心療内科大国フランス。
実際に日常生活を普通に遅れている人たちの中で、心理カウンセリングを定期的に受診している人たちが日本に比べて、圧倒的に多い。
アート業界となればなおさら。
例えば、俳優同士でも、地方公演の行き帰りの電車の中で、必ずと言っていいほど話題に出てくるのが、この心理カウンセリングなのである。
カウンセリングを受けるということは、日本の感覚では、精神的に脆弱な人というイメージがまだあるように感じるが、フランスではその反対。
自分と向き合う姿勢がある勇敢な人、そんな印象さえ受ける。
俳優業界でも、カウンセリングを定期的に受診している人は、私の知っている限りでも非常に多く、ごく自然な、生活の一部として受け止められているようだ。
スポーツ選手にメンタルトレーナーがつくように、俳優という職業にも、精神面をサポートしてくれる存在が必要なのかもしれない。
今、私が関わっている仕事は、まさに、「憧れ」の人たちで構成されている。
フランスに来たばかりの頃から、
「憧れ」の演出家に、「憧れ」の女優、そして、この現場で出会ってから「憧れ」を抱くようになった共演者たち。
こんなに恵まれたことはないのかもしれないが、正直、自分が今までこつこつと積み上げてきた自信を完全に崩壊したのも、この現場である。
5年前から、数々の舞台で観てきたある「憧れ」の女優は、
いつでも輝いている。
公演中はもちろんのこと、本番前、ストレッチ中、食事中、終演後、楽屋、カフェ、などなど。
とにかく、彼女の周りには、笑い声が絶えないし、人が集まってくる。
そして、何しろ、彼女は、最高の「女優」である。
このような人間を目の当たりにしていると、仕事とプライベートの境がどんどんつかなくなってくる。
舞台の外での、その人の人間性そのものが、いい俳優かどうかを計るものさしになっている気がして仕方がない。
社交性に欠ける私は、俳優としてやっていけないのではないか。
話が面白くなかったら、俳優としてやっていけないのではないか。
つまらないことだとはわかっていても、舞台の上でも、外でも輝き続ける「いい俳優」たちを目の当たりにしていると、自分のプライベートまで自己批判をして、落ち込んでしまう時がある。
カウンセリングでは、
自分の中の自分の「場所(ポジショニング)」を探すことを目的に、
カウンセラーと話をしていく。
自分が所属する様々なコミュニティーにおける自分のポジションではなく、
自分という存在の中にあける、自分のポジション。
外部からの様々な影響で、無意識に形成されてしまった自分の理想や、観念の外にある、
自分の内に広がる宇宙の中での、自分のポジションを探していく作業。
正直、自分のことが好きじゃない日に、舞台に立つことは辛い。
自分が輝いていない日に、人前に立つなんて考えただけでも、ぞっとする。
でも、その「輝き」って、なんだろう。
キラキラした笑顔で、周りに元気を与えられる人?
面白い話で、周りを沸かせることができる人?
俳優が「輝いて」いなきゃいけない理由なんてある?
そもそも、俳優への褒め言葉として使われる「華(花)がある」という言葉は、
世界最古の演劇論集と言われている『風姿花伝』から来ているそうだが、その「花」の定義の中でも、究極のものは、年とともに外見の「花」(輝き)がなくなり、それでもなお、演技の力で観客を感動させる俳優を「花の中の花」といったらしい。
つまり、私みたいな若造が、舞台の上の輝きだの、舞台の外の輝きなどを求めるのは、いわば論外ということか。
80歳、90歳まで、ひとつのことをやり続けた「職人」と言われる人たちが、自分の「職」を語るときにこぼれる笑顔に、おそらく答えがある。
そんな「輝き」だったら、信じられる。
そんな「輝き」を持っている人の演技は素晴らしいに決まっている。
いい俳優は舞台の外でも輝いているか。
その答えを知るのは、あと40年は先かしら。
パリ公演のポスターをメトロで発見。
来月中旬から1ヶ月間、闘ってきます。
Songes et Métamorphoses/une création de Guillaume Vincent