チェルフィッチュの大ファンである演出家、
ロバート・カンタレラとのクリエーション、
2セッション目。
(以前のブログ:12時間40分の映画を見ながら、合理的とは何か考える。)
今回の作品は、フランスのコンテンポラリーダンス界には欠かすことのできない、
マチルド・モニエの作品にも出演したことのある作家とのコラボ企画。
ダンスと映画をこよなく愛する詩人、ステファン・ブケが、
私たち11人のために、新作を書き下ろた。
いつものことながら、
決して効率がいいとは言えない稽古が始まる。
美大出身である演出家は、
演劇の現場における、
「一般的な」稽古からは、
完全にはみ出たクリエーションを展開。
まず、初日。
配役の発表と、
テキストの読み合わせを終え、
彼が私たちに課した課題は、
自分に与えられえた役の「企画書」を作成すること。
全員、顔にはてなマークがくっきりと浮かんでいる。
例えば、美術分野だったら、
自分が作品に着手しようとした時に、
なんだかの動機がまず生じる。
自分と社会の間で生じる摩擦だったり、
もっと個人的な問題だったり、
何かしら、その作品を創作する上での出発点があるはず。
それに対して、
俳優の場合、自分の企画でもない限り、
配役を自分で決めることはめったにないので、
与えられた役との関係は限りなく受動的。
順序は違えども、
役に対してより能動的に、
まるで、自分の意思でこの役を演じることを決めたかのように、
「私」が、この「役」を演じる、
いちアーティストとしての、l’intérêt (理由・興味・利益)を後付けするということ。
特に、重要なのは、
芸術家が作品を創る発端と同じように、
極力、自分と一番親密な場所から、
役に対する「個人的」意義を探しだすということ。
この「企画書」は3段階に分かれており、
1、一文(ワンセンテンス)で発表。「私がこの役を演じるl’intérêt (理由・興味・利益)は〜です。」(ストーリーにおける人物として、分析して決めることではなく、あくまでも、個人的観点から考える。)
2、CARTOGRAPHY(カルトグラフィー)の作成:最初に決めたセンテンスをもとに、自分の過去、今までに見た作品、出会った人など、今までに自分が出会ってきた様々なものと関連付けながら発展させていく。
3、3分間の舞台作品として、ソロを発表する。
11人それぞれ、
全く違う「企画書」が少しづつ少しづつかたちになっていく。
今回の作品に関しては、一人につき、
2人から3人の配役を受け持つことになっているので、
自分が演じる役の数だけ、「企画書」別々に作成していく。
例えば、私の場合、
性転換した日本人男性と、
女流作家の役が与えられているが、
性転換の役は、
カルトグラフィーで30個以上に枝分かれした私の過去を、
それぞれ小さな動作に置き換え、
それを組み合わせて3分間の謎の踊りを作った。
作家の方は、
「夢を見ない」というセンテンスを選んだので、
玉ねぎを3個みじん切りしながら、
目が痛くて号泣しながら『耳をすませば』のカントリーロードを、
3分間歌うというこちらも謎の作品を作った。
彼にとって、
俳優の一番の仕事は、
branchement(ブロンシュモン)。
英語で言うなら、connection。
サッカーで言うなら、ボランチ、
つまり、ミッドフィルダー!
フィクションの世界と、現実の世界を「つなぐ」人。
もっと言えば、フィクションの世界で与えられた役に対して、
社会に生きる俳優の個人的「現実」とを、
つなぐ人。
稽古期間が4週間しかないのに、
2週間まるまるこの「企画書」製作に、
惜しみなく時間を捧げる演出家。
そこから、それぞれの俳優がそれぞれのl’intérêt を意識しながら、
ダイヤローグ、
つまり、
共演者との「一般的な」稽古に、
ようやく突入する。
焦る私たち。
果たして、どうなることやら。
それでも、
どんなに焦っても、
日曜日はしっかり休むのがフランス流。
美味しいご飯をたべて、
好きな音楽を聴いて、
明日に備える。