【FTA 2023】Reconnaissance du territoire(領土を承認すること)

Festival TransAmériques1本目はオープニング作品にふさわしい、北極圏の先住民族サーミのアーティストElle Sofe Saraの作品『Vástádus eana – The answer is land(https://fta.ca/en/event/the-answer-is-land/)』。今年のFTAは、21か国から、24作品がプログラムされていて、そのうちの6作品が先住民族のアーティストの作品。多国籍だけでなく、多民族を意識した国際演劇祭はめずらしいのでは。今までも、己の無知はすべて劇場で学んできたが、今回も上演体験を通し、サーミの文化について知りたくなる、非常に質の高いダンス作品だった。サーミの迫害の歴史など全く知らないまま観劇したが、当事者の身体からしか滲み得ない物語の強度に涙が出た。アフタートークで、サーミ人であるダンサーの「私たちの身体は恥の歴史を背負わせられている。だから、その恥を超えて、自分の身体に誇りを持つためのプロセスだった」という言葉が苦しかったし、救いだった。

早速、『サーミの血(https://www.uplink.co.jp/sami/)』という映画をみた。サーミの子供たちは「移牧学校」という寄宿学校に入学させられ、スウェーデン語を押し付けられる反面、スウェーデン学校に行くことは禁じられた。映画の中で、サーミの外見はスウェーデン人と変わらないのにもかかわらず、子供たちがみんなの前で裸にされて骨格を調べられるシーンがあった。この映画の主人公も、生粋のサーミ人。当事者にしか演じられないパフォーマンスというものを改めて考える。

Festival TransAmériquesにおいて、先住民族のアーティストをプログラムすることが、なぜ大切か。フェスティバルの公式パンフレットの6ページ目に、以下のマニフェストがあります。

「領土の承認は、和解への長い道のりの一歩である。私たちは学び、対話し、協力し合う人々に、先住民やその言語、歴史の抹殺に対して思慮深い行動をとるように促します。」(https://fta.ca/reconnaissance-du-territoire/

2017年に初めてFTAに参加した時、植民地支配の歴史への知識が欠けていたため、作品を見た後のディスカッションにおいても、自分が生きている世界の半径5メートルくらいから出てくる感想しか言えなかった。「知らないということを知らない」ということほど恐ろしいことはないと痛感した出来事だった。

カナダでは19世紀から1990年代まで、政府とカトリック当局が先住民の子どもを親元から強制的に引き離し、各地の寄宿学校で生活させた。学校は139カ所にも上り、伝統文化や固有言語の伝承を絶つ同化政策を進めた。対象となった子どもは15万人以上で、学校では暴力や性的虐待、病気や栄養失調が多発したとされる。

そして、現在でも、先住民族女性・少女の失踪や殺害は続いている。見えないことになっている人種差別は確実に存在する。

劇場という場で、このような社会的問題を直接的に告発するような作品は少ない。しかし、舞台芸術という媒体を通し、当事者の身体が語る圧倒的なヒストリー(物語/歴史)を目撃した時、私たち観客は、もう無関係でも無関心でもいることができなくなる。

昨晩見たサーミ民族の作品は、劇場ではなく、街の中心部、道路のど真ん中で開演した。誘導の手間を含め、わざわざこんなめんどくさいことをしなくてもと思ってしまったのだが、改めて、プログラムに記載されているこのマニフェストを読み、街の中で開演したフェスティバル側の覚悟を感じた。

©Vivien Gaumand

【FTA2023】知的障害者でプロの俳優は存在するか

答えは、イエス。先日観劇したサーミ人によるダンス作品で、私はパフォーマーの身体が持つ当事者性に痛く心を掴まれたのだが、知的障害者の劇団員を持つバック・トゥ・バック・シアターの作品では、全く当事者が当事者を演じているとは思わなかった。なぜなら彼らは列記としたプロの俳優だから。バック・トゥ・バック・シアターは、オーストラリアの劇団で、過去に来日公演もしている。

