには、
半数以上が体調悪くなっていました。

先生によって決められたキャスティングで、
なんと、唯一のモノローグシーン、
『文体の獣』より「母の幽霊」の役を渡され、
しかも、4ページ(意味不明)。
この時の絶望度を、
言葉で表すなら、
知らない土地で、
携帯も繋がらず、
お財布をすられた感じ。
台詞を覚えるも何も、
発音もできない上に、
意味もわからない。
そして、リミットは1週間。
平行して進めていった、
自分の演出作品では、
パゾリーニによって1968年に書かれた
『新しい演劇のための宣言』(Manifesto per il nuovo teatro)という論文をもとに、
創作を進めていきました。
彼にとっての新しい演劇、
それは、「言葉の演劇」(il teatro della Parola)
演劇において、
言葉は書かれて、そして、発されることで、
「二重の栄光」を生きる。

映画監督としてもスキャンダルで有名な、
パゾリーニですが、
彼がしたかったことは、
スキャンダルを巻き起こすことではなく、
スキャンダルに誘い込むこと。
“Faisons Scandale ensemble!!”
(一緒にスキャンダルしよう)

彼の詩的で高尚過ぎる言葉たちは、
一部のブルジョワジーのインテリなグルーブではなく、
新しい観客たち=la classe ouvrière la plus consciente(もっとも意識の高い労働者たち)
に送るもの。
さて、
「言葉の演劇」の役者に求められるものとは何か?
まさに、テキストをどう理解するかという、
最も単純で、
そして、難しく、
正直あまり魅力的ではない作業。
圧倒的に足りない一般常識の中で、
四苦八苦。
インターネットにかじりつきながら、
「ファシスト」ってなんだっけ?
「ムッソリーニ」って誰だっけ?
モスクワの「赤い広場」って何?
恥ずかしくて誰にも聞けない質問に、
少しずつ、自分で答えながら、
テキストを解読。
モノクロだったテキストは、
日に日に、
ぬり絵のように、
日に日に、
はじっこの方から、
日に日に、
鮮やかになっていき、
単調だった私の演技も、
3Dになって来たりして、
気づいたら、
最終日の前日に、
台詞、覚えてた。
テキスト解釈、そして、発音矯正のため、
特別に、先生が2時間個人レッスンをしてくれ、
最終日のプレゼンでは、
先生もびっくりのモノローグに仕上がりました。
この作品は、
6月にパリ、モンペリエ、
(もしかしたら、もう一カ国!?)
のツアーが決まっており、
これから、
来年4月まで、
各自でリサーチを続け、
5月から、本稽古に入ります。
人間、
誰でも、
苦労の分量は決まっているのかも、
と思うときがある。
だって、
大きな苦労をすればするほど、
苦労を感じなくなっていくから。
ちなみに、
プレゼン終わった瞬間から、
一気に声が出なくなり、
週末は、
だんまりの刑。
お手製生ミントティーとはちみつでリラックス。
みんと

