【FTA 2023】Reconnaissance du territoire(領土を承認すること)
Festival TransAmériques1本目はオープニング作品にふさわしい、北極圏の先住民族サーミのアーティストElle Sofe Saraの作品『Vástádus eana – The answer is land(https://fta.ca/en/event/the-answer-is-land/)』。今年のFTAは、21か国から、24作品がプログラムされていて、そのうちの6作品が先住民族のアーティストの作品。多国籍だけでなく、多民族を意識した国際演劇祭はめずらしいのでは。今までも、己の無知はすべて劇場で学んできたが、今回も上演体験を通し、サーミの文化について知りたくなる、非常に質の高いダンス作品だった。サーミの迫害の歴史など全く知らないまま観劇したが、当事者の身体からしか滲み得ない物語の強度に涙が出た。アフタートークで、サーミ人であるダンサーの「私たちの身体は恥の歴史を背負わせられている。だから、その恥を超えて、自分の身体に誇りを持つためのプロセスだった」という言葉が苦しかったし、救いだった。
早速、『サーミの血(https://www.uplink.co.jp/sami/)』という映画をみた。サーミの子供たちは「移牧学校」という寄宿学校に入学させられ、スウェーデン語を押し付けられる反面、スウェーデン学校に行くことは禁じられた。映画の中で、サーミの外見はスウェーデン人と変わらないのにもかかわらず、子供たちがみんなの前で裸にされて骨格を調べられるシーンがあった。この映画の主人公も、生粋のサーミ人。当事者にしか演じられないパフォーマンスというものを改めて考える。
Festival TransAmériquesにおいて、先住民族のアーティストをプログラムすることが、なぜ大切か。フェスティバルの公式パンフレットの6ページ目に、以下のマニフェストがあります。
「領土の承認は、和解への長い道のりの一歩である。私たちは学び、対話し、協力し合う人々に、先住民やその言語、歴史の抹殺に対して思慮深い行動をとるように促します。」(https://fta.ca/reconnaissance-du-territoire/)

2017年に初めてFTAに参加した時、植民地支配の歴史への知識が欠けていたため、作品を見た後のディスカッションにおいても、自分が生きている世界の半径5メートルくらいから出てくる感想しか言えなかった。「知らないということを知らない」ということほど恐ろしいことはないと痛感した出来事だった。
カナダでは19世紀から1990年代まで、政府とカトリック当局が先住民の子どもを親元から強制的に引き離し、各地の寄宿学校で生活させた。学校は139カ所にも上り、伝統文化や固有言語の伝承を絶つ同化政策を進めた。対象となった子どもは15万人以上で、学校では暴力や性的虐待、病気や栄養失調が多発したとされる。
そして、現在でも、先住民族女性・少女の失踪や殺害は続いている。見えないことになっている人種差別は確実に存在する。
劇場という場で、このような社会的問題を直接的に告発するような作品は少ない。しかし、舞台芸術という媒体を通し、当事者の身体が語る圧倒的なヒストリー(物語/歴史)を目撃した時、私たち観客は、もう無関係でも無関心でもいることができなくなる。
昨晩見たサーミ民族の作品は、劇場ではなく、街の中心部、道路のど真ん中で開演した。誘導の手間を含め、わざわざこんなめんどくさいことをしなくてもと思ってしまったのだが、改めて、プログラムに記載されているこのマニフェストを読み、街の中で開演したフェスティバル側の覚悟を感じた。

©Vivien Gaumand