今回FTAで招聘されている『The Shadow Whose Prey the Hunter Becomes(https://fta.ca/en/event/the-shadow-whose-prey-the-hunter-becomes/)』は、劇団の代表的な3人の俳優による公開ミーティング形式の作品。抑制された人権、食の倫理、人工知能の支配をテーマに、彼らは自分たちが知的障害者であるという事実から、会議を進めていく。何かの演じるのではなく、自分というアイデンティティーを保ったまま、いくつかのフィクションのレイヤーを巧みに使いこなし、観客をフィクションと社会問題のはざまに巻き込んでいくスタイルは、俳優にとって相当高度なテクニックが求められる。時として、アーティストが障害を持つ人たちと作品を創作しようというプロジェクトもあるが、バック・トゥ・バック・シアターは、1987年から続く劇団で、プロの所属俳優によって成立している。
終演後に、「障害を持っていても、堂々としている姿に涙が出た」と、隣の観客が話していたのだが、私はそれは違うと感じた。なんでもかんでも、当事者が当事者を演じているから感動するものではない。単に俳優が「当事者性を用いて」演じている、のではないか。今回の作品において、自らの障害をテーマにして泣かせるような仕組みは一切ないし、ただただ彼らのパフォーマンスのクオリティが高いがために、ドキュメンタリーかのように見えているだけであると、私は感じた。ただ、彼らの特性ゆえ、まるで演技をしていないように見えるというのは事実で、演出家は、その特性と非常に緻密に付き合っている。そして、痛烈な問いをいくつも突きつけられた。


今月から始まったNHKBSプレミアムドラマ「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」で、ダウン症の男の子がメインキャストに抜擢されたことが話題になっている。2022年には、ろう者の当事者たちを起用した「コーダ あいのうた」がアカデミー賞の作品賞を受賞して話題になったが、日本ではまだ名のある俳優が、迫真の演技で障害のある役を演じるということも多いそう。ディレクターの大九明子さんは「当事者の俳優がいる中で、その人達にとってそういう役が描かれている作品に出会うことがすごく少ないし、せっかくあっても当事者ではない人にその席を奪われるのは不公平じゃないかと思っています。」とインタビューで答えている。このドラマの中で、ダウン症の吉田葵さんの「演技」は秀逸で、彼が実際にダウン症かどうかというところに焦点がいくものではない。ただ、それは障害にあるなしにかかわらず、この人からしか出てこなかっただろうなという心から信用できる表現がちらほら見られる。(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230517/k10014067761000.html

環世界 という言葉がある。環世界 (かんせかい、Umwelt)は ヤーコプ・フォン・ユクスキュル が提唱した生物学の概念。すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、それを主体として行動しているという考え。

障害をもつ人の感覚を分かろうとする時に、さぞかし大変だろうなとか、頑張っててすごい、と自分の環世界に合わせて他者を規定するのではなく、単純に生息している環世界が違うということに繊細になった方がいいのではないか。私には想像も及ばないような環世界の中で身に付けてきた、私とは違う知覚世界を持っているということが前提にある。

違う環世界に住む人たちが、創作という場所を通して、同じ空間と時間を共有するプロセスは非常に有意義なものだと思う。舞台芸術を観る時のポイントとして、結果として現れている作品だけでなく、この作品が出来上がるまでに流れたプロセスを想像しながら観劇してみると非常に面白いということがよくある。