脅威の「ゼロ度」エクササイズで、男子も女子も号泣。

待ちに待った、
日曜日。
今週の1週間、月曜日から土曜日まで
9時半〜14時:身体理論
15時〜半永久:ピエル・パオロ・パゾリーニ
半永久というのは、本当に半永久で、
終わりの時間が未定ということ。
早くて、20時、
遅いときは、21時近くに及びました。
学校の建物、
Maison Louis Jouvetの閉館時間は、
なんと深夜0時。
0時以降まで、
リハーサルなどが入る場合のみ、
許可が必要で、
基本的に、
午後の授業は、
先生次第。
日が暮れる頃には、
全員、
瀕死の白鳥化していました。
ちなみに、
最年長は、私ですが、
最年少は、20歳。
しかも、平均年齢、23歳という若さ。
疲れるのも無理はない。
パゾリーニについての授業は、
さらに、あと2週間続くので、
午前の「身体理論」集中講義について書きたいと思います。
Master Classe avec Alexandre Del Perugia
http://www.ensad-montpellier.fr/79-14-au-26-10-promo-2016-puis-2014-master-classe-avec-alexandre-del-perugia.html
理論といっても、
実践を通しての授業。
なんと、
「私は、学校教育システムというものに、反対です」
という先生の一言からスタート。
一同、唖然。
3年間、厳しい訓練をうけて、
多少「使える」俳優になるだけだそうです。
そこで、
先生が一人一人に聞いたことは、
「私(先生)が、あなたにしてあげられることは何?」
それは、先生が与えるものではなく、
生徒一人一人が欲するもの。
つまり、
私たちは12人だから、
12通りある。
一回の授業4時間半ののうち、
2時間以上は、
ディスカッションに費やされる。
先生よりも、
生徒の方がたくさん発言している環境には、
だいぶ慣れてきたと思っていましたが、
少しでも気を抜くと、
質問したいことがなくなってしまう。
これは、全部、理解したということではなく、
受け身になってしまっているだけの証拠。
授業で行われた「ゼロ度」を探すエクササイズでは、
ありとあらゆる現象が起こりました。
先生がいう「ゼロ度」とは、
身体全体が、
弛緩した状態。
この状態をさまざまな方法で、
生産していきます。
この状態こそが、
どんなマッチョな筋肉にも勝てる、
ハイパーな状態。
ただ、これをmaîtriserするまでが大変。
maîtriserとは、
フランス語で、
抑制する、もしくは、習得するという意味の動詞。
ちなみに、名詞形のmaître/maîttresseという単語は、
主人、飼い主、所有者という意味があるので、
自分の身体の「飼い主」になるということ。
「飼い主」になるのは、
まだまだ先の話で、
この一週間では、
「ゼロ度」でどんなことが起きるのかをひたすら繰り返しました。
感情とは、
なんの関係もなく、
スタジオ中で、
涙とか、
笑い声とか、
さまざまなものが溢れ出して、
maîtriserする方法を、
まだしらない私たちは、
とりあえず、
出て来たものを、
放し飼い。
世にも不思議な一週間。
毎回エクササイズのあとは、
自分が感じたことや、
疑問に思ったことなど、
徹底的に言葉にして、
全員でシェアして、
分析。
つまり、
やりっぱなしは、禁物。
20代後半の目標は、
経験の「やりっぱなし」を、
しないこと。
おそらく、
10代の「やりっぱなし」と、
20代の「やりっぱなし」とでは、
訳が違うと思う。
10代の「やりっぱなし」は、
放っておいてもいつか勝手に「宝物」になる。
20代の「やりっぱなし」は、
どうやら手をかけてやらないといけないらしい。
(ちょっと出遅れたけど)
これからは、とうとう
maîtriserの時期。
疲れとか、
ハードスケジュールにまぎれて、
とりあえず、
「やった気分」にならないように。
土曜日の最終日に個人面談があって、
そこで言われたことは、
「自分の『文化』を死ぬほど大事にすること」
「悩んだら、そこに帰ってみること」
ということで、
昨晩は、スタジオジブリ3本鑑賞。
「耳をすませば」
「猫の恩返し」
「平成狸合戦ぽんぽこ」
15年以上ぶりに観たぽんぽこのスキャンダラスぶりには、
びっくりした。
そして、一番のプレゼントは、
「耳をすませば」より、
雫のお父さんの言葉。


「一つしか生き方がない訳じゃないし…
よし、雫、
自分が信じる通りにやってごらん。
でもな、人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。
何が起きても、誰のせいにもできないからね。」
ちなみに、なんと、
このお父さんの声、
東京大学立花ゼミで有名な立花隆さんでした。
ちなみに『二十歳のころ』シリーズは超オススメ。
どんな大人にも必ずあった「二十歳のころ」
はたちのころ
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784101387222
今日は、久しぶりに料理をして、
白菜のことこと煮込みスープを作りました。
隠し味は、
オニザキの『つきごま』
http://www.gomagoma.net/oco/item/surigoma/shiro/
いままでの、すりごまとはまったく違うこくに、
うっとりしながら、
フランス人には、
このこくの違いがわからないんだろうな、と思い、
小さな優越感に浸る、
安らぎの日曜日。

憧れの上級生

今週から、学校のホームページにプロフィールが掲載されました。
ドキドキ。
http://www.ensad-montpellier.fr/index.php?p=p60&dp=7
ちょっとびっくりしたことは、
ヨーロッパなだけあって、
プロフィールには、
目の色と髪の毛の種類が必須。
さてさて、先週は、
3年生の学外公演、
ブレヒトの『三文オペラ』を観劇に行きました。
受験は、2年に1度しかないので、
2学年上の彼らが、唯一の先輩。
会場は、なんとモンペリエでも3本の指に入る公共劇場、
Théâtre Jean-Vilar
しかも、劇場の主催公演として有料で行われました。
すでに、モンペリエの市内でも3回ほど公演を行っているそうですが、
3公演ともすでに売り切れで、
会場には、当日券の列ができていました。
本来、パリのCNSAD(国立コンセルバトワール)を含む、
高等コンセルバトワールは、
3年間の間、
学外で公演することが禁止されているのですが、
モンペリエENSADでは、
クリエーションを、学校の特色として掲げているので、
年に3、4回は学外公演のチャンスがあり、
さらに、6月には、
私たちも、モンペリエに続いて、
パリにツアー公演にいくそうです。
先輩なだけあって、
「学校教育」というシステムのフィルターを通さずには、
観劇することができず、
純粋に、
自分たちもこうなりたい!
という期待と、
自分たちにもこんなことできるのか?
という不安の中で、
時間…
3年間…
ぐつぐつ熟成させて煮込む時間…
というものを考えさせられました。
「芸術」と「才能」って、
切っても切れない関係だけど、
この「時間」だけに、
可能性を感じてみてもいいかと思う。
寄りかかってみてもいいかと思う。
« L’art est toujours le résultat d’une contrainte.
Croire qu’il s’élève d’autant plus haut qu’il est plus libre,
c’est croire que ce qui retient le cerf-volant de monter, c’est sa corde. »
           de André Gide (Extrait de Nouveaux prétextes)
(芸術は常に、制約の結果である。
自由になればなるほど、いっそう高くあがっていくと信じ、
そして、凧を支えているのは、凧ひもであると信じることである。)