慌ただしく、
誕生日を迎えて、
新一年生を迎えて、
本番を迎えて、
新たなクリエーションが始まった。
最終学年である今年は、
30代、40代、50代、60代の4人の演出家と、
私たち11人の俳優で、
同じ空間を用いて、
4つの作品を作り上げるという、
とてつもない企画がスタート。
まずは、一番若い30代の演出家と、
ゲオルク・ビューヒナーの『ダントンの死』の、
稽古がスタート。
実はこの作品の中の有名な娼婦のモノローグを、
以前、別の演出家のスタージュで配役されたことがあった。
(過去の記事:https://mill-co-run.com/2014/10/04/living-beahavior-生命的行為へのために、私自ら「実験台」に/)
今回の演出家は私が出演していた別の作品を見て、
私に、この娼婦の役を配役しようと決めていたらしく、
私が以前にやったことがあると言って、
岩波文庫の翻訳も持っていたので、
驚いていた。
もはや、フランスで俳優をする上で、
必要な本は、
だいたい自分の本棚から見つかるという今日この頃。
少しづつ、
フランスの演劇界に浸かり始めてきた感じ。
それにしても、
フランスに来て、
もう4年も経つのに、
どうしてもひとつだけ、
惨めで惨めで仕方ない時間がある。
それは、本読み。
台本が渡されて、
初見で、本読みをするときに、
どうしても、
同時に理解して、
台詞を読んでいくことができない私は、
俳優として、
かなり頼りない姿を見せることになってしまう。
こんなわけで、
毎回、新しいスタージュが始まってから、
演出家への信頼を得るまでの、
1週間は地獄。
はっきり言って、
台本を渡されて、
その場で、
理解しながらすらすら読めるようになるには、
少なくとも、あと5年はかかる気がする。
何しろ、今回の作品の舞台背景は、
フランス革命なので、
歴史的背景まである程度わかっていないことには、
台詞を覚えるどころではない。
たぶん、
去年までの私だったら、
完全パニックに陥って、
絶望していたと思うけど、
最近、
少し、「聞く」という行為に力を入れているので、
以前よりは落ち着いて、
この惨めな状況を通り過ぎることができた。
日本の伝統的な芸道のひとつで、
一定の作法のもとに香木を焚き、
立ち上る香りを当てっこすることを、
香道という。
香道では、
香りを嗅ぐのではなく、
香りをに対し、
「聞く」という動詞を使うそう。
心を傾けて香りを聞く、
心の中でその香りをゆっくり味わう、
という意味があるそう。
フランスでは、
この聞くという動詞をやたら舞台芸術の場で多用する。
[écouter]
俳優を褒めるときにも、
彼は「聞く」のがうまいというのをよく耳にする。
ここでいう「聞く」は、
単に、共演者に対して「聞く」のではなく、
空間に対して、
身体に対して、
時間に対して、
香道の「聞く」と同じで、
聞こえないものを「聞く」力が必要とされているのではないかと感じる。
昨年は、
日常生活の中でも、
何かを学び得ようという気持ちよりも、
もう少し、
受動的な気持ちで、
今、自分が置かれている状況を、
「聞く」ことで、
ゆるりゆるりと味わっているうちに、
いつのまにか解決していたり、
ふと振り返ると前進していたりしたようなことが、
多々あった。
いっとき、
日本で話題になった「アンチエイジング」という言葉も、
言い換えれば、
自分の身体を「聞く」ことと同じことだと思う。
「聞く」ことで、
私は、最近、
アンチというよりも、
ウィズという感覚で、
エイジングと付き合っている。
ウィズエイジング。
稽古や本番で、
ハードな日程が続くほど、
身体の感覚が、
確実に20代前半までとは、
違うことがわかる。
食べることも、
運動することも、
眠ることも、
欲求よりも、
自分の身体の意見を優先する。
身体を「聞く」こと。
フランスの現場では欠かせない、
ディスカッションも、
今までは、
自分の意見をいうだけで、
精一杯だったけれど、
他人の意見と、
場の空気を、
まず「聞く」ことで、
そっと考える(味わう)時間をあたえてくれる。
28歳は、
私を「聞く」1年になったらいい。
どこまでも、
些細な音に耳を傾けて、
その香りが消えてなくなるまで、
ゆっくりゆっくり味わうのだ。
それにしても、
初日は、
台本の内容が全くわからなかったので、
悲しすぎて日本に帰りたくなったので、
ノートにトトロを描いて、
気持ちを落ち着かせました。
その香りが消えてなくなるまで、
ゆっくりゆっくり味わうのだ。