特に、違う環世界を生きるもの同士の創作は、いかにして、この人たちに間に信頼関係が生まれたかというところに注目すると舞台の上には見えない奥行きが一気に広がる。

危篤者の権利

コロナ以降、私は以前より積極的に「移動」している。

原油価格の高騰や円安の影響により航空機燃料が値上がりしたことや、オンラインという選択肢を得たことなど、

国際間の「移動」を避ける理由はいくらでもある。

しかし、今年81歳になったイタリアの哲学者ジョルジオ・アガンベンが言及した「移動の権利」に触れてから、

私は「移動」が愛おしくてたまらない。

「移動」にかかるお金は自分にとってかなり優先順位の高い出費となっている。

(2021年に書いた「移動の自由」に関する記事:(コロナ禍での)滞在制作とは何か。

そして、アガンベンが、コロナ禍において警鐘を鳴らしたたもうひとつが「死者の権利」である。

アガンベンは、「死者が葬儀の権利をもたない」社会が訪れているのだと指摘した。

アガンベンは、あくまでも死者の側にたち、あえて死者に対して「権利」という言葉を使う。

「権利」というものは、決して生きているものだけが享受することのできる特権ではないということを思い知らされる。

コロナ禍において、親族のみでしか葬儀を執り行うことができないというニュースが多発していた。

親族以外の生きている側がしっかりと死者とお別れする時間を持てないことは辛いと感じたが、それはあくまでも、看取る側から生きてるものへの思いやりであり、死者の権利については考えたことがなかった。

そして、昨年末、父の死をきっかけに「危篤者の権利」というものについて深く考えさせられた。

父は長らくパーキンソン病を患っていたが、自分の意志で、在宅介護のサポートを受けながら、一人暮らしを続けていた。

担当のケアマネージャーからは、安全などの観点から、これ以上、一人暮らしを続けていくことは不可能と繰り返し言われており、数年前からさまざまな住宅型介護施設をふたりで見学して回った。

