自分の口から発している言葉が、聞こえない苦悩。

魔の月曜日。
今日は、自分が舞台の上で、
どんなことになっているのか、
もう、さっぱりわからなくなってしまいました。
授業で、私が、1年半前、フランス語で初めてトライした戯曲、
ポール・クローデル『マリアへのお告げ(L’Annonce faite à Marie)』を、
発表。
私が、演じている最中に、
先生は、みんなに私が何をしゃべっているかわかるか、
と、質問している…
地獄な状況。
シーンが終わった後も、
演出、演技的なことには、
一切触れずに、
発音について。
ポール・クローデルの戯曲を扱うレベルではないとのこと。
多少のアクセントなら、許せるけど、
全く、クローデル戯曲に対する知識がなく、
テキストをしゃべっても意味がない、とのこと。
まるで、語学学校。
演劇的なレベルの指導を一切、
受けさせてもらえない。
ポール・クローデルは、フランスの劇作家で、
フランス文学界では、まさに神懸かり的な存在。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ポール・クローデル
去年は、外国人である私が、クローデルの戯曲を選んだこと自体に、
とても好感を持ってくれた人もいたのですが、
現実は、厳しい。
今まで、ずっと稽古してきた作品だけに、
もう、自分の口から、どんな言葉が溢れても、
自分のまわりに、
ぼんやりした輪郭の、水たまりが出来るだけで、
もう、誰にも何にも、
伝わらないのでは、
と、舞台で、フランス語を発すること自体が怖くなってしまいました。
究極な精神状態だったので、
挨拶もせずに、
勝手に早退。(問題児)
今日、ここで、解決しなかったらもう立ち止まってしまうと思い、
とりあえず、私のパートナーが通うコンセルバトワールの稽古場へ。
トラウマは、
おそらく、
同じことで、
いい思いをすることでしか消せない。
彼と彼の同級生の恋人に今日あったことを話して、
彼女の前で、
まずは、彼と来週の受験で発表する現代戯曲の課題を発表。
彼女は、すずらんのようにころころ笑って、
私にとっては、まさに天使の到来で、
初対面なのに、
いろんな意見やアドバイスをすいすい素直に聞けて、
気づいたらあっという間の90分。
ここで勢いにのるしかないと思い、
厚かましくも、
自由課題と古典戯曲課題のクローデルも発表。
そこでわかったこと。
言葉は、音であり、それに付随する意味によって構築される。
どちらか、ひとつでは、成立しない。
つまり、当たり前のことなのだけど、
言葉をしっかり正しい発音で話すことが、
必ずしも、伝わりやすい言葉とは、
言えない。
言葉を発する目的は、
相手に関わること。
相手に影響を及ぼすこと。
そして、
相手にこちらを向いてもらうこと。
どんな内容をしゃべっているかが問題なのではなくて、
どんな理由でしゃべりたいのか。
ふと携帯を見たら、
午前中の無様の私の姿を知っているクラスの友達から、
これから図書館に行くから、
一緒にポール・クローデルのこと調べにいこう、
というお誘い。
こんなに気を使ってくれるなんて、
私、相当哀れな顔しちゃっていたんだろうな、と反省。
公共の場で。
フランス人だから、
だれでも、
最初から出来たり、知ってたりするんじゃなくて、
フランス人だって、
だれでも、
こうやって、教えてもらったり、勉強して、前に進んでいくんだよね。
私と、何も変わらない。
最近思うのは、
自分が何か、辛くて泣いているときは、
たいてい、
知らず知らずのうちに、
「傲慢」だったり、
「怠慢」だったり、
「高慢」だったり、
ましてや、
「慢心」してたり。
「慢」とは、仏教の教えのひとつで、
他人と比べて、思い上がることを指すようです。
あ
七慢 しちまん
1.慢まん  自分より劣っている人に対しては自分が勝っている、とうぬぼれ、同等の人には、自分と等しいと心を高ぶらせる。
2.過慢かまん  自分と同等の人に対して自分が勝っているとし、自分以上の人は自分と同等とする。
3.慢過慢まんかまん  勝っている人を見て、自分はさらに勝っている、とうぬぼれる。
4.我慢がまん  自負心が強く、自分本位。
5.増上慢ぞうじょうまん  悟っていないのに悟ったと思い、得ていないのに得たと思い、おごり高ぶる。
6.卑慢ひまん  非常に勝れている人を見て、自分は少し劣っている、と思う。
7.邪慢じゃまん  間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張り、徳が無いのに有ると思う。

引用:http://tobifudo.jp/newmon/etc/gaman.html
自慢の「慢」には、
くれぐれも、気をつけます。

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演技で負けても、口で負けるな!

