アーティストに物申す。(アビニョン演劇祭通信vol.9)

7月28日、2012年のアビニョン演劇祭が終わりました。
各劇場には、各新聞の評がずらり。
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フェスティバルINの方をメインに私は観劇したのですが、
中でも印象に残っているのが、
公演外の無料イベント。
基本的には、各アーティストが観客と出会う場、
つまりアフタートーク的なイベントを、
公演とは全く関係ない時間に行うのですが、
これが、なんとも刺激的。
私にとっては、公演以上にスペクタクルでした。
人気のある演目では、
開始時間の1時間近く前から、席とりがはじまり、
100人以上の人が、
わざわざこのために集まります。
そして、アーティストの意見を聞くためというより、
むしろ自分の感じたことを、
アーティストにぶつけにいきます。
開始と同時に、数人がさっと手をあげ、
マイクを求め、
それぞれの思いやアーティストへの質問を、
熱心に語ります。
ここにいると、
観客は受信者という、
受け身の立場ではないと、
改めて思い知らされます。
こまばアゴラ劇場の支援会員の冊子に書かれていた、
平田オリザさんのことば、
『観ることが、育てること』
http://www.komaba-agora.com/shien/2012/
ここにいる観客のおかげで、
私は、素晴らしい作品を見ることが出来たんだ、
と、アーティスト以上に、
わざわざフェスティバルのためやって来た外国人観光客に、
バカンスを楽しみに来た老夫婦に、
アビニョンの地元の会社員に、
ありがとうございます、
と言いたくなります。
この熱い気持ちがあるかぎり、
演劇なんて専門外のマダムも、
演劇批評家のムッシューも、
そして、
アーティスト自身も、
ここでは、すべてが平等。
1つの空間に集まって、
同じものを観て、
ばらばらのことを感じ、
それを発言する権利を持っています。
こんなことを執行できる観客を相手に、
作品を発表すること。
シンプルだからこそ、
最も、
残酷な芸術だと思います。
私は、1年間コンセルバトワールで、
とにかく受け身でいられないということに、
苦しみ続けました。
しゃべれなくても、
そんなこと一切関係なく、
稽古場に、クラスに、グループに、
創作の場に存在する限り、
とにかく発言を求められます。
これは、すでに劇場という場所の「縮図」だったのだと発見。
劇場空間としての議会で求められることは、
おそらく、
まずマジョリティを疑うこと。
大好評の公演に対して、
自分が満足できなかった時こそが、
チャンス。
我慢できず、
公演中に劇場を出ていったおじさんが、
翌日、わざわざこの企画に出向いて、
大絶賛だったまわりの観客のブーイングの中、
その演出家にひたすら、
自分の見解を語っていた姿に、
思わず「ピュア」を感じました。
観客ひとりひとりが、
自立せざるを得なくなるような公演は、
成功と言われても、
失敗と言われても、
世界レベルの作品に違いない。

カンパニーロルト、新聞に掲載!!(アビニョン演劇祭通信vol.8)

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先週はさすがに疲労困憊だったカンパニーのメンバー。
彼らは今、メンバーのうちのひとりの別荘で共同生活しているのですが、
劇場があるアビニョン市内からは自転車で30分近く離れています。
なので、基本的に11時半からの公演に合わせて10時前には劇場に集合するため、
7時には起きて準備。
休演日は一切なし。
12時半に公演が終わったあとは、
すぐに劇場を次の団体に渡すためかたさないといけないので、
お客さんのための感想ノートを設置。
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ほぼ全員が道ばたで一生懸命メッセージを書いてくれていました。
午後は、全員で町に繰り出して宣伝活動。
レストランのテラスで食べている人たちの元へ出向いて、
ミニ・パフォーマンス。
お客さんの反応がいい場所や、
割と静かなところ、
他の劇団にあまり知られていないような穴場を、
アビニョン11年目の人気劇団の役者に教えてもらったそうです。
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彼らはパフォーマーですが、もちろん観客でもあるので、
フェスティバルINの作品が観たいのは山々なのですが、
炎天下の中での宣伝活動は、
体力消費が激しく、
先週は観劇どころではなかったそうです。
INの会場は教会や、学校の敷地内の、
野外に特別に設置された会場が多いため日が沈まないと公演不可能。
そこで、基本的に22時から始まる公演が多いのです。
1週間前くらいから動員が安定してきたので、
宣伝活動をやめてみたら、
何故か、お客さんが増えたと喜んでいました。
そして、なんとたまたま観に来てくれた地方プレスの人が、
作品を気に入ってくれて、
すぐに新聞に記事を掲載してくれたそうです!
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1年目のカンパニーは認知度が低いため、
これはかなり稀なこと!!
なにしろ1150団体の中から選ぶ訳ですから。
もちろん、各地のジャーナリストがOFFの劇場にも足を運んでいますが、
やはり昨年の情報を参考にしているところも多いので、
とても喜ばしいことです。
公演は重ねるごとに、
新しい人に出会って、
人に出会うたびに、
味方が増えていく。
彼らは無意識にやっているけど、
当たり前なことのようで、
きっと、
すごく難しくて、愛おしいこと。
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千秋楽まであと3日!

