私はこの15年間、自分でも問題にしてこなかったけど、フランスに旅立つ前、創作現場で壮絶なパワハラを受けた可能性がある。
そもそもハラスメントには2種類あると思っていて、
双方に原因がある場合と、片方だけに原因がある場合である。
私の場合は、あきらかに前者だったので、今でも、ハラスメントをうけた「可能性がある」というぐらいにしか言えない。
当時、自分の俳優としての態度にも相当問題があったし、俳優とは演出家に言われたことを「実行に移す」人のことだと思っていた。
そもそも創作という「プロセス」よりも、本番という「結果」が、常に人と関わることを必要とする演劇という媒体においても、重視されてきたことにも問題がある。
俳優や演出家の「心構え」を変えれば、ハラスメントがなくなるかというと、ことはそんなに簡単ではない。なんとなく、俳優と演出家の関係ってこんなもんだろうと「出来上がってしまっている」関係は、「心構え」なんかで変化するほどやわなものではない。
具体的な「実践」を伴う必要がある。
そこで、私が若者たちに伝えたかったのは、「俳優は常に自分のプロポジション(提案)を持つ」ということである。
自分の「提案」を持つとは具体的にどういうことか。
演出家があれこれ言ってくる前に、自分だったらどう演出するか、自分だったらどう演じるか、自分だったらどう解釈するか、ある程度自分のプロポジションを「持って」リハーサルに出向く。
提案を持つことによって、俳優は圧倒的に、「自分」を守ることができる。
なぜならば、提案には、「私自身 (what I am)」と「私がやっていること (what I do)」を切り離してくれる力を持っているからである。
「私自身 (what I am)」を批判されることは、耐えられない苦痛だが、
「私がやっていること (what I do)」を批判されたなら、「じゃあ、これは?」とめげずに新しい提案をすればいいだけのこと。
このことを、実技クラスで伝えるために、生徒さんたちに宿題を出した。
一つ前のクラスで「戯曲(舞台空間)において『女性』が発言するということ」というテーマで授業をしたのが、その中で扱ったスキャンダラスなさまざまな女性モノローグから、好きなテキストを選んでもらい、そのテキストを自分が演じるならどういう提案をするかを考えてきてもらった。
男子生徒たちは、自分が男性として、女性のモノローグを演じるならというところまで言及して準備してきた。
なによりも、自分たちが考えてきた演出プランを語るときの生徒の目の輝きが忘れられない。
ひとりの生徒が持ってきた提案をもちいて、みんなで「創作」をしてみた。
最初は、私に「答え」や「評価」をもとめていた生徒たちも、私が、「んーん、どうだろう。わたしもわからない。だれかわかる人いる?」を繰り返していたら、自分たちで、さまざまな「提案」をだしてきて、全部やってみながら、適切な「提案」を探して行った。
ハラスメントをなくすということは、演出家が俳優に率直に意見を言えなくなるということではない。
どんな演出や意見を受けても、「私自身 (what I am)」が批判されたのではなく、「私がやっていること (what I do)」に意見をいわれたのだなとすんなりわかる環境を構築することであると私は思う。
それは、俳優同士がお互いに意見をいいやすくなる環境にもつながる。
日本の文脈で起きたことに関して、
日本語でずっと考えてきたことを、
フランス語に言語化して、他者に「伝える」という作業は思いの外大変だった。
実習を担当していた先生に言われた言葉:
「教育とは、今まで自分が当たり前にやってきたすべてのことがらを、ひとつひとつ言葉に変換していく作業」
自分が興味があるテーマ、
俳優として感覚で気をつけていること、
コツやカン、
自分がなんとなく大切だと思っていること、
それらすべてに「なぜ?」を突きつけ、言葉にして答えを出していく。
果てしない作業に、絶望しそうになるけど、
生徒さんたちのマスクの下に隠れる笑顔を想像すると嬉しくなっちゃう。
一刻も早く、マスクなしで演劇の授業をさせてくれ、と願う今日この頃。
そして、なんとフランスは12月15日から劇場再開で、去年からツアーしている『千夜一夜物語』最終公演が、12月15日から17日にマスタードの街ディジョンで上演できるとのこと!!
去年の9月に初演して、コロナに阻まれながらも、1年以上公演した作品の最後。
無事に舞台に立てますように。