しかし、研究書で溢れかえった自宅で住み続けたいという意思は変わらなかった。

去年の夏頃にも、体調が悪化し、介護施設への入居を勧められたが、

コロナで外部からの訪問管理も厳しくなっており、せめて正月は家族で過ごしたいと、私も父も返答を後伸ばしにしてきた。

自宅には毎日5回から6回にわたる訪問看護師及びヘルパーさんの介入があり、彼の生活は総勢25人近いメンバーに支えられていた。

昨年11月なかば、フランスで仕事をしていた私のもとに、父の危篤の知らせが届いた。

数週間前から、食べ物や飲み物が飲み込めない状態が続いていたが、本人の意思で胃瘻などの延命処置はしないこととなった。

自宅での看取りが決まり、私は勤務先の劇場に事情を話し、すぐさま日本に帰国した。

帰国前日に、担当医師と話した時には、明日まで命が持つかわからないと告げられたが、そこから、彼の危篤状態は5日間続いた。

病院に入院せずに、在宅で看取ることの本当の意味を実感した5日間だった。

それは、「危篤者の権利」として、親族以外の人と面会していくことであった。

親族以外というと友人や同僚をまず思い浮かべるだろうが、

父にとって、ここ数年一番時間を共に過ごしたのは、紛れもなく、家族でも友人でもなく、

訪問介護チームの面々である。

病院に入院すると、基本的に訪問看護チームの仕事はなくなるので、もう会えなくなってしまうのが普通である。

しかし、本人の意思により、在宅で死期を迎えることを選択したため、毎日代わる代わる介護士さんたちが訪問してくれ、自宅は驚くほど賑やかであった。

危篤のあいだ、意識はほとんどなかったにもかかわらず、介護士の方々の端々に及ぶ気遣いには、心から感心させられた。

言葉で意思疎通することはできなくなっても、なんとか「心地よさ」を与えようと試行錯誤する姿は実にクリエイティブであった。

最期の日まで、父の枕元には、代わる代わる介護の方々が訪れた。

笑ったり泣いたり、喧嘩した思い出話を大声で話しながら、細やかな「ケア」を続けてくれた。

死が近い時、人間は「下顎呼吸」といって、あごで呼吸をするそうだ。

父の顎が動き始めた時、私は、最初に介護の方々の顔を思い浮かべた。

家族である私と同じくらい他人である介護の方に父が最後に会いたいと思っている可能性があると強く思った。

それは、血縁を超えた強くて太くて暖かい信頼であり、

「危篤者の権利」というものが存在するなら、それを血縁ぐらいの大義名分で奪ってはいけないと実感した。

結局、介護の方々は、コロナの状況も鑑みて、葬儀には出席することができなかったので、「死者の権利」を尊重できたかはわからない。

しかし、父が自分の意思で自宅に居続けたことで、結果として看取りに関わったすべての人々が「危篤者の権利」を尊重できたことには違いなかった。

息を引き取った直後も、訪問看護ステーションに連絡すると、日曜日にもかかわらず、20代の若い看護師さんが駆けつけてくれ、一緒に「エンゼルケア」を行なった。

エンゼルケアとは、人が死亡した後に行う死後処置ならびに死化粧までのケアのこと。

病院や介護施設で最期を迎える方も増えている昨今、エンゼルケアに遺族が立ち会える機会は少ないそう。

遺族は、エンゼルケアを経て、すでに整えられた状態で遺体と対面することも多いそうだが、望めば立ち会うことも可能。

私は、髪の毛を洗ったり、身体を拭いたり、クリームで保湿したり、排泄の処理など、すべて看護師さんの指示のもと、一緒に行なった。

エンゼルケアに参加できたことで、生死の境はよりあいまいになった。

志賀直哉『城の崎にて』を題材に、前年に撮影した映画を思い出しながら。

生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。

それほどに差はないような気がした。

ちなみに、このブログのトップページで使われている写真は、

子どもの頃からよく通っていた父の大学の研究室。

膨大な資料のコピーも、私がアルバイトで整理しました。

性描写と女優、容姿と女優、老いと女優

フィードバックが遅くなってしまいましたが、3月はさまざまな場所で「演技指導を一切行わない演劇ワークショップ」をやらせていただきました。最近、ワークショップのタイトルでよく使っている「ちょっとだけ“めんどくさい”俳優になる演劇ワークショップ」ですが、この「ちょっとだけ“めんどくさい”俳優」を目指すきっかけとなった出来事をまとめたいと思います。

現在は、ジェンダー平等やクイアの視点から、各国で「女優」という言葉を排除する動きがありますが、俳優の商売道具が、自分の身体である以上、身体が持つ性別と自身のアイデンティティをなかなか切り離せない現実があると感じます。私が、女性の身体を持っていることで出会った数々の困難や気づきは、やはり、フラットに「俳優」という言葉では語り尽くせないところがあるので、あえて「女優」という視点から、「性描写」「容姿」「老い」というテーマで、なぜ俳優(特に女優)が、ちょっとだけめんどくさくならないといけないと思うかを書きます。

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『性描写と女優』

90年代のお茶の間で、思春期を過ごした私は、フェミニストというと、男性に嫌われるような、ちょっとめんどうくさい気の強い女性を想像しがちであった。ちなみに、フェミニズムの起源は、演劇学校の卒業公演で扱った作品、ゲオルク・ビューヒナーの戯曲『ダントンの死』の時代背景、フランス革命までさかのぼる。1991年『人権宣言』に対抗し、フランスの女性作家であり女優のオランプ・ド・グージュが『女性及び女性市民の権利宣言』を発表している。つまり、フェミニズム運動の先駆者は、女優であったのである。そして、この事実を私は、声を大にして叫びたい。

私は、『ダントンの死』という戯曲の中の、女性の役の中で、唯一、2ページにわたるモノローグがある役、高級娼婦「マリオン」を配役された。(今だったら、そもそも、革命や戦争を題材にした戯曲は、男性たちのために書かれているようなものなのだから、そんな戯曲を卒業公演に選ぶのはどうなのかと問いたい。)演出家は、この役に特別な思い入れがあるらしく、稽古がはじまってそうそう、この娼婦が、主役の男性「ダントン」にオイルマッサージをしながら、モノローグを語っているイメージがあると言った。

