2017年も 真面目にバガボンド。

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

年末年始を日本で過ごし、介護とカルチャーを往復し続ける生活を送っていました。

そんな中で出会った最強のテレビ番組、 NHKバリバラ

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うちの実家では、もう地デジ以降テレビはないので、youtubeにて視聴。

去年8月28日、24時間テレビの裏番組として放送された、検証!「障害者×感動」の方程式で企画された新企画、ココがズレてる健常者が、これまた最高に面白い‼︎

バリバラでも取り上げられている、 TEDのステラ・ヤングさんの障害者を「感動ポルノ」にすることへの批判したスピーチ。まさに、日本に置き換えるなら、24時間テレビへの批判スピーチ。

ステラ・ヤング: 私は皆さんの感動の対象ではありません、どうぞよろしく

 

自分があるコミュニティーにおいてマイノリティーになった時、あるいは、弱者となった時、

自分の現状を否定することなく、笑って喋れる力のパワーに圧巻されました。

かわいそうって思わせてたまるか、このやろー!っていうパワー。

私も、長らく、フランス社会において、弱者、もしくは、ハンディキャップを抱えて演劇をしていて、それは、いくら努力しても、これからも続いていくことで、

その努力を讃えられたり、成長を認められたり、はたまた、同情されたりもするけれど、

それ以前に、私、女優ですから、当たり前のことやってんですって、できなかったりすることも含めて、マイノリティーとしての、弱者としての自分の「仕事」を見せてけばいいんじゃんって、笑ってぺちゃくちゃしゃべっちゃったらいいのかも!

今の世の中、障害者、健常者というくくりよりも、

定職ついてなかったらかわいそう、結婚してなかったらかわいそうって、

「健常者内かわいそう」が溢れてる時代。

いやいや、世の中の「普通」から考えられて、勝手に「かわいそうって思われてる」人たちが、かわいそうって思われてたまるか!って、笑ってないと。

と喝を入れて、2017年も真面目にバガボンド。

理系俳優への道。

怒涛の2016年下半期が無事に終わった。

今日が、今年最後の本番。

7月にパリに引っ越してきてから、自分のアパートで寝たのは数えるほどだった。

同じ公演を何回繰り返しても、

俳優と本番前の緊張とは切っても切り離せない関係がある。

逆に、十分に緊張していないと、意識が散漫している感じがして、逆に緊張したりする。

11月に学校でのクリエーションのツアーを終えて、

本格的に学校と離れてから、

理由なき鬱期に突入し、

今まで3年間少しづつ少しづつ積み上げてきた自信が一気に崩壊した。

自信というものが、ここまで確信のないもので、迷信的な存在だとは思わなかった。

理由のある鬱はない。

芥川が、手記の中に書き残している不安のかたちこそが、

鬱の根源であると思う。

”少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。

何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。”

6月に学校を卒業してから、すぐに仕事が始まって、

演出家にも、共演者にも恵まれて、

最高の環境で、クリエーションをして、

新しいアパートに住んで、

家に帰るといつも温かい食事が待っていて、

こんなにぜいたくなことはないと、いつも感謝しながら、

心の底では、全く自分を肯定することができなくなっていた。

いつだって、戦うために必要な涙を流してきたのに、

流れていることさえ気づかないような役立たずの涙が音も立てずに頬を伝った。

俳優にとって、はったりでも、「自分イケてる!」って思えずに、

舞台に立つことは、苦行でしかない。

私の場合、今の作品にも、演出家にも、共演者にも、スタッフにも、心から好意を持っていて、

その中に存在する自分だけに、好意を持つことができなかった。

俳優が、他者からの評価との付き合いかたに注意しなければいけないのはもっともだけど、

私がいつも心がけているのは、

3方向からの評価を決して、混同しないということ。

演出からの評価、

観客からの評価、

そして、自分からの評価。

これら3方向からの評価に向き合っていく、それぞれの姿勢が必要であると思う。

その中でも、最もデリケートで、私の中で重要な場所を占めているのが、

自分からの評価である。

観客に喜んでもらえても、演出家にほめられても、自分自身で納得のできるものができないと、ずっと満足することができなかったい、それでいいと思っていた。

ただ、自分に厳しくあることとか、周りの俳優たちに圧倒されて、自分を下手だと思うこととか、下手すると、なんで自分なんかがこの場所にいるんだろうと疑問に感じることとか、

自分に集中しすぎる態度って、果たして「謙虚」、または、「誠実」と言えるのだろうかという疑問にぶち当たる。

これって、もしかして、逆に「傲慢」??

