隣の芝生はなぜこうも青いのか。

私が撮影中のドキュフィクション、

『WE CAN’T JAIL THE TRUTH NOR THE LIE』

これは、ニコラス・レイ監督作品、

『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』(We Can’t Go Home Again)から、

インスピレーションを得た企画。

1971年、当時、彼が講師を務めていた大学で、

学生たちと撮影したのがこの映画である。

リハーサルをメインで、

休憩中や、ミーティングなど、

プロジェクトを追っていくカメラの他に、

2台目のカメラを、学校の休憩室に設置し、

いつでもだれでもカメラの前に座って、

オートインタビューできるようになっている。

その名も『告白の小部屋』

毎週末に、

この小部屋で撮影された内容を、

データに落としていっているのだが、

この作業は私にとって極上の時間。

普段、全体を撮影するカメラに映る、

グループの群像が、

ひとりひとりの親密な「顔」に変わっていく瞬間。

こんなにも、同じ時間と空間をともにしているのに、

そこから感じることは全く違う。

グループでいる時は見えてこなかったひとつひとつの表情が、

ひとつのグループが、

11個の「たったひとつ」の集合体なのだと、

そんな当たり前のことを実感させる。

その当たり前のことで、

「世界」というグループが出来上がっているのかと思うと、

その重さに涙が止まらなくなってしまう。

私の感動とは裏腹に、

カメラの画面に映し出されるのは、

やはり、俳優。

「隣の芝生は青い」コメントが多い。

私には、何事も完璧にこなす同級生たちが、

こんなにも他人と比べて、

いろんなことで悩んでいるのかと思うと、

思わず爆笑してしまい、

ここでもまた涙が出る。

全く、

隣の芝生はなぜこうも青いのか。

演劇をやっていない人には、

想像もつかないことだと思うし、

演劇をやっている人にも、

子どもだなあと思われるかもしれないが、

やはり、台本を初めて渡された時に、

一番気になってしまうのは、

台詞の量と出番の数。

大して変わらないようでも、

隣のあの子の台詞がやけに多く思えてしまったりするから不思議だ。

そして、配役。

今回は、グループのうちの二人が、

戯曲を書いて、演出を担当しているため、

配役理由も気になるところ。

私はあまり期待されていないのではないか、

あまり目立たない役なのではないか、

そんな一見くだらないように思えることを、

ついつい気にしてしまうのが、

俳優というものなのだと思う。

少なくとも、まだ私は、その次元にいるし、

そこから、稽古を通して、

自分の役と徐々に親密になっていくという過程が、

実際、とても大切だったりする。

隣の芝生はなぜこうも青いのか。

隣の芝生が茶色いよりは、

いいではないか。

隣の芝生が青いおかげで、

今日も私は、しょうもない嫉妬の炎に駆られ、

私の芝生を青くしている。

こんなにも私たちはグループで、

かつ、

こんなにも私たちはひとりひとりなのだということを噛み締めながら、

私たちが切磋琢磨して世話した、

少しずつ色の違う青い芝生を、

愛おしく思う。

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まだ、三脚の使い方すら分かっていなかった、

撮影初日の写真。

まだ、三脚の使い方すら分かっていなかった、

撮影初日の写真。

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