4月27日28日に東京で行った、体毛から自由になるための勉強会『#体毛カワイイ』、
2日間で、予想をはるかに上回る、50名の方に参加をいただき、たくさんのリアクションとアドバイスを頂きました。
https://meetingengeki-taimo.peatix.com/view
そして、先月末5月28日、カナダのモントリオール市にて毎年5月下旬から6月上旬に開催されているフェスティヴァル・トランスアメリーク(Festival TransAmériques)内のプロジェクト「クリニック・ドラマツルギー」にて、作品の「診察」を受けました。
この企画は、生まれたばかりの舞台芸術作品、もしくは、企画段階の作品に対して、
各国から集まったプロのドラマツルギーの方の「診察」を受ける、というもの。
今年は、フランス、ドイツ、カナダ、ブラジル、キューバから集まった、
ダンス、演劇、劇作を専門とするドラマツルギー7人が担当する。
まずは、事前に企画書による審査があり、
審査を通過した14作品が、フェスティバル側が指定したドラマツルギーの一人と、
一対一で90分間の「診察」を受けることができる。(言語はフランス語か英語を選択可能。)
このカウンセリング以外に、すべての人に開かれた「ドラマツルギー朝ごはん」と「ドラマツルギーミーティング」がある。
「ドラマツルギー朝ごはん」では、広義での”occupation”をテーマに、それぞれの国の舞台芸術の現状と、主に創作環境に関する課題を話し合う。
翌日の「診察」では、ブラジルで活動するドラマツルギー、演出家、映画監督であるマルタ(Martha Kiss Peronne)に90分のカウンセリングを受ける。
事前の説明会で、このカウンセリングは、作品をどう売り込んでいったらよいかを考える時間ではなく、アーティスト自身の創作背景を踏まえて作品を捉えていくことが狙いだと言われていたので、私は以下の3点の不安を軸に『#体毛カワイイ』という作品を紹介した。
1,女性として(子どもができたら、どうやって演劇続けたらいいの?)
2,俳優として(セリフって絶対覚えなきゃダメ?)
3,フェミニズム的主題(フェミニストって闘わなきゃダメ?)
「体毛」というテーマに関しては、2017年頃から、
東京に戻ってくるたびに、脱毛サロンの車内広告の存在が自分の中に大きくなっていき、
いつか、「体毛」についてしっかり勉強したいと考えていた。
昨年、結婚して、俳優と主婦の二重生活がスタートした。
と言っても、主婦であり俳優でもある、という同時進行ではなく、
私の場合、フランスでは主に俳優であり、日本では主に主婦である、という生活である。
公演やリハーサルに関わってない時期とはいえ、
俳優は俳優のままなのだが、非拘束な時間でのクリエイティビティの優先順位は、
簡単に下がってしまう。
将来、子どもができた時のことを考えると、ひどく不安である。
もし、あなたが俳優で、直接的な俳優活動に関わる拘束がないとき、
「日々の生活」は、あなたが俳優であり続けることをなかなか許してくれない。
さて、そんな時、どのように、自分の俳優として身体を「クリエイティブ」な空間に起き続けることができるか。
次に、俳優として。
地方公演を含め、年間半分以上の時間を舞台の上で過ごすようになり、いつになってもなくならないのが、台詞へのストレス。
フランス語の古典のテキストを扱う場合、どうしても台詞を「覚える」という感覚に陥ってしまうので、もし、忘れたらと思うとなかなか恐怖がなくならない。
「演じる」ではなく、「語る」へのシフトチェンジを求めて、台詞との新しい付き合い方を探していた時に出会ったのが「講演会」。
頭の中で、すでに深く理解していることを「語る」。これが、台詞でもできたらなあ。
そして、最後は、フェミニスト的主題を扱うことに関して。
体毛のことを調べながら、「闘わないフェミニスト」像とはなんだろうと、ひたすら考えてきた。
そこで、どうしても必要不可欠だったのが、男性の存在だった。
男性に囲まれて考える「体毛」、異性に対するコンプレックスは、異性と一緒に解決。
マルタは、私の話に耳を傾け、彼女の住む街リオデジャネイロの状況と照らし合わせて、東京やパリの環境と比較しながら、ひとつひとつ、私の不安の種を紐解いていく。
ブラジルには、文化省というものが存在しないので、
舞台芸術も、劇場というより、街の広場や工場跡地などで行われることが多いので、
演劇行為自体が、社会的もしくは政治的運動(ムーブメント)となるということ。
また、リオデジャネイロの女子高校生たちは、政府への反抗の気持ちで、
ムダ毛をあえて生やしている、という話をしてくれた。
「身体」というものは、コンテクストによって、
こんなにも勝手に「主張」を変えるのだということに驚愕。
それにしても、久しぶりに「希望」でしかない時間を過ごした。
何かを「産みだす」ということは、
常に、一喜一憂をもたらすもの。
ただ、舞台芸術は一喜一憂に合わせて、「育てる」ことも、「寄り添う」こともできる。
そんなときに、自分とは全く違う人生を生きてきた先輩に背中を押されたら、
自分が悩んでたことより、もっと壮大な課題が見えてきて、不安よりもわくわくする。
4月に神保町のカフェにこもって作った作品が、
フランス語の企画書になり、
フランス語圏のカナダ・モントリオールまで旅して、
ブラジル・リオデジャネイロのアーティストとの出会いを運んできてくれたことに感謝。