組織の中での、自分の小ささを嘆いて、縮こまるよりも、

小さな自分だからこそ、

組織に向かって、心も体もひらいていく必要がある。

俳優っていうと、「努力」とか、「鍛錬」とか、

精神論的なものがつきものだけど、

果たして、私たちの仕事ってそんなにミステリアスなのか?

決まった時間に、観客と俳優とスタッフが待ち合わせて、一定時間の間、「物語」が始まる。

その時間に合わせて、必要なピースを整え、パズルを完成させては崩し、また翌日、同じパズルを作り上げていく。
その繰り返し。

そう考えると、実はとっても数学的。

もちろん、人間だから、落ち込む日もあるし、自信がなくなる時だってあるけれど、

それらに対し、感情を表す形容詞を使ったところで、絶対に解決しない。

うまくいかないシーン、もしくは、居心地の悪いシーンがあるならば、

共演者、もしくは、演出家とも話し合い、

再度、稽古の時間をとって、調整していくのみ。

ある作品において、ひとりの俳優だけが、下手ということは、演劇的にほぼありえない。

解釈、もしくは、共演者との間に問題があるだけ。

すべての問いに、答えがある。

どんな難しい数式にも答えがあるように。

ただ、明確な問いがなければ、正しい答えは導き出せない。

 

 

文系と思われがちな「演劇」だからこそ、

舞台の外では、「理系」でクールな「演劇」との付き合い方が必要なのではないか?

俳優が抱える問題は、感情論で押し込めようとするのではなく、

具体的に、まずは、問題をクリアにし、そこから、他者と話し合う。

個人プレイの仕事ではないので、少々めんどくさいけれど、これらのステップを確実に踏む必要があると実感する今日この頃。

「感情」と対峙して仕事をするのは、あくまでも、舞台の上の話。

舞台を支える、舞台の外での土台は、不安定な「感情」抜きに、きっちり数学的に設計していくこと。

そんなこんなで2016年度のツアー終了。

来年はまた年明け、文化都市ナントからスタート。

とりあえずは、ほっと一息。

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(勇気を持って)お金の話をしよう。

11月は1週間に6作品違う作品に出演するという、

人生最初で最後になるであろう体験を経て、肝っ玉もすわり始めたところで、

10月に初演を迎えたSonge et Métamorphoses という作品のフランス16カ所ツアーがスタート。

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レジダンスで、長期間アパートに泊まることはあっても、

仕事でホテルに泊まるのは生まれて初めて。

ちょっとドキドキはするものの、やはり、フランス人の中で24時間密着した生活は疲れる。

 

さてさて、時期はそろそろ2018年度のプログラムが続々と決定し始める頃。

フランスの公共劇場の場合、毎年2月から4月の間に、来シーズン(9月から翌6月まで)のプログラムが1年分一気に発表されるため、とにかく、製作が早い。

基本的に、2年から1年前単位でことが運んでいく。

幸運なことに、私もいくつかオファーを頂いて、直接制作の方や、演出家の人とあって、スケジュールの調整などを行ったのだけれど、私の場合、事務所に入っていないので、自分で必要な事柄を質問していかなければならない。

