2月に日本では岸田戯曲賞の発表があったが、
フランスにいると果たして岸田戯曲賞は本当に「戯曲賞」なのかと疑念を抱いてしまう。
そもそも上演戯曲が審査の対象となるため今回の最終審査にノミネートされた劇作家も全員が自身の戯曲の演出家という立場である。
となると、審査員のほうも、必然的に戯曲だけを読んで審査するということは難しくなってくるため、果たして「戯曲賞」と言えるのかどうしても疑念を抱いてしまう。
そもそも日本で演出には興味のない劇作家は、どのような道を歩むのであろう。
文学大国フランスの「劇作家」というポジションを知るべく、
ある若い劇作家を通して、フランスの現代戯曲についてレポートしたいと思う。
去年、フランス演劇界の重鎮アラン・フランソン氏の作品に出演した時のこと、
彼のアシスタント兼ドラマツルギーとして参加していたのが、
ニコラ・ドゥテ氏(34歳)である。
この時、ドイツの現代作家ボート・シュトラウスの作品を集めたコラージュ作品として1時間半の作品を上演したのだが、
その上演台本を編集したのも彼である。
ドラマツルギーとして、演出家と仕事をしたり、
学校で講師として教壇に立ったりもしているが、彼の職業はれっきとした「劇作家」。
アランとの稽古中の彼は、縁の下の力持ち的存在に徹し、決して前に出ようとしなかったのだが、
別の仕事で会う機会があり、その時に彼の劇作への熱意に触れ、
また、自分の描いた作品を演出したいと思ったことは一度もないと言い切った彼の言葉を受け、
フランスで純粋に「劇作家」として生きていくということはどういうことなのか興味を持った。
彼の話を聞いていく中で、フランスの若手現代劇作家にとって、Théâtre Ouvert という劇場が中枢となっていることがわかってきた。
現在も、未発表戯曲を発掘されるフェスティバルが開催されていて、
ムーラン・ルージュ界隈に位置する劇場は、
毎晩、劇場というよりも、バーという雰囲気で常に人で溢れている。
Théâtre Ouvert は、1978年に未発表の現代戯曲を世に送り出すことを目的に設立された劇場である。
現代戯曲にとって、最も重要なことはより多くの人に読まれるということである。
現在でも劇場には年間600本以上の作品が送られてくる。
その中で毎年1本か2本が選ばれ、なんと初版で1000部が発行される。
戯曲というカテゴリーにおいて、初版で1000部という数字がいかにリスクを負っているかということは想像に難くない。
そのうちの半分500部は公共劇場に併設されている書店や、演劇書を専門に扱っている書店などを中心に1冊10ユーロ(1300円程度)で一般販売され、のこりの500冊は無料で配られているという。配布先は、主に演出家、俳優、劇場のプログラム担当者などである。
それでは、600本以上送られてくる劇作から、どのように出版に踏み切る作品を選ぶのか。その過程がまた面白い。
Théâtre Ouvert が主催する事業の中で、L’Ecole Pratique des Auteurs de Théâtre (EPAT)という試みがある。
これは、出版前に、劇場が選んだいくつかの作品に与えられる「舞台でお試し期間」である。ここで初めて、平面であった自身の劇作が立体になるチャンスをあたえられる。
ニコラは、まず、このEPATに選出される。選出の仕方も、Théâtre Ouvert独特の決まりがあり、劇場で働く人全員が読むことになっているのだという。
ディレクター、プログラマーはもちろんのこと、劇場受付担当、広報担当、票券担当はたまた劇場のバーで働く人まで、送られてくる戯曲を読み、意見を交し合う。
そんな多様な人々の意見によって選出されたニコラは、自分の作品を演出してほしい演出家の希望を聞かれる。
そこで、当時無名だった彼は、数人の演出家の名前をあげ、駄目元で、日本でいえば、蜷川幸雄級の演出家、今年72歳になるアラン・フランソンの名前をあげる。
劇場は、ニコラがあげた演出家ひとりひとりにコンタクトをとり、彼の戯曲を贈呈する。
すると、なんとアラン・フランソンのほうから、ぜひ彼の戯曲を演出したいとEPATへの参加を申し出たのだ。
実は、ニコラの事例は稀なことではなく、そもそものEPATのコンセプトが、
「無名の作家×経験豊富な演出家」
ということなので、演出家のほうとしても、単純に若手に指名された喜びがあるそうだ。
こうして、彼の処女作は15日間のクリエーション期間を与えられる。
俳優は3人。
劇場と演出家がキャスティングし、選ばれた3人の俳優と契約が交わされ、稽古の準備が整う。
ニコラは、作家として、稽古に参加し、自分の劇作が舞台芸術作品として誕生する瞬間に立ち会う。
そして、EPAT期間終了後、Théâtre Ouvertにて一般公開の二日間の公演が行われる。
ニコラはここで、舞台の上で成立するためのテキストというものに深く向き合うことになる。EPAT終了後、作家は自分の作品をさらに洗練させていく。
そして、劇場側は、この公演を経て、実際に出版に踏み出すか、結論を下すのである。
ニコラは、2015年に2冊目の作品を EPAT期間なしにéâtre Ouvertから依頼され、出版することになる。現在は、3冊目に向けて執筆を続けている。
ニコラから、彼の戯曲を2冊、PDFではなく、「本」という形で受けとった時、
なんとも言えない興奮があった。
モリエールやラシーヌ、古典戯曲ではなく、現代戯曲、
つまり、まだ生きている作家の戯曲を「本」で読んでいるのである。
劇場で演出家と俳優の手に染まる前の、純粋なエクリチュールとしてのテキストと対峙することが、いかに心揺さぶられる体験であったかというとそれはもう計り知れない。
例えば、フランスの国立演劇学校の受験課題は、主に3つ。
古典戯曲から1作品、現代戯曲から1作品、そして、自由課題(歌、ダンスなど、演技以外も含む)それぞれ3分間のシーンをパートナーと共に準備し、審査員の前で発表する。
若い俳優の卵たちには、まずこの受験準備が、現代戯曲に自らアプローチする初めての機会となる。そして、自らテキストを解釈し、演じる力を見られるのだ。
劇作家が劇作家として存在するには、彼らをサポートする機関、つまり彼らに可視性を与える機会が必要なのである。
劇作家が自分の産み出した作品を世の中の人に知ってもらう方法が、自ら演出するという術しかないとすれば、作品がテキストとして育っていくのは限界があるだろう。
まずは、劇作を演劇の付属品ではなく、後世に残していけるような独立した芸術として扱っていくことが、若い劇作家を育てていくための第一歩だと強く感じた。