親が有名じゃなくても、子どもは有名になれるか。

パリ・オペラ座バレエ団の第1舞踊手に、

日本人で初めて選ばれたオニール八菜さんのインタビューの言葉が印象的だった。

 

「バレリーナになることを夢見たことはありません。」(2016年1月29日朝日新聞

 

あまりにも印象的だったので、

この話を友人たちにしてみたところ、

やはり、気も遠くなるような大きな夢があった時、

「夢のまた夢」と思わなくてすむような生活環境に身を置くことが、

大切だという意見で一致した。

冗談交じりで、

「じゃあ、やっぱり親が大物の場合は、子どもも大物になる?」

なんて、話に発展。

 

フランスの国立系の演劇学校を受験の際には、

親の職業を書かされるのが普通である。

2次試験の時、

サングラスをした大物女優が、

子どもの受験の付き添いで来ていて、

呆気にとられたことを覚えている。

 

確かに、自分の身近に、

自分が将来的に夢みているような立場に、

すでに置かれている人がいると、

夢と現実の境はかなり曖昧なものになるだろう。

 

夢を「夢」のままにしてしまう、

決定的な要因はなにか。

そんなことをぐるぐると考えている時に、

友人にスーザン・ソンタグという人の名前を教えてもらった。

アメリカの知識人で、

生涯を通じて、人権問題に深く切り込んでいった女性である。

 

彼女は、著書『良心の領界』の序文で以下のように書いている。

 

若い読者へのアドバイス……(これは、ずっと自分自身に言いきかせているアドバイスでもある)

 人の生き方はその人の心の傾注(アテンション)がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力(アテンション)の形成は教育の、また文化そのもののまごうかたなきあらわれです。人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質なものごとに対して示す礼節です。新しい刺激を受けとめること、挑戦を受けることに一生懸命になってください。

 検閲を警戒すること。しかし忘れないこと──社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、【自己】検閲です。(後略)

【『良心の領界』スーザン・ソンタグ/木幡和枝〈こばた・かずえ〉訳(NTT出版、2004年)】

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おそらく、「夢」を「夢」として、

私たちから遠ざけてしまうものが、

まさに、彼女のいう「【自己】検閲」なのではないか。

 

私たち現代人が。

昔の人間たちより、

優れている点がもしあるとすれば、

それは、理性と適応能力が高い。

 

そして、この理性と適応能力こそが、

【自己】検閲と深く結びついているように感じる。

 

TPOに応じて、

私たちは無意識に、もしくは意識的に、リミット機能を作動させる。

「夢」に対しても、同じである。

他者が存在する限り、

理性の外側に出ることは困難を極める。

そして、理性を言い訳の道具にさえ、すり替えてしまう。

「『普通に考えて、』私には無理だろう。」

というような具合に。

 

女性がある程度の年齢、

つまり、結婚や出産に適齢であると思われる年齢に社会に出れば、

小さなことで、

【自己】検閲をし、

自分が思い描いていた道を逸れてしまう可能性なんて、

容易に想像できる。

 

先日、読んだ、  元 NHKアナウンサーで作家の、

下重暁子さんの著書『家族という病』には、

彼女の確固たる【自己】検閲への排除の姿勢が伺え、

いいタイミングでいいモデルに出会えた気分だった。

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黒田夏子さんとの共著のタイトル、

群れない媚びない こうやって生きてきた』からもわかるように、

「群れない」「媚びない」というのは、

【自己】検閲をさけるための、

具体的な手段かもしれないと思う。

 

 

最後に、最初に紹介した、スーザン・ソンタグ氏の『良心の領界』の序文は、

全文が素晴らしいので、引用させていただきます。

 

 

若い読者へのアドバイス……

(これは、ずっと自分自身に言いきかせているアドバイスでもある)

 

人の生き方はその人の心の傾注(アテンション)がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力(アテンション)の形成は教育の、また文化そのもののまごうかたなきあらわれです。人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質なものごとに対して示す礼節です。新しい刺激を受けとめること、挑戦を受けることに一生懸命になってください。

検閲を警戒すること。しかし忘れないこと──社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、【自己】検閲です。

本をたくさん読んでください。本には何か大きなもの、歓喜を呼び起こすもの、あるいは自分を深めてくれるものが詰まっています。その期待を持続すること。二度読む価値のない本は、読む価値はありません(ちなみに、これは映画についても言えることです)。

言語のスラム街に沈み込まないよう気をつけること。

言葉が指し示す具体的な、生きられた現実を想像するよう努力してください。たとえば、「戦争」というような言葉。

自分自身について、あるいは自分が欲すること、必要とすること、失望していることについて考えるのは、なるべくしないこと。自分についてはまったく、または、少なくとももてる時間のうち半分は、考えないこと。

動き回ってください。旅をすること。しばらくのあいだ、よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の埋めあわせをしてくれます。たとえば、庭は、過去はもはや重荷ではないという感情を呼び覚ましてくれます。

この社会では商業が支配的な活動に、金儲けが支配的な基準になっています。商業に対抗する、あるいは商業を意に介さない思想と実践的な行動のための場所を維持するようにしてください。みずから欲するなら、私たちひとりひとりは、小さなかたちではあれ、この社会の浅薄で心が欠如したものごとに対して拮抗する力になることができます。

暴力を嫌悪すること。国家の虚飾と自己愛を嫌悪すること。

少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券を【もたず】、冷蔵庫と電話のある住居を【もたない】でこの地球上に生き、飛行機に一度も乗ったことの【ない】、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら、と想像してみてください。

自国の政府のあらゆる主張にきわめて懐疑的であるべきです。ほかの諸国の政府に対しても、同じように懐疑的であること。

恐れないことは難しいことです。ならば、いまよりは恐れを軽減すること。

自分の感情を押し殺すためでないかぎりは、おおいに笑うのは良いことです。

他者に庇護されたり、見下されたりする、そういう関係を許してはなりません──女性の場合は、いまも今後も一生をつうじてそういうことがあり得ます。屈辱をはねのけること。卑劣な男は叱りつけてやりなさい。

傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。眼前にあることをできるかぎり自分のなかに取り込むこと。そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに負け、みずからの生を狭めてはなりません。

傾注は生命力です。それはあなたと他者をつなぐものです。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしてください。

良心の領界を守ってください……。

 

2004年2月

 

スーザン・ソンタグ

 

【『良心の領界』スーザン・ソンタグ/木幡和枝〈こばた・かずえ〉訳(NTT出版、2004年)】

 

 

 

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