お金の話が苦手な日本人ならではの苦労。

そして、芸術の世界となれば、なおさら、お金の話を切り出すのは、なんとなく気がひけるという若手の俳優は多いことだろうと思う。

自分のためになる仕事なら、たとえ、給料が悪くても!では、続かない。

もちろん私たちの仕事は、一生勉強。

それでも、お金を稼いで、気持ちのいい生活を送ることができなければ、いいクリエーションもできない。

特に、私の場合、自分がプロデューサーとなっている企画(つまり、まだお金にならない作品)があるため、こちらを続行するためにも、劇場のとの契約は、とても大事。

この間は、衣装の靴が二足壊れて、衣装の人がツアーに同行していなかったので、

自分で修理に持っていって、修理代は大したことないけれど、領収書を渡していいのかどうか1週間も悩んで、申し訳ないと思いつつ担当の人に渡したら、いとも簡単にお金が返ってきた。

つい最近は、パリに不在の日にオファーされたリーディング公演に、

声を録音して出演することになって、

契約後、声を録音してやってみたら、技術的に舞台上でうまくいかず、

結局不参加となったことがあった。

この場合、支払われるはずだった給料はどうなるのかと疑問に思いつつ、

聞けないままでいたら、稽古に参加したということで、後日、予定されていた給料が入っていたということもあった。

とにかく、サラリーマンが、企業との契約で、当たり前にお金の話をするように、

私たち俳優にも、当たり前に、お金の話をする権利があるということを、最近、一生懸命肝に銘じている。

それでも、よく知らない間柄で、かつ、自分はすごい有名な俳優でもないのに、お金の話をするなんて、なんだかいやらしいという価値観が脳裏に染み付いていて、小さなことでも、質問できずにくよくよしてしまう。

 

自分の労働に対してお金が支払われるということは、

まぎれもなく正当なことであり、

それを要求する権利は、アーティストだろうが、会社員だろうが、同等にあるものである。

 

ということで、俳優としては、ひよっこの私も、

食べていかないといけないわけで、

明日からも、舞台の上で、真面目に働きます。

 

 

 

 

再演を初演以上にエキサイティングする方法と卒業クライシス。

ランスでの初演を終えて、引っ越したばかりの自宅で二日ほど過ごし、もっとだらだらyoutube見ていたい欲求を押し殺し、リハーサルのためモンペリエへ。

なんと、11月は、5つの作品の「再演」に出演する。

これからも、一ヶ月のうちに、5作品に出演することは、到底ありえないだろうと予想する。

1作品目は10月に初演を迎えた作品で、11月は、フランス国内3カ所でツアーを回り、その他の4作品は6月にモンペリエで3週間の初演を終えた作品のパリツアーである。

1年以上前に、この怒涛のスケジュールが決まった時には、もはや雲の上の出来事という感じで、想像もつかなかったのだが、渦中に入ってしまえば、肉体も精神も意外にたくましくついてきてくれるものである。

再演のためのリハーサルは、基本、2日あればいい方で、新しい劇場で、ゲネプロなしに、本番を迎えることもざらにあるらしい。

今回はモンペリエで、それぞれの作品に2日づつ稽古日がもたれ、4ヶ月ぶりに作品を舞台の上に再度立ち上げていく。

身体に残る記憶と、脳内に残る記憶、そして、それらが、共演者たちの記憶とパズルが少しづつ組み合わさるように出来上がっていく感覚はくすぐったいような、何とも言えない感覚。

久しぶりに実家にきて、いろいろ変わってしまってはいるんだけど、すぐに、自分の居場所をみつけられるような「ただいま」が言いたくなってしまうようなたまらない感覚なのである。

もちろん、再演には、初演のときに味わったような緊張やストレス、プレッシャー、それがもたらす極上の興奮はないにしろ、もっと熟練した「大人の」楽しみ方があるように思う。俳優たちは、すでに出来上がっている地図を変えることなく、小さなアトラクション(もしくは、サプライズ)を仕掛けあう。

もう何回も繰り返しているからとあぐらをかいた瞬間に、作品が腐ってしまうことを防ぐために、毎日毎日新たな刺激を与え合うことが求められる。それは、リハーサルにしても同じ。

 

