毎年、終戦記念日は日本で迎えていたのだが、
今年はめずらしく仕事の都合でパリで過ごすこととなった。
たまたま、パリに戻ってきてから改めて読み始めた本が、
イケメン社会学者、小熊英二氏の『生きて帰ってきた男』
『生きて帰ってきた男――ある日本兵の戦争と戦後』(岩波新書、2015年)
この本は、著者が自らの父の人生を、こと細かくたどるという形式がとられている。
つまり、名もない一人の男の人生が一冊の本になったということである。
偶然にも、7月に日本に帰った時、
父が、自分の母親、つまり私の祖母の人生を編集者の手を借りて、
自伝におこす作業に立ち会わされた。
くだらないと思えるようなちょっとしたエピソードでも、編集者の方は、何度も質問を変え、より具体的な記憶をたどっていくという、なんとも忍耐のいる作業である。
私の父自身、名もない人々の歴史に焦点を当て続けてきた人で、
2012年に、名もない人々を記録し続けた『人名事典「満洲」に渡った一万人』という本を出版した。
本の分厚さと価格に驚愕したことをよく覚えているが、
小熊英二氏の父、謙二氏の半生を読み進めていくと、
「戦争」という得体の知れない、怪物を理解するにあたって、
名もない人たちの「経験」と「記憶」がいかに重要であるかを思い知らされる。
特に、興味深いのが、戦争が始まる前の記述である。
私たちの世代にとって、戦前というと、どんなに原始的な生活をしていたのかと想像しがちだが、
まるで、サザエさんとかちびまる子ちゃんにみるような、
裕福ではなくとも、自ら社会に流れたり、もしくは、流されたりしながら、
世間の中で、たくましく生きてきた人たちの姿がある。
そして、誰もが、戦争というものが、実際に起こるなどということを危機的なまでに想像していなかったという現実がある。
戦争を経験した世代の方々が、今の日本は戦前の空気と似ている、という記事をよく目にするが、
まさに、戦争という怪物は、目に見えない敵なのだと、この本を読んで認識せざを得ない。
もし、今、戦争が始まったとして、
私は、「名もない人々」のひとりとして、
戦争に巻き込まれることになるのならば、
戦争が始まっていない今だからこそ、
当時の政治家や知識人からではなく、
「名もない人々」から過去を学び、
「名もない人々」として、尊厳ある行動をとりたいと思う。
そして、私たち「名もない人々」こそが、世の中の大多数をしめるのだから、
目に見えない敵に対してだからこそ、「名もない人々」の力を信じてみてもいいのだと思う。
とにかく、大熊氏のこの本は、
一瞬にして、人間を匿名化してしまうような、
「戦争」という怪物を前にしても、
自分の名前を忘れないための希望である。
演劇でいうなら、コロスとして「民衆」役としてではなく、
役名のある「個人」として生き続けることへの希望である。