2022年最初の仕事として、映画美学校アクターズクラスで2日間講師をさせていただいた。
昨年度に続き2回目で、前回と同じ内容をやる予定でしたが、今年は3名ろう者の生徒さんがいるということで、ろう者、聴者ともに、演技について探究できるとはなにかを考え、授業をリニューアルした。
演劇の上演も授業も、そして、人生も「準備」に勝る必勝法はないと実感する。
これからさまざまな形で授業をする機会が増えても、わたしは絶対に「準備」を怠らない、と心に誓った。
「準備」をすると、自分にとって「大切な予定」になるから緊張できる。
緊張してるのは、心があるから。
つまり、はじまる前に緊張してるということは、うまくいく!
昨年度、フランス国家教育者資格取得のため、公演の合間を縫って、1年間に及ぶ研修と教育実習に明けくれた。
2ヶ月間劇場付属の学校での実地研修、そのあと3カ所の教育機関での合計4ヶ月に及ぶ教育実習。
そして、80ページに及ぶ、実習レポートと演劇教育に関する論文を書いた。
論文を読んでくれた審査員5人(驚くほど丁寧に読んでくれていて泣ける)と口頭試問をし、無事、去年の夏に教職を取得したが、俳優としての活動があったので、実習での経験が生かされるのはまだまだ先の話と思っていた。
しかし、今回の美学校での授業をさせていただいて、「今、わたしの教育実習が終わった」と言えるくらい、演劇の教育に関わると言うことに関して、さまざまなことが経験できたので、今後、ここをスタート地点とし、発展していくためにまとめておこうと思います。
考察のポイントは以下。
- 「演劇教育」と「俳優教育」はちがう。
- インクルーシブなエクササイズとは。
- 俳優が「俳優教育」に携わること。
「演劇教育」と「俳優教育」を区別することについて。
フランスでは、演劇教育は身近にあるもので、将来ピアニストを目指してなくても、ピアノのお稽古をしていることもたちがたくさんいるように、将来俳優になりたいわけではないけど、演劇クラスに通っている子どもはたくさんいる。
年齢に限らずとも、大人になってから、演劇のワークショップに参加してもいい。
演劇というメディアを触れることで、日常生活、社会生活に変化をもたらすことができるような体験は可能である。
これは「演劇教育」。
私自身、今まで「演劇教育」と称して、俳優を問わず、演劇及び演技のクラスをさせていただくことがあったが、これは、俳優の人たちに敬意が足りなかったと反省した。
すでに俳優として活動している人、職業として俳優を志している人には、「俳優教育」として、「演劇教育」とはまた違った観点で、クラスをオーガナイズしていく必要をひしひしと感じた。
職業として俳優をやっているか、やっていないか、演技のスキルに言及しているわけでは全くない。
違いは、「創作(クリエーション)に関わるかどうか」。
つまり、俳優教育では、創作に関わるうえでの、
コミュニケーション能力であったり、演出家との対峙の仕方であったり、組織の中に自分をどう位置付けるかであったり、それに付随するさまざまなリテラシーだったりというものを学んでいく必要がある。
そして、一番大切なのは、俳優としての「自分自身の守りかた」。
今回は「まなざし」に関するエクササイズを行なったが、これは、創作という現場で自分をどうやって守ってあげられるかの訓練にもなる。
「(たくさんの)他者に見られて何かをすること。」
当たり前のことだけど、俳優が「見られてる」ことから受ける負荷は大きい。
稽古というまだ完成していないものも、人に見られながら仕上げていかなければいけない。
「本当にあなたたちは大変なことをしているんだよ」ということをまず伝えたいし、自覚をもってもらいたい。
それから、そんな大きな負荷がかかっている稽古という時間にも、本番という時間にも、自分自身をしっかり労ってあげられる術を身につけてほしくて、エクササイズを通して体感してもらう。
「インクルーシブ」ということに関して。
これは本当に勉強させてもらった。
私自身、フランス語がわからない状況でフランスで演劇をしていたので、「壁」は常に感じていた。
