演劇を「再現」芸術から、「更新」芸術に移行中。

おそらくこのブログの中でも、

演劇について最も言及してきたことのひとつが、

演劇(舞台芸術)は、「再現」芸術であるという特性である。

ただ、最近、ひとつの作品を何回も上演していていて思うのが、

人間にとって「繰り返す」ということほど、難しいことはないということである。

まさに、日常生活と一緒で、いまいちリズムの変わらない生活が1年も続けば、人間は、このままでいいのだろうか、と不安になる生き物である。

変化のない「繰り返し」には不安がつきもの。

だからこそ、自分の生活に必然的に変化を伴う要因をあえてつくろうとするのかもしれない。

恋愛とか、出産とか、とかとか。

人間は、本質的には、何かに振り回されたい生き物なのかもしれないとさえ考えてしまう。

ことのつまり、「再現」芸術に関わっている人間=俳優も、いくら舞台は生ものとは言え、「再現」することが目的そのものになってしまったら疲弊してしまう。

そこで、最近、友人から鮨屋のドキュメンタリーをみて思ったのが、

実は、演劇は、「再現」芸術から、「更新」芸術だったのだということなのである。

ミシュラン3つ星を得た寿司職人、小野二郎さんを追ったドキュメンタリー『Jiro Dreams of Sushi』(邦題:『二郎は鮨の夢を見る』)

Jiro_sushi_poster.jpg

仕事とは何か、職人とは何か、人生とは何か。

名言と名場面のみで構成されているとしか言えない素晴らしいドキュメンタリーの中で、何故か私の頭に焼き付いたのは、息子の禎一さんが、築地に自転車で魚を買いに行く場面だった。

寿司を握る技術の前に、

いい魚を毎日手に入れることができなかったら、

美味しい寿司はできないのだ。

毎日毎日、寿司ネタを「更新」せずには、「再現」「繰り返し」は成り立たないのだと思った。

そして、その姿が良質な舞台芸術の舞台裏と重なって、「再現」という定義にに安住しかけていた私のお尻をひっぱたかれた気持ちになった。

 

「再現、つまり、re-produire」 から、「更新、つまり、re-nouveler」 に意識を移行させること。

再現のモチベーションが、「忠誠」だとするならば、更新のモチベーションは、「向上」といったところだろうか。

同じことを繰り返すなかで、少しでも少しでもいいものをつくりたい、一歩でも先に行きたいと探し続ける態度が「更新」なのではないかと、ひとつの作品を50回近く公演してきて、ようやく気づいた。

そして、この変化の中で、来月から週6日5週間にわたる、恐怖でしかなかったパリ公演が少しだけ楽しみになった。

 

さてさて、今シーズンの地方公演は、今日でひと段落。

来シーズンと再来シーズンのツアーも、無事に決まりました。

いかに、「更新」芸術に携われる人間になれるか、

今日も昨日よりいいものをつくるだけだ。

 

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