言葉もろくに喋れない、いつも引っ込み思案な私が、開口一番、「嫌です」と言ったので、演出家は絶句。

ドラマツルギーにおける検証が一切なされない、ビジュアル重視のセクシャルなシーンは、俳優、特に女優にとって非常に危険である。極端な例で言えば、男女の濡れ場があったとして、その行為をどこまで舞台の上で見せるか(もしくは、行為に及ぶか)ということは、再現芸術において根本的問題である。例えば、映画の場合、納得のいくシーンが撮れたらそこでおわるが、演劇の場合は、そこから始まる。稽古場では、「再生可能な」システムを探していくことも俳優の重要な仕事の一部である。脱げと言われたから、脱いで、抱き合えと言われたから、抱き合っていたら、連日に及ぶ公演で、精神的にも、肉体的にも、追い詰められることは間違いない。観客が、俳優に対し、「人前でよくあそこまでできるなあ」と思ってしまうようなシーンこそ、そのアクト(行為/演技)を水面下で支えられるような、徹底的なドラマツルギー的根拠が必要。俳優の仕事の半分以上は、創作過程に必要不可欠な「コミュニケーション」に凝縮されているといっても過言ではない。共演の俳優と時代背景も踏まえ、テキストを徹底的に読解し、その上で、最終的にマッサージよりも過激な性描写を提案した。演出家も、私たちの提案に対し、ディスカッションをひらいてくれたので、セクシュアルな「行為」そのものが浮き出てしまわないようなシーンを構築することに成功。ちなみに、古典戯曲において、女性の役は、主人公、つまり、男性の妻、もしくは、愛人であることがほとんど。必然的に、男性に付随するような役が女優に与えられる可能性が高くなる。この現実の中、女優は、俳優である以上に、女優であることを、意識していく必要があるのではないか。どんな美しさも醜さも消費されてはならない。


『容姿と女優』

 渡仏当初、オペラ座にて、出演者がほぼ全員裸のワーグナーのオペラを見て以来、観客としては、舞台芸術における「性」というものの見方が随分変わって、今では、そんなに驚くこともなくなってしまった。しかし、だからこそ、俳優としては、日常からはみ出た部分、つまり演出家からの自身の身体への親密な要求にこそ、慎重に、かつ、尊厳をもって答えていくことが必然だと感じる。

 これまた、性的なシーンが多く存在するピエル・パオロ・パゾリーニ作品を創作した際、ある演出家は、初回の稽古で、役者がセクシュアルなシーンを演じる上で、最も美しいものは「la pudeur(羞恥心)」である、と言った。それは、自分の下着姿を見られることだったり、他の俳優とキスしているところを見られることだったり、本来親密な他人以外の目に晒すものではないアクト(行為/演技)に、きちんと「恥ずかしい」と感じられること。セクシュアルなシーンが、舞台芸術において難しいのは、観客席という完全な「公」的空間と、俳優が舞台に持ち込まざるを得ない究極の「私」的空間(身体)との、温度差によるものだと思う。この温度差から生まれる「la pudeur」に、自然に付き添って創作していくことが、私にとっては初めてのことで、8ヶ月間かけて、徐々に受け入れて、そして、楽しめるようになったのが全裸のシーン。つまり、お風呂でも、舞台の上でも、「私の体は、私のもの。」
 当時、クラスで話題になっていたのが、欧州各地で行われていたトップレス・デモ「国際トップレス聖戦の日(International Topless Jihad Day)」。このデモは、ウクライナの女性権利団体「FEMEN」の呼びかけで起こったものである。そもそもの事の始まりは、19才チュニジア人女性アミナ・タイラー(Amina Tyler)さんが、facebookで「私の体は私自身のもの。誰かの対面のためのものではない」と、上半身に書いて、裸体をネット上で公開した。彼女の両親は、彼女の行為を恥じて、彼女を1ヶ月以上監禁し、さらに、イスラム教指導者は、ファトワー(宗教的訓令)を発し、彼女に死刑を宣告した。

「私の体は、私のもの。」
毎日見ている、洋服の下にある自分の体。この体は誰のものか。どんなに大きな権力や、たくさんの視線に晒されても、決して、自分の身体の所有者であることをやめないこと。宗教を超えて、役者が舞台上で、服を着ていようが、裸だろうが、自分の身体を「晒す」という行為に、大きな可能性と権力、そして、同じくらい大きな責任を感じる。

