『ほったらかしの領域』:舞台芸術におけるフィードバックの重要性

フランスでコロナ第2波ロックダウン中の演劇の実習クラスで、

絶対守らないといけない超めんどくさいお約束がいくつかあった。

1. マスクの着用義務。

2. 生徒同士、及び教師ともに、身体に触らない。

3. 小道具はなるべく共有しない。止むを得ない場合は、アルコール消毒をする。

4. ひとクラスの人数は、教師、生徒、見学者(実習のため)含め10人以内にすること。

今考えるとこれらのお約束を守りながら、よく実習を行ったと思う。

生徒とやりたかったエクササイズやゲームなど、私は身体を扱うものを得意としていたので、泣く泣く諦めたことも、マスクを着用したまま、大きな声で長時間しゃべって、生徒さんの前で酸欠になってしまったこともあった。

こまめにアルコール消毒をしていたり、即興でも身体の接触は意識して避けていたりと、生徒たちの中に、明らかにコロナに対する緊迫した空気はあった。

それもそのはず、私たちが実習していたサンテティエンヌのコンセルヴァトワールの演劇クラス担任がコロナ陽性になり、生徒さんたちにも、実習生の私たちにも、保健所から濃厚接触の通知が届き、1週間は自宅隔離で過ごすという時間があったからである。

それまではコロナをそこまで身近に感じてなかったため、マスクも途中で外したり、真面目にお約束を守っていなかったのだが、この事件以降演劇クラス続行のため、「めんどくさいお約束」厳守を徹底した。

その状況下で、私は演劇クラスにおけるフィードバックの重要性に心奪われていく。

まず、マスクで生徒たちの表情が半分以上見えないというのは、教師にとって非常に不安な状況である。

今、彼らが興味をもって楽しんでくれているのか、疑問をもっているのか、冷めているのか、80%以上の情報がマスクによって阻害される。

また、自分ひとりが2分以上しゃべると息苦しくなるという経験から、いかに、「発言」を分散できないかと考え始めた。「私の分も生徒さんしゃべって」作戦である。

新しい戯曲に着手する時も、こちらが内容を説明するというより、「問い」形式でしゃべることによって、生徒さんたちに「発言」を分散させる。「発言」が分散されればされるほど、彼らの興味の現状把握にも大変有効である。

私はいまだかつて、フランスの教育で重要視されている「フィードバック」というプロセスにそこまで興味をもてないでいた。理由は単純。時間がかかる。そして、自分がそこまでしゃべれない。

自分が演劇学校で過ごした3年間は11人という超少人数クラスであったが、フィードバックを始めると1時間は余裕で超える。話しが盛り上がってしまうと、3時間かかることもざら。

そこまで語学力がなかった私は、フィードバックしてる時間あったら帰って台詞の練習がしたいと常々思っていた。

最近、日本の伝統芸能や武道における「わざ」の研究書(『「わざ」から知る』生田久美子 著)に面白い記述を発見した。

そもそも、「わざ」というものは、「教える」「学ぶ」プロセスとは区別して、「盗む」プロセスであると解釈されていた。そして、「わざ」の特徴として、「模倣」「非段階性」「非透明な評価」があげられていて、日本由来の「わざ」の伝達としては「身体全体でわかっていくわかり方」が基本であったということである。

また、「わざ」に関しての言語の介在方法も非常にユニークである。

「わざ」の習得プロセスにおいて見逃せないのは、そこには特殊な、記述言語、科学言語とはことなる比喩的な表現を用いた「わざ」言語が介在しているという点である。(『「わざ」から知る』p.93 生田久美子 著)

学習者にわかりやすく翻訳するというより、教師の身体のなかの感覚をありのままに表現することによって、学習者の身体のなかにそれと同じ感覚を生じさせる効果を期待するものである。

つまり、「わざ」言語において、発話者は「教える」側に限られる。

私の人生において、伝統芸能を学んだ経験は皆無であるが、学習者側の「沈黙」が私の身体にも植え付けられていたようである。

フィードバックの主役は学習者であり、これが舞台芸術において非常に有効な理由として、舞台芸術が「再現性」を求める芸術媒体だということがあげられる。

今、つかんだ感覚を、もう一度再現する必要があるのは、教師ではなく学習者である。

「わざ」習得における「身体全体でわかっていくわかり方」と西洋的な「言語化する力」を組み合わせたところに、フィードバックの面白さを感じている。

自分が演劇学校でフィードバックの時間に参加していた時は、フランス人は、誰でも人前で自分の感覚を論理的に、普遍性も交えて言葉にするのがうまいなあ、これは、文化の違いだなと、「カルチャーショック」として処理していたのだが、

今回、高校生や20代以下の国立演劇学校受験準備クラスの生徒たちを担当して、フランス人全員が初めから「言語化する力」を持っているわけではないということがわかった。

フィードバックも、筋肉と一緒。やればやるほど上達するものなのである。

実際、私も、語学力の上達だけではなく、フィードバックという環境に何回も何回も身をおくことで、発言する前も心臓がバクバクするということはなくなった。

身体で起こった感覚を言葉にする。

まずは自分のために、そして、他者と共有するために、他者と共有することで、またその感覚がより明確となって、自分の身体に還元されるというサイクルが、理想的なフィードバックでは生まれる。

