俳優が発言力を持つってどういうこと?

国際演劇協会主宰イベント:10/25 海外で活動するプロフェッショナルシリーズ〈特別編〉─コロナ禍のアーティスト座談会─

ご参加いただいた皆様ありがとうございました。

見逃してしまった方もアーカイブ配信があるようですので、ぜひそちらをご覧いただければと思います。

https://iti-japan.or.jp/announce/6913/?fbclid=IwAR2kqn9FLMhp39sxHyncAyD4IK0SoAmCU6Hpar9xTCt7PiJLTXENqT2u77M

パフォーマーの方々が自分たちの名前で、自分の経験を語れる場を用意してくださったこと、大変ありがたく思います。

この企画の発端となったのは、コロナ真っ只中の6月。

私が尊敬する、国外で活動する俳優・ダンサーの方にオンラインで集まっていただき、情報交換のためのミーティングを開いた。

コロナ禍でどのように過ごしているか、また各国のアーティストへの補償の話から、パフォーマー及びアーティストの人権問題にまで話が発展した。

このミーティングで起こった「情報交換」という目的を超えた刺激的なディスカッションが、俳優の権利や、演劇のツールとしての教育的側面を考え始めるきっかけとなった。

日本では、「人権」というとちょっと重いイメージがあるかもしれないけど、

私は、「ハラスメント」を話すよりは、ひとりひとりの「人権」を言及していきたいと思う。

9月にある劇団の元劇団員が起こした訴訟があった。

「劇団活動は労働」異例の判決確定 訴えた元団員の願いhttps://www.asahi.com/articles/ASNBM4FDWNBDUTIL03C.html

「好きなことを好きでやっているから、つらくて当たり前と刷り込まれていた」

俳優なら誰でも、この言葉にピンときただろうと思う。

フランスで、俳優たちの「人権」が、ある程度保証されている理由のひとつとして、俳優たちが「発言力」を持っているという点があげられると思う。

地方公演にいくと、劇場が主宰する若者向けのワークショップを公演とセットで依頼される。ほとんどの場合、演出家ではなく、俳優が、高校や中学に赴き、授業やワークショップを行う。

俳優たちは個人の名前で自分が関わっている作品について語る権利と場所を与えられている。

公演後のアフタートークなども俳優たちだけで受け持ったことが多々ある。

人間は、「発言力」を持つ人に対して、不当なことはできないという意識がどこかで働いているのではないかと思う。

俳優としていかに「発言力」を高めていくか。

有名になる、知名度をあげる。これも、ひとつの方法だろう。

でも、人権が一番侵害されやすい若手の場合はどうすればいい?

安心して発言できる「場所」があるだけで、「好きなことを好きでやっているから、つらくて当たり前」に疑いの目をむけられたのではないか。

稽古場で、自分の「発言力」を高めていくのも、俳優の仕事だと思う。

自分の権利を主張したり、自分のアイディアを自由に語れたり、創作への不安を口に出したり、俳優の「発言力」の強化こそが、ハラスメント回避の第一歩とはならないだろうか。

今回の催しは、登壇者を俳優・ダンサーに特化したという意味でも、私にとっては大きな意義を感じる。あと、このような状況でも、海外はすぐ近くにあると感じてほしい。

おととい、コロナ陽性者との濃厚接触者通知が役所から届いた。こんなにもコロナが身近に迫っている恐怖の状況下でも、フランスでは演劇が社会に必要とされていると身をもって感じる。

またコロナ禍では、自分一人が頑張っても全く意味がないのだということを思い知らされる。演劇の現場ならなおさら。一人でもコロナに感染したら幕があかないのだから。

そして、「一人で頑張っても意味がない」は、演劇が古代からずっと社会に言い続けてきたことだと思う。

コロナ禍を日本で過ごした半年間、この状況でどう演劇と付き合っていったらいいのか分からず、やみくもに動いてきました。フランスとは全く違う、日本社会での演劇の地位にとまどい落ち込む日もありましたが、真剣に私の話を聞いてくれて、この企画にも「意味」があると思ってくださった萩原健先生に心から感謝しています。ありがとうございました。

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