有言実行が出来る人には、敵わないなあ、
と、常々感じながら、
そういう人を心から尊敬して行きてきましたが、
フランスの演劇界で、必要不可欠なのは、
どう考えても、口!!
議論に負けたら、実行に移す機会さえ与えてもらえない。
例えば、授業で、自分の作品を発表して、
そのあとに、質問の嵐を受ける。
ここで、しっかり議論に負けなければ、それは、
価値のある作品だとみなされるし、
何も言えなければ、それまで。
コンセルバトワールに、
私にとって、
すごく意地悪な先生がいて、
先日、
私の受験用に準備しているシーンを発表すると、
「香子の努力は、心から認めるけど、
コンセルバトワールは、インターナショナルな学校ではなく、
フランス人のためにあるものだから。
そして、受験は、よく頑張ったご褒美として、結果がついてくるものではないから。」
と言われました。
もちろん、ひよっこな私は、
何も言い返せずに、
その場を去り、
まさしく、慟哭しました。
そして、
いろんな人にこの話をしたのですが、
びっくりするほど、だれも同情してくれず、
答えは、一言。
「え?なんで、言い返さないの?」
学校は、教育の場。
つまり、完璧な人は、いない。
そして、完璧な人は、いらない。
でも、自分が、どこに行き着きたいかを、
指導者に、プレゼンできなければ、
学ぶ段階にまで、到達できない。
それは、
稽古でも同じ。
どんなに、演技の能力があったとしても、
自分のプロポジション(演出案)を、
一緒に受験を受けてくれるパートナー(共演者)に、
しっかり伝えることが出来なければ、
即刻、これらのやる気は半減。
いかに、魅力的に自分の企画、アイデアを相手に伝えられるかが、
生死を分けます。
もちろん、話す能力だけでなく、
雰囲気も大切。
朝一番の稽古には、
ちょっと無理してでも、
とびっきり元気に向かいます。
今年の始めに、
5月にThéâtre de l’Europeで上演される
モリエール”Le Misanthrope”の初日前日の稽古を見学させていただいのですが、
http://www.theatre-odeon.eu/fr/2012/11/03/le-misanthrope
ゲネプロ前に関わらず、
稽古場は、ディスカッションの嵐。
前日まで、演出家は、俳優から質問攻め。
私も、3月に行われる公演の初演時、
フランス語もまだもあまりうまく話せないし、
無駄な時間をとらせても申し訳ないと思い、
なるべく演出家に質問せずにいたら、
やる気がないのかと思われて、
びっくりしたことを覚えています。
私の、死ぬほど苦手な意思表示。
演技は、まだまだでも、
口だけは、自分でしっかり所有して、
今、まだ出来ないことでも、
やりたいこと、
ビジョン、
未来を、語ることに使う。
実行が、すこし遅くなっても、
やっぱり、実行を手っ取り早く導いてくれるのは、
言動。
私の溢れんばかりのモチベーションと、
もう溢れてしまってる願望の間、
そこを流れる大きな河に、
私の口から紡ぎ出る言葉で、
丈夫な橋が架かりますように。

可哀想すぎる私に、みんなで乾杯!!!

