『ちょっとだけ “めんどくさい” 俳優になるためのワークショップ』と題し、早稲田大学どらま館で実施させていただいたワークショップは、自身にとっても非常に言語化能力を鍛えられる時間となった。
まず、「ちょっとだけ “めんどくさい” 俳優になる」という目標を抱えたワークショップに集まってきた大学生の男女比1対8であったことは、偶然なのか、はたまた社会現象なのか、これは、今後、慎重に考えていきたいと思う。
ここ数年力を入れているワークショップのかたちとして、
「創作の現場からハラスメントを排除するために、稽古場で必要なコミュニケーション能力を考える」
というテーマがある。
実際、昨年フランスで演劇教育者国家資格を取得したときの最終論文も、「創作を支える『コミュニケーション力』を育てる」というテーマで提出した。
そのとき、いろんな資料や本を読んで、頭の中で考えていたことを今年になって実践のなかで、再考する機会を与えてもらえてるのが非常にありがたい。
ワークショップを受け持つとき、感覚の言語化、他者へのフィードバック、そして、自分の意志を伝え方などのはなしになったとき、頻繁に参加者の方から「自分はしゃべることが苦手」という感想に出会う。
おそらく、参加者のみなさんに、講師もしくはファシリテーターである私は、立場上、「社交性があって明るい人」と見えているので、「あなたにはできるかもしれませんが、誰にでもできるわけではありませんよ」と思われてしまうことは想像にたやすい。
しかし、私が声を大にして言いたいのは、今、私が「ちょっとだけ “めんどくさい” 俳優」として強みにしている、創作の基盤を支えている「創作におけるコミュニケーション能力」は、完全に後天的に身につけたものである。
同じ言語であっても、いちから「外国語」を学ぶようなものとして、10年かけてこつこつ身につけてきた。
フランスの国立演劇学校で3年間、血の滲むようなスケジュールをこなしたが、演技力が身につきましたとは残念ながら言えない。
ただ、「創作におけるコミュニケーション能力」だけは、鍛えられた。
これは、単に「練習」のおかげで、私の「明るい」性格によるものでも、「おしゃべり好き」によるものでもない。
俳優は、自分とは異なるさまざまな人間や生物を演じることが仕事なのに、その人本人の「アイデンティティ」や「個性」「特性」といったものに言及されがちな職業でもある。
まず、この「特性」から自由になることが重要である。
子供のころから、〇〇ちゃんは「おとなしい」とか、〇〇くんは「我慢強い」とか、私は、「目立ちたがり」とか、性格というレッテルを一度貼られると剥がせないような環境で生きてきたように思う。
実際、私は、学級委員常連で「目立ちたがり」とか「でしゃばり」というレッテルがあったが、子どものときは、それに拍車をかけて、「演劇が好き」なんて口が裂けても言えないと思っていた。
渡仏したばかりの頃も、自分から意見をいうことは滅多になく、先生にさされるのを今か今かと待っていたが、その機会は一向に現れず、私はあやうく「やる気のない生徒」になりかかっていた。
正直、演技力に関しては、「センスの良さ」だとか、「華がある・ない」ということはあるかもしれない。
しかし、演劇は基本ひとりではできないので、「創作におけるコミュニケーション」次第で、俳優のパフォーマンスは如何様にも変わっていく。
つまり、演技力と「創作におけるコミュニケーション能力」は切っても切れない関係なのである。
自分の性格に関して「特性」という考え方をすてて、「スキル」と捉え、筋トレのように鍛えていくという感覚を、どのように参加者のみなさんと共有していくか試行錯誤をしている時に、素晴らしい本に出会った。

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480815620/
二人の小さな子どもと移住した社会学者による、フィンランドから現地レポート的な本であるが、フィンランドの保育園の教育には、俳優教育の分野で真似したいところがたくさんであった。
クマの面談を受けたときは、「正直さ」「忍耐力」「勇気」「感謝」「謙虚さ」「共感」「自己規律」などなどを「才能」ではなく「スキル」と取ることについて、なんとなく狐につままれたような気分だった。でも、数日経つとなんとなく納得してきた。眼から鱗が落ちるような感じだった。
私は、思いやりや根気や好奇心や感受性といったものは、性格や性質だと思ってきた。けれどもそれらは、どうも子どもたちの通う保育園では、練習するべき、あるいは練習することが可能な技術だと考えられている。
朴沙羅『ヘルシンキ 生活の練習』
フィンランドの保育園では、「感受性が豊かだ」「好奇心が強い」「共感力がある」「根気が続く」といった、通常なら性格や才能などと結びつけられてしまいそうな事柄が「スキル」と呼ばれているらしい。
例えば、「根気がない」という「性質」は、単に「何かを続けるスキルに欠けている」ということになり、そのスキルを身につける必要があると感じるなら、ただ単に「練習する機会」を増やせばいいことになる。
俳優教育のワークショップでは、すでに正解を持っている人が指導者となり、生徒たちはその「正解」を学びにくるという姿勢で授業を受けてしまうということが多々あると思う。
自分の憧れの演出家のワークショップであったら、尚更である。
どうにか、ワークショップの場を「創作におけるコミュニケーション能力」の「練習の場」とできないか。
それぞれが自分に足りないことを、他のメンバーの力を借りて、気づいたり、身につけようと「練習する」場所。もちろん、練習には失敗がつきもの。
2,3日のワークショップを依頼されることが多いので、短時間で、参加者ひとりひとりが安心して「練習できる」場を作れるかが、毎回成功の鍵を握っている。
私も、毎日毎日、「練習しながら」生活していきたい。