海外でアジア人としてキャスティングされたら負け組?

2017-2018シーズン、一本目の作品は、

日本人の役で、日本語での出演です。

 

もともと、フランス人によりフランス語で書かれた作品を日本語に翻訳しての上演。

演出家もフランス人なので、稽古はすべてフランス語。

共演者には、フランス人も日本人もいて、

常時、二ヶ国語で進行するリハーサルに、頭が破裂しそう。

この作品のリハーサルが始まって一週間で、1日の平均睡眠時間が9時間になっていて愕然。

 

ところで、フランスと日本の俳優業界を比較した時、

国籍、言語、人種によるキャスティングが存在するというところが、

ひとつの大きな違いとしてあげられるだろう。

これは、移民が多いフランスだから、とも言えるし、

他言語、多文化から形成されるヨーロッパに位置するから、とも言える。

簡単に言っていってしまえば、

「アジア人限定」(肌の色)

「日本語しゃべれる人限定」(言語)

というオーディションが数多く存在するということになる。

いずれにしろ、フランスで仕事をする限り、関わるスタッフ等はフランス人なわけだから、

これらにプラスして、フランス語が話せるということが条件になってくる。

 

つい最近受けたオーディションも、

20世紀初頭、アメリカに渡った日本人女性たちを題材にした作品をフランス語で上演するというものであった。

この場合、台詞は、フランス語で、日本人(アジア人)の外見が必要ということである。

オーディションに来ていた俳優の半数以上が、

フランスで生まれ、フランス語を母国語とする、アジア人。

フランスに来て、15年近くになるという日本人たちもいる。

わざわざハンディーキャップのある第二言語で演劇をしている私にとっては、

アジア人の外見を保ちながら、

フランス語と、アジア圏の言語を流暢に話す彼らに対し、羨望しかないのだけれど、彼らには彼らの悩みがいろいろあるのだという。

オーディション中は、もちろん、フランス語でコミュニケーションを取っていたので、

会場を出た途端に、「どこで生まれたの?」「母国語は?」という質問が飛び交う。

 

モンペリエの学校で、

フランス人生徒10人の中で日本人生徒1人という環境で戦っていた頃は、

フランス語にしても、アクセントを消そうとしてみたり、

日本人の役は絶対やりたくなかったり、

ましてや、日本語を舞台で話すなんて絶対に嫌だった。

なぜか、「負け」というか、「屈辱」だと思っていた。

 

卒業して、仕事として、演劇と付き合うようになった途端、

自分でもびっくりしてしまうほど、何も気にならなくなった。

正直、マイノリティの要素を持っているおかげで、仕事がくることもある。

 

演劇は、人間をつかった芸術であり、

芸術は、常に社会の縮図的な役割を抱えている。

 

俳優をやっているなんていうと、

今の時代でも、

外見に自信がある人なのかと思われることもあるのが現実。

 

美男美女と同じくらい、平凡な顔だって必要だし、

モデルみたいな体型を持つ人と同じくらい、ぽっちゃりした人だって必要。

肌が黒い人も、白い人も、黄色い人も必要。

日本語を母国語としてしゃべる人も、

フランス語を母国語としてしゃべるアジア人も、

どんなに頑張ってもフランス語のアクセントが抜けない私も、

みんな必要。

 

日本で俳優をしていると、他者と比べることのできる特質(外見、体型、体力など)を伸ばすことに、

エネルギーを使ってしまいがちなのだけれど、

実は、自分のコンプレックスと向き合って、その特性を伸ばしていくことのほうが近道だったりもするのかも。

それは、苦しい作業だけれど、

そもそも俳優の仕事は、

一生をかけて、紙の履歴書が必要なくなっていくこと、

つまり、身体ひとつあれば、自分を商品として紹介できますよ、

という領域にいくことなのだと、出会いを重ね実感する。

 

というわけで、外見で勝負してもしょうがない私は、

最近は、オーディションもすっぴんでいく、

腹の据わりよう。

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