#MeTooThéâtreに関して、私が考えること。

今年6月に行われた「#BalanceTonCirque」のハッシュタグで、サーカス業界でのmetoo運動がおこり、とうとう演劇界でもmetoo運動が勃発。

ナンシーの芸術監督、ミシェル・ディディムに対する性的・性差別的暴力の告発を受けて、「#METOOTHEATRE」運動が展開されている。

英語の記事:https://lejournaldupeintre2.wordpress.com/2021/10/03/michel-didym-accused-of-sexual-misconduct-and-rape/


私は公演中で参加することはできませんでしたが、10月16日(土)11時にパレロワイヤル前で大規模な集会があった。

https://www.franceinter.fr/societe/metootheatre-lever-de-rideau-sur-les-violences-sexistes-et-sexuelles-en-coulisses?fbclid=IwAR2BlfQB8JyGuO3-d9FlkB8HzHlVaojdXqtak0NfAmL6w-5qNH50rr78wHE

今回の告発、証言で注目すべき点は、なんといっても、演劇学校時代に受けた性的・性差別的暴力の実態だと思う。

映画界でのmetoo運動の時は、すでにキャリアをスタートした若い女優たちが、数々の被害を証言したが、

演劇界における証言は、演劇学校時代に受けたとされる暴力が非常に目立った。

ことの発端となった、ミシェル・ディディム氏に関する告発も、被害者が演劇学校時代に受けた暴力で、ふたりは生徒と講師の関係だった。

私自身も、このブログを通して、フランスの国立演劇学校に関して、多くのポジティブでクリエイティブに溢れためぐまれた環境に言及してきたので、

同等に、性的・性差別的暴力が演劇学校で起こっている現実に関しても考えてみたいと思う。

立場の弱い人間が声をあげ、社会単位のムーブメントとなっていくことの重要性は、

本来、自分はその問題に関係していないと思っていた人たちの記憶も修正されることであると思う。

自分が弱い立場、もしくは経験が浅い時分に受けた被害は、

往々にして、「自分のせいだ」と思い込んでいるものである。

私の場合も同じで、卒業公演のリハーサルをしている時に、

ゲオルク・ビューヒナーの『ダントンの死』という戯曲をある若手の演出家と創作した。

フランス革命を描いた戯曲で、女性の役が非常に少なかったが、

女子学生たちも、男性のフランス革命家たちを演じることになった。

そんな中、私は、数少ない女性の役、高級娼婦マリオンを配役され、天にも昇る気持ちだった。

フランス演劇界で、『ダントンの死』のマリオンといえば、非常に有名な人物で、

若い女優なら誰もが、マリオンの有名なモノローグを演じることを夢みるといっても過言ではないと思う。

私は自分で演出の構想を練っているところに、演出家がやってきて、

「小津安二郎の映画のようなマリオン」をイメージしているというようなことを言われ、目が点になった。

フランスで日本人として女優をしていると、小津安二郎作品にでてくるような女性像を想像されたり、求められたりすることは、それまでも頻繁にあり、それだけ、小津が浸透しているフランスを逆に尊敬していたが、

マリオンと小津のつながりは、全くわからなかった。

なんといっても、マリオンの有名なモノローグは、女性として自身の性欲を全肯定し、性への欲望を言葉にして紡いでいくところに、この作品のもうひとつの「革命」が起こるシーンなのだ。

私が、呆然としていると、その演出家は、「明日オリーブのマッサージオイルを持ってくるから、ダントンにオイルマッサージをしてあげながら、このセリフを言ったらいいと思う」と続け、

日本で東南アジアの女性がマッサージとかする店があるよね、というようなことも言った。

当時は、この発言の重大さがよくわからず、単純に演出としてダサいと思い悶々としていると、

当時から、人種差別や性差別に敏感だった同級生が、

その演出家の発言を聞いていて、「絶対にありえない!」と私のところに言いにきた。

もし、マリオンの役をできなくなってしまったらどうしようという気持ちもあったが、

勇気を振り絞って、「オリーブオイルは使いたくないので、一度自分たちだけでシーンを作らせてください」と演出家にいいに言った。

演出家は少し驚いた様子だったが、私に任せてくれて、最終的に、自分のイメージ通りのシーンとなり、上演はいい思い出として昇華されてしまっていた。

数年後、この演出家は性暴力である女子学生から訴えられた。

その時、私は、この「オリーブオイル演出事件」を反芻し、なんともいえない気持ちになっていた。

metoo運動に関して、なぜ数年もたってから告発するのかと疑問をもつ男性がいるが、

特に、学校のような環境では、まず「自分に問題がある」と学生たちは思うものである。

フランスの国立演劇学校はそれだけ力を持っているし、

入学するのも非常に大変だし、入ってからも、いろんな意味でプレッシャーは絶えない。

外部からやってくる講師との出会いは、卒業後の仕事にもつながるし、非常に重要な関係づくりを求められる。

何年間も、「自分に問題があった」から起こってしまったと、苦しんでいる女性たちがたくさんいる。

先月アテネの演劇祭に招待され、訪問した際、

私が一緒に仕事をしている演出家の事務所のカナダ人の社長とタクシーで劇場に向かう機会があった。

アテネの市街をでて、移民がたくさん住んでいる地区を車で走っている時、

タクシーの運転手が私たちに、

「ここは、アテネじゃないから、美しくないよ」と笑いながらいった。

カナダ人の社長はすぐに反応して「移民が住んでいる場所だからそういうことをいうの?カナダはギリシャ人の移民だってたくさん受け入れている。私はそれを誇りにおもっている。」と返した。

運転手は「ギリシャ人の移民とアラブ人の移民は違う。」という発言をし、

社長は怒って、「人種差別的な発言だから、もう話したくない」とその場ではっきりと自分の立場を明確にした。

劇場についてすぐに、フェスティバル事務所にタクシーの車内で起こったことを報告し、

タクシーの会社に電話するように指示していた。

私は、起きた出来事にあっけにとられて、その社長に「なんか、すごい感動しました」と意味のわからないコメントをすると、細かいことでも、気づいたときにすぐに行動しないと差別は絶対なくならない、と言われた。

しかし、この「気づいたときにすぐに行動」が一番難しい。

先日、とある撮影の衣装合わせで、大手プロダクションの衣装部門を訪れた時、

自分が演じるのは日本人の役だったので、

服の細部が、「ここはちょっとヨーロッパ的かも」とコメントしたら、

「日本人も韓国人も中国人も、みんなフランスに憧れて、フランスの真似してるんだからいいのよ。ヨーロッパの洗練さはないもの」

といわれ、その発言はおかしいのではないかとその場で思ったが、何もいえなかった。

「#METOOTHEATRE」から、話はずいぶん逸れてしまったが、性的・性差別的暴力の根源にあるのは、もっともっと小さな、どこにでも転がっているような差別する気持ちなのだと思う。

だから、どんなに小さなことでも、気づいた人が、その発言はよくないと思う、その行動はよくないと思うと、伝え続けていくということが、私には非常に重要に思えてならない。

自分たちが恵まれている環境にいるということは、それだけ、その恵まれた環境を濫用する人たちも多く存在する可能性があるということである。演劇学校に関しては、素晴らしい3年間を過ごした場所なので、美化したい気持ちもあるのだが、現実から目を逸らさないよう、今起きていることを自分なりに考えていこうと思う。

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