最近、「謝罪」についてよく考える。
「謝罪」には、ふたつの大きな役目がある。
ひとつ目に、自らの非を認めること。
ふたつ目に、相手に許しを請うこと。
年とともに、圧倒的に自分の意見を創作現場で発言しやすくなっている現実がある。
これは、経験値とともに、作品創作に関しての「提案」が持ちやすくなっているといういい面もあるのだが、
単純に、自分の立場を確立しやすくなって、発言のハードルが下がっているということに関しても認めなければならない。
今年は、城崎国際アートセンター、レジデンスアーティストとしてふたつの作品に関わっているが、
そのひとつに、フランス人との演出家フランソワ・グザビエ=ルイエとの共同制作がある。
最終的には、私のソロパフォーマンスになる予定だが、今回の滞在では、リサーチと劇作を中心に行なった。
私が日本語で書いたテキストをフランス語に翻訳し、彼がフランス語で書いたテキストを日本語に翻訳しながら劇作を進めていったのだが、
フランス語と日本語、それぞれの言語が持つ文化的性格に翻弄され、「分かり合えない」状況が続くと、相手に対して言葉を紡ぐという行為よりも先に、感情の波に押し流されてしまい、ヒステリックな反応をしてしまったことは認めざるを得ない。
よくフランス語の師匠に、「リアクション(反射的反応)」から言葉を吐くのではなく、言葉というものは本来「リフレクション(内省)」と常にセットで使うものだ、と言われていた。
第二言語で会話をしている場合、どうしても母国語よりは、自分の感情を表現するための言語のパレットの色彩が乏しいので、感情が先立ってしまい、「リアクション」になりがちなのだとか。
この「リアクション」の中には、もちろん言葉が出なくなってしまい、沈黙してしまう反応も含まれる。
レジデンスの3日間はリサーチに集中していたので、フランス語で通訳をするというタスクも非常に多く、自分の能力の足りなさからくるもどかしさと疲れで、その頃から自分の中の雲行きが怪しくなり始めた。
そして、リハーサル中心の生活が始まると、ここ数年、演劇創作に関わる上で一番大切に考えてきた「稽古場におけるコミュニケーション」が崩壊していることにきづいた。
意を決して、「謝罪」を決行。
子どもの頃、「謝罪」という行為は、とてつもなく勇気のいる行為だったと思う。
いったんある関係性に「一石を投じる」というか、その「一石」を効果的なものにするために、言葉の「石」を選ぶというか、準備する長い時間が必要だった気がする。
でも、結局最後は「ごめんなさい」という一言を紡ぎ出す勇気が一番必要で、特に近しい関係の人に対して発射する「ごめんなさい」は、酩酊状態で針に糸を通すくらい難しいことである。
だから、大人になってからは、「ごめんなさい」という一言は封印したままに、翌日の態度でなんとなく場を収拾する技術を持った。
笑顔を浮かべて円滑さを取り戻し、何事もなかったことにしてしまう術をいつのまに覚えてしまったのだろう。
しかし、今回、あえて「謝罪」を決行したのは、以下の理由がある。
それは、創作現場で「間違えを認める」つまり、「意見を変える」、もっとわかりやすく言ってしまえば、
「一貫性をなくす」ということが非常に重要なこととだと考えるからだ。
創作の現場は決してひとりではないので、他者に影響され、自分の意見が変わってしまうということが、恥ずかしいことではなく、非常に「面白い」という感覚が掴めないとなかなか辛いものである。
「謝罪」という行為には、「一貫性をなくす」ことを面白がることができるという効用がある。
その一歩である、とも言える。
自らの非を認め、相手に許しを乞う、という行為のその先に希望がある。
他者の存在によって、その存在に影響され、昨日は絶対にそうだと思っていたことが、やっぱり違うかも、と思えること。
「一貫性をなくす」という姿勢を、自ら「素晴らしい」「面白い」と思えることってなかなか難しい。
「謝罪」によって、こんがらがっていると思い込んでいた糸が、すでにほどけていたと知ったり。
空気は読ませるものではなく、いちいち説明するものだ。
笑ったり、泣いたり、叫んだり、怒ったり、お昼はそうめんばっかりだったり、稽古終わりにアートセンターの前で何時間もビールを飲みながら語り合ったり、極々たまに奇跡的に意気が投合したり、そんなこんなで無事2週間のレジデンスが終了。
それにしても、フランソワ・グザビエの寛容さと忍耐力には、頭が下がる。
来年3月に2回目の滞在をし、作品を発表します。
お楽しみに!
