水曜日のダウンタウンの見過ぎで、
私も何か説を立証したくなったということで、
今回、私が持ってきた説はこちら。
「演劇人に悪い人0人」説!
現在創作中の作品では、
今年も、「フランスのトニー賞」と呼ばれ、映画の「セザール賞」、音楽の「ヴィクトワール・ドゥ・ラ・ムジーク賞」に並んで、フランス演劇界において重要な賞「モリエール賞」にノミネートされた女優、Dominique Valadié(ドミニク・ヴァラディエ)氏がスペシャルゲストとして出演している。
元コメディー・フランセーズの女優でもある彼女は、モリエール賞ノミネート回数5回ともはや演劇界、神の領域。
パリ国立コンセルバトワールを卒業後、
アントワーヌ・ヴィテーズ氏と主に仕事をしていた彼女は、いま振り返れば常にハイレベルでフランス演劇界において、重要な作品に関わっており、クロード・レジ氏の作品に出演したことも。
近年は、現在私たちの演出家である、アラン・フランソンのほぼ全作品に出演している。
そんなドミニクの到来に、稽古場は、一種の戦慄にも似た期待で凍りついたが、
彼女の大女優「らしからぬ」態度に、一同の緊張は一気に解ける。
公演のため、私たちより、2週間遅れて稽古に参加したため、
わからないところは、私たちになんでも質問し、
一番感銘を受けたのが、臆せずして失敗し続けること。
つまり、最初から、当たり障りないかたちで、「うまい」演技をするのではなく、
若者たちにいいところを見せるわけでもなく、
とにかく自分のために失敗しまくる。
台詞が覚えられない、と言って、舞台袖で何度も台本を確認し、
稽古で台詞を間違って、本人も思わず笑ってしまっている。
そんなチャーミングな大物女優のアマチュアリズム全開な演技と、
プロフェッショナルな舞台裏での素顔に、
一同、目を奪われっぱなし。
改めて、演劇とは、なんてごまかしのきかない芸術なのかと痛感する。
どんなに、経験があっても、舞台の上に立ったらみんな一緒。
何があるかわからない。
稽古の過程においても、台詞を覚えるという実に地味な作業から始まって、
繰り返し繰り返しを重ねながら、ほんの数ミリずつ作品を創り上げていくのは、
どんなレベルの俳優にとっても同じこと。
翌日になれば、うまくいっていたと思われたシーンが完全に崩壊されていることもあるし、
本番があけたとたんに、稽古とは全く変わってしまうことだってある。
小道具や衣装、舞台美術のトラブルだってある。
これらのことすべて、すべての俳優に起こりうることなのだ。
そもそも、こんなにもキャリアを安定して積めない職業はまれだと思うし、
演劇に欠かすことのできない地味な過程を長年真摯に続けられることができる人に、
悪い人はいないと思う次第である。
はっきり言って、大物が威張ったところで、いい作品はできない。
演劇の本番とは、恐ろしいもので、
舞台作品における透明性の高さだけは、決して油断してはならないと思う。
共演者間の人間関係、
演出家との関係、
現場の空気、
少し角度を変えれば、観客はフィクションの中のノンフィクションまで、すっかり見通すことができる。
それにしても、
人間の「エゴ」とはなんて邪魔なものだろう。
稽古中であっても、人が見ているとついつい最短の道のりで「いい」演技をしたくなるもの。
ドミニクは、あえてあえて遠回りして、正解に行き着かないようにしている気がする。
例えるなら、球形のスポンジといった感じで、
静かにころがりながら、空間に起きた出来事をなんでも吸い込んでしまう。
私の抱く大女優のイメージを完全に覆してくれた彼女に心からの感謝と敬意を。
稽古中にとってもらったポラロイド。