演劇教育において、私が心掛けていることのひとつに、「演劇はひとりでは学べない、と自覚する」という過程がある。

俳優というと、ひとりで頑張ってスターまでのし上がっていくというイメージが多少ある。

しかし、そういう俳優を育てることは、俳優教育ならありえるのかもしれないが、「演劇」教育ではありえないであろう。

学びの過程で、「他者が必要」だと感じること、「他者ありきの上達」があること、「他者に傾注する面白さ」を感じられることが、非常に重要だと考えている。

毎日日当たりが最高すぎる自宅にて。

俳優が発言力を持つってどういうこと?

国際演劇協会主宰イベント:10/25 海外で活動するプロフェッショナルシリーズ〈特別編〉─コロナ禍のアーティスト座談会─

ご参加いただいた皆様ありがとうございました。

見逃してしまった方もアーカイブ配信があるようですので、ぜひそちらをご覧いただければと思います。

https://iti-japan.or.jp/announce/6913/?fbclid=IwAR2kqn9FLMhp39sxHyncAyD4IK0SoAmCU6Hpar9xTCt7PiJLTXENqT2u77M

パフォーマーの方々が自分たちの名前で、自分の経験を語れる場を用意してくださったこと、大変ありがたく思います。

この企画の発端となったのは、コロナ真っ只中の6月。

私が尊敬する、国外で活動する俳優・ダンサーの方にオンラインで集まっていただき、情報交換のためのミーティングを開いた。

コロナ禍でどのように過ごしているか、また各国のアーティストへの補償の話から、パフォーマー及びアーティストの人権問題にまで話が発展した。

このミーティングで起こった「情報交換」という目的を超えた刺激的なディスカッションが、俳優の権利や、演劇のツールとしての教育的側面を考え始めるきっかけとなった。

日本では、「人権」というとちょっと重いイメージがあるかもしれないけど、

私は、「ハラスメント」を話すよりは、ひとりひとりの「人権」を言及していきたいと思う。

9月にある劇団の元劇団員が起こした訴訟があった。

「劇団活動は労働」異例の判決確定 訴えた元団員の願いhttps://www.asahi.com/articles/ASNBM4FDWNBDUTIL03C.html

「好きなことを好きでやっているから、つらくて当たり前と刷り込まれていた」

俳優なら誰でも、この言葉にピンときただろうと思う。

フランスで、俳優たちの「人権」が、ある程度保証されている理由のひとつとして、俳優たちが「発言力」を持っているという点があげられると思う。

地方公演にいくと、劇場が主宰する若者向けのワークショップを公演とセットで依頼される。ほとんどの場合、演出家ではなく、俳優が、高校や中学に赴き、授業やワークショップを行う。

俳優たちは個人の名前で自分が関わっている作品について語る権利と場所を与えられている。

公演後のアフタートークなども俳優たちだけで受け持ったことが多々ある。

人間は、「発言力」を持つ人に対して、不当なことはできないという意識がどこかで働いているのではないかと思う。

俳優としていかに「発言力」を高めていくか。

有名になる、知名度をあげる。これも、ひとつの方法だろう。

でも、人権が一番侵害されやすい若手の場合はどうすればいい?

安心して発言できる「場所」があるだけで、「好きなことを好きでやっているから、つらくて当たり前」に疑いの目をむけられたのではないか。

稽古場で、自分の「発言力」を高めていくのも、俳優の仕事だと思う。

自分の権利を主張したり、自分のアイディアを自由に語れたり、創作への不安を口に出したり、俳優の「発言力」の強化こそが、ハラスメント回避の第一歩とはならないだろうか。

今回の催しは、登壇者を俳優・ダンサーに特化したという意味でも、私にとっては大きな意義を感じる。あと、このような状況でも、海外はすぐ近くにあると感じてほしい。

おととい、コロナ陽性者との濃厚接触者通知が役所から届いた。こんなにもコロナが身近に迫っている恐怖の状況下でも、フランスでは演劇が社会に必要とされていると身をもって感じる。

またコロナ禍では、自分一人が頑張っても全く意味がないのだということを思い知らされる。演劇の現場ならなおさら。一人でもコロナに感染したら幕があかないのだから。

そして、「一人で頑張っても意味がない」は、演劇が古代からずっと社会に言い続けてきたことだと思う。

コロナ禍を日本で過ごした半年間、この状況でどう演劇と付き合っていったらいいのか分からず、やみくもに動いてきました。フランスとは全く違う、日本社会での演劇の地位にとまどい落ち込む日もありましたが、真剣に私の話を聞いてくれて、この企画にも「意味」があると思ってくださった萩原健先生に心から感謝しています。ありがとうございました。