そんな、実家に戻ったときのようなホーム感を味わいながらも、同期の卒業クライシスを目の当たりにすることになる。

今年、卒業した私たちのプロモーションは11人。

失業保険制度(Intermittent du spectacle)の資格がもらえる、年間507時間以上の契約が取れたのは、いまのところわずか3人。

(Intermittent du spectacle:舞台芸術に関わる仕事は、定期的ではないので、約12ヶ月の間に、507時間以上の契約があれば、生活費が保証されるというもの)

 

つまり、凄まじい倍率を通って、国立の演劇学校に入学できたとしても、卒業してから、また俳優としての仕事を安定したものにするまでには、いばらの道が続くわけである。

フランスの地方における文化政策が進んでいるとは言っても、オーディションや稽古はなんだかんだパリで行われることが多いので、地方の国立学校の卒業生たちは、パリの国立コンセルヴァトワールの卒業生たちとは機会均等とは言えない。

そもそも、演劇の場合、映画と違って、自分が出演した作品を時間が経ったあともプロモーションとして見せることは難しいので、若いうちに、いかに、舞台に立っている機会を多くして、たくさんの人の目につけるかということが重要になってくる。

そこで、フランスの若い俳優たちも、キャスティング事務所や、自分が仕事をしたいと思っている演出家に直接自分が出演する舞台の招待を送り、自らをプロデュースしていくのである。

フランスが、芸術を受容する側にいる時は、フランスが芸術大国と言われることもすんなりと納得がいくのだが、アーティストとしては、そんなにたやすいことでないという実態は、まさに日本と同じだと思う。

しかし、そんな不安定な人生を選んだことを後悔させない輝ける大人たちが少なからずいる国でもある。

 

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©Patrick Laffont

 

公演詳細:

http://www.midiminuit.fr/songes-et-metamorphoses/ (舞台写真みれます!)

Tournée 2016 – 2017

Du 7 au 9 et du 13 au 16 octobre 2016 – Comédie de Reims – CDN
Le 18 novembre 2016 – Avant Seine – Théâtre de Colombes
Les 23 et 24 novembre 2016 – Espace Malraux-Scène Nationale de Chambéry et de la Savoie
Du 30 novembre au 4 décembre 2016 – Théâtre du Nord-CDN Lille Tourcoing Nord Pas-de-Calais
Les 13 et 14 décembre 2016 – Scène nationale de Saint-Nazaire
Les 11 – 12 – 13 janvier 2017 – Le Lieu Unique-Scène nationale de Nantes
Les 19 et 20 janvier 2017 – Le Parvis-Scène nationale de Tarbes
Les 25 et 26 janvier 2017 – Scène Nationale d’Albi
Les 2 – 3 – 4 février 2017 – CDN Orléans Loiret Centre
Du 9 au 12 février 2017 – CDN Besançon Franche-Comté
Les 23 et 24 février 2017 – Le Cratère-Scène Nationale d’Alès
Les et 9 mars 2017 – Théâtre de Caen
Les 14 et 15 mars 2017 – Le Quai – CDN Angers Pays de la Loire
Les 23 et 24 mars 2017 – Le TANDEM – scène nationale de Douai
Du 19 avril au 20 mai 2017 – L’Odéon-théâtre de l’Europe
juin 2017 – Le Printemps des Comédiens – Montpellier

 

quatre fois onze
projets mis en scène par Jean-Pierre Baro, Robert Cantarella, Alain Françon, Gildas Milin
8 NOVEMBRE AU 19 NOVEMBRE 2016
(EN ALTERNANCE)

Quatre metteurs en scène, onze acteurs. L’équation promet d’être belle, et le pari risqué. De jeunes comédiens, tous issus de l’École Nationale Supérieure d’Art Dramatique de Montpellier, ont trouvé auprès d’artistes des générations précédentes des ressources pour « aller de l’avant ». Réciproquement, ces derniers ont trouvé dans le travail avec la jeunesse de quoi renouveler leur art. Qu’il s’agisse de percer le secret des aspirations révolutionnaires dans La Mort de Danton (Jean-Pierre Baro), de penser un droit des consciences dans NNN (Gildas Milin), de retrouver la figure lumineuse du monde grâce à Botho Strauss (Alain Françon) ou de chercher comment vivre ensemble selon les voies ouvertes par Out-One, le film monstre de Jacques Rivette (Robert Cantarella), tous œuvrent pour que le passé et l’avenir soient les porteurs d’un nouveau monde.