アビニョン演劇祭通信vol.6 絶大なる口コミ効果!!

さて、久々のカンパニーオルト、
その後の観客数はどうなったでしょうか!
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8日:19人(+関係者2人)
9日:16人(+関係者3人)
10日:17人(+関係者2人)
11日:21人(+関係者4人)
お客さんは、ほぼ、
知人もしくは、偶然出会った人からの口コミ。
この公演は、演出もすべて、
出演者3人が行っているので演出家がいません。
そこで、ペネロップに頼まれて、
最初の3日間は毎回、
気づいたことをメモして、
彼らに終演後伝えていたのですが、
それにしても、みんなの向上ぶりったら、
素晴らしい。
毎回、毎回、
それぞれが、
前日の反省を生かし、
柔軟に演技を数㍉変えてくる。
そこで、公演は毎日数㌢づつ面白くなっていく。
アマチュアの劇団が、
3週間毎日ノンストップで上演が出来る。
それも、フェスティバルの大きな特徴のひとつであると、
改めて実感。
私にとっても、
毎日同じ公演を見続けることははじめてなので、
改めて、舞台芸術の再現性について考えさせられます。
観客にとっては、気にもかからないような、
微妙な差異が、
決め手。
それは、役者本人の本番中の居心地の良さ。
5公演目にさしかかったあたりから、
もう本人たちが、
うまくいったところといかなかったところは、
すべて本番中に感じているはずなので、
伝えることもなくなってきました。
【インタビュー第一回】
ーLa compagnie Aorteとチェーホフ『熊』についてー
aorteとはフランス語の医学用語で「大動脈」の意味。
自動的に心臓から流れ出す血液のように、
観客の内部で動き出す「オーガニック(有機的な)」な作品を目指す、
という由来だそうです。
2009年、彼らは10区のコンセルバトワールの同じクラスに在籍していて、
そこでサラとセバスチャンが『熊』の1シーンを授業で発表し、
それを観て気に入ったペネロップが、
2人に声をかけて、
このプロジェクトが始まったそうです。
もともと、アビニョン演劇祭に出ることなど、
全く頭になく、
とりあえず、ペネロップの役をつくるため、
登場人物の一人を初老の男から、若い娘に変えたところから、
作品のアダプテーションが開始。
カルト・ブランシュ(コンセルバトワールの生徒に与えられる、無料でホールを使用し作品を上演出来る権利)
を使って、
コンセルバトワール内で公演を行ったところ、
手応えがあったので、
2010年、
同じく10区のコンセルバトワールに所属する生徒に作曲を依頼。
コンセルバトワールの音楽科に所属する
3人のミュージシャン(チェロ、バイオリン、クラリネット)を誘って、
さらに作品を煮詰めていくことに。
この辺から、なんとなくアビニョンで公演できたらいいね!
という話が持ち上がって来たそうです。
そうなると、フランス語の翻訳をそのまま使用すると、
著作権の問題があるので、
なんと、役者3人で翻訳を開始!
原文から、フランス語で出版されている4冊の翻訳を参考に、
すべて、翻訳し直したそうです。
そして、2011年に本格的に、
アビニョン演劇祭出演の話が進むと同時に、
リヨンの高等コンセルバトワールの衣装部門に所属していたデザイナーも加わり、
衣装も完成。
とにかく、全員がコンセルバトワールを通して、
つながったメンバーなのです。
さて、明日も彼らは、11時半から公演を終えて、
休む間もなく、広報活動へと街に繰り出します。
さすが、平均年齢23歳、
何も惜しむものはありません!