 さらに、突っ込んでしまえば、裸云々の前に、女優と切って切り離せないのが「外見」である。世の中には、さまざまな容姿の人がいるように、フィクションの世界にも、さまざまな容姿の人が必要。とは言っても、実際のところ、俳優という職業において、容姿が重視されやすいことには間違いない。ダイバーシティーと慰めてみても、見た目がものをいってしまう現実がある。そして、日本人以上に、フランス人の外見は異なる。俳優の履歴書には、身長、体重のほかに、目の色、髪の毛の色と質を明記するのが当たり前。肌の色だって、さまざま。そして、フランス演劇界における俳優の容姿というものは、日本以上にデリケートなものがある。人種的な容姿の問題も介入してくるのである。特に、古典の場合、肌の色によって、ドラマツルギー的に演じることができない役があるという価値観もいまだに存在する。例えば、1680年から続くフランスの王立劇団コメディー・フランセーズには、古典を演じるにあたって、黒人俳優枠というのが現在も存在する。そして、アジア系の俳優はいない。

 これらをふまえて考えると、舞台における「外見」というものは、ある種「記号」的なものに変換されるのではないか。例えば、二枚目俳優、三枚目俳優という言葉は、歌舞伎からきているが、二枚目俳優が必ずしも、美男子だったかというとそうでもないらしい。歌舞伎特有の化粧法、隈取は大きく分類しても50種類ほどあるという。隈取は、「描く」ではなく、「取る」と表現されるように、遠くから見てもはっきりわかるように筋を指でぼかす。女方を演じる俳優からもわかるように、どうやら、「美人」は生成可能のようだ。ここで私がいいたいのは、歌舞伎の化粧、身のこなし方からもわかるように、ずばり、舞台における「美人」とは、実際に「美人」である俳優のことではなく、客席から「美人に見える」俳優のことを指すのではないかということ。巷では、「雰囲気美人」という言葉があるそうだが、まさに、舞台、特に、古典作品には、この「雰囲気」というものが欠かせない。

 実際、私が、『ダントンの死』で演じた、高級娼婦マリオンの役も、いわゆる「美人」要素が必要な役。はっきり言って、髪の毛が長いことと、身体の線が他の人と比べて細いということだけで、配役されたようなものだと思う。あとは、身のこなし、特に手の動きで、美人じゃなくても、記号的「美人」のできあがり。俳優、特に、女優にとって、自らの容姿との関係は、極めてデリケートである。「美しさ」の定義を、普遍的に捉えながら(時として、外見で判断されながら)、この職業を続けていくのは、生半可なことではない。私の場合、古典作品における、先に示した、「記号的な」美しさとの(受動的な)付き合い方と、現代作品における「革新的な」美しさへの(能動的な)探求とを分けるように心がけている。



『老いと女優』

プロとして活動を始めて2年が経った頃、初めての母親役を与えられた。女優7人がメインの作品だったのだが、あるシーンで、子供役3人と母親役4人でやることになっていて、まさか、自分が母親役に配役されるとは思わなかった。年齢的には、もう30歳だったので、母親役を依頼されてもおかしくない年齢だったのかもしれないが、ヨーロッパで暮らしていると、アジア人ということもあり、若く見られて当たり前だった。「実年齢より、若く見られたい」などと意識したことはないけれど、どうやら、声と身体は、無意識に欲していたようだ。まずは、自分は母親役ができるくらいの外見であるのだというショック。そして、演出家からは、声に重みがないという指摘。フランス語の解釈の面で、もう困ることもないけれど、いくら頑張っても消せないのが、アクセント。いつの間にか、このアクセントに引っ張られ、声も子どもっぽくなってしまっていることに気づく。実際、今までは、少女的な役を与えられることが多かったので通用してきたのだが、もう逃げ道はない。自分が「実年齢よりも若い」役を、演じることが多いことに、無意識に、女性として優越感を感じていたのではないか、と思うとぞっとする。日本のテレビや雑誌で、実年齢より若々しくみえる「美魔女」たちがもてはやされる世の中に、いつのまにか洗脳されていたのかも。メディアの力、恐るべし。日本を離れてから、西洋人の中でアジア人の外見で活動していたので、「他人と外見を比べる」という呪縛からは逃れたと自負していたのだが、年齢に関しては、人種は関係ない。年とともに、外見も変わっていく。いつまでも若々しくみられたいという願望は、女優にとって、実に厄介なものである。その転機となるのが、30代前半であるのかと、苦くも実感する日々であった。20代の役の倍率と、40代の役の倍率、どちらが高いかなど、比べるまでもない。女優は、「中年」の役を恐れるべからず。俳優として生きていくことを目指す、若い才能は掃いて捨てるほどいる。「中年」の役を楽しめるか、それは、「重力」を楽しめるか、ということのではないかという気がしてきた。20代にはない、身体の重み、声の重み、そして、人間の厚み。これらの「重力」を、少しずつ感じられるようになってきたところで、ようやく、声のトーンが、子供っぽいアクセントに引っ張られることなく、緩やかに、緩やかに、下降していく。正直、20代の頃と比べて、「失った」と感じてしまうことだってある。変わりなく生活しているようでも、身体は丸くなるし、顔にシワもできる。でも、やっぱり「中年」の役を演じるために必要な、この「重力」を手に入れたいと思う。そして、おそらくこの「重力」と同時に期待するのが、「静のエネルギー」。