絶望的なことが起こったときは、
どうしたらヒロインになれるかを考える。
ドラマチックに生きるためには、不幸が必要不可欠。
と、思いつつも、今回の絶望ぶりといったら、
魚が、水中ではなく、地上で不運に遭遇したくらいのレベルで、
私に襲いかかってきました。
フランスのコンセルバトワール業界では、
2月末から、受験シーズンに突入します。
今年は、TNSこと、ストラスブールにある一番人気のコンセルバトワールの募集があるので、
例年以上に、受験者は熱くなっています。
Théâtre National de Strasbourg
http://www.tns.fr/fr/ecole/concours/concours.html
TNSの第1次試験日程は、なんと1ヶ月以上。
毎年2000人を超える受験者がいるため、
書類審査はなしで、
1ヶ月かけて、全員が招集され、審査員の前で課題を発表します。
課題:
1、古典戯曲、もしくは、ポール・クローデル戯曲
2、現代戯曲
3、自由課題
これらの3作品を準備します。
自由課題以外は、ダイヤローグが条件なので、
一人で受験することは出来ません。
私が、招集された日程は、26日午前8時25分だったので、
朝、パリを出発するのでは、
間に合わないので、
パートナーをつれて、
前日の夜に出発し、ストラスブールで一泊し、
早朝に受験。
ということで、
ホテルの手配をしている最中に、
電話!
9月から、ずっと一緒に練習してきて、
発音からアレクサンドランから演出から、
何から何まで、面倒見てくれていたパートナーが、
オーディションに合格したため、
一緒に受験を受けられないとのこと。
呆然。
当日まで、あと、2週間。
  ……  ……
こんなことって、あるのかな?
いや、ないでしょ?
普通。
この繰り返しを、頭の中で1時間くらいしていて、
そもそも、なぜ、一人じゃ受験できないのか、
というコンセルバトワールの受験システムにまで、
疑問を持ってしまいました。
一人で、泣いていても、何も解決しないので、
とりあえず、この泣いてるエネルギーを利用しようと思い、
思いつく限りの人に、電話をかけ、
どうにかこうにか、
5ヶ月やってきてパートナーに変わり、
2週間を一緒に始める新たなパートナーが、見つかりました。
受験って、残酷。
受験当日、
審査員は、こんなハプニングあったことなんて、微塵も思わない。
そして、
それは、舞台も同じ。
いま、舞台上にいる役者が、
どんな苦労をしてようが、
どんなに怠けてようが、
その作品が、
面白いのか、面白くないのか。
以上。
きっと、昔から、
人間は、
残酷で、
非情で、
臆病で、
そして、
儚い。
だから、
それでも生じる偶然が、
美しい。
どんなに私が頑張っても、
どんなに私が可哀想でも、
どんなに私が泣き虫でも、
その一瞬に勝てなければ、
ベストセラーのヒロインには、
なれない。
その一瞬にさえ勝てれば、
誰でも、
ベストセラーのヒロインに、
なれる。
可哀想な自分は、
めそめそして、
まわりの人に同情してもらって、
さっさと、満足して下さい。
そしたら、バイバイ。

泣きべそをかきながら、「限界」の壁をちょっとづつ溶かす。

昨日は、フランスにきてから初めて、
「フランス人」というもの、嫌悪を抱きました。
もちろん、国籍など関係なく、
苦手な人や、嫌いな人はいる訳ですが、
思わず、「フランス人」というくくりを使いたくなってしまいました。
多分、それは、
「フランス人」に対してのステレオタイプとか、
日本人との文化差とか、
そういうところから来るものではなく、
私のことを、「外国人」「日本人」
つまり、「フランス人」以外のものとして、
明確に扱われたからだと思う。
土曜日の特別授業。
先生と、個別に約束をとって、
1時間の個人レッスン。
私は、ラシーヌ『アンドロマック』と、
チェーホフ『ワーニャおじさん』エレーナのモノローグ、
二つの課題があったので、
午前に1時間と午後に2時間の計2時間。
ラシーヌ『アンドロマック』のレッスン中から、
悲劇が突如として始まって、
何故か、先生の態度が激変。
今まで、どちらかというと、かなり可愛がられていると思っていたのですが、
私が、この作品で、
国立のコンセルバトワールとストラスブールのコンセルバトワールを受験すると言った瞬間、
態度が変わって、
ちょっと差別的なことまで言われました。
国立のコンセルバトワールとストラスブールのコンセルバトワールは、
フランス人にとっても別格で、
この2校は、毎年2000人以上の受験者がいると言われています。
卒業後も、俳優としての生活が2年間、
保証されるので、
超エリート校!
つまり、ここまでのエリート校で、
アクセントの問題があったり、
ましてや本質的にラシーヌのフランス語の美しさがわからない、
外国人をとることはない、と言うのです。
日本語で演じた方がいいとまで言われて、
そりゃあ、母国語だからそうだろうよ、と思いました。
後半のチェーホフの個人レッスンでも、
私が考えてきた、演出プランをすべて否定され、
句読点と読点だけを、
考えて読まないと、何を言っているかがわからないと言われました。
実際、まるで語学学校の授業でした。
今まで、こんな風に扱われたことがなかっただけに、
びっくりしてしまい、
とりあえず、泣きまくりました。
夜、冷静になって考えてみると、
昨年の私は、明らかに外国人として、
まるで何もわからないお客さんのように、
フランスの演劇の世界に、
ちょろっとお邪魔していた感じで、
だから、たくさんの優しいおもてなしと歓迎を受けました。
しかし、今年になって、
無意識のうちに、
フランス人と同じ土俵に立って、
もちろんまだまだたくさんのハンデはあるけど、
みんなと同じように戦っていて、
もう可愛いお客さんでは、なくなったのだと思います。
フランス人は、心から自分たちの先人の文化に対して、
もちろん言語も含めて、
敬意を持っている。
だからこそ、
どんなにグローバルに見えるパリでも、
特に文学の分野では、
外国人には、到底触れることのできない
「フランス人」であるということの誇りを持っている。
つまり、この部分にデリケートにならないと、
絶対にやけどをする。
私は、9月から5ヶ月もかけて、
暗記した2ページ足らずのラシーヌのテキストで、
あまりにも自分にとって、困難だったため、
よく頑張った気になってしまっていたけど、
それは、勝手な外国人の「お客さん」の都合で、
軽卒な態度だったのだと思う。
努力では、どうにもならないよな「限界」が見えてしまったときは、
正直、
思いっきり泣いて、
それでも、まだやりたいかどうか、
自分に問いただしてあげるのが、
一番、簡単かも。
悔しくて、やっぱり涙が出てくるんだから、
答えは、明確だ。
何事も、
誠実に、誠実に。

