脇役のときは、自分を立てて、主役のときは、周りを立てる。

来月頭からの本番が近づき、

未だかつてない過酷なプランニングをこなす毎日。

基本、スケジュール表には、10時から24時と明記してあり、

スタッフが舞台作業があるときだけ、午前中の稽古がなくなったりする。

 

4作品同時上演のため、終盤の稽古では、

4人の演出家、4つの作品と交互に関わっていく。

通しを中心にリハーサルを演出家、

テクニックとの合わせに力を入れる演出家、

最後の最後まで、演技の詳細にこだわる演出家、

あえて、即興的部分を残して完成させない演出家。

作品の前に、創作過程が全く異なる。

 

そんな環境で、改めて実感するのは、「いい」演劇、「いい」俳優が存在しないかということ。

演出家、もしくは、作品のタイプによって、

求められることは全く違う。

いかに、柔軟に対応し、ある作品での価値観は、決して他の作品に適応しないということ。

それでは、多様性溢れる演劇マーケットで、

「いい」演劇、「いい」俳優の代わりに何を求めるのか。

「柔軟でありながらぶれない」演劇であり、

「柔軟でありながらぶれない」俳優であると思う。

現在に対して柔軟でありながら、芯を通っている演劇であり、

演出家の世界観に柔軟でありながら、その信頼を観客(世間)を前にしても貫くことのできる俳優。

 

さらに、「柔軟でありながらぶれない」俳優というものを突き詰めていくと、

作品においての自分のポジションを捉えらた上で、

「気の持ち方」のようなものを調整できているかということにもつながると思う。

おそらく、社員として仕事をするのと、社長として仕事をするのとでは、求められていることも、本人の意識も全く違うという感覚と同じだと思う。

 

例えば、4作品、11人の俳優で創作していれば、

作品によって、メインの役だったら、脇役だったりということがもちろん出てくる。

私の個人的感覚では、

脇役のときこそ、自分を立てて、主役のときこそ、周りを立てるということである。

 

言葉のこともあり、

この3年間、脇役に配役されることが多かったけど、

毎回全力で暴走してきた。

今回、初めて、ひとつの作品でメインの役を任され、

今までと同じ気の持ち方では、決してうまくいかないと思った。

いかに、周りを際立てさせることができるか。

 

演劇がこうも多様になった現在、

俳優として、自分が、新劇とか、アングラとか、パフォーマンス系とか、ナチュラリズムとか、

どんな演劇スタイルに向いているのかを考えてしまいがちだけど、

職業俳優、もしくは、俳優育成の環境で求められているのは、

そこではない気がする。

どんな作品にせよ、自分の役(作品におけるポジション)に合わせて、

的確なスタンスで、

共演者、演出家と、議論しながら、

簡単に言ってしまえば、「大人な態度」で創作に関われる俳優。

言葉でいうのは簡単だけど、

現場で実践するのは難しい。

 

とにかく、明るい気持ちで毎日現場に迎えるように、

しっかりカフェのテラスで太陽を浴びてから稽古に行くのが日課。

 

待ち時間についつい居眠り。

しっかり証拠を撮られていた。

 

スクリーンショット 2016-05-27 12.55.21.png

 

 

 

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