8月からチーム別のシーンごとの稽古を経て、
とうとう昨日から全体稽古が始まる。
ここからは、契約も一律。
出番が多い少ないにかかわらず、基本、14時から23時まで身体をあけておく。
スタッフ、キャスト含め、総勢30人から35人の人が劇場を出入りし、
19時から20時の休憩には、食事が配給される。
日本でいうようなスッタフ弁当のようなものを想像していたが、
出てきたのは、大きなトレーに入られた家庭料理だった。
ちなみに、昨日の献立は、
トマトとコリアンダーのサラダ、炒めご飯、チキンソテー、そしてデザートにブラウニー。
全部、手作り。
テーブルには、ところどころにバゲットが置いてある。
舞台監督さんに聞いたところ、映画撮影中や、演劇の稽古などの現場を中心に、
ケータリングを用意するカトリーヌさんという有名な奥さんがいるらしい。
つまり、ご飯は、すべてカトリーヌさんのお家で用意されたもの。
それぞれが好きなだけ、自分のお皿にとって食べる。
とはいっても、全員で「いただきます!」的な習慣はもちろんなく、
それぞれが、自分の好きなタイミングで食べ始める。
最初、周りのお皿を見たら、みんなトマトサラダしか、よそっていなくて、
このグループはベジタリアンなのかなと疑うも、
郷に入っては郷にしたがえと思って、
私も、トマトサラダだけをお皿によそう。
ただ、なにしろ、他の人がまだよそいきっていないので、
全員分たりるのかという心配がつきまとい少なめに。
そして、おのおのトマトサラダを食べ終わると、そのお皿に、またチキンとライスをよそいに行く。
食べ終わったあと、もうすこし、サラダが食べたいと思ったが、
前菜、メインという順序を通ったあとで、
前菜に戻るというのは、果たして礼儀が悪いことなのか戸惑いながら、
さりげなくおかわり。
あとで、よくよく観察してたら、ほとんどの男の人たちが、足りてなかったらしく、残ってるなら食べるよ、と言って、おかわりをしていたので一安心。
もちろん、日本では、「三角食べ」の教育を受けて、育ってきているので、
レストラン以外の場所では、ひとつのものを食べきってから次にいくという習慣にはどうも慣れない。
食事の文化意識の違いというと、必ずフランス人の話に出てくるのが、ロラン・バルト。
以前もこのブログの中で紹介したのだが、
必ずと言っていいほど、日仏における食事文化の違いについての話題になると登場してくるのが、ロラン・バルト氏が書いた『記号の国』という本。
(過去のブログ記事:芸術作品としてのフランス語で綴られる日本の姿が愛おしすぎる件)
よく、海外生活で、食事は何を食べているかと聞かれるけど、
ここまでグローバル化が進んだ現代社会において、
自分が食べたいものを、海外に行っても食べ続けることはある意味簡単である。
それよりも、その国の食事に対する意識というものは、その空間を共にする人たちへの敬意、つまり、礼儀につながるので、おざなりにはできない。
フランスでは、決められた量、もしくは与えられた量を食べきるという習慣もないらしい。
確かに、体型ひとつとっても、
日本よりはるかに個人差があるのだから、それぞれ食べる量が違って当たり前なのだろう。