ハノホ・レヴィン、『うんち!』と絶叫する戯曲。

さて、
私は、昨日からまた受験生に戻り、
来年3月の受験に向けて、
台詞を必死に覚えています。
試験課題4作品。
私のプラン。
1、古典戯曲:モリエール『スカパンの悪だくみ』
2、アレクサンドラン:ラシーヌ『アンドロマック』
3、現代戯曲:ハノホ・レヴィン『私がどのように夫に出会ったか』
4、自由課題:ソーラン節(仮)
現代戯曲の課題として選んだのは、イスラエルの劇作家ハノホ・レヴィン氏の作品。
フランスでは、彼のほぼすべての作品が翻訳されています。
新国立劇場のホームページに、イスラエル演劇のことが掲載されていました。
http://www.nntt.jac.go.jp/library/library/nntt_today_no13.html
『私がどのように夫に出会ったか』
この作品は、女性のモノローグで、
イスラエル最大の劇場のひとつとされている
テルアビブのカメリ劇場で上演されている作品に対し、
助成金たくさんもらってるのに、本当「くそ」だ!
と、憤慨しているシーンから始まります。
ある日、彼女は劇場に行く。
そして、やはりその日の公演も最悪。
上演中に思わず、彼女はこらえきれず立ち上がり、
舞台に上っていって、
マイクに飛びつき、
「この作品、うんちだよ!!!」と、叫んでしまう。
すると、なんと他の観客まで
「うんち!うんち!!」と立ち上がって、連呼し始めます。
その時、一人の赤ら顔の男性が…。
先週まで東京芸術劇場で上演されていた蜷川幸雄演出の『トロイアの女たち』
http://www.geigeki.jp/performance/theater008/
この作品は、まさしく、
ハノホ・レヴィン『私がどのように夫に出会ったか』の舞台となっている
テルアビブ市立カメリ・シアターとの国際共同制作。
わたしは客席にいて、
思わず、『うんち!』と叫ぶシーンを思い出して、
笑ってしまいました。
ハノホ・レヴィン氏の作品は、
イスラエルの政治情勢が常に、背景に存在しているのに、
作品自体はコミックそのもの。
フランスでは、若い世代に絶大な支持を受けています。
チェーホフのユーモアと通じる部分もあったりして。
シニカルな感じが、フランス人に受けるのかも。
絶対に軽さを失わないからこそ、
思わず笑ってしまった自分に、
ぎょっとしたりしてしまう。
早く、翻訳出ないかなあ!!
英語で書かれていたレヴィン氏のサクセスストーリーに関する記事を見つけたので、
リンクしておきます。
Hanoch Levin – Success Story