公演期間を1週間から1年にする方法。

初めての滞在制作は、
完全なる離島。
一番近くの港から、30分船に乗ってたどり着いた、
フランス西部にある島、ユー島。
ゆー3
夏の間だけ、観光客で、人口が3倍以上にもなるそう。
ユー島の市の助成で、
1年間を通して制作していくため、
今回は2週間のみの滞在。
普段は結婚式場の控え室にもなる、
スタジオを貸し切って、
創作を行う。
稽古場
滞在制作の最終日、
中間発表として、
島の人たちに向けて公演をする。
元ダンスホールだった、
レジデンス施設付きの劇場、
le Casino に、
予想を完全に上回る数の観客が足を運んでくれた。
公演後、劇場は、
バーへと早変わりし、
公演時間よりも長い時間、
お客さんたちとディスカッションが行われる。
このように、
創作と公演を繰り返しながら、
より多くの助成金申請のための、
書類を作成し、
創作環境、公演の機会、財源、
この3つを同時に探しながら進めていくのが、
フランスにおける若手企画の過程なのかと想像する。
次のレジデンスは、ブルターニュになる予定。
このように、場所を転々としながら、
さまざまな観客とおしゃべりしながら、
創作が進んでいくことは、
どんどん家族が増えていくような感覚。
そして、
明日から新学期。
最終学年の1年を迎える。
職業としての俳優ということを考えたときに、
作品形態にかかわらず、
ひとつの舞台芸術作品を、
より長期的に上演していくことなのではないかと思う。
それは、プロのプロダクションと契約を結ぶ時もそうだし、
個人のプロジェクトとして、
劇場のプログラムを組む人に、
売り込んでいく場合もそう。
お金は、
持続可能な、
未来のあるプロジェクトにしか動かない、
というのが最近の実感。
特に、舞台芸術の場合、
映像で残しておけるものでもないし、
いかに、ひとつの作品における公演の期間を増やせるかということが、
同時に、創作環境の向上にもつながっていくのでは。
未知の世界すぎて、
わからないことだらけだけど、
とにかく、
この1年は、
芸術家を支える制度等も含めて、
「職業」としての「俳優」というものを、
あらためて考え続けたいと思う。
そして、
「職業」というかたちになっても、
いかに、
「夢を見続けられる」精神力と体力を、
きちんと身につけるかということ。
なには、
ともあれ、
俳優の前に、
人間だから、
生活していかないと!
らぶ
また、いっとき離れ離れになる、
最愛の同志たちと。

フランス語が話せるようになった私が本当にしたかったこと。

さて、夏休み真っ最中でございます。
2014-2015シーズン、
最大の締めくくりは、
Fontainebleau(フォンテーヌブロー)でのプレ・レジダンス。
パリから車で1時間ほどで、
あっという間に自然の中。
今回のレジダンスメンバーは、
なんと、3年前に卒業した、
パリ15区のコンセルバトワールのメンバー。
ここで、私のフランス演劇生活はスタートした。
そこで出会った最高の同志たち、
そして演出家でもある恩師。
イエスとノーくらいしか、
まともに喋れない中で、
真摯に時間をかけて、
外国人である以上に、
ひとりの人間として、演劇人として、向き合ってくれた人たち。
いままでに、いろんな人たちに出会ってきたけれど、
彼ら以上にチームでありながら、
同時に「憧れ」が消え続けない人たちはいない。
この時に出会った恩師との時間の中で、
初めてフランス語で執筆し、演出した、
ドストエフスキーの小説をアダプテーションした一人芝居がなかったら、
いま、フランスで演劇を続けている自分はいないと思う。
そんなメンバーが3年の時を経て、
再集結。
盛り上がること間違いなし。
あらかじめ、演出家から、
メールにて与えられていた創作課題を、
森の中、
石の山、
家の中庭、
倉庫、
ありとあらゆる場所で、発表していく。
大好きな俳優たちが、
街も道も家も森も、
すべてを「劇場」に変えていく。
魅了されるから、
魅了したいと思う。
聴いてほしいから、
聴きたいと思う。
当時、全く言葉がしゃべれない私が、
一番、言葉を交わしたかった人たちと、
緩やかに流れる、
更けても更けても、
明けない夜。
あんなに自分の気持ちを伝えたいと、
話すことに躍起になっていたのに、
いざ、話せるようになってみれば、
一番、愛おしいことは、
彼らの話を「聴く」ことだったような気がする。
パリに戻ってきた数日後、
友人から送られてきた、
新聞の切り抜き。
「聴くとは、動けなくなることだ。」
きく
映像作家、濱口竜介さんのこの言葉に、
鷲田清一氏が続ける。
「心の震えに触れて、身じろぎできなくなることだ。
 そして、それにとことん身を晒すこと。」
本当に聴くということは、
いったん口を「噤む」ということなのだ。
ヨーロッパでは、
口が勝負なんて言うけれど、
実際、それは半分当たっていて、
自分の意見を言わなかったら、
やる気がないと思われてしまうことだってある。
そんなヨーロッパでも、
「噤む」ことが成立する、
創作環境がある。
人間関係がある。
きくきく
フランスに渡って3年目、
舞台の上で、
自分の言葉が観客に伝わらないのではという恐怖にかられて、
発音をメインにやってきた私だけに、
ここらで、小さな進路変更。
私の今年の目標は、
たくさん聴いて、
たくさん読むこと。