質問『なぜ、あなたは演劇をしてるのですか?』(アビニョン演劇祭通信vol.5)

フランスで演劇を観ていて、
プロアマ問わず、
アーティストとして、
作品よりも重要視されるのが、
以下の質問に答えられるかどうか。
『なぜ、あなたは演劇をしてるのですか?』
アビニョン演劇祭の公式パンフレットの中にも、
自分の作品をアピールする前に、
まず、
演出家たちが、
「演劇は何をもたらすか?」
という、共通の問いに対する
それぞれの考えが論じてありました。
アーティストとして、
自分の仕事をしっかりプレゼンできない限り、
生き延びる道はないとつくづく感じます。
先日、サイモン・マクバーニー『巨匠とマルガリータ』を観劇したのですが、
完成度の高すぎるマクバーニーの作品が、
私は、やっぱり苦手。
劇団の名前通り、
役者間のコンプリシテ(共犯者、共犯意識)は、並大抵のものではないし、
全員の身体能力も相当高い、
ただでさえ難しいブルガーコフの小説も、
わかりやすく脚色されている。
そこに、観客の想像力を介する隙を与えない。
そのため、どうしても私は、
すこし遠くから見事なサーカスを観ている気分になってしまう。
でも、サイモン・マクバーニーは、
この質問に答えられる。
この質問に答え続けることができる限り、
どんな作品をつくろうと、
彼の周りに議論が巻き起こり、
芸術として機能する。
彼が、演劇を選ぶ理由。
演劇は、人生の中、人間の振る舞いの中、脳の機能の中に存在する。
しかし、また、
社会の中、政治の中、歴史の中に介在している。
その中で、
演劇は、「物語を語り続けなければいけない」
100人中、
100人が賞賛する作品がいい作品とは言えない。
100人中、
50人が素晴らしいと賞賛したとき、
残りの50人が躍起になって、
反論してくる作品は、
私が思う「いい作品」
そこには、必ず、
思想があるから。
やっぱり、公演後の一杯は大切。

アビニョン演劇祭通信vol.3 正直さみしい客席

カンパニー・オルト、アントン・チェーホフ『熊』
本日、初日!!
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開演30分前に、劇場に向かうと、
ひとつ前の団体が公演を終えて客だししていました。
11時15分、劇場開放。舞台セット。スタンバイ。
11時30分、開場、客入れ。
11時32分、開演。
12時20分、終演。バラシ。
12時30分、退館。

まさに、分刻みのスケジュール。
ただ、このハードスケジュールが可能だったのも、
お客さんがなんと6人しかいなかったからなのです…。
フェスティバル初日で、
「IN」(プロフェッショナルによる招聘公演)もまだ始まっていないので、
アビニョンに来ている人じたいが、まだ少ないのと、
午前中はやっぱり、「たまたま」もしくは「勘」で劇場に足を運ぶ人が少ないことが、
大きな要因だと思います。
ほぼ知り合いゼロの場所で公演するわけですから。
これは、本当に過酷なフェスティバル…
終演後は、念入りにミーティング。
街の中で、いかにうまく宣伝するかを、
黙々と話し合っていました。
とにかく、最初の1週間で、
どれだけ「口コミ」を増やせるかが勝負のようです。
その後、
フェスティバル・オフのステーションに、
関係者カードをもらいに行きました。
ちゃっかり私の分まで用意してくれました。
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このカードは、
フェスティバル・オフに参加している劇団関係者に与えられるもので、
これを提示すると、
通常10€-20€(1,000円から2,000円)くらいする公演が、
半額ぐらいの値段で観られるそうです。
午後は、ペネロップ・アブリルにカフェで取材させてもらいました。
このカンパニーの特徴。
1、若い!(平均年齢23歳)
2、全員がコンセルバトワールの生徒!(役者3人+ミュージシャン3人)
3、役者自らが戯曲翻訳!(現在フランス語で出版されている4冊の翻訳を参考に、再解釈をして、ロシア語から翻訳し直したそうです)
カンパニーの経緯などは、また後ほど。
余談ですが、
終演後に、パン屋さんに寄ってバケットを買ったら、
バケット袋がすごく可愛くて、
ペネロップに見せたら、
「あ、それ、私のパパが描いたの。」
と、さらり。
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彼女のお父さんが、イラストレイターなのは知っていたけど、
びっくり!!
袋の裏をよくよく観たら、
フランソワ・アブリルと描いてありました。
フランスでは、
このようにプロフェッショナルで生計を立てているアーティストに、
割と頻繁に出くわします。
それにしても、可愛い。