若い頃は、なんでも、元気が一番。オーディションでも、声が大きくて明るい子は、決まって好印象。私が、好きな「中年」の役が演じられる女優たちが持っているのは、「静のエネルギー」。舞台の上に、ぽーんと「沈黙」を投げ込むことだって厭わない。空間全体を包み込むようなエネルギーが、熱となり、地を這い、観客を、彼らの足先から捕らえていく。俳優の身体は、商売道具。そして、なんといっても、「可塑性」に優れている。だから、「現在」の自分の身体を、商売道具として使いこなすために、精神のアップデートを常に求められる。年をとるだけ、アップデートした回数も増える。「失う」ものは何もない。


私は、女優である。このことは、私自身が、女性としての身体、眼差される身体、そして、自分ではない「役」を演じる身体の、「司令塔」であり続けるということである。他者の視線や、社会に蔓延るメディアやマーケットによって動かされるものではなく、それらを情報としてインストールした上で、自らが、愛すべき「商売道具」である身体の「司令塔」でい続けることができるか。このことが、俳優という職業を、持続可能にしうるヒントとなることだろう。



エネルギーを翻訳する。

時間が経ってしまいましたが、

昨年末にやった日仏通訳の仕事のまとめ。

フランス国立演劇センター ジュヌヴィリエ劇場とSPAC-静岡県舞台芸術センターで共催された『桜の園』、

フランス公演の通訳として参加させていただきました。

そもそも私は通訳ではないので、演劇(主に稽古場)の現場でのみ、「エネルギーを翻訳する」という使命を持って日仏通訳を引き受けている。

私が通訳として現場に入る時、通訳である私の存在は全く消えないので、普段本業の通訳の方々と仕事をされていると戸惑いが見られる。

通常、通訳の心得としてあげられる有名なものが以下の2点。

①「正確さ」を測る三つの指針:

  • 足さない (without addition)
  • 引かない (without omission)
  • 変えない (without distortion)

②通訳者は個人的な意見は言わない:「中立性(Neutrality)」と「公平性(Impartiality)」

今回は、一般参加者を含むワークショップやアフタートークなどの通訳と創作メンバーだけでの稽古場での通訳が主な仕事内容であった。

私は前者を「パブリックな通訳」、後者を「親密な通訳」と呼び分けていて、特に後者が得意だ。

(前者は単純にスキル不足で、フランス語から日本語はまだしも、日本語からフランス語は訓練が必要)

