危篤者の権利

コロナ以降、私は以前より積極的に「移動」している。

原油価格の高騰や円安の影響により航空機燃料が値上がりしたことや、オンラインという選択肢を得たことなど、

国際間の「移動」を避ける理由はいくらでもある。

しかし、今年81歳になったイタリアの哲学者ジョルジオ・アガンベンが言及した「移動の権利」に触れてから、

私は「移動」が愛おしくてたまらない。

「移動」にかかるお金は自分にとってかなり優先順位の高い出費となっている。

(2021年に書いた「移動の自由」に関する記事:(コロナ禍での)滞在制作とは何か。

そして、アガンベンが、コロナ禍において警鐘を鳴らしたたもうひとつが「死者の権利」である。

アガンベンは、「死者が葬儀の権利をもたない」社会が訪れているのだと指摘した。

アガンベンは、あくまでも死者の側にたち、あえて死者に対して「権利」という言葉を使う。

「権利」というものは、決して生きているものだけが享受することのできる特権ではないということを思い知らされる。

コロナ禍において、親族のみでしか葬儀を執り行うことができないというニュースが多発していた。

親族以外の生きている側がしっかりと死者とお別れする時間を持てないことは辛いと感じたが、それはあくまでも、看取る側から生きてるものへの思いやりであり、死者の権利については考えたことがなかった。

そして、昨年末、父の死をきっかけに「危篤者の権利」というものについて深く考えさせられた。

父は長らくパーキンソン病を患っていたが、自分の意志で、在宅介護のサポートを受けながら、一人暮らしを続けていた。

担当のケアマネージャーからは、安全などの観点から、これ以上、一人暮らしを続けていくことは不可能と繰り返し言われており、数年前からさまざまな住宅型介護施設をふたりで見学して回った。

しかし、研究書で溢れかえった自宅で住み続けたいという意思は変わらなかった。

去年の夏頃にも、体調が悪化し、介護施設への入居を勧められたが、

コロナで外部からの訪問管理も厳しくなっており、せめて正月は家族で過ごしたいと、私も父も返答を後伸ばしにしてきた。

自宅には毎日5回から6回にわたる訪問看護師及びヘルパーさんの介入があり、彼の生活は総勢25人近いメンバーに支えられていた。

昨年11月なかば、フランスで仕事をしていた私のもとに、父の危篤の知らせが届いた。

数週間前から、食べ物や飲み物が飲み込めない状態が続いていたが、本人の意思で胃瘻などの延命処置はしないこととなった。

自宅での看取りが決まり、私は勤務先の劇場に事情を話し、すぐさま日本に帰国した。

帰国前日に、担当医師と話した時には、明日まで命が持つかわからないと告げられたが、そこから、彼の危篤状態は5日間続いた。

病院に入院せずに、在宅で看取ることの本当の意味を実感した5日間だった。

それは、「危篤者の権利」として、親族以外の人と面会していくことであった。

親族以外というと友人や同僚をまず思い浮かべるだろうが、

父にとって、ここ数年一番時間を共に過ごしたのは、紛れもなく、家族でも友人でもなく、

訪問介護チームの面々である。

病院に入院すると、基本的に訪問看護チームの仕事はなくなるので、もう会えなくなってしまうのが普通である。

しかし、本人の意思により、在宅で死期を迎えることを選択したため、毎日代わる代わる介護士さんたちが訪問してくれ、自宅は驚くほど賑やかであった。

危篤のあいだ、意識はほとんどなかったにもかかわらず、介護士の方々の端々に及ぶ気遣いには、心から感心させられた。

言葉で意思疎通することはできなくなっても、なんとか「心地よさ」を与えようと試行錯誤する姿は実にクリエイティブであった。

最期の日まで、父の枕元には、代わる代わる介護の方々が訪れた。

笑ったり泣いたり、喧嘩した思い出話を大声で話しながら、細やかな「ケア」を続けてくれた。

死が近い時、人間は「下顎呼吸」といって、あごで呼吸をするそうだ。

父の顎が動き始めた時、私は、最初に介護の方々の顔を思い浮かべた。

家族である私と同じくらい他人である介護の方に父が最後に会いたいと思っている可能性があると強く思った。

それは、血縁を超えた強くて太くて暖かい信頼であり、

「危篤者の権利」というものが存在するなら、それを血縁ぐらいの大義名分で奪ってはいけないと実感した。

結局、介護の方々は、コロナの状況も鑑みて、葬儀には出席することができなかったので、「死者の権利」を尊重できたかはわからない。

しかし、父が自分の意思で自宅に居続けたことで、結果として看取りに関わったすべての人々が「危篤者の権利」を尊重できたことには違いなかった。

息を引き取った直後も、訪問看護ステーションに連絡すると、日曜日にもかかわらず、20代の若い看護師さんが駆けつけてくれ、一緒に「エンゼルケア」を行なった。

エンゼルケアとは、人が死亡した後に行う死後処置ならびに死化粧までのケアのこと。

病院や介護施設で最期を迎える方も増えている昨今、エンゼルケアに遺族が立ち会える機会は少ないそう。

遺族は、エンゼルケアを経て、すでに整えられた状態で遺体と対面することも多いそうだが、望めば立ち会うことも可能。

私は、髪の毛を洗ったり、身体を拭いたり、クリームで保湿したり、排泄の処理など、すべて看護師さんの指示のもと、一緒に行なった。

エンゼルケアに参加できたことで、生死の境はよりあいまいになった。

志賀直哉『城の崎にて』を題材に、前年に撮影した映画を思い出しながら。

生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。

それほどに差はないような気がした。

ちなみに、このブログのトップページで使われている写真は、

子どもの頃からよく通っていた父の大学の研究室。

膨大な資料のコピーも、私がアルバイトで整理しました。

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