でも、インクルーシブの考えは、聴者のものさしで、だれかをたすけてあげることではない。
それぞれが、それぞれのものさしを使って最大限に力を発揮して作業できるような空間をつくること。
今まで、「語る」ということをメインにするワークを多く実施してきたが、ろう者の方たちもいるグループで、「語る」を扱うというのは、私が手話も理解できるなら可能性はあるが、私が相手方の言語をダイレクトに理解できない現状では難しいと思い、「まなざし」に特化することにした。
そして、実は、この「まなざし」が、聴者もろう者も関係なく、「演技」にとって、徹底的に向き合う必要があると認識した。
つまり、インクルーシブな演技レッスンを突き詰めていくと、エッセンシャルな演技レッスンにたどり着くのでは、という可能性を美学校のクラスに教えられたということになる。
うわべだけで「ダイバシティー」や「インクルーシブ」というのは簡単だけど、
実際に演劇クラスにろう者と聴者が混在しているという状況をつくったということは本当にすごいことで、まさに最先端だと思う。
そして、その場が、関わった人たちの多くに、「無理かと思ってたけど、なんかいけるじゃん!」と思わせている。
俳優が「俳優教育」に携わることについて。
フランスの国立演劇学校時代、パリからさまざまな著名人が講師として訪れた。演出家や俳優、振付家、ビデオアーティスト、大学の先生、映画監督、マリオネット師、などなど。
一番人気はやはり演出家。
演出家との創作は楽しい。しかし、ひとたび3週間に及ぶワークショップが終わると、その演出家の作品にとってだけ、「いい」俳優になってしまっていないかと自問する。
ついつい、俳優は「演出家」のことを、「答えを持っている人」として接してしまう。
演出家との作品創作を目的とした授業は、創作をいう環境を学ぶうえで大変意味があるし、これは演出家にしかできない。
しかし、俳優が受けもつ授業の魅力もある。
私が俳優として、授業を受けもつ理由があるとしたら、「答えを持っていない人」として、ひとりひとりの「答え」を探すお手伝いができるからだと思う。
圧倒的なカリスマ性を持って、俳優教育を引っ張っていく方法ももちろん存在すると思うが、
私はただの演劇大好きな人として、生徒さんたちのお手伝いができたらいいと思っている。
特に、エクササイズのフィードバックを生徒同士が互いに行えるようになることを最終目標としている。
1日目は、私が中心となって、みんなの意見を促したり、私の意見を言っていったけど、2日目から、エクササイズを見る側の人たちの目が肥えてきて、エクササイズをやっていた人たちに的確な分析をするということが起こった。
舞台に出て、エクササイズをやるのと同じくらい、客席側に座って、エクササイズをしているクラスメートを見ることが、俳優教育が行われる学校という場において、いかに大切な時間かということを知る必要がある。
観客側の生徒は、評価を下す「まなざし」ではなく、「安心して失敗していいよ」というまなざしを自ら育てていきながら、クラスメートにしっかり意見を言える環境を作っていく。
演技は決してひとりではうまくなれない。
フィードバックも筋トレと一緒で、トレーニングが必要なので、方法から一緒に考えていった。
チームが循環していくことで、講師としてのわたしの発言時間がどんどん減っていくことは、本当に嬉しい瞬間。
目標通り、最終フィードバックではわたしは一切手助けせず、ひとりひとりが自分の感覚を、自分のために時間をつかって言葉にしていて、心が熱くなった。
学校という場所が、
好きなことを全力で好きと言える場所であってほしい。
好きなことを全力で失敗できる場所であってほしい。
そして、他者に影響を受けたり、及ぼしたりしながら、
このグループの一員である自分最高!と思える時間を俳優教育に携わるうえで、たくさん届けたいと思う。
美学校アクターズクラスの生徒のみなさま、素敵な時間をありがとうございました。

俳優の活動と、演劇・俳優教育の活動、双方が刺激し合えるような1年になりますように。
今年もよろしくお願いします。