先生だって、わからない時は「わからない」と言っていい!?

わたしには絶対無理と諦めていた、

戯曲を用いた教育実習が、まさかの「有終の美」を飾り終了。

課題戯曲は4つ。テーマは「亡命」。

1, ギリシャ悲劇 アイスキュロス『救いを求める女たち』

2. アレクサンドラン コルネイユ『王女メディア』

3. 現代イタリア戯曲 Lina Prosa 『ランペドゥーザ・ビーチ』

4. 現代イスラエル戯曲 Maya Arad Yasur『アムステルダム』

ある理由により、自分の国を離れなければならず、他の国に亡命するということはどういうことか、古典と現代戯曲を用いて生徒さんたちに考察させることが目的。

まず、私たちがドラマツルギーに関する授業を受けるが、古典、現代戯曲ともに全く言語についていけない。

歴史的、宗教的、政治的背景がわからないと戯曲って、こんなに身体に入ってこないものかと思い知らされる。

基本的には、

ードラマツルギーからのアプローチ

ーテキストを身体化するエクササイズ

ー戯曲の文体にあった「発話」の場所を探していく

上記の3点からのアプローチを求められる。

例えば、アイスキュロス『救いを求める女たち』は、コロスである50人の黒人女性たちが主役の作品。ドラマツルギー的背景として、ぶどう酒の神様である「ディオニュシオス神の祭典」を理解しているかどうかで演技のアプローチは大きく変わる。

ディオニュシオスは、アテナイ人が抑制しようとした野蛮な生まれながらの野性的な人間性をあらわす神様。つまり、演劇の機会というのは、人々が抑圧されたものを発散する機会であり、日常生活の中では、普通には話されることのない考えを浮き彫りにすることが許される場。

外国人や女性といった、社会的立場の低い人たちにも「発言」の機会を与えてくれる画期的な場なのである。

わたしは、コルネイユ『王女メディア』とMaya Arad Yasur『アムステルダム』を選択。

子殺しで有名な『王女メディア』は、以前自分が演じたことのある、ドイツ現代戯曲ボート・シュトラウス『時間と部屋』という戯曲より、カップルが『王女メディア』に関して喧嘩をしているというシーンをモデルに、三人称単数で「メディア」という人物をインプロビゼーションを通して、生徒さん自身で発掘していってもらった。

大苦戦したMaya Arad Yasur『アムステルダム』は、アムステルダム在住のユダヤ系イスラエル人移民女性の話。第二次世界大戦以降のアムステルダムの政治状況や移民の大量受け入れからの多文化主義破綻の現状を一から勉強。

アムステルダムという都市において、イスラム教であること、ユダヤ教であることとはどういうことか。移民であることとはどういうことか。

自分が他者から受けた「偏見をはらんだ視線」と、自分が他者にむけてしまった「偏見をはらんだ視線」をテーマにディスカッションをしてもらう。

生徒さんに何か質問された時に、答えられなかったらどうしようという恐怖と戦いながら、辞書を片手にめちゃめちゃ準備していたら、人生の師匠であり、フランス語の師匠から一言。

「質問されてわからなかった時は、生徒と一緒にスマホで調べればいい」

生徒さんたちにとっては、先生から教えてもらった答えより、自分で考えたり、調べたりして見つけた答えの方が、圧倒的に彼らの身体に残る。

だから、先生がすべての答えを知っている必要はないのだという。

それよりも、いかに彼らに自ら考えたくなる「問い」を与えられるが勝負。

一気に肩の荷がおりると、難しいフランス語の発音も生徒さんが助けてくれる。

そんな「学術的」には頼りない先生でも、「演劇」への愛と熱意とみんなよりもちょっとは多い経験では負けないので、夢中になってクラスを引っ張る。

こちらが堂々としていれば、生徒さんたちも、外国人からフランス語の戯曲をつかったクラスを受けるということに対して、なんの違和感も不信感もない様子。さすが、多文化多民族国家フランス。

アート教育全般において、何よりも重要なことは、

現在の教育制度の基本的なアプローチである「結果思考」に対して、

「結果に至るプロセス」に重きを置くということ。

芸術における教育者は、結果を出せる生徒さんを育てるのではなく、

生徒さんひとりひとりの探究のプロセスに寄り添い、そこに一緒に意味を見出していくことと、わたしは考える。

しかし、現実は芸術教育業界でも「結果思考」が蔓延っていて、

例えば、何人の生徒が自分のクラスから、国立演劇学校や有名ボザール(高等美術学校)に合格したとか、その結果をいい教育としている先生たちがいるのも現実。

有名芸術学校に進学するためには、それなりのテクニックも必要。

ただ、そこだけに特化するのではなく、将来、アーティスト以前に「自律的市民」となっていくような自立した学習者を育てていくべきではないか。

主体的な学習を促すことで、演出家やプロダクションに対し従属的立場をとる俳優ではなく、ひとりの主権者としての俳優を育てる方を選びたいと心から思う。

相変わらず仕事以外での外出禁止が続くフランス。

せめてもの救いは暖冬と日光!

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