「親密な通訳」の特徴は、メンバーが随時固定であることにプラスし、付き合いが長くなるという特徴がある。

つまり、メンバーのなかで一定の「スキーマ」が既に共有されている状態である。

スキーマ(schema)というのは、自分の頭にある、構造化された知識・知識の枠組みのこと。

経験のある俳優や演出家、技術スタッフなら、創作現場でのスキーマは、創作チームが出来上がる前から各々が持っているのでは、と思われるかもしれないが、

稽古場というのは、実に千差万別である。

だからこそ、一定の時間を過ごした人々の間に生まれている「稽古場スキーム」を垣間見ることは非常に美しく、時として、魔法のようなことが起こる。

言語学習の読解教育では、スキーマを活性化させることで、読解が促進されるということが言われているのだが、

「稽古場スキーマ」の活性化は非常に優れているので、そこに関わるメンバーの読解能力は非常に高い。

これは、本来、演劇に関わる人たちが、「他者を読解する」ということを職業にしているということに起因すると思う。

共演者の意図を読解する。

登場人物の行動及び言葉を読解する。

スタッフの計らいを読解する。

演出家の指示を読解する。

このような読解能力が非常に高い現場において、通訳の心得①:「足さない、引かない、変えない」を実行してしまうと、稽古場に流れるエネルギーを停滞してしまうことになる。

俳優の立場から言わせてもらうと、稽古中に循環しているエネルギーの流れを止められることは、非常に気持ちが萎える。

また、停滞してしまったエネルギーを再稼働するにも、新たなエネルギーを消費することになるので、疲弊する。

通訳の立場で、稽古場のエネルギーの流れを止めてしまうことだけは避けたいのだ。

だから、「親密な通訳」に関しては、エネルギーごとまるまる翻訳できるように努めている。

そこで、重要になってくるのが、ビジネスシーンでも注目されている「メラビアンの法則」である。

メラビアンさんという人が行った実験によると、

コミュニケーションをとる際に最も重要なのは話の内容だと思いがちだが、

実際には言語情報はわずか7%しか優先されていないことがわかったそう。

人間は、顔の表情、顔色、視線、身振り、手振り、体の姿勢、相手との物理的な距離などを使って行われる「非言語的コミュニケーション」から得る情報も、かなり頼りにしているから。

通訳は本来、通訳者の心得②「中立性(Neutrality)」と「公平性(Impartiality)」を担保するため、

私たちが通常無意識に行ってしまう「非言語コミュニケーション」を排除する傾向にある。

しかし、稽古場というデリケートでフラジールな時間と空間において、部外者の介入は必ずしも心地いいものではない。

それだったら、稽古場通訳においては、「内部の人間」になってしまうのが適当であろうと個人的な意見である。

「非言語コミュニケーション」を排除しないということは、

自分も、個人として、それぞれの人とお付き合いさせていただく意思をそっとお伝えすること。

個人としてお付き合いさせていただくことで、ワークショップ前の事前準備を一緒にやらせていただいたり、

休憩時間にも、作品について一緒にディスカッションさせていただいたり、非常にありがたい時間だった。

そして、「エネルギーを翻訳する」ことに全力を注いで迎えた初日。

1週間前から少しづつ用意していた手作りのお菓子ボックスを俳優さんたちに渡した。

フランスでの初日(プルミエ)は、作品にとって本当に大切な日。

この日から、作品は演出家の手を離れて、俳優や技術スタッフとともに、観客に出会うべく「公共」のものとして巣立っていく。

日本では、すべてが無事におわった千秋楽の日にお祝いをする習慣があったので、

私も最初は慣れなかったけど、今は、「初日」という日を心から大切にしている。

まさに、作品のお誕生日。胎児が赤子となるように。

公演日を重ねるごとに、観客とともに、「公共」の場で育っていく。

それは、稽古の中で作品が育っていく過程とは全く違う。

だからこそ、それぞれが覚悟を持って「公共」への窓をしっかりと開け放ち、

作品が一人歩きしていくことを受け入れるためにも、しっかりと「初日」を祝うのだ。

そして、私の通訳も「親密な通訳」から「公共の通訳」へとゆっくりと移行していった。

そのためには、まだまだ修行が必要。

忍耐強く、そして、寛容に接してくださった『桜の園』チームの皆さま、

本当にありがとうございました。