Personne d’Autre (Fragments)
montage de textes de Botho Strauss – Alain Françon
mardi 8 à 19h30, samedi 12 à 16h, mardi 15 à 19h30
Monstres
de Stéphane Bouquet – Robert Cantarella
mercredi 9 à 19h30, samedi 12 à 19h, mercredi 16 à 19h30

La Mort de Danton
de Georg Büchner – Jean-Pierre Baro
jeudi 10 à 19h30, dimanche 13 à 16h, samedi 19 à 16h

NNN
de Gildas Milin – Gildas Milin
vendredi 11 à 20h30, jeudi 17 à 19h30, samedi 19 à 19h

 

 

 

 

 

 

 

フランス初日びっくりと29歳の原点。

8月からの地獄クリエーションを経て、

先週7日に、ランスで初日を迎えました。

Songes et Métamorphoses UN SPECTACLE DE GUILLAUME VINCENT

一時は本気で、本番を迎えずして、クビになるかと思ったけど、なんとか無事に幕があいて、感動というよりも、安堵の方が大きかった。

初日に、まずびっくりしたことは、フランスの演劇界では、Les cadeaux de la premièreと言って、初日にスタッフ、俳優全員がプレゼントを交換し合う風習があるということ。

私は、初日の朝に、同居人の女優から聞いて初めて知ったので、すでに時遅し。

文房具屋に駆け込み、上等なカードと封筒を買って、俳優、スタッフあわせて、関係者30人簡単な手紙を書くことに。

本番前の簡単なリハーサルが終わり、マイクチェックをしてから楽屋に戻ると、机の上はプレゼントとカードで埋め尽くされていた!

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衝撃!

物によっては、いつから準備してくれていたんだろうと胸が熱くなるような贈り物も。。

周りの俳優たちの話によると、この風習は、どこの現場に行っても同じらしい。

日本では、千秋楽にお世話になったお礼に手紙や贈り物を渡すことはあっても、初日というのは、めったにないと思う。

 

フランス人にとって重要な初日も、

日本人にとって重要な最終日も、

どっちも私のかけがえない日だ。

 

そんな、初日の翌日、お陰さまで、今年もお陰さまで舞台の上で誕生日を迎えることとなりました。

 

去年の誕生日は、本番中だったにもかかわらず、喉を壊して、思うような演技ができなくて、もうこんなんじゃ舞台の上で迎える誕生日も今年が最後かもしれないと思って、号泣していた。

そこから、体力と精神力をつけることに集中してきた1年間だった。

何しろ、私のモットーは、「流れろ、流れろ、流されろ。」

目の前にあることが、最良なかたちでできるように、全力を注ぐだけ。

今年も順調に苦しみながらも、流されて、流れに逆らうことなく、流れおわったら、また次に来た波に流されるだけ。

 

学校卒業後、フランスで初めてのプロとしての仕事に、もっと緊張したり浮かれたり興奮したりするのかと思っていたけど、初日があけて、異様に平常心な自分に少し驚いた。

飛び跳ねたくなるような喜びや、全身にほとばしる達成感のようなものはないけれど、

確実に、舞台に立つという、特別だった時間が、刻一刻と、日常の一部に溶け込んでいっていることを感じることが実に心地よい。

 

29歳は、怖いもの知らずの強さから、怖いものを知っているからこその強さへの転換期だと思う。

怖いもの知りの強い30歳を目指して、

今年も、誠実に、慎重に、そして、大胆に生きていきます。

 

お誕生日のメッセージ、ありがとうございました。